8月7日のAsian Cupの決勝戦終了直後に、NHK BS1で放映されたBSドキュメンタリー『よみがえった聖母教会 ~ドレスデン 60年後の和解~』を録画したものをやっと昨日視ることができた。
内容は、第二次大戦末期に連合国の無差別爆撃により壊滅したザクセンの古都ドレスデンの象徴であった聖母教会(Frauenkirche)再建のドキュメンタリである。1945年2月13,14日の米英空軍の爆撃によって、エルベのフィレンツェと呼ばれたドレスデンは歴史的建造物を含めて破壊された。聖母教会は爆弾の直撃は受けなかったが、周辺からの火災によって梁が倒れ建物が崩壊した。
このドレスデンへの空爆は、戦争の帰趨が決まった後の連合国による一般市民を巻き込んだ破壊殺戮行為として、広島・長崎への原爆投下とともに批判の対象となっていた。何がきっかけかは知らないが、ネット上に東京下町を中心とした1945年3月10日の東京大空襲と比較してどちらの死者が多かったかという不毛な議論があるようだ。東京、長崎、広島、ドレスデン、どこでも市街地に無辜の民が死屍累々となっていた悲惨な光景に違いなど無いと思えるのだが。
ドレスデン空襲を少年時代に体験した、牧師であるルートヴィッヒ・ホーホ師の呼びかけに端を発した聖母教会再建計画はその輪を大きく拡げ、ドイツ国内に止まらず各国の人々から寄付が集められ今年の6月には建物が完成した。聖母教会を象徴するドームの天頂に立っていた黄金の十字架は父親がパイロットとしてドレスデン空襲に参戦したイギリスの金細工職人が復元制作し、少年時代にドレスデン近郊の収容所に入れられていた元反ナチス活動家マリアン・ソプコヴィッツ氏の呼びかけに応えたポーランドの人々によって塔を飾る炎をイメージした彫刻が寄贈された。
各国政府が直接介在したわけではないが、敗戦国であるドイツ、戦勝国、戦時中そのドイツによって痛めつけられた国の人々の協力によって成し遂げられた戦後の「和解」を象徴するプロジェクトである。
共に奇跡の復興を果たしたと言われている日本とドイツであるが、両国の現在の対外的な関係はかなり異なった様相を呈している。
連合国及び占領軍の盟主であったアメリカに対するそれぞれの政治家達の姿勢も対象的であった。ひたすらアメリカに追随していた日本に比べ、旧西ドイツには東西冷戦下で西側の立場を堅持しつつも経済政策に関してはアメリカに対して強かに渡り合ったアデナウナー、エアハルトといった官僚上がりの気骨ある政治家がいた。
周辺国にもドイツは辞を低くして対応し、ナチスの所業には言葉と振る舞いでひたすら反省の意を表し続けた。その結果として、東西冷戦の終焉という僥倖も手伝って、現在は「平和」という果実を手にしている。積年の仇敵であったフランスとは外務省の官僚レベルでの人材交流を行うまでになっており、通常の政権交代程度では変わりようのない不即不離の関係を築いている。
翻って我が国と東アジアの近隣諸国との関係は言わずもがなであり、日本は「信頼するに足る国」というブランドを完全に獲得することが出来なかった。「ブランド」とはその組織の努力を、組織の外側からの評価したものであり、決して内側に存在するものではない。これは、雪印や三菱自工の例を見ても明らかである。(「組織の内側にあるのは、努力とコストだけ」byピーター・ドラッカー)
先週我々が目撃した、中国の観衆達の行いは非礼かつ不作法で甚だ不愉快なものであった。あれを必要以上に過大視することはないが、今後の両国の関係を考えると全く無視しているというわけにもいかない。相手の非を唱えているだけでは何の解決にもならない。相手が納得できる言葉での対話なしに”あのMind”を変えるきっかけを得ることは出来ない。
”Soul”を変えることは出来ないが、”Mind”は知性によって変えることは可能である。
この番組の後半で、聖母教会復興を呼びかけた牧師のホーホ師と炎の彫刻の寄付を呼びかけ元反ナチス活動家のソプコヴィッツ氏が邂逅するシーンがあった。場所は、彼の従兄が17歳で処刑されたドレスデン市内のミュンヒェン広場。
ホーホ師がソプコヴィッツ氏に語りかけた言葉は「ドイツ人として悔やむのはどうしてヒトラーを排除できなかったのか?」「何百年たってもドイツの犯した罪は消えない。」というものであった。
その後、聖母教会の十字架を設置する式典に臨んだソプコヴィッツ氏が発した言葉は「いつまでも過去のことに拘っていてはいけない。未来を見つめて行かなければいけない。」というものであった。両氏の短い対話には互いに相手を斟酌した言葉が使われていた。これが和解というものの一例であろう。
尚、聖母教会の内部を含めた完成は来年の10月になる。再建当初の目標としていた「ドレスデン建都800年」にあたる2006年には間に合うようである。
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