March 04, 2009

Obituary - ORACION, the good looking horse

Merry_nice
(「サンスポ」より)
1987年東京優駿(第54回日本ダービー)優勝馬メリーナイス号(父・コリムスキー、母・ツキメリー)が去る3月1日、浦河町の渡辺牧場で病気のために死亡した。没年25歳。生涯成績は14戦5勝(ダービーの他GIは朝日杯3歳ステークス)、獲得賞金2億0355万4900円。

メリーナイスが日本ダービーを制覇した1987年は日本中央競馬会がJRA(Japan Racing Association)という略称を使いはじめた年であり、3年連続年度代表馬(サクラスターオー、タマモクロス、イナリワン)を輩出した当時の最強世代の一頭だった。四白流星(脚の4本の先が白く、顔の額に白い星が流れている)の栗毛という非常に目立つ外見と均整のとれた馬体を持つ絵に描いたようなGood looking horrseであり、派手でスマートな存在は如何にもバブル時代を象徴するようなスター・ホースであった。

Merry_nice2
(「ニッカンスポーツ」より)
宮本輝の小説『優駿』を原作として1988年にJRAの肝いりで製作された映画『優駿 ORACION』(監督:杉田成道、主演:斉藤由貴、緒形直人)ではメリーナイスがオラシオンのモデルとなった。当時の競馬ファンはご存知であろうが、メリーナイスがサラブレッドとして素晴らしい容貌をしていことが理由でオラシオンのモデルになった訳ではなく、1987年のダービー優勝馬を使うことが予め決められていた。実際のダービーで勝利するシーンを映画で使う予定であったのだが、撮影スタッフは1番人気であったマティリアルの姿しか追いかけておらずメリーナイスの映像は全く撮っていなかったという大失態を犯した。後日別の馬を使って優勝シーンを撮影したのだが、メリーナイスの特徴ある容姿(四白流星の栗毛)のため代役を捜すのに大いに苦労したそうである。

大差でダービーを制覇したにも係わらず年度代表馬には選出されなかったメリーナイスはそれが示すようにその後の競争成績は今ひとつ振るわなかった。トライアルであるセントライト記念で勝利し、1番人気に推された菊花賞では主戦騎手根本康広と全く折り合いを欠き9着と敗れ去った。グランプリ有馬記念では有力な古馬が参戦しなかったためか4番人気に推されるも、あろうことかスターティング・ゲート内で根本騎手を振り落としなんとゲートから飛び出してきたのはメリーナイスだけであった。スタートの瞬間の観衆の驚きと落胆のどよめきを今でも覚えている。(当然、落馬で競争中止)

翌年の目黒記念では2着と健闘するも、春の天皇賞では14着と惨敗し、本来ダービー馬が出走するようなレースではない8月の函館記念(GIII)で日本レコードで爆走したサッカーボーイに2着と敗れ、その後秋の天皇賞に向けての調教中に骨折しこれが原因で引退した。

1989年からレックススタッドで種牡馬入りしたものの産駒からは重賞馬を2頭出しただけで、これといった実績を残せず1999年には種牡馬を引退。その後長野県の牧場で繋養されていたが、さらに移動した北海道浦河町の渡辺牧場が終焉の地となった。種牡馬ライフもダービー馬としてはあまりパッとしたものではなかった(これはあくまで人間からの見方で、メリーナイスにヒィヒィーーンと笑われそうだが・・・)。ダービーを制覇したGood looking horseの生涯(メリーナイスには何の罪もないのだが)、バブリーライフを思い切り享受した人々のその後の人生と重なるようで興味深いものを感じざるをえない。

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May 27, 2007

Vodka Gimlet

ウオッカ(3番人気)は戦前の変則三冠馬(当時の名称は違うが現在の東京優駿、優駿牝馬@京都、菊花賞)として歴史に残る名牝クリフジ以来の64年振りに東京優駿(日本ダービー)を制覇した。

桜花賞では1番人気に押されながらもダイワスカーレットに先着を許したウオッカであるが、以前からのプラン通り牝馬ながらダービーに参戦し、最後の直線で抜け出し先行したアサクサキングスに3馬身差の圧勝。

ウオッカは2002年のダービー馬タニノギムレット産駒で、父・娘の日本ダービー制覇は初めて。今後は、ヴェルメイユ賞を経由し凱旋門賞に挑戦する計画とか。順調に仕上げれば馬齢・牝馬という斤量差を考えると凱旋門賞制覇も叶わぬ夢ではない!

