January 08, 2006

Nuovo Cinema Paradiso

松の内も終わり、いまさら「おめでとうございます」でもないのだが、今年も擬藤岡屋日記をよろしくお願い申し上げます。

用事があって「日曜日の銀座」に全くの久し振りに出かけ見ると、なんと中央通りは未だ「歩行者天国」(死語?)だったので、ちょっと吃驚。用事が済んでから和光の裏通りを歩いていると、シネスイッチ銀座で「ニュー・シネマ・パラダイス」がリヴァイヴァル上映されいることを発見。初公開時(1989年)このシネスイッチ銀座で単館上映での記録を打ち立てた作品である。この「ニュー・シネマ・パラダイス」、これまでにも何度か観たことはあるのだが映画館での経験はない。夕方からは特に予定もなかったので、遅い昼食を済ませてから暗闇の空間へ。連休のためか、館内は予想したよりも混んでいた。

この「ニュー・シネマ・パラダイス」は監督であるシチリア出身のジュゼッペ・トルナトーレが恐らくは自らは体験していない時代まで遡って描いた、リュミエール兄弟のシネマトグラフが有料公開(1895年)されて以来1世紀近くの歴史を刻んできた映画に対するオマージュともいえる作品である。映画そのものを扱った作品といえば個人的にはフランソワ・トリュフォーの「アメリカの夜」が思い浮かぶのだが、これは制作サイドから描いたものであり、トルナトーレは映画がシチリアの片田舎でも娯楽の王者として君臨していた時代を「観る側」の視点でこの「ニュー・シネマ・パラダイス」を仕立て上げている。

斬新な手法は全く用いてはいないが、これまで映画が培ってきた作劇術を駆使した落ち着いた作品になっている。この映画には第二次世界大戦後のシチリアの田舎の様子など知る由もない人間にも、ある種の既視感を覚えるようなノスタルジックな雰囲気が溢れている。デジタル・リマスターされたということでエンニオ・モリコーネの音楽への期待を持っていたのだが、映画館でよく出くわすスピーカの音割れが度々ありちょっと興ざめだった。

CGを駆使したハリウッド映画とは違った意味で、この「ニュー・シネマ・パラダイス」は映画館の暗闇の中で観るに相応しい作品である。正月明け、偶然ではあるが心の温度が上がる映画に出会えてちょっと得した気分になった。




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November 16, 2005

Can't take my eyes off you


復活以来、少々硬い話題?が続いたので、昨日の深夜眠い目をこすりながら観た映画に登場した昔の美人大女優のお話。

michele_morgan七つの大罪』(1952)という、かつてフランス映画でダントツの美男子として知られたジェラール・フィリップが狂言回しを演じ、聖書の「七つの大罪」をテーマとしたオムニバス映画でその第六話に登場したミシェル・モルガン(Michèle Morgan、1920.2.29 - )がその人。

コケティッシュとかセクシーという言葉からは全く縁遠い、ほお骨の高い尖った顔立ちの人であるが、ワタシの心を捉えて離さない(ご本人にはその気はないであろうが)女優の一人である。この人の魅力はなんと言ってもその目である。すい込まれてしまいそうなこの目で見つめられたら・・・。この人の全盛期はモノクロ映画の時代であり、カラー映画で初めて確認できた瞳は想像していた通りあるときはブルーあるときは鳶色にも見える非常に薄い色であった。

スナップ写真では分からないが、この人の瞳は演技していると、左右の大きさが明らかに違って見える瞬間がある(右が大きく、左が小さい)。その時は決まって、右の眉がつり上がる。これが彼女の最も好きな表情の一つである。残念ながらその全盛期の映画をリアルタイムで鑑賞できなかったが(というか、店主はそれほどは齢を重ねてはいないので、念のため)、彼女のデビュ作でジャン・ギャバンと共演した『霧の波止場』(1938)や『愛情の瞬間』(1952)、ジェラール・フィリップと共演した『狂熱の孤独』(1953)や『夜の騎士道』(1955)では彼女の蠱惑的な瞳と抑制の効いた威厳すら感じさせる演技を十二分に楽しむことができる。


