February 20, 2009

Obituary - The great authority on International politics

k-flag2国際政治学の泰斗である神谷不二慶應義塾大学名誉教授が2月20日に心不全のため逝去された。享年83歳。

神谷先生は大阪市立大学法学部教授時代には保守派の論客として頻繁にTV番組に出演されていた。塾法学部教授に就任されてからは新聞・月刊誌などへの寄稿は続けておられたがTVへの露出は極端に少なくなったように記憶している。

文系・理系、三田と矢上台ということで塾生時代には先生の謦咳に接することはできなかったのだが、一昨年暮れに塾創立150年を記念した一連の「復活!慶應義塾の名講義」において「日本の国家戦略」と題した講義を拝聴することができた。

かつてのTVなどで存じ上げていた先生に比べるとお歳を召されたという印象は否めなかったが、90分間の講義は間然する所なく矍鑠とお話されていた。まさかご自身の存命中にベルリンの壁や旧ソ連邦の崩壊を目の当たりにするとは思われていなかったと語っておられた。

ただ、軍事や宇宙開発で米国と対峙していた時代にモスクワを訪問された際、「これだけの軍事力や宇宙開発技術を有する国が会議で配られる資料を留めるクリップがこうも不細工でバラバラなものしか作れないのか?」とか「共産主義の総本山ともいえるモスクワの夜が暗いのに対し衛星国とも言えるハンガリーのブダペストの夜の方が余程栄えていた」など当時から旧ソ連邦を中心とした共産主義国家崩壊の微かな予兆を感じておられたそうである。

米国の軍事力に関しては、敵対する勢力に比べ第二次世界大戦時はパワーバランスが1:2.5、それが現在は精々1を上回る程度までに低下しておりイラク・アフガニスタンでの紛争を抱えている限り北東アジアで軍事的行動に出ることは殆ど不可能であると論じておられた。北朝鮮による拉致問題にも言及されておられたが、「国際政治は正義だけでは動かない。この問題に関して現実的に日本を積極的にサポートしてくれる国は存在せず、残念ながら解決は難しいであろう」とも語っておられた。

この拉致問題は国際的には北方領土問題と同じような状況にあり双方とも日本が望む方向での解決は容易なことではないとの見解を示しておられた。かつて先生がフィンランドに招かれ、大統領と会見した際に「貴国にもソ連邦との間に領土問題(カレリア地方は旧ソ連邦に侵略され、これが原因で旧ソ連邦は国際連盟を除名された)があるだろう」と切り出したところ、先方の「現在、我が国にはソ連邦とは未解決の領土問題は存在しない(1940年に国土の10%に当たるカレリアを旧ソ連邦に譲り渡すというフィンランドにとっては屈辱的な条件の下に講和条約が締結された)」という答えを聞いて北方領土問題解決の困難さを実感されたそうである。

謂わば”生”の神谷先生に接することが出来たのはこれが最初で最後の機会であったが、講義中にはユーモアを交えながらも日本を取り巻く国際情勢分析は的確なものであり、年齢による衰えを感じることは全くなかった。

先生のご経験と分析力で未だご活躍の場もあったと思うと、訃報に接したことは誠に残念である。かつてニュース・キャスターとして活躍していた宮崎緑氏は神谷先生のお弟子さんだったそうである。

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November 18, 2005

Annual Reform Recommendations

昨年の10月初めに”Petty suspicions”というエントリで取り上げたUSTRのAnnual Reform Recommendations(日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本政府への米国政府の年次改革要望書、省略して「年次改革要望書」と言われているらしい)、毎年遅くとも10月下旬には米国大使館のサイトで発表されるのだが何故か今年は未だ見当たらない(ある意味、毎年これを読むことを楽しみにしていたのに!)。これは今回のブッシュ来日の影響の一つかもしれない。

この「年次改革要望書」を米国から我が国政府に対する「脅迫状」と見るか、グローバル(アメリカン)・スタンダードに善導するありがたい「お諭し」と見るかは立場によって異なるであろが、クリントン・宮澤時代に始まった毎年送られてくるこの「お手紙」の内容(指示?)は、たまたまの偶然かどうかは知らないが数年のタイムラグを経て着実に実行されていることも事実である。勿論、我が国政府も米国に対し非常にdecentな要望書を出してはいる。

従って、この「年次改革要望書」のコンテクストを理解することで、近い将来の政府主導によって実行される「改革」を全てとは言わないまでも予め知ることができる。今回の選挙でも、「手段は語るが、国の将来ヴィジョンを語らない首相」という個人的な評価には変わりがないが、この文書を読むことによって、「構造改革」後の世の中の姿をある程度は予想することはできる(少なくとも競馬新聞の情報よりは高い確率の予想が可能であろう)。

Petty suspicions”(実際にはsuspicionsではなくなったのだが)でも述べた「郵政民営化法案」はこの秋に衆参両院を通過した(さて、郵貯・簡保の300兆円強の行方は何処に?)。この「年次改革要望書」は以前からWEB上にはご丁寧に日本語訳まで公開されているにも拘わらず、何故かこれまで我が国の主要メディアに取り上げられた記憶がない。新聞なら1面トップ、TVニュースなら冒頭で取り上げる価値がある情報であるはずなのだが。日本のメディアは未だに”Censored Democracy”のままとは言わないまでも、その残滓を引き摺って自己規制でもしているのであろうか?未だ読んだことがないのだが、『拒否できない日本』( 関岡 英之著)にこの辺の事情が書かれているのかも知れない。(ネット上の情報によると、この関岡氏が『文藝春秋』12月号に記事を書いているらしい)

