February 24, 2009

Problem Solving Kids

Problem_solving_kids先日スキーに行く際、道中に何か読む本はないかと東京駅構内のブックストアを覗いたところ、店頭に平積みになっていた「世界一やさしい問題解決の授業」(渡辺 健介 著 ダイヤモンド社刊 )を購入。自らの経験でタイトルからその内容はほぼ想像できたのだが、以前からチョット気になっていた本である。2007年6月に初版発行で同年11月に11刷まで版が重ねられており、教育・ビジネス書としてはベストセラーである。

その内容はコンサルティング会社や外資系企業ではお馴染み(というか常識)の「問題解決手法」を子供のうちから身につけるために、(小)中高生向けに身近な課題を使ってワークショップ風に展開している。問題の要因を分析するためのツリー状に下位に展開する方法、要因を4象限にプロットしてのマトリクス分析、要因ごとのPrioritization(優先順位の決定)、情報収集及び仮説の立て方とその検証、アクションプランの作り方・・・、などをターゲット層の年代でも分かりやすく書かれている。しかし「問題解決手法」の基本はしっかり押さえている。当然のことであるが、ここで言う「問題解決」とは「目的達成」とイコールである。

著者の渡辺 健介氏は1999年イェール大学を卒業し後マッキンゼー・アンド・カンパニー東京オフィスに入社。2005年ハーヴァード・ビジネス・スクールを卒業しマッキンゼーのニューヨーク・オフィスに移籍する。マッキンゼーで受講した体系的な”Problem solving skill”のトレーニングの考え方を子供たちに広めることを志して同年退社し、デルタスタジオを設立した。現在、小学生から社会人までに対して研修プログラムを提供している。

「問題解決能力」は現代のビジスネにおいて有効かつ必要なスキルであるが、これを子供の頃から勉強・クラブ活動など日常生活において問題解決や目的達成のために「考え抜き、行動する癖」としてを習慣化することは、自ら将来を切り開いていく能力を人生の早い段階から身につけるということになる。モノゴトに潜んでいる本質的な要因を分析し理解する能力を開発することにもなる。

100ページ強の本で小学生高学年でも分かるように書かれているが、子供向けということに変なわだかまりを持たず素直に読めば「目から鱗」の大人もかなりいるはずである。この内容と考え方に賛同した塾高野球部上田監督の要請で一昨年に野球部員向けのワークショップが開催され、2008年からは「世界一やさしい問題解決の授業」が幼稚舎と塾高(選択)で実施されているそうである。

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November 15, 2005

Profit and loss sharing


昨年ドラッカー博士に関する”Japanese bureaucracy”のエントリを書いたのは、会社には利益を残さないなど、非常にユニークな経営理念を持ち広島を中心に展開している「(株)メガネ21(ツゥーワン)」という会社の”The company which does not seek the profit”というエントリ書いていた際、博士の以下の発言を思い浮べたことが切っ掛けとなった。

世界には、もうこれ以上の均質さはいらない。必要なのは多様なモデル、多様な成功、多様な価値観である。

先日このメガネ21のことがNHKの”ビジネス未来人”という番組で取り上げられ、創業者の一人である平本清氏がインタヴュを受けておられた。この会社のユニークさはリンク先や弊blogの過去のエントリを参照していただければお解り頂けると思うが、日経BP社のサイトにこのメガネ21の企業としての生い立ちから現在までのかなりに詳細にわたっての「メガネ21、”究極”のオープン経営を解き明かす」と題したコラムがある。

リストラで職を失った社員の受け皿という生い立ちを持つこの会社の「利益を商品の値下げと社員に還元し会社には残さない」という基本的な方針は以前のエントリでもご紹介したのだが、これは単に”Profit sharing”という意味ではなく”Loss sharing”も含まれていることをこのコラムを読んで改めて認識した。つまり赤字になったら、その分を従業員全員で負担するということであり、実際に創業当初に倒産の危機に見舞われたときにそれをやってのけたそうである。この”Profit and loss sharing”のシステムは一般的な組織に帰属する人々が持つ「給料は会社からもらっている」という発想を根底から覆すことは間違いない。

それにしてもこのコラムで紹介されているメガネ21に関するリポートには「ここまでさらけ出しても大丈夫?」というほど、生々しい話が綴られおり全てが成功談というわけでもない。全部読み通すには非常に長いコラムであり、この企業理念やシステムに賛否双方があるとは思うが、メガネ21が何故ビジネス(商売)で成功を収めたかの示唆に富む内容が含まれている。ただこの成功要因としてはとりたてて特別なことは何もなく、商人としてやるべき事を徹底してやっただけである(実際には、これが非常に難しい)。特に、コンシューマ製品を直接お客さまに販売することに携わっておられる方にはこのコラムを読まれることを強くお勧めする。


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November 12, 2005

Obituary ~ Peter Ferdinand Drucker

Peter F. Drucker, a Pioneer in Social and Management Theory, Is Dead at 95(N.Y.Times)

クレアモント大学(米、カリフォルニア州)大学院教授であったピーター・ドラッカー博士が11月11日に死去した。享年95歳。

主要紙を始めとしてスポーツ新聞の訃報欄でも当然のごとくドッラカー氏死去のニュースが取り上げられているが、その見出しを飾る称号は「現代経営学の父」、「現代経営哲学の父」、「経営学者」、「経営学の神様」、「経済学者」などがあり、我が国では氏が最期まで現役の「マネジメントの泰山北斗」であったという評価が概ね定着しているようである。ドラッカー氏の30冊あまりの著作もほぼ全てが翻訳されており、度々の来日時の講演やコンサルティングで我が国の経営者たちの尊敬を集めた学者であったため、当然ともいえる評価であり格別異論はないのだが、氏の影響力は経営学・マネジメントという限られた分野を遙かに超えていた。

N.Y.Timesの訃報記事でも触れているように、ドラッカー氏は自らを"social ecologist(社会生態学者)"であると考えており、何冊かのその著作やいくつもの発言に触れた印象では歴史に通暁し自らの経験に裏打ちされた将来に対する深い洞察力は単に「現代経営学の父」と呼ばれる以上の巨匠であったと考えるのが妥当であろう。

それにしても、19世紀の残り香漂う皇帝フランツ・ヨーゼフ治下のハプスブルク帝国のヴィーンに生まれ、恐らくシュンペータやハイエクやミーゼスなどヴィーン学派の影響受けた人が、齢90を越えて21世紀まで将来のことを現役として語り続けたことは驚嘆に値することである。

浅学非才な身にとって、正に目から鱗な氏の至言に触れることが出来たのは幸せなことであった。ドッラカー氏の至言で今直ちに思い浮かぶのは、「何故、誰にも気付かれない(仕事上の)細部にも手抜きをしないのか?」という自問に「神々が見ている」というギリシャの彫刻家フェイディアスの言葉を引用していたことである。そして、氏が幼少の頃にヴィーンで「祭」を見物していた時に、「自分は祭に参加する人間ではなく、それを観ている人間である」と直感的に悟ったという言葉も強く印象に残っている。

