June 23, 2007

The system of exempting students from paying tuition due to the baseball

西武ライオンズの早稲田大学硬式野球部部員への裏金問題に端を発し、専大北上高校野球部の運営がメディアによって暴きだされ、これまで黙認していたとしか思えない高野連が野球憲章違反とした「野球特待生問題」はこの春の高校野球界を大いに賑わした。当の高野連は夏の選手権大会(甲子園)の前に禊ぎのつもりで処分を下したのだが、世論や文部科学大臣・官房長官発言によって大幅なトーンダウンを余儀なくされ、結局は問題解決先送りで実質的な現状是認状態となった。(「野球特待生制度」をそのまま各校による「奨学金制度」にスライドさせただけ)

そして、あれほど野球憲章は頑なに守ると言っていた張本人が、『高野連会長、「特待生禁止条項」見直しの可能性に言及』(讀賣新聞、6月22日)

この変化の原因は世論というよりは、『特待生制度、公正な運用図り容認を…自民が提言』(讀賣新聞、6月21日)が大きな引き金となったようである。

全くプリンシプルを持たない当事者能力に欠けた高野連という組織にも呆れるが、年金問題ですったもんだしている国会を尻目に自民党では「高校野球特待生制度問題小委員会(塩谷立委員長)」なるモノを立ち上げたらしく、随分とヒマな国会議員達もいるものである。こんな様子を見ると、議員定数半減論には大いに説得力があると感じざるを得ない。

以前のエントリ”No principles, a wandering organization”の中でも述べたが、野球を含めた特待生制度の採用は私学の場合はその判断に委ねられるべきであると考える。但し、これはスポーツ特待生制度に個人的に賛成という意味ではない。世論としては少数派と思われるが、私は寧ろ野球を含めたスポーツ特待生制度には反対である。何故なら、「他のスポーツではOKなのに、何故野球だけがNGなのか?」とか「経済的問題で才能を埋もれさせるのは可哀想、勿体ない」など、いかにも説得力のある意見のように見えるが、現在のスポーツ特待生制度とは学校経営の施策の一つであることを忘れてはけない。古いと言われるかもしれないが、高等学校とくに普通科の第一義的な存在理由は社会に出たり上級の学校に進むための教育機関であると考える。

特に高校野球においては特待生制度は、それによってその後の野球人生を開花させた選手は非常に希な存在であり、殆どの場合は保護者への経済的負担を掛けなかったというメリットを除くとその後の人生にネガティヴな陰をもたらす可能性が多いように思われる。(勉強そっちのけで野球漬けの高校生活、勝利至上主義のプレッシャー、ベンチ入りから漏れた挫折・・・)

若いうちから競争社会における「勝ち組」「負け組」という鮮明な格差体験をするのも一概に悪いことではないのかもしれないが、逃げ道を見いだせない挫折感を高校生時代から味わうのは如何なものであろうか?

諸外国に目を転じてみると、日本のスポーツ特待生制度に相当するのもは中国・韓国くらいにしか見あたらない。但し、中国のスポーツ特待生制度は日本以上に専門性に特化しており、その進むべき進路も全く違って職業体育学校ということになる。米国のハイ・スクールにおいてはスポーツ特待生制度は存在しておらず、奨学金を受ける理由は純粋に保護者の経済的状況によるものであり、スポーツの実績による援助は一切禁止されている。入試の際に経済的援助を望む場合は、第三者機関によって生徒の名前や体格も伏せられて審査される。

クラブ・スポーツが主流であるヨーロッパにおいては、高校で行っているスポーツは殆どがいわゆる同好会レヴェルのものであり、当然学校によるスポーツ特待生制度は存在しない。英国では高校・中学レヴェルで一部の学校がスポーツ特待生制度に類する仕組みが導入されているが、それでもせいぜい学費の20~30%の援助である。

教育機関である高等学校にトップ・レヴェルのスポーツの一部が組み込まれた我が国の特殊事情が生み出したスポーツ特待生制度、その功罪を世論に流されず頭を冷やして良く考えてみる必要があることだけは確かである。走り出したものは止められない、ではあまりに知恵が無さすぎる。