ジョン・ダワーの著作『吉田茂とその時代』(Empire and Aftermath: Yoshida Shigeru and the Japanese Experience, 1878-1954)によるとサンフランシスコ講和条約が締結され戦後日本が再独立した際、あからさまに表沙汰にはされなかったが当時の日米双方の政府ともにこの独立は「半独立」という認識を共有していたそうである。この認識は現在まで見直しが図られていないのか、あるいは地下水脈に流れ続けているのかも知れない。

ご参考までに、
2004年版の「年次改革要望書」(仮訳)
Annual Reform Recommendations from the Government of the United States to the Government of Japan under the U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative(オリジナル、PDFファイル)
それ以前のものでアクセス可能な「年次改革要望書」は”Petty suspicions”中のURLを参照してください。



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November 12, 2005

Obituary ~ Peter Ferdinand Drucker

Peter F. Drucker, a Pioneer in Social and Management Theory, Is Dead at 95(N.Y.Times)

クレアモント大学(米、カリフォルニア州)大学院教授であったピーター・ドラッカー博士が11月11日に死去した。享年95歳。

主要紙を始めとしてスポーツ新聞の訃報欄でも当然のごとくドッラカー氏死去のニュースが取り上げられているが、その見出しを飾る称号は「現代経営学の父」、「現代経営哲学の父」、「経営学者」、「経営学の神様」、「経済学者」などがあり、我が国では氏が最期まで現役の「マネジメントの泰山北斗」であったという評価が概ね定着しているようである。ドラッカー氏の30冊あまりの著作もほぼ全てが翻訳されており、度々の来日時の講演やコンサルティングで我が国の経営者たちの尊敬を集めた学者であったため、当然ともいえる評価であり格別異論はないのだが、氏の影響力は経営学・マネジメントという限られた分野を遙かに超えていた。

N.Y.Timesの訃報記事でも触れているように、ドラッカー氏は自らを"social ecologist(社会生態学者)"であると考えており、何冊かのその著作やいくつもの発言に触れた印象では歴史に通暁し自らの経験に裏打ちされた将来に対する深い洞察力は単に「現代経営学の父」と呼ばれる以上の巨匠であったと考えるのが妥当であろう。

それにしても、19世紀の残り香漂う皇帝フランツ・ヨーゼフ治下のハプスブルク帝国のヴィーンに生まれ、恐らくシュンペータやハイエクやミーゼスなどヴィーン学派の影響受けた人が、齢90を越えて21世紀まで将来のことを現役として語り続けたことは驚嘆に値することである。

浅学非才な身にとって、正に目から鱗な氏の至言に触れることが出来たのは幸せなことであった。ドッラカー氏の至言で今直ちに思い浮かぶのは、「何故、誰にも気付かれない(仕事上の)細部にも手抜きをしないのか?」という自問に「神々が見ている」というギリシャの彫刻家フェイディアスの言葉を引用していたことである。そして、氏が幼少の頃にヴィーンで「祭」を見物していた時に、「自分は祭に参加する人間ではなく、それを観ている人間である」と直感的に悟ったという言葉も強く印象に残っている。

ご興味のある方は、以前弊blogでドラッカー氏が著作「明日を支配するもの」で述べていた日本の官僚機構に関するエントリ”Japanese bureaucracy”をご参照ください。



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November 05, 2005

Censored Democracy

embracing_defeat米国の友人に勧められ出版されてすぐ原著を入手し読み始めたが、英文でもあり大作なので半分も読了できず挫折しそのまま放置しておいたのが”Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II”(John W. Dower)である。著者であるジョン・ダワーはこの著作で1999年のピュリッツァー賞を受賞した。2001年には日本語訳である「敗北を抱きしめて - 第二次大戦後の日本人」(第1回大佛次郎論壇賞・特別賞受賞)が岩波から出版された。先日この日本語版を再読してみたが、正直言って翻訳されたものでも読了するにはかなりタフなものがあった。

この作品は出版当時からかなり話題にもなったし、リンク先の紹介記事を読んで頂ければ内容に関する概略はお解り頂けると思うのでいまさらその全体の解説めいたものをここで述べるつもりはない。ただこの日本語版を読んで個人的に最も印象的な部分の内容に関してご紹介をしたい。

どうのように解釈し思い巡らすはともかく、日本の近・現代史には人並み以上の関心や知識を持っていると自負していたのだが、この本の第14章の「新たなタブーを取り締まる - 検閲民主主義」の内容には虚を突かれた思いを禁じ得ず、自らの無知さを思い知らされた。