ご興味のある方は、以前弊blogでドラッカー氏が著作「明日を支配するもの」で述べていた日本の官僚機構に関するエントリ”Japanese bureaucracy”をご参照ください。



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March 12, 2005

Capitalism on the land value


前のエントリ”Take me out to the snowland ~ epilogue”で近江出身の堤康次郎氏が所謂”近江商人”であったかどうかに疑問を感じたので、若干調べてみた。

先にのエントリで述べた「三方よし」の他に、近江商人を特徴付ける言葉がいくつかある。代表的なものとして、「近江の千両天秤」「鋸商法(諸国産物廻し)」などがあげられる。「近江の千両天秤」とは天秤棒一本の行商で財を成す、あるいは財を成したあとも天秤棒を担ぐ行商の初心を忘れるべからずという意味であり、「鋸商法」とは地元や上方の商品を他国で商うだけではなく、その土地の産物を持ち帰って再び商うという往復商法のことを言う。

江戸時代には、三都(江戸、大坂、京都)に店を構える豪商を輩出した近江商人の基本理念はこれらの言葉によく表されている。かつて堺屋太一氏は「日本の資本主義は近江商人から始まった」と述べておられたようだが、その商いは商業資本を基盤としたものであった。翻って、堤康次郎氏の場合は「土地」を基盤としたビジネスに終始し、所謂近江商法とはかなり趣を異にするといえよう。巷間、彼は西武鉄道の創業者として認識されているが、そのビジネスのルーツは軽井沢に隣接した沓掛(現在の中軽井沢)の別荘地販売であり、その際に設立したのが千ヶ滝遊園地(株)であった。この会社を清算後に起こした会社が箱根土地(株)であり、これがそのまま現コクドに繋がっている。現在軽井沢や箱根が西武の金城湯池といわれる礎を築いたわけであり、鉄道経営は寧ろこれらの土地活用の手段として用いられたといえる。

堤康次郎氏の土地への執着の凄まじさはこれまで出版された幾つかの著作物でも紹介されており、これが2代目義明氏の時代の土地バブルに乗じて彼をして当時の世界一の億万長者に押し上げたワケである。このコクド・西武グループは資本主義というよりは”地本主義”とも言うべきビジネス・モデルの権化のような存在であった。しかし、バブル崩壊と伴に”地本主義”は金本位(The gold standard)のように、”土地本位制(The land value standard)”とは成得なかったわけである。

この地本主義に狂奔した企業が次々と崩壊していく中で、最後の大物というべき企業がこの西武グループであった。何も対策を取らなければ、どんなに蓄財しても3代目では只の人になるという”経済社会主義”ともいえる我が国で、これまで堤家(義明氏)が財力を以て各界で権勢を振るえたのも康次郎氏の「遺訓」をひたすらに墨守し、絶対君主制ともいえるマネジメント・スタイルを貫いた義明氏の所業の所以であろう。

この義明氏、恐らく明治維新後の新興成金が勃興した時代であれば、世間から嫌われたであろうが、獄に繋がれるようなことはあり得なかったし、2代目としては寧ろ才能ある経営者として評価されたかもしれない。今回の逮捕は時代の価値観との埋めがたい乖離が招いた結果ともいえる。彼の辞書には”コンプライアンス”などという言葉は存在しなかったのであろう。

メディアが持つ本質的な体質と言ってしまえばそれまでであるが、今回の堤義明氏の逮捕に関連する報道は「何を今更?」といった感を持たざるを得ない。その内容の殆どが、西武グループと関わりを持った人々には既知の事実であり、まるで鬼の首でもとったように囃し立てる様子は嫌悪感すら覚える。

現在でも我々の周りには、ミニ堤・ミニ西武はいくらでも存在していることも事実である。

件の義明氏に同情するつもりはさらさら無いが、検察の取り調べでは義明氏本人も自ら法律に違反した事実は認めていたようであり、逮捕そのものの妥当性にすら些かの疑義を感じざるを得ない。一罰百戒という意味を込めた当局の判断であろうが、在宅起訴でも公判は維持できるのではないだろうか?

今回の事件がらみで2人の自殺者が出たが、その理由が果たして絶対君主への忠義立てだけだったのであろうか?どのような取り調べが行われたのかは、現時点では全く闇の中である。





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March 09, 2005

Take me out to the snowland ~ epilogue

現代まで受け継がれている近江商人の商法の理念と謂われているのが、「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)という言葉である。

先に西武グループの二代目後継者でウィンター・スポーツを中心に我が国のスポーツ界で絶大な権勢を誇っていた堤義明氏が証券取引法違反(虚偽記載、インサイダー取引)の容疑で逮捕されたことは、もし西武鉄道などの創業者である堤康次郎氏を近江商人(但し、彼は滋賀県の当時八木庄村の農家生まれで、元々商家の出身ではない)と呼ぶならば、「三方よし」の理念に照らしてみると親子二代に渡ってこのバランスを著しく欠いたビジネスを行った顚末の結果とも言えよう。

昨年の冬、スキーから帰った際に現在のスキー場に一抹の寂しさを感じて、「2004年のスキー考現学」として” 私をスキーに連れてって”という3部構成の駄文をご披露した。バブル景気と軌を一にするように膨張したスキー・ブーム(当時我が国のスキー人口は一千万人ともいわれていた)をさらに盛り上げるのに一役買った象徴的な存在が、ホイチョイ・プロダクションの映画「私をスキーに連れてって」と松任谷由実の「Surf & Snow」であった。

ただ、これはサブ・カルチャという視点からのハナシで、実際のスキー・ブームを仕掛ける上で大きな役割を担った一人が堤義明氏であったことは間違いのないところである。欧米では富裕層の長期滞在型の代表的なリゾート・スポーツであるスキーが、我が国では精々一泊二日程度のお手軽なフォーマットに仕立て直され、件の堤氏が総帥として君臨していたコクドはそれに対応した”スキー・リゾート擬き”を次々と開発していった。

このコクド・プリンスホテル系の”スキー・リゾート擬き”をどう評価するかは各人各様であろうが、スキー・ブーム最盛期の苗場富良野万座軽井沢などでの経験は決して芳しいものではなかった。ゲレンデのキャパシティを遙かに超えたリフトなどの輸送力を設備したため、確かに”リフト待ち”の時間は八方尾根などに比べると比較的短かったのだが、いざゲレンデを滑ろうとすると西武線のラッシュ・アワーもかくありきといった混雑状態で、リゾート気分に浸る余裕など全くなかった。