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November 12, 2005

Obituary ~ Peter Ferdinand Drucker

Peter F. Drucker, a Pioneer in Social and Management Theory, Is Dead at 95(N.Y.Times)

クレアモント大学(米、カリフォルニア州)大学院教授であったピーター・ドラッカー博士が11月11日に死去した。享年95歳。

主要紙を始めとしてスポーツ新聞の訃報欄でも当然のごとくドッラカー氏死去のニュースが取り上げられているが、その見出しを飾る称号は「現代経営学の父」、「現代経営哲学の父」、「経営学者」、「経営学の神様」、「経済学者」などがあり、我が国では氏が最期まで現役の「マネジメントの泰山北斗」であったという評価が概ね定着しているようである。ドラッカー氏の30冊あまりの著作もほぼ全てが翻訳されており、度々の来日時の講演やコンサルティングで我が国の経営者たちの尊敬を集めた学者であったため、当然ともいえる評価であり格別異論はないのだが、氏の影響力は経営学・マネジメントという限られた分野を遙かに超えていた。

N.Y.Timesの訃報記事でも触れているように、ドラッカー氏は自らを"social ecologist(社会生態学者)"であると考えており、何冊かのその著作やいくつもの発言に触れた印象では歴史に通暁し自らの経験に裏打ちされた将来に対する深い洞察力は単に「現代経営学の父」と呼ばれる以上の巨匠であったと考えるのが妥当であろう。

それにしても、19世紀の残り香漂う皇帝フランツ・ヨーゼフ治下のハプスブルク帝国のヴィーンに生まれ、恐らくシュンペータやハイエクやミーゼスなどヴィーン学派の影響受けた人が、齢90を越えて21世紀まで将来のことを現役として語り続けたことは驚嘆に値することである。

浅学非才な身にとって、正に目から鱗な氏の至言に触れることが出来たのは幸せなことであった。ドッラカー氏の至言で今直ちに思い浮かぶのは、「何故、誰にも気付かれない(仕事上の)細部にも手抜きをしないのか?」という自問に「神々が見ている」というギリシャの彫刻家フェイディアスの言葉を引用していたことである。そして、氏が幼少の頃にヴィーンで「祭」を見物していた時に、「自分は祭に参加する人間ではなく、それを観ている人間である」と直感的に悟ったという言葉も強く印象に残っている。

ご興味のある方は、以前弊blogでドラッカー氏が著作「明日を支配するもの」で述べていた日本の官僚機構に関するエントリ”Japanese bureaucracy”をご参照ください。



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May 09, 2005

Inappropriate activities?

先週末あたりから日本のメディアは先の福知山線の列車事故の原因追及以上にJR西日本の企業体質と事故後の従業員の「不適切」な行動を伝えることに血道をあげている。

その報道に接した被害者でも遺族でもない一般の人々が当然のようにJR西日本に対する非難の声をあげ、怒りを露わにする様子をこれまたメディアが伝えている。正にJR西日本バッシングの拡大再生産の構図である。雪印や三菱自工の不祥事のときにも感じたことであるが、熱しやすく冷めやすいといわれる現代日本人気質を割り引いたとしても、これらの「普通の人々」たちは毎日そんなに倫理的に「正しい」生活を送っておられるのであろうか?翻って自らのことを考えると、そんな自信は全くない。

この「不適切」と言われる振る舞いは個人的感情でも決して褒められたものではないと思うが、いきなり時代がDraw backしたような現在の日本社会における「普通の人々が期待する」組織と個人の関係には「!?」状態で、正に建前と本音の乖離を感じざるを得ない。

記者会見でJR西日本の担当者を責め立てる、まるで復讐の女神ネメシスを自認するかのような報道陣の物言いは、個人的には「日勤」で運転士を指導するJR西日本の上司の言動と完全に重なってしまう。