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August 12, 2004

Wiederaufbau Frauenkirche Dresden

8月7日のAsian Cupの決勝戦終了直後に、NHK BS1で放映されたBSドキュメンタリー『よみがえった聖母教会 ~ドレスデン 60年後の和解~』を録画したものをやっと昨日視ることができた。

内容は、第二次大戦末期に連合国の無差別爆撃により壊滅したザクセンの古都ドレスデンの象徴であった聖母教会(Frauenkirche)再建のドキュメンタリである。1945年2月13,14日の米英空軍の爆撃によって、エルベのフィレンツェと呼ばれたドレスデンは歴史的建造物を含めて破壊された。聖母教会は爆弾の直撃は受けなかったが、周辺からの火災によって梁が倒れ建物が崩壊した。

このドレスデンへの空爆は、戦争の帰趨が決まった後の連合国による一般市民を巻き込んだ破壊殺戮行為として、広島・長崎への原爆投下とともに批判の対象となっていた。何がきっかけかは知らないが、ネット上に東京下町を中心とした1945年3月10日の東京大空襲と比較してどちらの死者が多かったかという不毛な議論があるようだ。東京、長崎、広島、ドレスデン、どこでも市街地に無辜の民が死屍累々となっていた悲惨な光景に違いなど無いと思えるのだが。

ドレスデン空襲を少年時代に体験した、牧師であるルートヴィッヒ・ホーホ師の呼びかけに端を発した聖母教会再建計画はその輪を大きく拡げ、ドイツ国内に止まらず各国の人々から寄付が集められ今年の6月には建物が完成した。聖母教会を象徴するドームの天頂に立っていた黄金の十字架は父親がパイロットとしてドレスデン空襲に参戦したイギリスの金細工職人が復元制作し、少年時代にドレスデン近郊の収容所に入れられていた元反ナチス活動家マリアン・ソプコヴィッツ氏の呼びかけに応えたポーランドの人々によって塔を飾る炎をイメージした彫刻が寄贈された。

各国政府が直接介在したわけではないが、敗戦国であるドイツ、戦勝国、戦時中そのドイツによって痛めつけられた国の人々の協力によって成し遂げられた戦後の「和解」を象徴するプロジェクトである。

共に奇跡の復興を果たしたと言われている日本とドイツであるが、両国の現在の対外的な関係はかなり異なった様相を呈している。

連合国及び占領軍の盟主であったアメリカに対するそれぞれの政治家達の姿勢も対象的であった。ひたすらアメリカに追随していた日本に比べ、旧西ドイツには東西冷戦下で西側の立場を堅持しつつも経済政策に関してはアメリカに対して強かに渡り合ったアデナウナー、エアハルトといった官僚上がりの気骨ある政治家がいた。

周辺国にもドイツは辞を低くして対応し、ナチスの所業には言葉と振る舞いでひたすら反省の意を表し続けた。その結果として、東西冷戦の終焉という僥倖も手伝って、現在は「平和」という果実を手にしている。積年の仇敵であったフランスとは外務省の官僚レベルでの人材交流を行うまでになっており、通常の政権交代程度では変わりようのない不即不離の関係を築いている。

翻って我が国と東アジアの近隣諸国との関係は言わずもがなであり、日本は「信頼するに足る国」というブランドを完全に獲得することが出来なかった。「ブランド」とはその組織の努力を、組織の外側からの評価したものであり、決して内側に存在するものではない。これは、雪印や三菱自工の例を見ても明らかである。(「組織の内側にあるのは、努力とコストだけ」byピーター・ドラッカー)