スキー場に併設されたプリンス・ホテルのサーヴィスも”個客”に対応した姿勢は全く感じられず、1泊2日のスキー・パック・ツアー客向きに極端にまでチューン・アップされていた。このルーティンワークともいえるサーヴィスにはホテルの”宴会のテーブル”をイメージした憶えがある。表面はテーブル・クロスに覆われているがその下ある粗末なベニヤ板のテーブルがまるで透けて見えるようなサーヴィス内容であった。

現在はどうのようになっているかは知らないが、当時苗場をプロモーションするためにスキー・ワールド・カップを招致しその後富良野に会場を移した後に、苗場に残った選手宿泊用に建てられたワールド・カップ・ロッジに宿泊する機会があった。本来一人用に作られた部屋が無理矢理2人用として提供されていた。その部屋に2人でいると、狭すぎてスキーの後に同時に着替えすることがままならならず、仕方なく一人はバスルームで着替えをした記憶がある。(現在の堤氏はもっと狭い”場所”に居るらしいが・・・

当時経済大国などと煽てられていた我が国であったが、一般的な日本人が長期滞在型のレジャーなど志向しないことを見極めて施設を開発していった堤氏のある種の慧眼は見事だったとしか言いようがない。

そういえば、今年も25周年目の”YUMING SURF&SNOW IN Naeba”がこの2月に開かれたらしい。




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February 10, 2005

Setback or mismatch?

Fiorina steps down at HP

以前、Hewlett Packard(HP)のCEOであるCarly Fiorinaがそのポジションに就いて以来の彼女の業績というか行状をクロノロジカルにエントリ(”At the end of the digital medieval ages”、”Reinvent ~ Vigorous change”、”The digital Renaissance under the stormy weather”)にまとめたのだが、その彼女のHPでのキャリアの最終章を書くことになってしまった。

形式的にはHPのBoardが彼女の「辞任」を承認したことになっているようだが、実際には限りなく「解任」に近いものであろうと想像される。以前のエントリでも述べたが、彼女は強烈な個性とかなり強引ともいえる手法で官僚化・硬直化したHPの組織改革を行い、大いに揉めたCompaqの買収を断行したのだが彼女のHPでのキャリアはここに終焉を迎えた。彼女曰くの「The digital Renaissance」の先導者としての役割は、少なくともHPにおいては挫折したと言えよう。

この辞任劇の直接的な原因はHPを彼女が当初描いていた(期待されていた)成長路線に乗せられなかったことにあり、HP Boardがこれ以上の時間的な猶予を彼女に与えなかったということであろう。その大きな要因となったのは、彼女のマネジメント・スタイルとHPという企業が60年に渡って築き上げてきた良くも悪くもカルト的ともいえる「企業文化」とのミスマッチ、コンフリクションにあったことは間違いないところである。

企業が危機に瀕し、外部から経営者を迎えその立て直しを図る際には2つの大きな資質が要求される。それは改革者(ときに破壊者)としての資質と新たな価値を生み出す創造者としての資質である。彼女の場合は、HPにおいて前者の能力は大いに発揮したのだが、後者に関しては大きな疑問符を付けざるを得ない。彼女の辞任の発表は市場では好感を持って受け止められたようで、HPの株価は大幅に上昇した。(Fiorina out, HP stock soars

CFOのBob Waymanが暫定CEOに就任するようだが、Fiorinaとは全く資質の異なるCEOの選任がHPの喫緊の課題であろう。

それにしても、彼女をCEOに選任しCompaq買収を強力にサポートしたHP Boardのメンバーはそれなりの責任を負うべきであろう。特に彼女のHPにおける後見役となっていた大ベテランである「Boiseの隠居」と言われる人物の責任は相当重いと言わざるを得ない。





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January 07, 2005

Misleading ~ Lexus in the U.S.

遅ればせながら、謹賀新年・賀正・あけましておめでとうございます・・・。

このところエントリの更新が殆ど冬眠状態(以前より個人的には「冬眠」という言葉の響きには大いにそそられるものを感じているのだが・・・)の体たらくで、わざわざ御訪問頂いた皆さまの期待を裏切り続けており恐縮の至りである。

2005年最初の話題は、トヨタが満を持してこの8月に国内市場に投入を予定しているレクサスに関するお話。このことは昨年5月にトヨタから発表されており、既にご存じの方もおられると思う。ここで取り上げた理由は、読売新聞の経済面で新春から始まった特集「ものずくり進化論 ~ 第一部ニッポンの現場力」でトヨタ自動車が取り上げられており、その冒頭でレクサスの話題に触れていたことが切っ掛けである。

明確に述べられてはいないのだが、この特集は製造現場の「ものづくり」に再フォーカスし、日本経済の復活の原点にしようという意図があると思われる。謂わば「部分最適化」が「全体最適化」に繋がるという、オールド・エコノミーの復権というコンテキストのようで、その心情は理解できないでもないが個人的には何を今更という感がある。(本日からは、キヤノンのセル生産方式が取り上げられているが、個人的にはキヤノンの真の強さの源泉は「独自技術」へのこだわりにあると思う。)

ただ、レクサスが米国高級車市場で成功した原因が「匠の技」による車の持つ圧倒的な高品質に依るものであるという印象を与える内容の記事には大いなる違和感を覚えた。確かにレクサスのプロダクトとしての高品質が米国マーケットにおいて高く評価されたことは事実ではあるが、これは成功要因の一部に過ぎない。

1990年代後半からレクサスの成功は米国のマーケティングの世界でも注目を浴びており、そのケース・スタディもいくつか読んだこともあるし、マーケティングのトレーニング・プログラムで取り上げられたこともある。(プライヴェートな開催ではあったが、このプログラムを何度か実際にファシリテイトした経験もある。)

1980年代にはトヨタをはじめとして日本の自動車メーカは米国の小型車市場において、高品質な製品や燃費効率など高コスト・パーフォマンスな車の供給者として一定の地歩を固めていたが、容易に手を出せないでいたのが高級車(Luxury car)市場であった。

トヨタはこの未開拓分野であった高級車市場に参入するに当たって、トヨタからは全く独立した”Lexus”というブランド構築を試みた。ターゲット顧客としては経営者、企業のエグゼクティヴ、医師、弁護士、大学教授・・・といった所謂”プロフェッショナル”と呼ばれる層に狙いを定めた。このターゲットからはショファー・ドリヴンのリムジンのオーナや車に”Fun to drive”(イタリアン・エキゾティック・カー、ポルシェなど)を求めるユーザは外された。そして、ヨーロピアン・ラジュアリー・カー(Merceds,BMW,Jaguar,Volvo,Saab)のオーナをプライマリ・ターゲットとし、敢えて既存のトヨタ・ユーザはセコンダリ・ターゲットとした。

レクサスの成功要因で最もユニークかつ大きな貢献をしたのがディーラ政策であった。それまでの米国の一般的なカー・ディーラとは圧迫セールスの代名詞のような存在で社会的にあまり良いイメージを持たれていなかった。しかも、ディーラ同士が同じブランドの値引き合戦をするというカーニヴァライズ行為でその利益を大きく圧迫していた。

