Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その2
<<< Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その1
iioさんの『評伝「サリエーリ」(サリエリ) その1』のクイズに正解できた最大のヒントは「ブランシュ夫人」というキーワードであった。これがなければ、ロマン派の作曲家にはとんと疎い店主には殆どお手上げ。iioさんが「バンタンキュー(税込み)」で予告先発回避ということなので、料理が出る前の「突き出し」のつもりで読んで頂きたい。
ところでサリエリであるが、北イタリアで生まれヴェネチアで修業時代を過ごし、20代半ばにしてパプスブルク家の宮廷作曲家となり、のちに宮廷歌劇場楽長にまで登りつめ、ほぼ生涯にわたってその地位を維持した人である。作曲活動は19世紀初頭でほぼ終了し、晩年はベートーヴェン、シューベルト、リストなどの師匠として名を成した。
ヴィーンにおけるイタリア・オペラの作曲を仕事の中心に据えていたが、彼のオペラはその聴衆を意識してか、いわゆるイタリアの感性(乾性)に比べて幾分「湿度」が高いような気がする。これは、現代でもミラノのスカラ座とヴィーンのシュターツ・オパーで上演されるイタリア・オペラの違いにも例えられようか。
宮廷楽長という立場もあってか、モーツァルトに比べるとスクウェアでより貴族的な雰囲気が強い作風であった。サリエリに比べるとモーツァルトの作風は遙かに革新的である。
この様に、サリエリの地位・作風は正にアンシャンレジームのアイコン的存在であった思われる。さらに、19世紀に入ってから新たな作品を殆ど発表していない。これらが、例え芸術作品とはいえ当時(19世紀)の聴衆から「意図的に忘れ去られた」のでは?と推測する根拠である。
ヴェルディの晩年の傑作といわれるのが「ファルスタッフ」であるが、サリエリもそれに先んずること約100年、「ファルスタッフ」を作曲している。
店主にとっては、ウェルディがアルプスの北の巨人に対抗べく「俺だってやる気になれば、これくらい出来るんだぜ!」といった感のある、巷間この巨匠の最高傑作と言われている作品よりも、サリエリの軽快で華麗な「ファルスタッフ」の方が余程好ましい。
>>> Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その3
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