ダグラス・マッカーサーを最高司令官としたSCAP(Supreme Commander for the Allied Powers)は敗戦国日本を絶対的・超法規的な権力をもって当時としても少々時代遅れな典型的コロニアル・スタイルで支配し、残存した政治機構をそのまま(天皇制さえも)利用し間接統治したことは周知の事実である。絶対権力者マッカーサーの意思を体現したSCAPは戦前の超国家主義・全体主義体制の日本に回帰することを徹底的に防止するため、ありとあらゆる手段を用いて「民主主義」(ダワーはこれを「天皇制民主主義」と呼んでいる)の浸透を図った。しかし、この「民主主義」は連合国特に米国に対し二度と再び弓引くものではない、という但し書き付きではあったが。

民主主義といえば、その対句として「言論の自由」という言葉が容易に思い浮かぶのだが、このある種のアクシデントのように天から振ってきた民主主義には完全な意味での言論の自由は付帯してはいなかった。

軍国主義、国家主義、戦争擁護のプロパガンダ、封建的価値の賛美などの禁止の煽りを受けて歌舞伎など古典芸能の上演や時代劇映画(いわゆるチャンバラ映画)の制作などに大きな制限が加えられたことは良く知られているが、GHQの民間検閲部:CCD(Civil Censorship Detachment)が実施した検閲活動での禁止事項は想像を遙かに越える広汎なものであった。しかもその禁止事項のなかには、検閲が行われていること自体を決して公式に認めてならない、という周到な項目まで含まれていた。事実当時の出版事業者に送られた極秘通告には、「検閲の具体的証拠(墨での抹消、伏せ字、余白を残す等)を残してはならない」と言及されていた。

この占領下での検閲は、戦前の日本でほぼ15年に渡って行われていたものほど強圧的ではなかったが、その両方の経験者はCCDのやり方は「真綿で首をしめるようなもの」だったと述懐している。その範囲は新聞、雑誌、教科書、一般書籍、ラジオ、映画、演劇とあらゆる形態の報道や演劇表現に及んでいた。それに加えて郵便物の抜き取り検査(4年間に3億3千万通)や、通話の傍受なども頻繁に行われていた。

CCDは勝者に対する批判に関しても徹底した禁止事項を設定していた。この検閲で隠蔽された情報は、「大」は日本政府が負担した占領軍維持経費が当時の国家予算の1/3にも達していたことから、「小」は「焼け跡の菜園雨に打たれたり」という句を「アメリカ合衆国に対する批判」として禁止ということまでに及んでいた。

「上からの革命」とも言われている戦後民主主義の遺産としての、権力を受容するという社会的態度の延命、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、沈黙と大勢順応が望ましい政治的知恵だという態度が、時が過ぎて外国人が極めて日本的とみなすようになったと著者ダワーは述べている。

ジョージ・オーウェルの小説『1984年』は1949年に出版されたが、そこで描かれている徹底した情報管理社会は1945年9月から4年間ではあるが、既に日本で実現されていたことになる。皮肉なことに、その後の東西冷戦下では双方が相手を攻撃するプロパガンダとしてこの『1984年』を利用した。


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January 07, 2005

Misleading ~ Lexus in the U.S.

遅ればせながら、謹賀新年・賀正・あけましておめでとうございます・・・。

このところエントリの更新が殆ど冬眠状態(以前より個人的には「冬眠」という言葉の響きには大いにそそられるものを感じているのだが・・・)の体たらくで、わざわざ御訪問頂いた皆さまの期待を裏切り続けており恐縮の至りである。

2005年最初の話題は、トヨタが満を持してこの8月に国内市場に投入を予定しているレクサスに関するお話。このことは昨年5月にトヨタから発表されており、既にご存じの方もおられると思う。ここで取り上げた理由は、読売新聞の経済面で新春から始まった特集「ものずくり進化論 ~ 第一部ニッポンの現場力」でトヨタ自動車が取り上げられており、その冒頭でレクサスの話題に触れていたことが切っ掛けである。

明確に述べられてはいないのだが、この特集は製造現場の「ものづくり」に再フォーカスし、日本経済の復活の原点にしようという意図があると思われる。謂わば「部分最適化」が「全体最適化」に繋がるという、オールド・エコノミーの復権というコンテキストのようで、その心情は理解できないでもないが個人的には何を今更という感がある。(本日からは、キヤノンのセル生産方式が取り上げられているが、個人的にはキヤノンの真の強さの源泉は「独自技術」へのこだわりにあると思う。)

ただ、レクサスが米国高級車市場で成功した原因が「匠の技」による車の持つ圧倒的な高品質に依るものであるという印象を与える内容の記事には大いなる違和感を覚えた。確かにレクサスのプロダクトとしての高品質が米国マーケットにおいて高く評価されたことは事実ではあるが、これは成功要因の一部に過ぎない。

1990年代後半からレクサスの成功は米国のマーケティングの世界でも注目を浴びており、そのケース・スタディもいくつか読んだこともあるし、マーケティングのトレーニング・プログラムで取り上げられたこともある。(プライヴェートな開催ではあったが、このプログラムを何度か実際にファシリテイトした経験もある。)

1980年代にはトヨタをはじめとして日本の自動車メーカは米国の小型車市場において、高品質な製品や燃費効率など高コスト・パーフォマンスな車の供給者として一定の地歩を固めていたが、容易に手を出せないでいたのが高級車(Luxury car)市場であった。