トヨタは顧客との直接的な接点を持つディーラをレクサスのブランド価値創造のセンター・ポントとして位置づけた。レクサス・ディーラは既存のトヨタ・ディーラとは独立した(あえて避けた?)ネットワークとし、ディーラ同士の地域的な競合を避ける配置を行った。ディーラの店舗スタイルやスタッフもそのターゲット顧客に相応しいものとし、購入・メインテナンス・買い換えなどの顧客との接点において「最高のブランド体験」(Experience)を提供する仕組みを作り上げた。

レクサス・ディーラのオペレーションの実例を幾つか紹介すると、

1. それまでのカー・ディーラのイメージを一新するような豪華な内装の店舗と洗練された接客を教育されたスタッフ。
2. 時に顧客と接触するメインテナンス作業員の制服(所謂つなぎ)は1日2度着替えさせる。
3. 週末には無料洗車サーヴィスを実施し、その際にはフリー・ブレクファーストを提供。
4. 顧客に代車を提供する必要がある場合には、レクサスの最高級グレードを提供。
5. シカゴのレクサス・ディーラでは顧客がオヘア空港の朝一番機の搭乗前に車を預けられるように、朝5時からメインテナンス工場をオープン。
6. レクサスの中古車としての価値を維持するため、周辺地域の中古車ディーラの在庫に目を配り、中古のレクサスが市場出た場合はレクサス・ディーラが即座に買い取りメインテナンスを施し自ら販売する。

このようにカスタマ・リレーションにおいてハイレベルな「顧客体験」を提供することと、常に需要に比べ供給を抑えることによって、カスタマ・インサイトにおけるレクサスの高いブランド価値を維持することに成功した。

結果としてディーラは一切ディスカウント無しの販売が可能となり、他のディーラに比べて圧倒的に高い利益率を確保し、それを原資に顧客サーヴィスに充てることができた。レクサス・ディーラ同士の競合がないので、あるディーラが独自に行った効果的な顧客サーヴィスをBest Practiceとしてシェアすることも可能になった。当然の事ながらレクサス・オーナのRetention rate(次もレクサスを購入する)も競合ブランドに比べて圧倒的に高い値を維持することができた。

例えば、日本市場でもヤナセなどの優秀なセースルマンであれば同じようなブランド体験を顧客に提供することが出来るかもしれないが、米国でのレクサスはそれをシステマティックに行っているところに大きな違いがあるように思われる。

この夏、トヨタが日本市場でどのようなレクサスの販売戦略を展開するのかは定かではないが、すでに日本市場でも高級車市場のセグメントで一定のシェアを確保しているヨーロッパ系のプレステージ・ブランドの車を扱うディーラとどのような競合関係が生じるのかはなかなか興味深いものがある。





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October 07, 2004

Ikspiari

度々お邪魔させていただいているblog”フランスって”において、”元気のないパリのディズニーランド ”というエントリでパリ・ディズニーの現状を紹介しておられる。タイトルに示されているように、ユーロ・ディズニーで開業後の業績不振のためパリ・ディズニーとしてリニューアルを図ったが相変わらず芳しくないらしい。

”フランスって”のエントリでも述べておられるように、そもそも殆どのディズニー・キャラクタのオリジナルのいわば”本拠地”のヨーロッパ、しかもアメリカ文化に対してはアンビヴァレントな風潮がとりわけ強いフランスという場所を選んだこと自体に大いに疑問がある。

どのビジネスにおいても言えるいことであるが、継続的な成長のための最も重要なポイントの一つが「固定客」を掴むことである。これをディズニーランドようなテーマパークなどの場合当て嵌めると、いかに数多くの「リピータ」を獲得できるか?ということである。

事実、日本においてはTDR(東京ディズニー・リゾート)が一人勝ちで、他のテーマ・パークの殆どが凹んでいるのが現状であるが、開園当初はどこでもそこそこの集客はできていた。TDRの突出した業績はその後の”リピータ”を掴んだ結果である。

どうすれば一見のお客さんを”リピータ”という固定客にすることができるのか?誰でも容易に思い付くことは、イヴェントやテーマの定期的なリニューアルであろう。TDRはそのCore Valueを維持しながらも、”リピータ”を倦きさせないための施設のリニューアルや新設(ディズニー・シーなど)を巧みに行っているし、ホテルなどの付帯施設の充実も図っている。また、97.5%が日本国内から来園者ということと米ウォルト・ディズニーが全く出資していないオリエンタル・ランドによる経営のためか、アナハイムやオーランドとは異なるローカル・ニーズにも対応している。

元気のないパリのディズニーランド ”にコメントさせて頂いたように、”人混み”が苦手なため実際にTDRには行ったことはないのだが、”ディズニー・フリーク”の知人数名(TDR入園者の70%は大人)から聞いたところではTDRを度々訪れるのには別の理由もあることが分かった。

それは、TDRのスタッフの来園者への対応の”質”が他のテーマ・パークに比べ格段に高いそうである。時間と費用を使ってわざわざTDRに足を運ぶ来園者は非日常的な”夢の世界”の体験を期待しており、その主目的たる乗り物・イヴェントや設備の充実も重要ではあるが、それを支えるスタッフの顧客対応も無視できるものではないことも間違いない。

マーケティングの世界ではよく「顧客はモノやサービスを通じて経験を買う」と言われているが、TDRはこの顧客体験を重視しており、そのためのスタッフの教育には非常に力を入れている。園内の全てのスタッフに対し顧客の前では舞台上の演技者と同じような心構えが要求され、TDR内でいかに良い体験・印象を持ってもらうかに腐心している。

家族連れが記念写真を撮っていることに気付いたスタッフは積極的にそれを手伝ったり、客が落としたゴミを掃除する場合はそれが嫌味にならない程度の「間」をおくことが指示されていると言われている。

TDRの最寄り駅である「舞浜」に「ディズニーランド」の名称を付けたいというJRの申し入れに対し、「自らそのオペレーションに係わることができない施設(駅)に名前を使われては困る」と断ったという、真偽のほどは定かではない逸話を聞いたことがある。

本エントリのタイトル”Ikspiari”はTDR内のシネマコンプレックやレストランなどがあるショッピングタウンの名称であるが、英語の”Experience”とペルシア神話の妖精”Peri”の2つの言葉からの造語だそうで、TDRの姿勢を端的に表した言葉であろう。

