Vanishment and Recollection
勿論、この建物が廃館になり解体工事に入ったことはニュースなどで知っていたので、いづれこうなることはアタマでは解っていたが、回りの景色からバッサリと切り取られた虚ろな空間を初めて実感して正直びっくりした。渋谷には頻繁に出ているにも拘わらず、昨日まで気づかなかった自分にも呆れた次第。
この「東急文化会館」とは(開館当時のことは解らないが)、4つの映画館を中心としてプラネタリウムやテナントとしての店舗が入っていた複合商業施設であった。屋上にプラネタリウムのドームがある以外はこれといった特徴のある建物ではないし、その内部に至っては現在の感覚からはかなり古くさい雑然としたものであった。
ロードショウの渋谷パンテオン、渋谷東急。そして東急名画座。それから一度も入ったことは無かったが、その後他の施設に転用された東急ジャーナルというニュース専門の映画館が地下にあったと記憶している。小学生の頃学校で連れていかれたプタネタリウム(その後、一時期足繁く通っていた時期がある)や全国展開のファーストフード・ショップなど無かったころにホットドック・ハンバーガー(恐らく今食べても、軽井沢万平ホテルのハンバーガーの次に美味いと思う)がメニュにあったジャーマン・ベーカリーや甘味処の立田野、西村フルーツパーラー、やはり小学生の頃填った切手収集のためによく通った切手屋などなど子供の頃の様々な断片的な記憶につながる建物であった。
渋谷を経由して通学していた高校生の頃には帰宅途中に寄り道してはここにあったゲームセンタのピンボール・マシンでよく遊んだ。ごく希にハイスコアを更新したこともあったが、翌日行ってみると必ずと言っていい程ハイスコアは「未だ見ぬ敵」に更新されていた。
日頃、想い出に耽ることなど殆ど無いのだが、ぽっかりと穴のあいたような空間を眺めちょっとした喪失感を味わった。
The comments to this entry are closed.

Comments
東京はどんどん景色が変わっていきます。
なぜか落ち着きません。
地方は、どんどんタイムマシンの世界になっていって
います。寂しいですね。
人の身の丈にあった快適な都市がいいと
思う今日この頃です。
Posted by: 大西宏 | September 21, 2004 05:28 PM
大西さま、コメントありがとうございます。
ワタシが子供の頃の渋谷という街は、良く言えば「おっとり」悪く言えば「ボォ~とした」印象の盛り場でした。「子供の街」への変貌を遂げることになった潮目は「渋谷西武」の進出で、「PARCO」によってその方向性が決定しました。
それを受けて立った東急もセゾンと同じ方向に走り出し、「子供の街」化が加速されました。セゾンの凋落後、東急は渋谷に大人を呼び戻そうとしていますが、一度壊れた街はなかなか元には戻りません。
Posted by: Flamand | September 21, 2004 06:08 PM
私にも天文・科学少年だった時期があり、文化会館のプラネタリウム、日曜毎に回数券で通っていました。終わった後の楽しみだった1,2階下のホットドッグ・スタンドも「ジャーマン・ベーカリー」でしょうか。下世話なものだった記憶がありますが。数年前帰国した折、渋谷を通りましたが、大盛堂は中々降りて来ない奥のエレベーターまで殆ど昔のままでしたが、私の知らない東急文化村には、遂に辿り着け仕舞いでした。その他、NHKスタジオの無料見学コース、N響ガイド、渋谷公会堂(題名の無い音楽会)等の記憶が断片的に浮かび上がります。
Posted by: Gerhard | September 23, 2004 08:20 AM
プラネタリウムでは確か土曜日の夜はクラシックの小品をバックグラウンド・ミュージックとして流す「星と音楽の夕べ」というようなタイトルの投影会がありました。(大人になってからも、これに通っていました。)五島プラネタリウムの解説員の方々は語りが上品で抜群に上手かったと記憶しています。
5階(渋谷東急の階)にあった、スナックスタンドのホットドックはジャーマン・ベーカリーのものとはクォリティも値段も全く違うものでした。当時のジャーマン・ベーカリー(2Fの奥)のホットドックやハンバガーはかなり高価で子供がおいそれと食べられる値段ではありませんでした。
ワタシがよく遊んだピンボールマシンは、最初は5Fその後はドーム横の屋上階に追いやられていました。
Posted by: Flamand | September 23, 2004 04:56 PM