64年前のクリフジは女傑を通りこし怪物クラスの牝馬でダービー6馬身、オークス10馬身、菊花賞大差という無類の強さを誇り、生涯成績は11戦無敗で1944年に引退した。

2005年秋、明治天皇以来の天覧競馬となった天皇賞のヘヴンリーロマンスと同様、今回の皇太子殿下行啓のダービーも牝馬が制している。これも何かの因縁かな?

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April 18, 2005

Wind in her hair

昨日の皐月賞、スタートで躓いたものの4コーナで調教師・オーナともに勝利を確信したというディープインパクトが他馬を圧倒する強さを見せつけて先ずはクラシック一冠を制した。夏をどう越すかということがあるので菊花賞は未だ何とも言えないが、東京優駿(ダービー)はこの馬で決まりという印象を強く持った。無敗の三冠馬誕生への夢が膨らむ。

昨年の皐月賞では同じ(株)図研CEOである金子真人オーナ所有・池江泰郎調教師の期待されていたディープインパクトの全兄のブラックタイド(コスモバルクの2番人気)は16着と惨敗し、やはり鞍上にあった武豊も今年は期するモノがあったと思われる。

ディープインパクトの父で今は亡きサンデーサイレンス産駒の活躍は未だに続いていおり、既に成績を残しているがBroodmare Sire(母の父)としての存在感も今後ますます増していくであろう。

ただ、個人的により注目しているのはディープインパクトとブラックタイドの母であるウインドインハーヘア(Wind in her hair)である。1991年にアイルランドに生まれた彼女の競争成績は通算3勝(1995年のドイツGIであるAral-Pokalの優勝を含む)ではあるが、1994年の英オークスでの女傑Balanchineに続く2着は注目に値する。

ブラックタイドと全弟である皐月賞馬のディープインパクトの活躍はご存じの通りであるが、彼らの半姉であるレディブロンドは2003年に5歳未出走から3ヶ月強の間に全て6ハロンのレースで6戦5勝という驚異的な成績を上げたことは競馬ファンの間には記憶に新しい。(引退レースとなったGIスプリンターズステークスでデュランダルの4着)

現時点でもウインドインハーヘアは繁殖牝馬として「名牝」と呼ばれるに相応しい実績を残しているが、彼女には英ダービー馬(Sir Ivor、Crepello)、ジャックマルロワ賞馬(Lyphard)、仏オークス馬(Highclere)、キングジョージⅥ & クイーンエリザベス・ダイヤモンド・ステークス馬(Vimy)らの名馬の血が流れていること考えると、今後更なる優秀な産駒を輩出することが期待できそうである。

ブラックタイドとディープインパクトの全弟であるウインドインハーヘア03(オンファイア)はサンデーサラブレッドクラブの所有(総額1億5000万で1口375万であるが既に満口。藤沢厩舎)でやはり活躍が期待されている。

ところで、昨日の皐月賞は結果「映画馬券」となったワケで、個人的には当初は2着のシックスセンスも「ヒモ」候補にしていたのであるが、CXに出演されているホースニュース社「馬」の広報部長である某氏の予想でこの馬名が出たとたん(当然のように)に切ってしまった・・・。

見なけりゃ良かった「スーパー競馬」!(こういうのを「後の祭り」、「後悔先に立たず」という)





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April 11, 2004

Dance in the mood ~ お嬢様は強かった!