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September 13, 2004

The digital Renaissance under the stormy weather

<<< Reinvent ~ Vigorous change

fiorina_with_ipod.jpgAT&TとLucent Technologiesにおけるマーケティングやセールスでの業績が評価されHPを率いることになったCarly Fiorinaは、CEO就任前から主要なビジネス誌を中心にメディアからは”スター経営者”の扱いを受けた。期待値を込めてではあろうが、実際にはCEOとしてのその経営手腕を発揮していないにも拘わらず破格の待遇であった。これは彼女は嫌っていたが、女性で初めてDow 30のトップになったことが大きな原因であったことは容易に想像がつく。(”A Crack In The Glass Ceiling”)

FiorinaはCEO就任後、HP内部に対してはその容貌とは裏腹な剛腕ぶりを発揮して組織改革を行い、外に対しては「新生HP」のブランドを強化するメッセージを発信していった。Agilent Technologiesのスピンオフ後に迎えたHPが所有していた同社の株式の市場への放出時もAmazon.comとのビッグ・ディール(”HP wins contract to supply Amazon”)を発表し、HPの株価を下げることなく乗り切った。

メディアやWall Streetからは彼女には常にフォローの風が吹いていたのだが、それが一変したのがCEO就任後初めて迎えた年度末決算(2000年11月)の時である。HPのコンサルティング・サーヴィス事業の強化を目論んだPwCのコンサルティング部門の買収に失敗したことと、一株当たりの利益がアナリストの予想を下回ったことが原因であった。(”HP misses earnings expectations, drops PwC bid”)

その後、通信業界とドットコムビジネスを切っ掛けにしたITバブルの崩壊というビジネス環境の悪化という状況の下、HP(Fiorina)に対する厳しい評価は続き、9.11同時多発テロが起こる丁度1週間前のCompaq買収のアナウンス(”HP, Compaq face challenges”)で彼女に対する逆風はますます強いもの(”HP, Compaq merger: Boon for consumers?”)になった。

この競合相手の買収に関しては、過去において巨大IT企業の合併は成功したことがない、製品系列が重複しており補完関係にない、弱者連合などなどアナリストからの手厳しい評価に晒された。しかも、当時HPのBoardに名を連ねていた創業者Bill Hewlettの息子である、Walter Hewlettが合併計画に反対を表明し、もう一方の創業者のPackard一族もこれに同調した結果18%の大株主が合併に対し反対票を投じる事態になった。(当時、The David and Lucile Packard FoundationThe William and Flora Hewlett Foundationを合わせるとHP株の18%を所有していた。)

Fiorinaはこの合併反対を正面から受けて立ち、両派はメディアも利用して互いに激しく非難し合い株主総会でのProxy Fight(委任投票争奪戦)を繰り広げ、先のブッシュ・ゴアの大統領選挙を彷彿させる僅差で合併承認にこぎ着けた。

カリフォルニアのスニーカー族とテキサスのカウボーイ・ブーツ族の統合とも言われたHPとCompaqの合併であったが、その成立後約1年が経過した時点でFiorinaはインタヴュに答えて「SpeedとAgilityを付加したが、HPのCore ValueであるHP Wayは変わっていない」と述べている。その善し悪しは別にして、個人的には換骨奪胎された「HP Way」だと感じざるを得ない。彼女は従業員に対してMindsetの変化を迫る際に、”Look in the mirror with a critical eye.”というフレーズを良く使っていた。この頃のHPは既に”万人”にとっての”Best Places to Work”の会社ではなくなったことは事実であろう。

周囲からの厳しい評価や非難にも拘わらず、自らの信念に従い強引に押し進む彼女のモメンタムを支えるモティヴェーションはいったい何であろうか?

彼女がHPのCEO就任後に外部で行った数々のスピーチ原稿がHPのサイトに残されており、その内のAspen Summit 2000(2000年8月22日)に行った”Digital Renaissance, Medieval Policy”と題されたスピーチの中でその真意が語られているような気がする。

比較的知的レベルの高い聴衆を意識してか内容的にはちょっとpedanticな匂いがするが、中世史と哲学を学んだ彼女は冒頭で、

”like the first Renaissance, which was the liberation of the inventive imagination, the digital Renaissance is about the empowerment of the individual and the consumer ”

”if we can bridge the gap between business and science and government so that we all understand and foster the digital Renaissance, then we have a chance to make this second Renaissance truly global and grassroots. ”

と、現代を”デジタル・ルネサンス”を起こすチャンス(あるいは必然)であり、

”I firmly believe we're at the beginning of a second Renaissance: the digital Renaissance. Its essence and consequences may go deeper and wider than the first one. ”

その本質と社会的重要性は”最初のルネサンス”よりも深く広い影響力を持っている、とも語っている。これらを実現するための3つの重要な新たな要素として以下のものを挙げている。

・ information appliances
・ always-on IT infrastructure
・ and digitally delivered services, or e-services

即ち、電気・ガス・水道のような可用性(allways-on)があるネットワーク化されたIT基盤上の利用者にとって相互に連携するe-serviceをinformation applianceからアクセスすることによりデジタル・ルネサンスのフレーム・ワークが形作られる、としている。

このスピーチでは直接述べてはいないが、彼女はHPがこの3つのベクトルの交点にアドレスできる唯一のベンダであり、自らは”デジタル・ルネサンス”へのチェンジを主導するリーダを自任しているようである。Compaq買収もこのコンテキストの延長線上にあることは想像に難くない。

このようなaspiration(大望)を抱いているFiorinaであるが、最終的なCEOのとしての評価基準となるHPの業績に関しては市場の期待を裏切り続けており、先月から彼女を手厳しく批判する記事(”Is Carly Toast Yet?”、”Fiorina under fire ”、”Anti-Fiorina sentiment brews”)が書きたてられている。

彼女はHPにおいて、IBMのルイス・ガースナー、日産のカルロス・ゴーン、GEのジャック・ウェルチの役割を期待されていたはずで、組織改革などコスト削減に関してはその剛腕を発揮し”破壊”を実行したが、新たな”創造”に関しては株主やWall Streetを納得させる成果は未だ上げていない。事実、HPの株価は彼女の就任時からは60%も下落しており、就任前に成功報酬込みで3年間で$90M言われていた彼女のCEOとしての給与も実際には$50M程度(それにしても巨額であるが)しか受け取っていないこともその証左の一つである。

シリコンヴァレーでは政界への転身の噂(”GOP insiders see HP's CEO as potential candidate”)まで出てくる始末で、現在彼女は待ったなしのburning platform(正念場)に立たされている。

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September 10, 2004

Reinvent ~ Vigorous change

<<<At the end of the digital medieval ages

calry_fiorina.jpgCarly Fiorinaは法学の教授を務めた父と画家の母の間に生まれ、スタンフォード大学では最初法律を学んでいたが、「自分にはクリエイティヴな学問とは思われず魅力を感じなかった」そうで、専攻を中世史と哲学を変更した。卒業後は一時期イタリアで英語教師をしていた経歴もある。AT&Tに入社後、電話の法人向けのセールスという「男社会」でそのキャリアを築いていった。その間彼女は「何度も挫折を味わった」と語っている。彼女はビジネスでの成功は意志とそれを実現するための能力と努力がキーであり、男女の違いは無関係であると考えているので、インタヴュなどで「女性として・・・」という質問は極端に嫌っている。(尤も、店主の知る限りでは、まともに「女性として巨大企業のCEOに・・・」という質問をしたのは彼女の来日時に出演したNHK『クローズアップ現代』の国谷裕子だけだったが・・・)