トヨタはこの未開拓分野であった高級車市場に参入するに当たって、トヨタからは全く独立した”Lexus”というブランド構築を試みた。ターゲット顧客としては経営者、企業のエグゼクティヴ、医師、弁護士、大学教授・・・といった所謂”プロフェッショナル”と呼ばれる層に狙いを定めた。このターゲットからはショファー・ドリヴンのリムジンのオーナや車に”Fun to drive”(イタリアン・エキゾティック・カー、ポルシェなど)を求めるユーザは外された。そして、ヨーロピアン・ラジュアリー・カー(Merceds,BMW,Jaguar,Volvo,Saab)のオーナをプライマリ・ターゲットとし、敢えて既存のトヨタ・ユーザはセコンダリ・ターゲットとした。

レクサスの成功要因で最もユニークかつ大きな貢献をしたのがディーラ政策であった。それまでの米国の一般的なカー・ディーラとは圧迫セールスの代名詞のような存在で社会的にあまり良いイメージを持たれていなかった。しかも、ディーラ同士が同じブランドの値引き合戦をするというカーニヴァライズ行為でその利益を大きく圧迫していた。

トヨタは顧客との直接的な接点を持つディーラをレクサスのブランド価値創造のセンター・ポントとして位置づけた。レクサス・ディーラは既存のトヨタ・ディーラとは独立した(あえて避けた?)ネットワークとし、ディーラ同士の地域的な競合を避ける配置を行った。ディーラの店舗スタイルやスタッフもそのターゲット顧客に相応しいものとし、購入・メインテナンス・買い換えなどの顧客との接点において「最高のブランド体験」(Experience)を提供する仕組みを作り上げた。

レクサス・ディーラのオペレーションの実例を幾つか紹介すると、

1. それまでのカー・ディーラのイメージを一新するような豪華な内装の店舗と洗練された接客を教育されたスタッフ。
2. 時に顧客と接触するメインテナンス作業員の制服(所謂つなぎ)は1日2度着替えさせる。
3. 週末には無料洗車サーヴィスを実施し、その際にはフリー・ブレクファーストを提供。
4. 顧客に代車を提供する必要がある場合には、レクサスの最高級グレードを提供。
5. シカゴのレクサス・ディーラでは顧客がオヘア空港の朝一番機の搭乗前に車を預けられるように、朝5時からメインテナンス工場をオープン。
6. レクサスの中古車としての価値を維持するため、周辺地域の中古車ディーラの在庫に目を配り、中古のレクサスが市場出た場合はレクサス・ディーラが即座に買い取りメインテナンスを施し自ら販売する。

このようにカスタマ・リレーションにおいてハイレベルな「顧客体験」を提供することと、常に需要に比べ供給を抑えることによって、カスタマ・インサイトにおけるレクサスの高いブランド価値を維持することに成功した。

結果としてディーラは一切ディスカウント無しの販売が可能となり、他のディーラに比べて圧倒的に高い利益率を確保し、それを原資に顧客サーヴィスに充てることができた。レクサス・ディーラ同士の競合がないので、あるディーラが独自に行った効果的な顧客サーヴィスをBest Practiceとしてシェアすることも可能になった。当然の事ながらレクサス・オーナのRetention rate(次もレクサスを購入する)も競合ブランドに比べて圧倒的に高い値を維持することができた。

例えば、日本市場でもヤナセなどの優秀なセースルマンであれば同じようなブランド体験を顧客に提供することが出来るかもしれないが、米国でのレクサスはそれをシステマティックに行っているところに大きな違いがあるように思われる。

この夏、トヨタが日本市場でどのようなレクサスの販売戦略を展開するのかは定かではないが、すでに日本市場でも高級車市場のセグメントで一定のシェアを確保しているヨーロッパ系のプレステージ・ブランドの車を扱うディーラとどのような競合関係が生じるのかはなかなか興味深いものがある。





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October 01, 2004

Petty suspicions

出身派閥のボスからも大ブーイング(ふり?)を浴びている今回の小泉改造内閣の金看板はどうやら「郵政民営化」のようである。これは、青木氏配下の参議院からの2名の入閣とは別枠で、今夏の選挙で参議院議員に当選した竹中経済財政相に新設した「郵政民営化担当相」なるポストを兼任で留任させたことでも明らかであろう。

表向きの「郵政民営化」の賛否に関しては既存のメディアを筆頭にネット上でも様々な議論が行われているので、弊blogでは屋上屋を重ねることは避けたい。規制緩和・構造改革を行えば後は何とかなるさ、という明確な国の将来Visionを提示する能力を持たない小泉氏の内閣には相応しい目玉とも言えるが、消費税・憲法問題等々に優先して何故この「郵政民営化」に拘るのか?の真意を推理してみた。

但し、これはタイトルで示した通りへそ曲がりな店主の謂わば「下衆の勘繰り」であるので、これ以降は妄想・憶測の類かも知れない。

世界に友人の政治家を殆ど持たないブッシュJr.にとって、「戦友」にも等しい唯一の友人は本日不整脈の治療を受けるという英国首相のブレア氏であり、表向き大した実利はもたらさないが精神的な友人が我が小泉氏であろう。(とにかく、要求された範囲でのことは何でも聞き届けている)

