March 09, 2011

「擬藤岡屋日記・別丁」、開設のお知らせ

弊blog「擬藤岡屋日記」は2009年7月以降は全く更新せず放置しており、これまでわざわざご訪問頂いた皆様方には誠に申し訳ないことをしてしまい、謹んでここにお詫びを申し上げます。

このblogの再開も考えてはおりましたが、この際気分を一新する意味で新たな「擬藤岡屋日記・別丁」を開設することに致しました。

今後は新たなblog「擬藤岡屋日記 ・別丁」は更新頻度はともかくとして、休眠・放置はしない努力をいたす所存ですので、これまでの不義理に懲りずにご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。

尚、この「擬藤岡屋日記」は今後新たに更新は致しませんが、このまま残します。


「擬藤岡屋日記・別丁」(http://flamand.blog91.fc2.com/

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May 13, 2009

Nostalgia - The approach & landing Kai Tak Airport

再生回数からすると航空機マニアにはよく知られた動画のようだが、Youtubeで見つけた香港のKai Tak Airport(啓徳機場、正式名称は香港国際機場。1998年7月5日に閉鎖)へのアプローチと着陸(世に謂われる「香港カーヴ」)をコクピットから撮影したヴィデオのご紹介。

かつて香港出張やヨーロッパへのトランジット(こちらはもっぱら休暇)の際、Kai Takにはよく降り立ったことがある。「香港カーヴ」(正式には”VHHH IGS Approach RWY13・VHHH Visual Approach RWY13”。VHHHとはKai Takの当時のICAOコードでRWY13とは滑走路13という意味で、「香港国際空港(Kai Tak)13番滑走路への計器誘導および有視界飛行による着陸」ということになる)はこの空港へ着陸する際の北西側からのルート中に存在していた。当時のKai TakにはILS(Instrument Landing System:計器着陸装置)に相当するIGS(Instrumental Guidance System)が設置されおり、着陸する航空機はこのIGSの誘導の下に”ビーコンヒル”の赤白のチェッカーボード(上のヴィデオの03:14~24で画面左側に確認できる)を目指して降下し、パイロットはここでIGSを解除(つまりマニュアルで操縦)し機体を約47度右に傾けて135度右急旋回をして滑走路に進入する。着陸寸前のこの急旋回が香港カーヴ(英語ではHong Kong Approachと呼ばれていた)と言われていた。この「香港カーヴ」のためKai Takはパイロット泣かせの難着陸空港として有名であったが、国際線パイロットをしている友人から「カトマンズのトリブバン空港(山が迫った高地の盆地に存在)の方が嫌だ」と聞いた記憶がある。

このヴィデオを撮影したコクピットはCX(Cathay Pacific Airways、國泰航空)のB747-400である。当時のKai Takをハブ空港としていたCathayのパイロットはこの香港カーブで操縦の技量を磨いたと言われており、航空機愛好家(ヒコーキ・ヲタク)によれば他社のパイロットに比べ右旋回時には大胆により大きな角度で機体を傾け滑走路への最終アプローチで大きく戻すことによって、かえって安定した着陸を行っていたということである。

何故か日本のエアライナーとの相性があまりよくなかったため、出張・休暇に係わらず海外渡航するときは殆ど外国の航空会社を利用していた。ヨーロッパであれば9.11の影響で倒産に追い込まれた旧Swiss Air(消滅したSRで現在のLXと略称されるCross Airを母体としたSwiss Internationalではない)、アジアではCathay Pacificが個人的に好ましいエアラインであった。今となってはどうでもよいことだが、機内食の食後のサーヴィスとしてナチュラル・チーズとグレープ、ポートワイン、グランマニエール、コアントローなどが用意されており、香港をベースとしていても尾翼にユニオン・ジャックを掲げたエアラインであると感心したことがある(当時の日本のエアライナーでは期待すべくもなかった)。

Cathayは香港・台湾出張、そして休暇を取ってヨーロッパにオペラを聴きに行く際によく利用していた。当時成田発のヨーロッパへの夜行便(日本の夜出発して早朝に現地に到着)は唯一Air Franceみが運行していたが、Cathayで成田を夕方香港に向けて出発するとCathayをはじめとして殆どのヨーロッパ主要都市へのノン・ストップの夜行便にコネクションすることが出来た。