Lew Plattからのトランジションの時期から、彼女はそれまでのHPのCEOとは全く違うスタイルを持ち込んだ。現在記事が手元にないので詳細までは記憶していなが、当時のForbesには面白半分にLew Plattと彼女との”比較表”が掲載されていた。例えば、長距離移動には定期便のビジネス・クラスを使い出張が無いが限り昼食はHPのカフェテリアで取っていたLew Plattに比べ、Fiorinaはコーポレート・ジェット(彼女がCEOに就任決定後、HPがGulfstreamを$30Mで購入)で移動しHPのカフェテリアでは1度も食事をしたことがない、などといったことが挙げられていた。ストックオプションを含め3年間で$90M超という彼女の報酬もそれまでのHPのCEOとは桁違いなものであった。

彼女は正式なCEO就任前から、かつての成長力を失い市場から”Stodgy”となどと言われてた当時のHPの改革に着手した。Fiorinaが当時のBusiness Unitを統括する4人のPresidentを集めてミーティング行い、彼らにそれぞれが考える組織の改革案を要求した際、4人の「2~3ヶ月時間が欲しい」という答えに対し、彼女からは「そんなに時間を掛けているヒマはない。今週末までにプランを提出せよ」というやりとりがあったと言われている。これはやはりForbesの記事で紹介されたものであり、当時のHPと彼女のギャップの大きさを象徴する逸話である。

FiorinaはCEOに就任直後から、組織再編・人員削減など次々にHPの内部改革を断行していった。それまでのコンセンサス重視の意思決定プロセスに慣れていたHPの従業員は大いに戸惑い、一部からは”HP Way”の破壊者であるという強烈な反発も出た。それまでの一般的な”HP Way”の解釈を簡単に言ってしまえば性善説に基づいて従業員をリスペクトしその能力を最高に発揮できる職場環境(Best Places to Work)を提供するということであり 、結果としてHPは不況時にもJob Securityの高い会社であるという暗黙の認識が特に従業員にはあったようである。これに対し彼女は「会社に対しリスペクトするに値する貢献をした従業員に」というリザヴェーションを付けたようである。この時期メディアでもHPから”HP Way”は失われたという記事を目にしたことがある。

しかしモノゴトにはコインのごとく裏もあれば表もある。歴史と哲学を専攻し非常に頭も切れる彼女は、改革のシンボルとしてヒューレットとパッカードのHP創業の原点である”ガレージ”を持ち出した。(パロアルトにある当時パッカードが住んでいた家のガレージからHPは始まった。現在そのガレージはカリフォルニア州の”史跡”に指定されている)

つまり、「創業の精神に立ち帰れ」という従業員からは正面きった反論が出来ない改革キャンペーンを展開した。彼女はこのガレージをその後暫くのあいだ最大限に活用した。HP内部に向かっては”Rules of the Garage”(これは意図的に外部にもリークしていた)という仕事に取り組む際のMindsetを発表した。参照先のサイトからこのルールの部分を以下に引用してみる。

Rules of the Garage

* Believe you can change the world.

* Work quickly, keep the tools unlocked, work whenever.

* Know when to work alone and when to work together.

* Share tools, ideas. Trust your colleagues.

* No politics. No bureaucracy. (These are ridiculous in a garage.)

* The customer defines a job well done.

* Radical ideas are not bad ideas.

* Invent different ways of working.

* Make a contribution every day. If it doesn't contribute, it doesn't leave the garage.

* Believe that together we can do anything.


一見当たり前なことではあるが、ストレートで強烈なスローガンである。

外に向けてはガレージの映像を使いナレーションを彼女自ら吹き込んだTVコマーシャルを流した。HPのロゴからも”Hewlett Packard”の文字を取り去り、代わり”invent”という言葉を付加し新生HPをアピールした。

それまでは、創業期のヒューレットとパッカードの2人は”Engineer”と呼ばれるのが一般的であったが、Fiorinaによって”Inventor”に格上げされた。

>>> The digital Renaissance under the stormy weather

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September 08, 2004

At the end of the digital medieval ages

fiorina.jpg1 + 1 < 2”のエントリでは最近のHP(Hewlett Packard, HPQ)の業績に対するマーケットからの評価(これが全てではないが)に関して取り上げた。頂いたコメントでもお約束したとおり、現在CEOとしてHPを率いるMs.Carly Fiorinaに関するこれまでの足跡を追ってみたい。

スタンフォードでの同窓生であったビル・ヒューレットデイヴ・パッカードがシリコンヴァレーのガレージでHPを創業したのが1939年で、当時の映画”ファンタジア”で使用する音声発振器をウォルト・ディズニー・プロダクションに納入したのが初めてのビジネスであった。その後電子計測器の分野で順調な成長を遂げ、1967年にはコンピュータ・ビジネスに参入した。この頃からコンピュータのハードウェア・ビジネスを手がけ、現在でもその名を残している米国の会社はIBMとHPだけである。

1999年に創業60年を迎えたHPは、マーケット分野、プロダクト及びカスタマのライフ・サイクルの違いからコンピュータと電子計測器の2つの会社に分社することを決定し、コンピュータ製品の会社がHPの名を引き継ぎ、電子計測器製品の会社がAgilent Technologiesという名称になった。簡単に言ってしまえば、2つの巨大ビジネス・ユニットの協議離婚である。

分社前のCEOであるLew Plattは定年を間近に控えていたため、HPのBoardは分社後のHPの新たなCEOの選定を行っていた。これはあくまでもあるビジネス誌による推測であるが、HP内部からは当時Enterprise BusinessのPresidentであったAnn Livermore、外部からは当時Lucent TechnologiesのGlobal Service Provider Business部門のPresidentを務めていたCarly Fiorinaが最終候補になっていたと言われていた。

それまでのHPの60年の歴史で、名称はともかくCEOの役割を務めたのはDave Packard、Bill Hewlett、John Young、(John Doyle)、Lew Plattで全てHP生え抜きの人々であった。当時のHPはLew Plattの努力にも拘わらずLouis GerstnerをCEOとしてナビスコから招いた90年代初頭のIBMと同様な、いわゆる「大企業病」を克服できないでいた。