このブッシュ-小泉の関係に実利を伴う事項としてこの「郵政民営化」をすり合わると、なにやら色々と推理してみたくなる材料がある。当方の不勉強で小泉氏が「郵政民営化」にいつ頃から本気なったのかはよく分からないが、米国からの強い要請があることは以下にあげる在日米国大使館のWEB上にアーカイブされているドキュメント上でも明白である。(”TRANSPARENCY AND OTHER GOVERNMENT PRACTICES”の項目を参照していただきたい)

Annual Reform Recommendations under the U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative (Oct. 24, 2003)(日本語への仮訳はこちら
Year 2002 Reform Recommendations of the U.S.-Japan Regulatory Reform and Competition Policy Initiative(Oct. 23, 2002)(こちらの方は原文はリンクが切れており、日本語の訳のみアクセス可能)

この文中の「郵政民営化」に関しては、小泉氏や竹中氏が言っていることと大意に殆ど変わりはないが、これを米国サイドからの提言・要求という観点で見ると、「国が鍵をかけている金庫にある300兆円を遙かに超える金を民間に引っ張り出して、我々(米国)の金融機関にもアクセスさせろ!」という意味であろう。

どうやら食欲旺盛な米国の金融機関にとってはリップルウッドが買収した新生銀行(破綻し国有化した長銀を瑕疵担保条項付きで超安値で買い取り、その後上場)のケース程度では満足できないようで、郵貯・簡保の蓄えにも手を出したいように見受けられる。(それにしても、このところTVで垂れ流されているア○○のCFはしつこく、鼻につく。あれだけプロモーションにコストを掛けられるのであれば、保険料金をもっと下げられるハズだ。最終的にはあのCMのコストも契約者が負担しているワケである。)

この推理(邪推?)のコンテキストの線上にポジションできるのが、竹中氏が参議院議員当選後に訪米した際にニュー・ヨークのJapan Societyで行った講演で、以下のようなことを述べたらしい。

政治的抵抗が最大の障害 経財相、郵政民営化で講演』(京都新聞)

要するに、「政府保証のついた貯金は、民営化から10年で消える」ので皆さんが自由に持っていっても構いませんよ、と言っているに等しい。当然のことながら、N.Y.のJapan SocietyのAudienceは在米邦人だけではない。恐らく、これが先にあげた米国からの「提言」に対する答えの一つであろう。

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September 28, 2004

Flotsam and Jetsam

いつも拝見しているblog”HPO:個人的な意見”のエントリでジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を書評として取り上げておられる。

この本は約1年以上前に読了したのだが、その膨大なディテールのためか少々消化不良のままでその大意を掴みかねたままであった。だた、著者は日本の読者への挨拶文の中で、当時の森首相の「天皇を中心とする神の国」という所謂「神の国発言」にえらく怒っていたのを覚えている。

ダワー氏はこの発言に国家神道を支柱とした戦前の匂いを感じ取り、激しく反発したのだろう。駐日大使も務めた故エドウィン・O・ライシャワー教授が生前、「第二次大戦後、日本の長い歴史の中では尋常ではないポジションにあった戦前の天皇の存在を伝統的な本来の姿に戻した」というような発言をしていたことを記憶している。確かに、古代や中世の後醍醐天皇などを除くと明治以前は実質的には天皇は象徴的存在だったといえる。このダワー氏にはライシャワー教授の天皇制に対するスタンスと同様なものを感じた。

この[書評]敗北を抱きしめて Embracing Defeatでは、

>ダワーが本書の中で価値観を含む述語を使うたびに暗示している方向性が左翼的だと感じられてならなかった。

と述べておられるが、ダワー氏は確かにリベラルであることには間違いないが、個人的には「左翼的」とは感じられなかった。

さらに、コメントで、

>当初ニューディーラーというかかなりリベラルな連中がGHQの民政局に入り込んでいたようなので、「挫折」とは日本の挫折ではなく戦後GHQで日本の政策をリベラル側にふろうとした連中の主義主張の挫折なのではないかと感じました。

と述べておられるがこれはかなり当たっていると思う。それに日本サイドの為政者として対応し、その「挫折」に或る意味無理矢理付き合わされたのが吉田茂である。戦前は中国の専門家であり決して政治・外交の主流にはいなかった吉田茂の政治に対する指向や信条は同じくダワー氏の『吉田茂とその時代』にかなり詳細にわたって著されている。

HPO:個人的な意見”では「現在の敗北主義」と仰っておられるが、個人的にはその言葉を「漂流」と言い換えてみたい。

明治維新以降の日本の近代化(西欧化)は国家としての確固たる将来のVisionを描けず(敢えて描かず?)、対処療法的にここまで切り抜けてきたとしか思えない。例外的な時期が日露戦争後から敗戦までの道程で、結果として破滅的な挫折を味わったことで「羮に懲りて膾を吹く」という具合に、戦後の「漂流」の大きな原因になったのでは?と愚考する。