Cathayといえば、かつてTVCFでBarry White & Love Unlimited Orchestraの”Love's Theme”を使っていた時期があった。90年代初頭まで、機内にボーディング後離陸するまでの間、FAがパッセンジャーに”Champagne or Orange Juice?”と尋ねながらウェルカム・ドリンクを配っていた際にこの”Love's Theme”がバックグラウンド・ミュージックとして流れていた。


恐らく機体のカラーリングが変わる前に売却されていたロッキードL1011 Tristar(00:32、かつてよく搭乗していた)が懐かしい。初めて「赤」を採用したFAのユニフォーム(02:17、1962-69まで採用)もエスニックでノスタルジックな良い雰囲気を醸し出している。70年代半ばからはピエール・バルマン、エルメス、ニナ・リッチ、エディー・ラウと世界でも一流のデザイナー・ブランドが採用された。Kai Takの手前にある”ビーコンヒル”の赤白のチェッカーボードも上のヴィデオより一層はっきりと確認できる(00:58と03:08の画面右下)。

Roy FarrellとSydney de Kantzowの2人がCathay設立当時所有していた唯一の機体であったDC-3(00:25、1942年6月4日ダグラスC-47として誕生し、Cathay設立時にDC-3に改装され”Betsy”という愛称で呼ばれ1946-55まで就航。その後Mandated Air Lines of Papua New Guineaで1955-63、Ansett M.A.L.で1963-70、Ansett Papua New Guineaの貨物機として1970-73、Bush Pilots AirwaysとAir Queenslandでの貨物機という遍歴を経て1983年にCathay Pacificに返却された。現在では尖沙咀東の香港歴史博物館に隣接した香港科学館に展示されている。01:26)や”Betsy”の僚機ともいえるDC-3の2号機”Niki”のレプリカ(00:37)、Cathayがオペレーションに絡んでいたAir BurmaのC-47(01:01、何故か機首に鉤十字マークが・・・!?)の写真を見ることができる。

B747などの大型旅客機の場合、時として航行があまりに安定しており飛行機に乗っている感覚に乏しいことがあるが、流石にこの香港カーブでは大型機とはいえやはり飛行機であることを実感させてくれたものである。よくビルの谷間を縫っての着陸などと言われたものであるが、それは恐らく地上から見上げた印象であってヴィデオを見ればそれは現実ではなかったことが分かると思う。しかし右窓側の座席で初めてこの香港カーヴを体験した際、九龍仔公園の人の顔が見えた(ように感じた)ときには流石にビックリした記憶がある。風向きによって全く逆の南東側からのルートで着陸する際には当然このカーヴを通過することはなかった(この場合は31番滑走路への着陸ということになっていた)。

Kai Tak Airportは1925年1月24日から、Chek Lap Kok International Airport(赤鱲角國際機場。建設に6年の歳月と200億ドルの巨費が投入された。)が開港するまでの70余年に渡って香港の世界への窓口の役割を果たしていた。Kai TakのIATA(HKG)およびICAO(VHHH)の空港コードはそのまま新空港に引き継がれている。

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June 23, 2007

The system of exempting students from paying tuition due to the baseball

西武ライオンズの早稲田大学硬式野球部部員への裏金問題に端を発し、専大北上高校野球部の運営がメディアによって暴きだされ、これまで黙認していたとしか思えない高野連が野球憲章違反とした「野球特待生問題」はこの春の高校野球界を大いに賑わした。当の高野連は夏の選手権大会(甲子園)の前に禊ぎのつもりで処分を下したのだが、世論や文部科学大臣・官房長官発言によって大幅なトーンダウンを余儀なくされ、結局は問題解決先送りで実質的な現状是認状態となった。(「野球特待生制度」をそのまま各校による「奨学金制度」にスライドさせただけ)

そして、あれほど野球憲章は頑なに守ると言っていた張本人が、『高野連会長、「特待生禁止条項」見直しの可能性に言及』(讀賣新聞、6月22日)

この変化の原因は世論というよりは、『特待生制度、公正な運用図り容認を…自民が提言』(讀賣新聞、6月21日)が大きな引き金となったようである。

全くプリンシプルを持たない当事者能力に欠けた高野連という組織にも呆れるが、年金問題ですったもんだしている国会を尻目に自民党では「高校野球特待生制度問題小委員会(塩谷立委員長)」なるモノを立ち上げたらしく、随分とヒマな国会議員達もいるものである。こんな様子を見ると、議員定数半減論には大いに説得力があると感じざるを得ない。