先週我々が目撃した、中国の観衆達の行いは非礼かつ不作法で甚だ不愉快なものであった。あれを必要以上に過大視することはないが、今後の両国の関係を考えると全く無視しているというわけにもいかない。相手の非を唱えているだけでは何の解決にもならない。相手が納得できる言葉での対話なしに”あのMind”を変えるきっかけを得ることは出来ない。

”Soul”を変えることは出来ないが、”Mind”は知性によって変えることは可能である。


この番組の後半で、聖母教会復興を呼びかけた牧師のホーホ師と炎の彫刻の寄付を呼びかけ元反ナチス活動家のソプコヴィッツ氏が邂逅するシーンがあった。場所は、彼の従兄が17歳で処刑されたドレスデン市内のミュンヒェン広場。

ホーホ師がソプコヴィッツ氏に語りかけた言葉は「ドイツ人として悔やむのはどうしてヒトラーを排除できなかったのか?」「何百年たってもドイツの犯した罪は消えない。」というものであった。

その後、聖母教会の十字架を設置する式典に臨んだソプコヴィッツ氏が発した言葉は「いつまでも過去のことに拘っていてはいけない。未来を見つめて行かなければいけない。」というものであった。両氏の短い対話には互いに相手を斟酌した言葉が使われていた。これが和解というものの一例であろう。

尚、聖母教会の内部を含めた完成は来年の10月になる。再建当初の目標としていた「ドレスデン建都800年」にあたる2006年には間に合うようである。

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June 08, 2004

The Art of Violin

iioさんのCLASSICAのエントリ「ヴァイオリン、悪魔の楽器」でご紹介されている通り、このプログラムは先週末のNHK BS2で放映された。これは、初めて見た。

細切れのオムニバスではあったが、大変興味深い内容だった。まず、解説者を務めるヴァイオリニストに人を得ており、その語りがいかにも面白い。パールマンの比較的マトモな物言いはともかくとして、若き日のミルシュタイン、ホロヴィッツ、ピアテゴルスキーのトリオをまるでロシアから逃げてきた「食い詰め者三人組」と言わんばかりのギトリスの語りには大笑い。

動いているジネット・ヌブーを見たのは恐らくこれが初めてだと思うが、いかにも!という感あり。あれは猛禽類の目だ!ハイフェッツとライナーの協演のシーン(この組み合わせ、想像するだに恐ろしいものがあるが・・・)は、「和して(ホンマかいな?)同ぜず」の見本みたいな二人であった。どちらも徹底的にunsmiling!

ギトリスがヴァイオリンを触りながら「自分なんぞ直ぐ忘れられてしまう。これ(ヴァイオリン)は自分よりずっと前に生まれ、自分よりずっと長生きする」という語りには銘器とヴァイオリニストとの関係の深淵を見るようで、思わずしみじみ。

この巨匠たち、現代のヴァイオリニストとは明らかに人種が違う。もし、ヴァイオリンを弾いていなければ、半分以上はかなりアブナイ人にしか見えない。

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April 17, 2004

La Demoiselle d' Avignion & Babette's feast

<<< Les châteaux de sable

「ヴァグナーは、遠ざけている」など言いながら「黄昏」をつまみ聴きしたり、「趣味が良くない」言って、わざわざデジカメで撮ったミレイユ・マチューのLPジャケット写真をアップしてみたりと、言ってることとやってることが支離滅裂で、我ながら素直ぢゃない性格に呆れる今日この頃・・・。

ミレイユ・マチューのオフィシャル・サイトを覗いてみた。過去の録音のCompilationや新譜も出しているようであるし、ドイツを中心にテレビ出演などで活躍している様子で、ご同慶の至りである。

このサイトでは新譜のサウンド・クリップを聴くことができる。相変わらず全力投球で絶唱するというスタイルに変わりなく、「喉ひこR」は健在であるが、流石に彼女も齢を重ねてか、その声から若い頃のトゲトゲしさが無くなっている。イイ感じである。

