Obituary - ORACION, the good looking horse
1987年東京優駿(第54回日本ダービー)優勝馬メリーナイス号(父・コリムスキー、母・ツキメリー)が去る3月1日、浦河町の渡辺牧場で病気のために死亡した。没年25歳。生涯成績は14戦5勝(ダービーの他GIは朝日杯3歳ステークス)、獲得賞金2億0355万4900円。
(「サンスポ」より)
メリーナイスが日本ダービーを制覇した1987年は日本中央競馬会がJRA(Japan Racing Association)という略称を使いはじめた年であり、3年連続年度代表馬(サクラスターオー、タマモクロス、イナリワン)を輩出した当時の最強世代の一頭だった。四白流星(脚の4本の先が白く、顔の額に白い星が流れている)の栗毛という非常に目立つ外見と均整のとれた馬体を持つ絵に描いたようなGood looking horrseであり、派手でスマートな存在は如何にもバブル時代を象徴するようなスター・ホースであった。
宮本輝の小説『優駿』を原作として1988年にJRAの肝いりで製作された映画『優駿 ORACION』(監督:杉田成道、主演:斉藤由貴、緒形直人)ではメリーナイスがオラシオンのモデルとなった。当時の競馬ファンはご存知であろうが、メリーナイスがサラブレッドとして素晴らしい容貌をしていことが理由でオラシオンのモデルになった訳ではなく、1987年のダービー優勝馬を使うことが予め決められていた。実際のダービーで勝利するシーンを映画で使う予定であったのだが、撮影スタッフは1番人気であったマティリアルの姿しか追いかけておらずメリーナイスの映像は全く撮っていなかったという大失態を犯した。後日別の馬を使って優勝シーンを撮影したのだが、メリーナイスの特徴ある容姿(四白流星の栗毛)のため代役を捜すのに大いに苦労したそうである。
(「ニッカンスポーツ」より)
大差でダービーを制覇したにも係わらず年度代表馬には選出されなかったメリーナイスはそれが示すようにその後の競争成績は今ひとつ振るわなかった。トライアルであるセントライト記念で勝利し、1番人気に推された菊花賞では主戦騎手根本康広と全く折り合いを欠き9着と敗れ去った。グランプリ有馬記念では有力な古馬が参戦しなかったためか4番人気に推されるも、あろうことかスターティング・ゲート内で根本騎手を振り落としなんとゲートから飛び出してきたのはメリーナイスだけであった。スタートの瞬間の観衆の驚きと落胆のどよめきを今でも覚えている。(当然、落馬で競争中止)
翌年の目黒記念では2着と健闘するも、春の天皇賞では14着と惨敗し、本来ダービー馬が出走するようなレースではない8月の函館記念(GIII)で日本レコードで爆走したサッカーボーイに2着と敗れ、その後秋の天皇賞に向けての調教中に骨折しこれが原因で引退した。
1989年からレックススタッドで種牡馬入りしたものの産駒からは重賞馬を2頭出しただけで、これといった実績を残せず1999年には種牡馬を引退。その後長野県の牧場で繋養されていたが、さらに移動した北海道浦河町の渡辺牧場が終焉の地となった。種牡馬ライフもダービー馬としてはあまりパッとしたものではなかった(これはあくまで人間からの見方で、メリーナイスにヒィヒィーーンと笑われそうだが・・・)。ダービーを制覇したGood looking horseの生涯(メリーナイスには何の罪もないのだが)、バブリーライフを思い切り享受した人々のその後の人生と重なるようで興味深いものを感じざるをえない。

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