以前あるTV番組で養老孟司氏が「組織が個人に制裁を加える場合、右も左も関係なく世代的な断絶があるにも拘わらず、まるで我々のDNAに組み込まれているかのように何故か戦前の陸軍式のやり方が亡霊のように立ち現れる。」と述べていた。このメディアと「普通の人々」のJR西日本バッシングは我々のDNAと環境変化による相互作用の影響なのだろうか?我々のpunctuality信仰とコインの裏表の関係にあるのかもしれない。

生命科学では既にヒトゲノムの解読が完了しており、各個人の性格を決定するDNA情報も解析されつつあるらしい。さらに、その性格決定因子となるDNAの民族的な偏りの傾向も明らかにされつつあるとか。パンドラの箱を開けるようで恐ろしい気もするが、これらを踏まえて論考できる社会学者の登場が待たれる。


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March 12, 2005

Capitalism on the land value


前のエントリ”Take me out to the snowland ~ epilogue”で近江出身の堤康次郎氏が所謂”近江商人”であったかどうかに疑問を感じたので、若干調べてみた。

先にのエントリで述べた「三方よし」の他に、近江商人を特徴付ける言葉がいくつかある。代表的なものとして、「近江の千両天秤」「鋸商法(諸国産物廻し)」などがあげられる。「近江の千両天秤」とは天秤棒一本の行商で財を成す、あるいは財を成したあとも天秤棒を担ぐ行商の初心を忘れるべからずという意味であり、「鋸商法」とは地元や上方の商品を他国で商うだけではなく、その土地の産物を持ち帰って再び商うという往復商法のことを言う。

江戸時代には、三都(江戸、大坂、京都)に店を構える豪商を輩出した近江商人の基本理念はこれらの言葉によく表されている。かつて堺屋太一氏は「日本の資本主義は近江商人から始まった」と述べておられたようだが、その商いは商業資本を基盤としたものであった。翻って、堤康次郎氏の場合は「土地」を基盤としたビジネスに終始し、所謂近江商法とはかなり趣を異にするといえよう。巷間、彼は西武鉄道の創業者として認識されているが、そのビジネスのルーツは軽井沢に隣接した沓掛(現在の中軽井沢)の別荘地販売であり、その際に設立したのが千ヶ滝遊園地(株)であった。この会社を清算後に起こした会社が箱根土地(株)であり、これがそのまま現コクドに繋がっている。現在軽井沢や箱根が西武の金城湯池といわれる礎を築いたわけであり、鉄道経営は寧ろこれらの土地活用の手段として用いられたといえる。

堤康次郎氏の土地への執着の凄まじさはこれまで出版された幾つかの著作物でも紹介されており、これが2代目義明氏の時代の土地バブルに乗じて彼をして当時の世界一の億万長者に押し上げたワケである。このコクド・西武グループは資本主義というよりは”地本主義”とも言うべきビジネス・モデルの権化のような存在であった。しかし、バブル崩壊と伴に”地本主義”は金本位(The gold standard)のように、”土地本位制(The land value standard)”とは成得なかったわけである。

この地本主義に狂奔した企業が次々と崩壊していく中で、最後の大物というべき企業がこの西武グループであった。何も対策を取らなければ、どんなに蓄財しても3代目では只の人になるという”経済社会主義”ともいえる我が国で、これまで堤家(義明氏)が財力を以て各界で権勢を振るえたのも康次郎氏の「遺訓」をひたすらに墨守し、絶対君主制ともいえるマネジメント・スタイルを貫いた義明氏の所業の所以であろう。

この義明氏、恐らく明治維新後の新興成金が勃興した時代であれば、世間から嫌われたであろうが、獄に繋がれるようなことはあり得なかったし、2代目としては寧ろ才能ある経営者として評価されたかもしれない。今回の逮捕は時代の価値観との埋めがたい乖離が招いた結果ともいえる。彼の辞書には”コンプライアンス”などという言葉は存在しなかったのであろう。

メディアが持つ本質的な体質と言ってしまえばそれまでであるが、今回の堤義明氏の逮捕に関連する報道は「何を今更?」といった感を持たざるを得ない。その内容の殆どが、西武グループと関わりを持った人々には既知の事実であり、まるで鬼の首でもとったように囃し立てる様子は嫌悪感すら覚える。

現在でも我々の周りには、ミニ堤・ミニ西武はいくらでも存在していることも事実である。

件の義明氏に同情するつもりはさらさら無いが、検察の取り調べでは義明氏本人も自ら法律に違反した事実は認めていたようであり、逮捕そのものの妥当性にすら些かの疑義を感じざるを得ない。一罰百戒という意味を込めた当局の判断であろうが、在宅起訴でも公判は維持できるのではないだろうか?