伝統的なシャンソンは、極端にまで言葉にこだわり小さなシャンソニエなどで歌われていたものである。それを大きな声量と表現力で大ホールへ解き放った1人が、47歳で早逝したエディット・ピアフであると言われている。そいういう意味では、ミレイユ・マチューという人はこの路線を正しく継承し拡大再生産した唯一の歌い手であろう。

これまでの彼女の活躍を顧みると、フランスというよりはギリシア生まれのナナ・ムスクーリとともにEUを代表する歌手の一人と言ったほうが正確なところであろう。

少々繊細さには欠けるが、分かりやすいメロディーを直向きに歌うという、正にポピュラー・シンガーの王道を歩んでおり、その姿勢は大変に立派である。

日本のファンサイトであるmireille mathieu cds japanのBBSで紹介されていた、若くして亡くなったイスラエルの方のファンサイトでピアフの持ち歌であった「Non, je ne regrette rien・・・」を歌うマチューのビデオ・クリップを試聴したときは、思わずホロリとさせられた。


ところで話はコロッと変わるが、iioさんのclassica japanのサイトにSide Bというページがあることを全く知らなかった。ここで、デンマーク映画「バベットの晩餐会」を絶賛しておられた。これには店主も激しく同意。巷間グルメ映画などと言われているが、これは内容の単なるスパイスでしかない(勿論、重要な部分であることは事実だが)。何度観ても、奥底から心動かされる映画である。

店主にとっては、未だ謎解きができない小津作品とともに、今後繰り返し観る映画の一つであることは間違いない。

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April 12, 2004

ゴムのホースなら欲しいけど

昨年末から今年のはじめまで、NHK BS2で放映していた小津安二郎の作品で、放映時に見ることが出来なかった「長屋紳士録」の録画を観た。

戦後に撮った、小津最後の「喜八もの」である。これ以降小津は下町を舞台にした映画は撮らなかった。小津の知る「下町」が戦災によって壊滅したためだと言われている。

小津作品の中には、そのストーリの流れに直接影響はないが、えもいわれぬ可笑しい科白がしばしば埋め込まれている。

この「長屋紳士録」では、飯田蝶子と吉川満子の掛け合いで

吉川:「なあに。どこの子?」
飯田:「宿無しなんだよ。あんたんとこいらないかね?」
吉川:「いらないねえ。ゴムのホースなら欲しいけど」

の下りは、何度観ても、このシーンを思い出しても、笑ってしまう。

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March 26, 2004

Gossip ~ 9人は多すぎやしないか?

昨夜のNHK BS2で放映されたスウェーデン映画「Gossip」(2000、コリン・ナトリー監督)。

伝説の女優グレタ・ガルボ主演の「クリスティナ女王」がハリウッドでリメークされることになり、9人の女優たちがスクリーン・テストを受けた。主役が決定するまでの、彼女たちの1日を描いている。映画の進行する経過は時間と順方向に進んでいっているようだが、9人のエピソードがオムニバスと言うよりはコラージュ風に繋ぎ合わされている。皆、現在のスウェーデンでは名の知られた女優らしいが、店主には誰が誰やらさっぱり。因みにグレタ・ガルボ、イングリット・バーグマンまで遡らなくても店主が認知しているスウェーデン女優といえば、せいぜいイングリット・チューリン、リヴ・ウルマン(但し、この人は両親がノルウェー人)くらい。

9人のエピソードをシャッフルして、その断片を次から次へと見せられているので、殆どフォローすることが不可能。いい加減心身共に疲れている深夜に見るには全く不向きな映画。

見せようによっては、笑わせてくれるエピソードもあるのだが、この監督はそんなサービス精神は全く持ち合わせていないようだ。

必ずしも、「映画=エンタテイメント」である必要はないが、細切れの心理劇を見せられるのはまことに辛いものがある。この映画、スウェーデンではかなりの観客動員をしたらしいが、そんなスウェーデン人っていったい・・・?

それとも、フィクションだと思って見ていたが、半ばドキュメンタリーだったりして?それにしても、9人は多すぎやしないか?