戦後の冷戦構造というベクトルの向きが比較的分かりやすい世界で、ひたすら経済発展に邁進する仕組みを磨き上げてきたのだが、その冷戦構造の崩壊(米国の一部では第三次世界大戦に勝利したという論もある)と時を同じくして、その仕組みは賞味期限はおろか耐用年数を越えてしまった。巷間「失われた10年」などと言われているが、むしろ「目的地のない海図なき航海」をしてきたという方が当たっている。

恐らく、福澤諭吉が言うところの「個人の自立なくして国の自立なし」(逆だという人もいるが)が為されぬまま今日に至っているのであろう。確かに明治維新によって指導層は替わったワケだが、蒼氓にとって「お上」が徳川将軍を筆頭にした領国領主から天皇を頂点とした中央集権国家体制に変わっただけで、「個人の自立」に関してどれほどその意識の変革が起こったのかは甚だ疑問である。

我が国は昔から「良きモノは外来する」という伝統があり、「和魂漢才」、「和魂洋才」と時代ごとにそれらを換骨奪胎して受容してきたが、昨今のグローバル・スタンダード(実際にはアメリカン・スタンダード)という潮流は「洋魂洋才」に変貌することすら求めている。しかし、「魂」すなわち”Soul”とは人間の根本的な価値観の源泉であり、後付け的な教育や学習では容易に変えられるものではない。

今更「鎖国」するわけにもいかず、グローバルな競争社会を是とするのであれば、自分の将来を自ら決める「個人の自立」は避けては通れず、これなしでは適者生存の法則から外れるのは必定であろう。だた、「個人の自立」という価値観が人類普遍のものであり、全ての人を幸せにするものと言い切る自信は現時点で個人的には持っていない。

大分脱線したので、閑話休題。

その善し悪しは別にして、徴兵制度によって支えられた軍事力を保持するという近代の国民国家としての常識ともいえる体制を戦後の日本が放棄し(放棄させられ)、非武装・非戦という歪で常識はずれ(歪、常識はずれは必ずしも悪いことではない)ともいえる、普通の民主的手続では殆ど改変が不可能な条項を内蔵した現憲法を持った(持たされた)経緯には非常に興味深いものがある。(現在の米国には徴兵制度がなく、兵力不足を「民間」や「グリーンカード」によるアウトソーシングで補っており、違う意味で歪な状況である)

この非武装・非戦という思想はクエーカーの教義・信条に非常に近いものがあり、事実現憲法制定の際にはGHQのニューディーラとともに日米のクエーカーの人々の陰が見隠れしていた。

実はこのクエーカーの精神は現在でも我が国の北の大地、北海道で受け継がれていることを発見した。米国人宣教師サラ・クララ・スミス(クエーカー)が明治時代に札幌に創設した現在の北星学園のサイトにおける「2004年2月声明」ではイラクへの自衛隊派遣に真っ向から異議を唱えている。

現憲法とは直接関係はないが、現在の平成天皇が戦後の皇太子時代に英語の家庭教師として大きな影響与えたといわれている童話作家のエリザベス・ヴァイニング夫人は熱心なクエーカーであった。

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September 10, 2004

The savage country

アメリカで1994年にクリントン時代に成立したマシンガンなどの重火器対人殺傷用銃器(Assault Weapon)の所有を規制した10年間の時限立法が9月13日に失効する。米国議会はこの法律の延長措置をとらないそうである。ブッシュJr.も前回の大統領選挙ではこの法律の支持を表明しており、今回も議会が延長措置をとるなら法案に署名をするとは言っているが、自ら積極的に動く気配は全くない。

要するに、米国では来週の月曜日からはAK-47、AR-15、M-16といった戦場でも使えそうな19種類のマシンガン対人殺傷用銃器を普通の人間なら誰でも大ぴらに持つことができるワケである。銃規制支持派・規制反対派双方ともこの法律はいわゆる「ザル法」であることは認めてはいるが、法律の延長に関する見解は正反対のようである。

規制支持派は、欠陥のある法律ではあるがそれなりに効果があったとし、延長は必要であると訴えている。ロスアンジェルス市警の署長も「少なくとも犯罪者が我々よりも強力な武器を持っていない、ということに効果があった」と語っている。

一方、規制反対派は「ザル法」が故に銃犯罪抑止の効果は認められず、そのまま失効すべきであると主張している。尤も、この人達は例の「合衆国憲法修正第二条」を楯に武器所有の自由を侵すいかなる法律にも反対するという立場であり、「銃」そのものに犯罪の意志は無いというのが基本的な主張である。

勿論、米国の議員のマジョリティが積極的な規制反対派ではないが、NRAの選挙での強力なネガティヴ・キャンペインを恐れて銃規制支持を積極的に表明する人は殆どいない。今回の法律延長を訴えてるのは上院の民主党ファインスタイン女史などごく一部の議員だけである。

大統領選挙に向けてイラクでの米兵戦死者が1,000人を超えたことが話題になっているが、米国内では銃犯罪で年間にその30倍近くの命が失われている。

「銃と理念」で建国したバックグラウンドを持つアメリカであるが、彼らのこのTendencyは理解の範囲を超えている。

PBSのニュース番組の中で、司会者の「銃に関する状況はカナダと変わらないのに何故アメリカは銃犯罪が多いのか?」という問いに対し、「アメリカは元々野蛮な国だ。」と答えていたロス市警署長の言葉が印象的だった。