HPのBoardは最終的に、外部からの人材であるCarly Fiorinaに新生HPを託すことを決定した。当時、FiorinaはAT&TからLucent Technologiesのスピンオフを成功裏に執行したことが評価されて、Fortune's most powerful woman in businessのNo.1に選ばれており、HPのCEOへの就任がDow 30の一社のトップに初めて女性が登用されたとして「見えないガラスの天井を破った」と当時ビジネス誌を中心にメディアでは大きな話題になり、彼女の顔がその表紙を飾ったこともあった。

当時のHPは製品開発から販売までを統括する縦割りの組織が多数存在し、その製品間での横の繋がりに乏しく、極端にな言い方をすると自部門の業績さえあげれば他の部門には殆ど関心を持たないという状況にあった。幅広くHP製品を購入する顧客の場合、同じHPの看板を背負った5人も6人ものセールスの人間が出入りするということもあったようだ。

John Young以下歴代のCEOによって若干の軌道修正が行われていたが、HPという会社は米国の企業としてはかなり特異でカルト的とも言える企業文化”HP Way”を創業以来そのCore Valueとして守り通してきた。

この”HP Way”によって、HPはかつてExcellent Companyと呼ばれていたが、生き馬の目を抜く弱肉強食ともいえるシリコンヴァレーを中心としたハイテク業界において”Boy Scouts at the rampage”などと揶揄されたり、Dow30にリストアップされてからはWall Streetからの厳しい評価にも晒されるようになっていた。

Ms.Fiorinaはこのような状況の会社にCEOとして、一人パラシュートで降り立ったわけである。(但し、殆ど表には出てはこないが彼女をサポートするスタッフは存在するようである。最大のサポータは、AT&TのV.P.を早期退職し”主夫”役を務めている彼女の夫のFrank Fiorina氏であろう。)

>>> Reinvent ~ Vigorous change

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August 29, 2004

1 + 1 < 2

この矛盾した数式擬きは大型ハイテク企業が合併した際の公理となっているようである。

We all follow United !のサイトで ”Stuck in the Middle-フォーカスを失ったHP ”のエントリで現在のHP(Hewlett Packard, HPQ)が直面する問題を取り上げておられる。

参照されたEconomistの”Losing the HP way”の中でも述べられているとおり、2002年にHPはCompaqを吸収合併したわけだが、2003年のRevenueは合併以前の両社のものを足し加えた金額に比べると遙かにBehindしている。未だかつて成功したことがないハイテク企業の大型合併に果敢にチャレンジしたHPであるが、数字の上でもその成果は未だ現れてはいない。

HPはCompaqと合併する以前から競合他社と比較して遙かにブロード・レンジな製品・サービスを提供していた。当時、Revenueで大きく上回っていたIBMよりも余程幅広い製品・サービス群を有していた。勿論これはTest & Measurementで膨大な製品を持つAgilentをスピン・オフした後の状況である。

Carly FiorinaはHPのCEO就任後、「HPとは100の中小企業が寄り集まったような会社だ。各プロダクトにフォーカスするあまりHPというブランドが生かされていない」と語っていた。これは確かに一面では的を射た見解ではあった。当時のHPはプロダクト・ラインを統括するビジネス・ユニットが大きな力を持っており、開発から販売までをコントロールする強固な縦割の組織を社内に林立させていた。他方、時には社内競合をも起こしかねないこの組織形態がHPのモメンタムの大きな原動力となっていたことも事実である。組織の分散と統合は潮の満ち引きのように繰り返すものであるが、当時のHPは分散の極にあったともいえる。

Fiorinaは80以上存在していたこの組織を15までに整理統合し、マーケットに対しては製品・サービスよりもHPブランドをアピールするメッセージを発していた。但し、製品・サービスそのものの削減には殆ど手を付けなかった。Compaqとの合併後も明らかに重複する製品・サービスの統廃合は行ったが、その製品レンジを狭めることは行わずに今日に至っている。

Fiorinaという人は公の場でのスピーチの内容でも解るとおり、HPの将来に関してはとてつもないBig Pictureを構想しており(Compaq買収もそのコンテクストの延長線上にある)、それを実現するためには他に類をみないブロードな製品・サービス群が必須と考えているようである。

而してHPの現状を見ると、プリンタを除くセグメントにおいてそれぞれの強力なコンペチタとの厳しい競合に晒されており、プロフィットには貢献しておらずマーケットからは適切な”選択と集中”が行われていないと見なされている。

HPは数年前からコンサルティング・サービスを将来の収益源とするべく力を注いできたが、PWCの買収に失敗(後にIBMが買収)したことが象徴するように思惑通りの実績が上がっていない。プロフィットという側面からは未だ”インク・カートリッジの会社”(プリンタ自体は殆どプロフィットを生み出さず、インク・カートリッジを販売する為の”箱”という位置づけ)からは脱却できていない。

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August 13, 2004

Casting cloud over the ex-excellent company

一昨年あたりまではコンシューマ・エレクトロニクスの分野では一人勝ちの様相を呈していたSONYであったが、株式市場に”SONY shock”を引き起こした昨年春の決算発表以来マーケット・プレゼンスが冴えない。

昨年はある米国の経済誌で、出井さんは”Worst CEO”に選出されたり、外国人記者クラブでのインタヴュでは「いつ辞めるの?」などと質問されたりして、散々な1年であった。

顧客のライフ・スタイルに影響を与えるような製品を市場に投入し続けてきたことが、これまでのSONYの成長を支える大きな原動力となっていたことは間違いない。予め成功が約束された市場というよりは、先頭に立って新たな市場を切り開くということにSONYの強さの真骨頂があった。

薄型大型TVの需要増加のタイミングの見誤り、記録型DVDのプロダクト・ミックスの不明確さ、iPODに遅れて殆ど新鮮味が見受けられないHDDウォークマンの発表など、やることなすことが殆ど後手に回っているという印象を持たざるを得ない。

マーケティングでよく言われる競合優位を獲得・維持する三要素は、1)Product Leadership(Innovation)、2)Operational Excellence、3)Customer Intimacyと言われているが、SONYというブランドは正に”Product Leadership”によって育成・維持されてきたものである。

いくら優れた企業とはいえ、この三つの要素を高レベルでバランスさせることは至難の技である。

個人的な体験を一般論に敷衍するのはいささか強引とは思うが、SONYという会社はこれまで製品の信頼性や購入後のカスタマ・サーヴィスには新製品開発ほどのリソースを注ぎ込んできたとは思えない。即ち、Customer Intimacyに優れた会社とは言えなかった。(最近はネット上でもやたら「SONY Time」などという芳しくない言葉が目に付く)

ブランドとは企業と顧客との接点(広告、購入、使用、サポート、廃棄など)において、顧客の体験の集積によって形作られるものである。このブランドとは顧客の心理に存在するもので、その企業の中に存在すると考えるのは幻想であり間違いである。従って、ブランドとは顧客の企業に対する信頼感であり、期待感であるとも言える。