今回の事件がらみで2人の自殺者が出たが、その理由が果たして絶対君主への忠義立てだけだったのであろうか?どのような取り調べが行われたのかは、現時点では全く闇の中である。





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June 02, 2004

Kirsten Harms wird Intendantin der DOB

Neue Leitung an der Bismarckstraße

予算獲得でベルリン市当局と対立していたクリスティアン・ティーレマンが去ることになったDOBはKirsten Harmsがインテンダントに就任することを5月25日に発表した。彼女はハンブルク出身の演出家で、1995~2003年までキール・オペラのインテンダントを務めており『トゥーランドット』『影のない女』『ニーベルンクの指環』などの演出を手がけている。DOBでも2003年に『セミラーミデ』の演出で仕事をしている。

彼女の任期は94/95シーズンの始めから2011年までとされおり、最も重要な初仕事はティーレマンの後任音楽監督の決定であることは間違いのないところ。

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March 29, 2004

尾上九朗右衛門丈他界


二代目尾上九朗右衛門さんが死去 米国で歌舞伎を広める

現在の歌舞伎ファンには余り馴染みのない人だとは思うが、伝説的な名優であった六代目尾上菊五郎の長男として生まれ、世襲であれば七代目を継いだはずの人であった。現在の七代目菊五郎(寺島しのぶの父)は父親である故尾上梅幸が六代目の養子となった関係で菊五郎を襲名した。

九朗右衛門丈は、父親の存在があまりに偉大だったためか、いわゆる大看板の役者には成りきれず、歌舞伎・映画・テレビの脇役に活躍の場を見いだしていた。病を得てからは主にアメリカの大学で教鞭をとり歌舞伎の紹介・普及に尽力した。例えてみれば、長嶋茂雄・一茂のような関係だったようだ。

昨年、NHKの歌舞伎番組「芸能花舞台」で小津安二郎が撮った六代目の「鏡獅子」を放映した際に、父親を語るインタヴューで出演していた。

本人自らの著書ではないが、「聞き書き 尾上九朗右衛門」は伝統芸能である歌舞伎が戦後に辿った歴史の一断面を知る上で、なかなか興味深い読み物である。

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Nemesis


小出代表が高橋尚子の復帰戦に仰天計画!

「和を以て貴しと為す」という観点からは、これが「仰天計画」ということになるらしい。この記事の内容に、いわゆる週刊誌的な誇張があるかどうかは知らないが、このプランが事実なら面白い。

監督の陸連の選考に対する「言い分」は、単なる愚痴にしか聞こえないが、Nemesisとなった高橋尚子の走りを見てみたい気もする。

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February 18, 2004

DE BEERSも真っ青?

少々旧聞(バレンタイン・デイ向け)に属するが、近年その市場支配力が一時期ほどの勢いをなくしたとはいえ、ダイヤモンド産業を圧倒的に牛耳っているDE BEERSも真っ青なニュースが・・・。

      Astronomers Find a Huge Diamond in Space

世界でも有名な、こんなのもこんなのもこんなのも、大きさでは到底かなわない。

なんせ、直径4Kmのダイヤモンド。この広い宇宙なのにたった50光年飛んでいけば、手に入れられるそうだから、誰か取りに行く人いませんか?

でもその計画バレたら、ダイヤモンド・シンジケートから刺客が送りつけられるのは間違いない・・・。


本日の対オマーン戦に関して、言いたいことは山ほどあるが、他に言う人がいくらでもあるだろうから、自粛・・・。

いい加減やめれ!「ええ格好しいのサッカー」→ 黄金世代?

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