以前のエントリ”No principles, a wandering organization”の中でも述べたが、野球を含めた特待生制度の採用は私学の場合はその判断に委ねられるべきであると考える。但し、これはスポーツ特待生制度に個人的に賛成という意味ではない。世論としては少数派と思われるが、私は寧ろ野球を含めたスポーツ特待生制度には反対である。何故なら、「他のスポーツではOKなのに、何故野球だけがNGなのか?」とか「経済的問題で才能を埋もれさせるのは可哀想、勿体ない」など、いかにも説得力のある意見のように見えるが、現在のスポーツ特待生制度とは学校経営の施策の一つであることを忘れてはけない。古いと言われるかもしれないが、高等学校とくに普通科の第一義的な存在理由は社会に出たり上級の学校に進むための教育機関であると考える。

特に高校野球においては特待生制度は、それによってその後の野球人生を開花させた選手は非常に希な存在であり、殆どの場合は保護者への経済的負担を掛けなかったというメリットを除くとその後の人生にネガティヴな陰をもたらす可能性が多いように思われる。(勉強そっちのけで野球漬けの高校生活、勝利至上主義のプレッシャー、ベンチ入りから漏れた挫折・・・)

若いうちから競争社会における「勝ち組」「負け組」という鮮明な格差体験をするのも一概に悪いことではないのかもしれないが、逃げ道を見いだせない挫折感を高校生時代から味わうのは如何なものであろうか?

諸外国に目を転じてみると、日本のスポーツ特待生制度に相当するのもは中国・韓国くらいにしか見あたらない。但し、中国のスポーツ特待生制度は日本以上に専門性に特化しており、その進むべき進路も全く違って職業体育学校ということになる。米国のハイ・スクールにおいてはスポーツ特待生制度は存在しておらず、奨学金を受ける理由は純粋に保護者の経済的状況によるものであり、スポーツの実績による援助は一切禁止されている。入試の際に経済的援助を望む場合は、第三者機関によって生徒の名前や体格も伏せられて審査される。

クラブ・スポーツが主流であるヨーロッパにおいては、高校で行っているスポーツは殆どがいわゆる同好会レヴェルのものであり、当然学校によるスポーツ特待生制度は存在しない。英国では高校・中学レヴェルで一部の学校がスポーツ特待生制度に類する仕組みが導入されているが、それでもせいぜい学費の20~30%の援助である。

教育機関である高等学校にトップ・レヴェルのスポーツの一部が組み込まれた我が国の特殊事情が生み出したスポーツ特待生制度、その功罪を世論に流されず頭を冷やして良く考えてみる必要があることだけは確かである。走り出したものは止められない、ではあまりに知恵が無さすぎる。

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March 24, 2006

Die grosse Seele mit den schönen Augen

Niftyのパソコン通信時代からお付き合い頂いている皆さま方には、「何を今更?」なハナシであるのだが、blogを始めて以来ネットを通して実際にお目に掛かる方々の範囲も当時に比べ格段に広くなったので、恥ずかしながらワタクシのハンドルの由来を少々ここでご説明させて頂く。

初めてお目に掛かるかたからは「ハンドル名はなんて読むの?」と問われる。「『フラマン』です。最後の『d』は発音しません。」とお答えする。

次は「ハンドル名の由来は?」とくるので、「リヒャルト・シュトラウスの最後のオペラである『Capriccio』でテノールが歌う役名から頂戴しています。

『Capriccio』とはどんなオペラかというと?弊blogの過去のエントリ「Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その4」、このオペラの録音評のサイト、英語がお好きな方はWikipediaの解説、詳しいストーリに関してはN.Y.C.オペラのサイト(これも英語)などを参照して頂ければお解り頂けると思う。

作曲したシュトラウスや台本を担当したクレメンス・クラウスが作曲家役に「Flamand」という命名をした経緯は不明であるが、ベルギー北部のオランダ語地区で話されている言葉をフランス語では「Flamand」と呼称しているようである。

ところで、このエントリのタイトルであるが、「Capriccio」に登場するプリマドンナである未亡人の伯爵夫人マデリーンが終幕の直前に歌うアリア(オペラに於いて「音楽が先か、言葉が先か」、求婚者である作曲家Flamandと詩人Olivierのどちらを選ぶかを思い悩んでのモノローグ)の中で、Flamandを評した言葉である。意味はとてもぢゃないが、こっ恥ずかしくて・・・。(実物を知っている人は野次を飛ばさないように!)

因みに、ワタクシ自身の声の質はテノールではなく、バスに近いバリトンで「Capriccio」での恋敵Olivierに近いと思われる。

尚、弊blogタイトルの由来に関しては、やはり過去のエントリ「A blogger at the end of Edo」をご参照ください。



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December 02, 2005

Two of a kind?