よくも最後まで、眠らないで見通した自分自身に感心した。

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March 16, 2004

OZU 2003 ~ シンポジウムから

小津安二郎生誕百年記念国際シンポジウム「OZU 2003」が、昨年の12月11日、12日に有楽町朝日ホールで開催された。店主は参加できなかったが、そのほんの一部がやはり昨年BS-2で放映された。その内容に関しては、Yuさんが運営されているサイトBE BLUE!の中で「OZU 2003」として紹介されている。

先日、この「OZU 2003」を拝読させていただき、さらに録画を再見してチョット気になったというか驚いたことがあった。

それは、「小津さんは映画に軍服姿の人物を一切出さなかった。あの時代において軍服を排除した姿勢・・・」云々という吉田喜重氏の発言である。

確かに、この「軍服の・・・」というのは、あくまで現存するフィルムに限っては正しいと思う。しかし、フィルム・ネガとも散逸してしまった「また逢ふ日まで('32)」と「大学よいとこ('36)」のシナリオのサマリ(原本ではなく、山内静夫氏解説によるもの)を読む限り、「軍服」が出てこないと画面が成立しない。

別に声高に吉田氏の発言を批判するつもりはサラサラないし、小津の戦時中の映画制作に対する姿勢は、巷間言われている通りで戦意高揚映画などには全く興味を持たなかったのは事実であろう。

普段はローキーで「反復とずれ」などと発言されている吉田氏にしては、ちょっと力ずく過ぎるのでは?と思った次第。

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March 12, 2004

The Complete OZU ~ 小津安二郎の世界

>続いての小津ネタ。かつて東芝EMIから、電子ブックで「The Complete OZU ~ 小津安二郎の世界」というCR-ROMが発売されていた。Amazonや東芝EMIのサイトで検索をかけても、出てこないので現在は絶版らしい。ビクターエンターテイメントからの「小津安二郎の世界」は全くの別物。

内容は、小津研究で有名なドナルド・リチーの「映画の中の日本~小津安二郎の世界」(山本喜久男訳)が1冊まるごとエキスパンド・ブックのフォーマットで収められており、「映画ダイジェスト」として全作品の解説、「キャスト&スタッフ」、「小津安二郎の東京」として小津にまつわる東京のさまざまな場所の紹介などから構成されている。エキスパンド・ブックのユーザ・インタフェイスの使い勝手は評価が分かれるところであるが、基本的には良く出来ていると思う。何故、生誕100周年を記念して再発売されなかったのかが不思議である。

この中で最も興味を引かれたのが、「小津を語る」と題して本作のために録画された、小津映画に関わりをもった人たちのインタヴューである。殆ど1994年に撮影されたもので、現在は故人になっておられる方もいる。

まずは、「一番バッター」の岡田茉莉子が語るところの小津映画の「四番バッター」(と、小津が自ら語ったらしい)である、もしかして日本で唯一の女優であった杉村春子。

「小津先生は、非常に肩幅の広い背中の大きな人だった。それを、東野さん(英治郎)は、『あれは古武士の背中だな』、と言っていた。」

「文学座の分裂の時(1963)、『俺が付いてる里見弴、僕も付いてる小津安二郎』、という電報をもらい、今でもそれが支えになっている。」

「演技に関しては、何も難しく考える必要はない、自然にやればそれでいい、と言われた。」

と語っている。


次は、晩年の作品でちょっと存在感のある脇役で出演していた須賀不二男。

「小津先生は、適当に不良で、無頼で、粋な人だった。」

「笠さんが演じた平山という役は、後年評論家が言うような小津さんの分身ではなかったと思う。」

「あの役柄の持っている真面目さや誠実さには憬れはもっていたかもしれないが、小津さん自身はあんな野暮ではなく、粋で大変な浪費家だった。」

「若き日の小津日記のなかの、『したきものは浪費、欲しいものは金、大声で叫びたい春の夕暮れ』には大いに共感できる。」

などと語っている。

最後に小津組の名カメラマン厚田雄春の弟子である川又昴。

「小津の、『映画には約束事はあるが、どう撮らなければならないという文法はない。もしも、文法というものがあるなら、これくらいの日本映画の規模なら監督は10人で賄える。自分のイメージに従って撮ればいい。カメラマンというのは活字になったシナリオを映画という絵に具体化するのだから、それを常に忘れるな』という言葉が身にしみている。」