何でも規制緩和すれば良いというものではない。

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August 12, 2004

Wiederaufbau Frauenkirche Dresden

8月7日のAsian Cupの決勝戦終了直後に、NHK BS1で放映されたBSドキュメンタリー『よみがえった聖母教会 ~ドレスデン 60年後の和解~』を録画したものをやっと昨日視ることができた。

内容は、第二次大戦末期に連合国の無差別爆撃により壊滅したザクセンの古都ドレスデンの象徴であった聖母教会(Frauenkirche)再建のドキュメンタリである。1945年2月13,14日の米英空軍の爆撃によって、エルベのフィレンツェと呼ばれたドレスデンは歴史的建造物を含めて破壊された。聖母教会は爆弾の直撃は受けなかったが、周辺からの火災によって梁が倒れ建物が崩壊した。

このドレスデンへの空爆は、戦争の帰趨が決まった後の連合国による一般市民を巻き込んだ破壊殺戮行為として、広島・長崎への原爆投下とともに批判の対象となっていた。何がきっかけかは知らないが、ネット上に東京下町を中心とした1945年3月10日の東京大空襲と比較してどちらの死者が多かったかという不毛な議論があるようだ。東京、長崎、広島、ドレスデン、どこでも市街地に無辜の民が死屍累々となっていた悲惨な光景に違いなど無いと思えるのだが。

ドレスデン空襲を少年時代に体験した、牧師であるルートヴィッヒ・ホーホ師の呼びかけに端を発した聖母教会再建計画はその輪を大きく拡げ、ドイツ国内に止まらず各国の人々から寄付が集められ今年の6月には建物が完成した。聖母教会を象徴するドームの天頂に立っていた黄金の十字架は父親がパイロットとしてドレスデン空襲に参戦したイギリスの金細工職人が復元制作し、少年時代にドレスデン近郊の収容所に入れられていた元反ナチス活動家マリアン・ソプコヴィッツ氏の呼びかけに応えたポーランドの人々によって塔を飾る炎をイメージした彫刻が寄贈された。

各国政府が直接介在したわけではないが、敗戦国であるドイツ、戦勝国、戦時中そのドイツによって痛めつけられた国の人々の協力によって成し遂げられた戦後の「和解」を象徴するプロジェクトである。

共に奇跡の復興を果たしたと言われている日本とドイツであるが、両国の現在の対外的な関係はかなり異なった様相を呈している。

連合国及び占領軍の盟主であったアメリカに対するそれぞれの政治家達の姿勢も対象的であった。ひたすらアメリカに追随していた日本に比べ、旧西ドイツには東西冷戦下で西側の立場を堅持しつつも経済政策に関してはアメリカに対して強かに渡り合ったアデナウナー、エアハルトといった官僚上がりの気骨ある政治家がいた。

周辺国にもドイツは辞を低くして対応し、ナチスの所業には言葉と振る舞いでひたすら反省の意を表し続けた。その結果として、東西冷戦の終焉という僥倖も手伝って、現在は「平和」という果実を手にしている。積年の仇敵であったフランスとは外務省の官僚レベルでの人材交流を行うまでになっており、通常の政権交代程度では変わりようのない不即不離の関係を築いている。

翻って我が国と東アジアの近隣諸国との関係は言わずもがなであり、日本は「信頼するに足る国」というブランドを完全に獲得することが出来なかった。「ブランド」とはその組織の努力を、組織の外側からの評価したものであり、決して内側に存在するものではない。これは、雪印や三菱自工の例を見ても明らかである。(「組織の内側にあるのは、努力とコストだけ」byピーター・ドラッカー)

先週我々が目撃した、中国の観衆達の行いは非礼かつ不作法で甚だ不愉快なものであった。あれを必要以上に過大視することはないが、今後の両国の関係を考えると全く無視しているというわけにもいかない。相手の非を唱えているだけでは何の解決にもならない。相手が納得できる言葉での対話なしに”あのMind”を変えるきっかけを得ることは出来ない。

”Soul”を変えることは出来ないが、”Mind”は知性によって変えることは可能である。


この番組の後半で、聖母教会復興を呼びかけた牧師のホーホ師と炎の彫刻の寄付を呼びかけ元反ナチス活動家のソプコヴィッツ氏が邂逅するシーンがあった。場所は、彼の従兄が17歳で処刑されたドレスデン市内のミュンヒェン広場。

ホーホ師がソプコヴィッツ氏に語りかけた言葉は「ドイツ人として悔やむのはどうしてヒトラーを排除できなかったのか?」「何百年たってもドイツの犯した罪は消えない。」というものであった。

その後、聖母教会の十字架を設置する式典に臨んだソプコヴィッツ氏が発した言葉は「いつまでも過去のことに拘っていてはいけない。未来を見つめて行かなければいけない。」というものであった。両氏の短い対話には互いに相手を斟酌した言葉が使われていた。これが和解というものの一例であろう。

尚、聖母教会の内部を含めた完成は来年の10月になる。再建当初の目標としていた「ドレスデン建都800年」にあたる2006年には間に合うようである。

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August 09, 2004

After the boisterous merrymaking

AFC Asian Cup China 2004は予想通りというか願望通りの結果で幕を閉じたわけだが、決勝戦開催地である北京のスタディアム周辺はこれまた予想通りの観衆達による争乱状態になっていたようである(実際の状況はタイトルのmerrymakingとは言葉の持つ本来の意味とは正反対であったようだが)