このサイトでの判定の結果、店主はこんな人たちに似ているらしい。

gary_oldmanmichael_ballackRaul


別の写真を使った場合、こんな人たちにも似ているとか。

robert_redfordEminemscott_baio


本人としては、ちっとも似ているようには思えないのだが・・・。




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December 01, 2005

Don't tell a lie which sound like the truth!

このエントリのタイトルはある仮定の上に基づくものなので、予めその点はご留意を頂きたい。ある意味、これは自戒の念を込めた内容でもある。

frog最近はあまり遭遇しなくなったが、かつて「茹でガエル現象」という言葉がビジネスを中心に盛んに使われていた(現在でも、この「茹でガエル」をキーワードに検索をかければ、膨大な数のサイトがヒットするが)。これは、カエルを熱湯に放り込めばその熱さを感じて飛び出してくるが、適温の水中に入れてから徐々に温度を上げていくと熱さを感じることができずやがてそのまま「茹でガエル」になってしまう・・・、ということをぬるま湯体質での変化対応能力の欠如に対して危機感を喚起する例え話としてよく引用された。如何にも説得力のある例えであり、多くの人を納得させてきたと思う。

しかし、以前から「徐々に上昇する湯の中でカエルはホントに茹で上がってしまうのか?」という疑問を持っていた。そこでネット上で調べてみると、Urban Legends Reference Pagesというサイトの中でこんなページを見つけた。ようするに、ここではこの「茹でガエル」とはいわゆる都市伝説(Urban Legends)の一つで、そんなことは生物学的に実際にはあり得ないと以下のように断じている。

The legend is entirely incorrect! The 'critical thermal maxima' of many species of frogs have been determined by several investigators. In this procedure, the water in which a frog is submerged is heated gradually at about 2 degrees Fahrenheit per minute. As the temperature of the water is gradually increased, the frog will eventually become more and more active in attempts to escape the heated water. If the container size and opening allow the frog to jump out, it will do so.

このサイトの情報が全面的に正しいという確証はなく実際に自らこんな実験をしたこともないので真実は解らないのだが、もしこれが事実だとすればこの「茹でガエル」を根拠にした論は俄に胡散臭くなると感じるのは店主だけであろうか?例え真実ではないにしても、多くの人間を納得させる「上手くできた嘘」を根拠に論を展開することに何ら問題はないという反論もあるかとは思うが、かつてサイエンスやテクノロジーの端っこを囓ったことがある店主の場合、「ハイ、そうですか」と簡単に首肯する訳にはいかない。

もし、この「茹でガエル」実験をされた方がおられれば、その結果を是非ともご一報願いたいものである。

P.S.
かつて、高校の生物の授業では何故か毎週解剖実験があった。幾多のカエル達をあの世に送った罪深き過去を持つ店主の場合、これ以上のカエルを犠牲にするわけにはいかない!(合掌)




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November 07, 2005

66666

666666

長きにわたって更新できない期間があったにも係わらず、昨日の馬車がカボチャに変身する頃カウンターが66666(何やら不吉な数字の並びという気もしないではない・・・)というキリの良い数字になりました。明確な指向性もなく店主の興味の赴くままに書き綴った雑多なエントリをお読み頂いた皆さまに心からのお礼を申し上げます。今後も「擬藤岡屋日記」のご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

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June 18, 2005

An adoption

kafuかれこれ20年以上のお付き合いをさせて頂いている大先輩、永井永光(ながい ひさみつ)さんが義父である永井荷風に関するエッセイ『父荷風』を上梓された。ある偶然で知遇を得たのであるが、永光さんが荷風の養子で著作権継承者であるということ知ったのはその後しばらくたってからであった。

それを切っ掛けに荷風の遺した作品に親しむようになり、日記文学としての最高峰と謂われている『断腸亭日乗』のなかで荷風独特の素っ気ない記述の内容に関してお尋ねしたいことが多々あったのであるが、なまじお付き合いが長くなり大先輩という遠慮もあってかご本人を目の前にするとなかなか伺うことが出来ないでいた。

この『父荷風』では、文学者荷風というよりは人間荷風を知る意味で非常に興味深い内容が綴られている。永光さんは、荷風と永光さんの実父であり荷風の従兄弟にあたる大島一雄氏(杵屋五叟)との間の「大人の都合」で養子縁組されたわけだが、荷風とはお互いに所謂「親子」としての交わりや生活はなかった。実父が文豪として大いに尊敬していた荷風を、永光さんが当時の子供の目で見た「へんなおじさん」振りがよく描写されている。