「何故ローポジションか?自分の経験では、畳の目が照明の関係で撮ることが非常に難しく、小津さんはそれを良く分かっており、畳を撮るのを極力避けた。しかし、東京物語の上野の陸橋のシーンで、何故もっと東京を見せないのかと思った。やっぱりアオってビルの5~6階の屋根のあたりを撮す。小津さんにとって、最も安定したポジションはやはりローポジだった。」

「小津組はカメラの移動がないと言われていたが、実は移動は多かった。但し、揺らさない移動なのでスタッフ、俳優は大変苦労した。」

と撮影技術の面から語っている。

他に、桜むつ子、突貫小僧こと青木富夫、井上雪子、小津の甥にあたる長井秀行、プロデューサで里見弴の子息である山内静夫らのインタヴューが収められている。

久しぶりに摘み食いで見直してみたが、店主にかけられた「小津の魔法」は未だ解けず・・・。

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March 10, 2004

お天気のいい音楽 ~ 小津百科

NHK BS2では、アンコール放送と称してこの3月に入っても小津安二郎の作品を放映している。これまで映画の放映前にその作品にまつわるエピソードを3分ほどにまとめた「小津百科」が流されていたが、昨夜(9, Feb)作品の制作年度順に並べかえて、一挙に37本が続けて放映された。語りは大杉漣。

細切れの状態で見ていたときは、さほど強い印象を受けなかったが、こうしてまとめて見ると、思いの外しっかりと作られている、と感じさせられた。

エピソードの内容は、これまで殆ど語り尽くされているものではあるが、改めて印象に残ったのは以下の2つ。

まず、「早春」でのエピソード。

小津が映画の中に実際にある細かい事実をかなりのこだわりをもって描き込んでいる理由として、「小津さんは、自分の中で良く知っている風景があって、その中で物語が生まれてくる。でもそれは架空の物語、だから大きな嘘のためには、小さなところで嘘をついてはいけないのです。」と助監督を務めた田中康義が語っている。小津の映画は彼自身の日常のリアリティが物語を支えているのである。

次は、「東京暮色」で使われた音楽で、有名な「サセレシア」(「サ・セ・パリ」と「ヴァレンシア」をモティーフにして斉藤高順が作曲)。

小津はその暗い内容とは正反対な、リズミカルで明るい音楽を希望した。理由は、「画面に悲しい気持ちの登場人物が現れていても、その時、空は青空で陽が燦々と照り輝いていることもある。自分の映画のための音楽は何が起ころうともいつもお天気のいい音楽であってほしい。」と自ら語ったとか。確かに、小津の作品で雨降りのシーンは「浮草」とサイレント時代の一部を除いて、殆ど登場しない。

店主は小津映画(特に晩年の作品)を、見始めた頃は物語はドラマティックな起伏に乏しく、テンポが遅く一見退屈ではあるが、日常の家庭生活を丹念に描いたホームドラマである、という巷の評価に首肯していた。

しかし、観れば観るほどこの評価に首を傾げるようになっていったのである。その一例として挙げられるのが、小津映画に登場する人物の会話のテンポはとても尋常とはいえない。実際にあの台詞を喋ってみると分かるが、あんな速いテンポで会話をすることは日常では殆どあり得ない。

世評や、笠智衆の抑制された演技に騙されてはいけない。店主は、小津の作品は思いの外かなり「ヘン」な映画だと思っている。

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