ジーコ采配や選手達のパフォーマンスに関しては、「AFC Asian Cup China 2004 ~ Final」でいろいろ述べたが、コンディションを含めてあの「逆境」の中で勝利した日本チームは本当に立派だった。強い意志を持って彼らのMissionを見事に達成したわけであるから。

ピッチ内では一応同じ条件・ルールの下で国を代表するナショナル・チーム同士の対戦で勝ちを収めたということは、大きな意義があった。あのような状況下では、「力の差」(あくまでサッカーという意味で)を見せつけるということは重要である。これは、ある意味でレアル・マドリーやバルサが手抜きをせずに対戦したJリーグ・チームを圧倒したこととも通じる。

Chinese riot after Japan win final(CNN)

さて、ゲーム終了後に準優勝した自国チームを称えることもせず、スタディアム周辺で騒ぎを起こし、その結果帰途に着こうとしていた日本選手団やサポータをかなりの長時間缶詰状態にし、外交官の車の窓を壊したあの観衆達の振る舞いは、フーリガンと同じレベルと言われても仕方がない。4年後に開催するオリンピック・ゲームのホスト・シティとしての資質を疑われるのも当然である。

最近の中国は対外的なアクティヴィティにおいて、オイルに関するイランとの接近、EUとのビジネスの拡大、北朝鮮問題に関する六カ国協議のホスト役など一定の成果をあげているようだが、内政に関する深刻な問題は未解決のようである。世界中で最もワイルドな資本主義経済が跳梁跋扈しているのが、ソ連崩壊後のロシアとともに共産党支配の中国というなんとも皮肉な状況が国内に大きな歪みをもたらしている。

有人宇宙船を打ち上げたり、オリンピックを誘致したり、愛国反日ムードを醸成したりして、貧富や地域格差の拡大などの本的質問題の解決から目を逸らそうとしても早晩その矛先は現体制に向かってくることは間違いない。今回の騒動で、損するところ最も大であったのは何よりも面子を重視する中国政府であろう。国内向けメディアでは、この騒動が全く報じられていなことが何よりの証拠である。

このように、中国当局によって主導・醸成された大国意識と反日感情が今回のサッカーの試合に向けられてくる程度なら、「大人の態度」で無視していれば良い。しかし、ネット上の反日を標榜する集団はことある毎に日本の政府機関や企業のサイトにクッラカー攻撃を仕掛けてくる。言うまでもないことであるが、現在も将来も中国を無視した我が国の経済は成り立ちづらいことも事実である。

従って、海を挟んでいるとはいえ隣国に敵対するマインドを持った人々の存在を放置しておいて良いわけがない。これは正に政治の問題である。日中国交回復後30年以上経過しているが、これまで巨額のODAを供与してきた日本政府、特に外務省や日中議連に名を連ねている政治家たちは中国当局と一体全体どんなコミュニケーションを図ってきたのであろうか?

愛国反日教育が当局の制御不能なサッカーで見せた敵対感情・行為を生み出した一因となったように、ものごとには原因と結果がある。戦前の日本の中国に対する行為がそのルーツになっていることは確かであり、それは事実として消し去ることは出来ないことである。しかし、中国との本格的な交流が始まってから30年、対中外交を担う関係者たちは過去の事実を乗り越えて未来志向の関係を築く真摯な努力をしてきたのか?甚だ疑問である。ODA供与をすれば事足りたと考えていたのではないだろうか?メッセージを持たない資金供与など殆ど役には立たない。

中国が過去に拘りすぎるという論調があるが、それを言っていても何の解決にもならない。政治の世界での交渉術というものは知らないが、ビジネス・コミュニケーションでは「相手の言葉」で語りかけるということは基本中の基本である。この基本を踏まえない交渉など時間の浪費であり相手を説得することなどできるわけがない。相手の非を正すにしても聞く耳は持たないであろう。/span>

この種の問題が起きた際、メディアの果たす役割も見逃せない。いくら報道の自由とはいえ、石原都知事に記者会見で、あの様に発する前から分かり切った発言を引き出す質問をする記者のセンスを疑う。日本での嫌中国感情を煽ろうとする意図でもあるのだろうか?出遅れメディアがそんなことをしなくともネット上に既に充満している。先日、戦前のニューズ・ウィークで日本に関する記事を抜き出した特集を読んでみたが、殆どの記事中に反日感情が満ちあふれており、戦争への米国の世論形成の大きな役割を果たしたと思わざるを得ない。

我が国の首相は相も変わらず「スポーツに政治を持ち込むのは・・・」などとスポーツ評論家でも恥ずかしくて言えない発言をしていたが、現在が正に自分の出番であることを認識している様子は全く見えない。目立ちたがり屋でパフォーマンスが大好きな首相なら、北京に乗り込んで日本チームを応援する意味でもAsian Cup Finalを是非とも観戦して欲しかったものである。イラクで水を配る以上に日本の「国益」に資することになることだと思うのだが。

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