戦中戦後にかけて永光さん一家が戦災で偏奇館焼亡後の荷風と同居していた際(これも、荷風は養父というよりは単なる同居人)の、生活者としての文豪のかなり奇矯且つ我が儘で子供じみた振る舞いで笑いをさそう逸話が記述されている。しかし、当時の永光さん一家にとっては、荷風との同居生活はそんな生やさしいものではなく「苦痛」以外何者でもなかったようであるが。

昨日、サインを頂くために永光さんにお目に掛かったのだが、現在でもこの本に書くことが憚れる逸話も多々あったようで、その一部を伺い非常に楽しい一時を過ごすことができた。偶然、出版に携わられた白水社の和気元先輩ともお目に掛かることもでき、重版が決定したことを伺った。実現するかどうかは解らないが、永光さんの実父が遺された日記『五叟遺文』の再出版もそれとなくお願いしてみた。『断腸亭日乗』と対比して読むと非常に面白いような気がする。

この「父荷風」は荷風本人のことはもとより、戦中戦後の世相や「普通の人々」の苦難に満ちた暮らしぶりを窺い知る意味でも貴重な資料であることは間違いない。

昨年、市川市が市制70周年事業の一つとして『荷風が生きた市川』を開催するにあたって、市川市長と永光さんの「大黒屋」での対談のヴィデオを見ることができる。



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May 09, 2005

Inappropriate activities?

先週末あたりから日本のメディアは先の福知山線の列車事故の原因追及以上にJR西日本の企業体質と事故後の従業員の「不適切」な行動を伝えることに血道をあげている。

その報道に接した被害者でも遺族でもない一般の人々が当然のようにJR西日本に対する非難の声をあげ、怒りを露わにする様子をこれまたメディアが伝えている。正にJR西日本バッシングの拡大再生産の構図である。雪印や三菱自工の不祥事のときにも感じたことであるが、熱しやすく冷めやすいといわれる現代日本人気質を割り引いたとしても、これらの「普通の人々」たちは毎日そんなに倫理的に「正しい」生活を送っておられるのであろうか?翻って自らのことを考えると、そんな自信は全くない。

この「不適切」と言われる振る舞いは個人的感情でも決して褒められたものではないと思うが、いきなり時代がDraw backしたような現在の日本社会における「普通の人々が期待する」組織と個人の関係には「!?」状態で、正に建前と本音の乖離を感じざるを得ない。

記者会見でJR西日本の担当者を責め立てる、まるで復讐の女神ネメシスを自認するかのような報道陣の物言いは、個人的には「日勤」で運転士を指導するJR西日本の上司の言動と完全に重なってしまう。

以前あるTV番組で養老孟司氏が「組織が個人に制裁を加える場合、右も左も関係なく世代的な断絶があるにも拘わらず、まるで我々のDNAに組み込まれているかのように何故か戦前の陸軍式のやり方が亡霊のように立ち現れる。」と述べていた。このメディアと「普通の人々」のJR西日本バッシングは我々のDNAと環境変化による相互作用の影響なのだろうか?我々のpunctuality信仰とコインの裏表の関係にあるのかもしれない。

生命科学では既にヒトゲノムの解読が完了しており、各個人の性格を決定するDNA情報も解析されつつあるらしい。さらに、その性格決定因子となるDNAの民族的な偏りの傾向も明らかにされつつあるとか。パンドラの箱を開けるようで恐ろしい気もするが、これらを踏まえて論考できる社会学者の登場が待たれる。


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April 30, 2005

An ailing society ~ They can't see the wood for the trees

4月25日の福知山線の列車事故が起きてから丸5日が過ぎた。この惨事は運転士が定められたスピードを大幅にオーヴァーしてカーヴに進入し、急ブレーキを掛けたことで転覆脱線したことが原因のようである。

100余名の人々の人生を断ち切り、400名を遙かに上る負傷者を出したなんともやりきれない痛ましい「事件」であった。昨日のNHKの特集番組で1両目、2両目に乗り合わせて助かった人達のインタヴュが放映されていた。事故直後の阿鼻叫喚ともいえる悲惨な状況を語る人々の表情がなんとも痛々しかった。