やっと本格的な競馬シーズン到来を告げるのが本日の桜花賞。

ダンスインザムードがシスタートウショウ以来の無敗で、昨年のレコードを破り第64回桜花賞を制覇した。社台ファーム・藤澤厩舎・武豊という現在の日本競馬界の超主流・最強のキャスティングであり、その血統も父サンデーサイレンス、母は先月末に死亡したダンシングキイと超がつく名血である。

ダンシングキイは競走馬として出走しなかったが、産駒にエアダブリン、ダンスパートナー、ダンスインザダークがおり、近年最も成功した繁殖牝馬の一頭であった。

関東馬が桜花賞に勝ったのは、初代三冠牝馬のメジロラモーヌ以来の18年ぶり。武豊の桜花賞制覇はこれが5回目で歴代ジョッキー1位となり、名門藤澤厩舎も念願のクラシック初制覇と記録ずくめのレース結果となった。

レース前は、今年の桜花賞は例年になくポテンシャルの高い馬が揃い予想は難解と言われていたが、結果を見れば中団待機から4コーナー手前から徐々に抜けだし、直線の伸びでは他馬を全く寄せ付けずの圧勝劇。

今は父も母も亡き、みなしごの名門のお嬢様は強かった!武は優勝インタヴューで、「ゴーサインを出したらあっという間に抜け出した。超A級の馬です」、と絶賛していた。

昨年のスティルインラブに続いて、今年は青鹿毛の三冠牝馬の誕生を予感させる桜花賞であった。

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March 16, 2004

苦渋の選択、って何?

昨日のアテネ五輪マラソン代表選出、特に女子に関してはいまだ沈静化せず国民的一大関心事と化している。

陸連幹部は、「高橋尚子を選択する道を探したが、出来なかった。苦渋の選択であった。」と述べているが、これは全く余計なことだと思う。彼らが自ら決めたルールに従って出場選手を決定したのであるから、「苦渋の選択」などと言う必要があるのだろうか?

もし、どうしても高橋をアテネに送りたいのであったなら、選考方法として予め、「前回五輪金メダル枠」あるいは「ディフェンディング・チャンピオン枠」(これが、マラソン競技に相応しものであるかどうかは別にして)を設定し、残り2人を選考するという方法もあった。個人的には賛成は出来ないが、国民的なコンセンサスを得る一つの方法ではあったと思う。

高橋・小出コンビは、陸連が例によってルールを曲げるのでは?という期待を持ったことが最大の誤算であった。これに関しては多くを語るまい。

本当に、高橋尚子が逆境に強い実力を保持し、あるいはそれ以上に向上させているのであるならば、「たかが五輪」とばかり、その実力を見せつける機会は今後いくらでもある。「悲劇のヒロイン」あるいはそのキャラクタを180°転換して「ヒール」役になることも可能であろう。

スポーツ選手と競争馬を比較するのも如何なものかとは思うが、その昔橋本善吉氏(現参議院議員である橋本聖子氏の父君)が仔を宿したシルという牝馬を米国から購入した。その生まれた仔馬があの名馬マルゼンスキーである。(当の善吉氏は「牛」を購入するつもりで米国に行き、「馬」を買ってついでに馬主になった、という逸話もある)

古い競馬ファンならご承知であろうが、マルゼンスキーは当時の競馬界にあっては他の馬とは桁はずれの実力を誇ったが、持ち込み馬(海外から種付け済みの牝馬を輸入し、産ませた馬)はクラシックレースに出ることが出来ないという当時のルールのため、皐月賞、ダービー、菊花賞を走ることはなかった。

「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔はいっさいしない。賞金も要らない。この馬の能力を確かめるだけでいい。だからダービーに出走させてほしい。」という主戦騎手である中野渡の願いも当然歯牙にもかけられなかった。今思えば内国産馬保護という理不尽さを感じるが、ルールはルールである。

当のマルゼンスキーはそんな事情を知ってか知らずか、小頭数(勝ち目がないと見て、出走する他馬が少なかった)のオープン・レースを圧倒的な強さで勝ち続け、生涯成績は全て1番人気を背負って8戦8勝のパーフェクトで、当時夢のスーパーカーとも呼ばれていた。

結果、同期の皐月賞馬ランドプリンスハードバージ、ダービー馬ロングエースラッキールーラー、菊花賞馬イシノヒカルプレストウコウの誰よりも、当時からの競馬ファンの記憶に残っているのは、ひたすら裏街道を走った無冠の帝王とも言うべきマルゼンスキーの名である。

産駒の成績も当然のごとく、これら3頭を圧倒していた。

高橋尚子にこのマルゼンスキーになれとは言わないが、逆境をはね返すひたむきな走りをみせて欲しいものである。

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