この「事件」の直接的原因は先に述べたように人為的なミスであろうが、時として起こりうる人間の間違いをカヴァーする列車運行システムを採用せず、運輸業の決して譲ってはいけないコア・ヴァリューともいうべき「安全」よりも時間に正確な運行を優先し、時代錯誤も甚だしい労務管理を行っていたJR西日本を非難する声が上がっているのは当然である。

実際に主要な新聞の社説を読んでみると、ほぼ同様な論調のようである。

脱線事故 運転士が背負う重荷(朝日新聞、社説。4/30)

[尼崎脱線事故]「ダイヤ優先主義が惨事を招いた」 (読売新聞、社説。4/29)

福知山線事故 徹底究明と安全の総点検を(毎日新聞、社説。4/26)

惨事は安全最優先を忘れて起きた(日本経済新聞、社説。4/26)

大惨事脱線事故 疑念はふくらむばかりだ(産経新聞、主張。4/27)

この「事件」に対するJR西日本の責任は重大であることは確かである。しかし、その体質を含めてJR西日本を非難し根本的な改善を迫ることで今後このような悲劇は防げるのであろうか?

個人的には「否」であると考えている。牽強付会と思われる方もいるではあろうが、この事件の遠因は現在の日本の社会のあり様そのものであるとしか思えない。

近畿圏に在住したことがないのでその生活実感は解らないが、京阪神では「電車」といえば阪急電鉄を指すらしい。国鉄分割民営化後に誕生したJR西日本はこの阪急をはじめとした私鉄との競合優位を確保するために、かつては一ローカル線であった福知山線を利用して大阪都心部に乗り入れる今回の快速列車を開発したと聞いている。JR西日本が安全より時間に正確な運行に神経を尖らしていたのもこのコンテキストの延長線にあるとことは間違いない。

世界一安全で正確だと信じてきた我が国の鉄道システムは実は個人的な技量に委ねられていたものであったことが図らずも今回の事件で露わになった。確かに、わずか1分の遅れで乗り継ぎが出来なかったことによって被る経済的損失を累積すればかなりの金額になることも事実らしい。そして、自分自身や今回不幸にもあの電車に乗り合わせておられた乗客の方々も含めて日本の社会全体が「正確な運行時間」が大量輸送機関が提供する最重要な顧客サーヴィスであるという考えを共有していたのではないだろうか?

安全第一が使命ともいえる鉄道経営とはいえ、経済性を度外視したfail-safe systemの導入は不可能であろうし、もし可能だとしてもそれを全て運賃に反映させることは利用者は簡単には容認しないであろう。このような我々および社会のpunctualityに対する信仰に近いdemandがある限り残念ながら今後もこのような悲劇を避けることは難しいように思われる。

それとも、先のイラク戦争での米軍の戦死者のように、目的を達成(効率的な社会の運営)するためには、ある程度の犠牲は仕方がないことだという社会的な暗黙のコンセンサスでもあるのだろうか?

新聞が社会の木鐸(殆ど死語?)を自認しているなら、せめて一紙くらいはこの問題に言及して欲しかった。

ワタシが目にした記事の中でこの点に触れていたのは、我が国のメディアではなくN.Y.Timesだけであった。

Japan Crash, Time Obsession May Be Culprit(N.Y.Times, April 27, 2005)

"Japanese believe that if they board a train, they'll arrive on time," said Yasuyuki Sawada, a 49-year-old railway worker, who had come to look at the crash site. "There is no flexibility in our society; people are not flexible, either."

Mr. Sawada was one of many people who came to stand and watch behind the yellow police line here, and who saw deeper problems hidden in the accident.

"If you go abroad, you find that trains don't necessarily arrive on time," Mr. Sawada said. "This disaster was produced by Japanese civilization and Japanese people."


The pressure to stay on schedule is so great, conductors apologize profusely even over a one-minute delay. In the United States and Europe, "late" often means a delay of six minutes or more.

"No question about it - there is no other rail system more punctual than Japan's," said Shigeru Haga, a professor of transportation and industrial psychology at Rikkyo University in Tokyo. "It's No. 1 in the world for its punctuality and safety.

"I personally think Japanese should relax more and think that two- to three-minute delays are no trouble. But you see people rushing up and down the station stairs to catch a train even if there's another one coming in two minutes."


"The Japanese people are responsible for this accident, too," said Toshinami Habe, 67, a chief of sales at a company here in Amagasaki. "This is a society of free competition; there's no flexibility. That's why with even a one-and-a-half-minute delay, he had to try to make up the time."


最後に、今回負傷された方々の一日も早い回復と犠牲になられた方々のご冥福を祈るばかりである。


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