昨今のSONYは顧客が持っているブランド・イメージとの乖離を引き起こし、現在の不振も宜なるかなである。むしろ、顧客を囲い込もうとする意図が見え見えの我田引水ともいえる「SONY規格」の製品が目立つ。現代の顧客は羊でもあるまいし、メーカのユーザ囲い込み策などに易々と乗るほど愚かではない。

かつてPS2の発表時に、「ライバルは?」というゲーム機メーカの名を期待していたメディアからの質問に対し、暫く間を置いて「携帯かな?」(携帯電話に使う時間と金をどうPS2に振り向けさせるか?)と久夛良木さんが応えていた。元気が良いときのSONYを象徴する発言であった。

Product Leadershipを取り戻し以前のようなポジションに復帰するのか、あるいは別の戦略に移行するのか(これは、かなり時間がかかる)、現在のSONYは正にBurning Platform(正念場)に立っている。

いづれにせよ言えることは、独りよがりで顧客の想いを蔑ろにした企業は間違いなく衰退する。

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June 28, 2004

The company which does not seek the profit

資本主義の世界で、NPOでない限り株主から出資を受けた企業は利益を追求するのが当たり前のことである。日本の企業では少ないと思うが、米国ではこの当たり前のことをCompany Objectiveに明記している企業もある。

この営利企業の本来の性質ともいえる、利益を追求することを放棄した企業がある。既に、TVやメディアでも取り上げられたことがある広島を本拠地とするメガネ販売チェーン「(株)メガネ21(ツゥーワン)」というユニークな経営理念を持つ会社を同社のサイトの情報から見てみた。

昨今「顧客第一主義」を唱える企業が多いが、この会社は「21は社員の幸福を大切にします。 社員は皆様の信頼を大切にします。」という社是を掲げている。即ち、社員第一、顧客第二主義という意味である。不幸な社員が、顧客を幸せにできるワケがないというのがその言い分で、顧客第一主義を唱えながら実は会社第一主義という本音を持つ企業が顧客を蔑ろにしていることを暗に批判しているようにも感じられる。

さらにこの会社の経営方針は「会社に利益を残さず、お客様に還元する。」となっている。先に述べた利益を追求しないという言い方は不正確で、実際には会社の残すべき利益を顧客に対しては商品の値下げで、社員に対しては報酬で還元してしまおうということである。社長の年収にも上限(1,231万円:配偶者特別控除が受けられる上限)を設けており、その任期も4年としている。

サイト上に質疑応答の形式で公開されている、「21(ツゥーワン)の人事破壊」として紹介されている中で興味をもったのは、


* 一般社員には人事評価はしない。組織内に無用な摩擦を生むとして、成果主義も採用していない。基本給は30歳で昇給はストップ。(眼鏡士の能力は30歳で完成されるので、これを昇給限度としている)

* 職種を一般職、独立・転勤、共同出資、跡継ぎ(眼鏡店の)のコースと分けており、社員の価値観やライフスタイルによってそれを選択できる。

* 昇給が停止する30歳以降により高収入を望む社員に対しては、それまでに貯蓄をし独立するか、経営陣に加わり成果配分を受ける。というモデルを提示している。

* 個人・店舗ごとの売上目標も設定していない。売上ノルマの設定による顧客より上司の要望を優先するという弊害を避けるため。

* 会社は法人だから社員の幸福は考えない。社員の幸福は社員自ら考える。

* 会社のために働く社員は皆無で、社長を筆頭に全社員個人のために働いている。

などなど、興味のある方はこの会社のサイトの質問と回答のページを参照されると良い。

これらのユニークとも思える経営方針は、この会社を創業した経営陣が、同業他社での社内抗争で解雇されたという苦い経験が土台になっているようである。株式会社というよりは、共同組合といった色彩が色濃く出た企業である。

一見、これから先の日本企業が目指す方向性と逆行しているような経営理念を掲げているが、ある意味社員一人一人の自己責任を糾合して成り立つ企業ともいえる。

これを、常識はずれで無謀、地に足が着いたユニークなやり方等々、人それぞれの見解はあると思うが、ふと思い出したのがピーター・ドラッカーが『明日を支配するもの』の巻頭で日本の読者にあてた以下の言葉である。


世界には、もうこれ以上の均質さはいらない。必要なのは多様なモデル、多様な成功、多様な価値観である。


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June 19, 2004

A Prime Minister as CEO

余丁町散人さんのLetter from Yochomachiのエントリ日経:国のかたちの方向性が見えない(自民党独自の世論調査)に触発されて、我が国のリーダである、小泉首相を組織のリーダという観点で、教科書的になって恐縮ではあるが、ビジネス・プラニングというプロセスから点検してみたい。

企業など組織を率いるリーダであるトップ・マネージメントの最も重要な仕事の一つが、その組織のVisionを掲げそれをその組織の中に浸透を図ることである。

Visionとは「その組織の将来のあるべき姿」を指し示すものである。従って、このVisionはその組織を構成する人々からサポートされる必要があり、それを口にしたり、読んだり、思い描いたりするだけで気持ちがワクワクとするようなものでなければならない。

将来このVisionを現実のものとするためには、達成までのマイルストーンとしてのMissionが必要になってくる。このMissionには、何をいつまでに達成するという具体的な文言と、達成基準(出来る限り数値で)が明示されている必要がある。当然、このMissionはVisionと照らし合わせてそれと乖離した内容であってはならない。Missionは定期的に、その進捗状況をレビューし、必要に応じて修正を加える必要がある。但し、この修正は単に達成が不可能であるからという理由で、安易に変更するものではない。

タイムスパンは、Vision > Missionという関係であり、MissionはVision実現のためのタクティカルな役割を果たす。特に、その組織が連続的変化から非連続的変化の時代に直面した場合、このVisionとMissionが非常に重要になる。荒波の航海をどう乗り切るか?その航海を乗り切った先にどこに行き着けるのか?に例えることができる。

当然、トップ・リーダはVisionへ向けての組織の現状を把握し、その情報を組織全体で共有を図ることに注力する必要がある。これなくしては、海図無き航海、現在地の解らないナヴィゲーション・システムになってしまう。

この組織を構成するサブセットとなる組織のリーダ達は、このMissionをどのような方法で達成するのかをStrategyによって規定し、実行プランを策定する。このStrategyには、組織間で矛盾があってはならない。

外部環境要因、コンプライアンスなど他にも考慮すべき事柄があるのだが、こんなところが基本的なビジネス・プラニングの大筋であろう。

小泉首相をこれに当てはめてみると、日本という組織のトップ・リーダとして成すべき役割で決定的に欠けているのが、Visioningである。彼の口から、この国のVisionというべき思い描く将来像を聞いた記憶が全くない。

構造改革・民営化を金科玉条のように唱えているが、これはビジネス・プラニングのプロセスではせいぜいStrategyのレベルであって、Missionにもなっていない。時々、国益という言葉を使うようであるが、Visionなき国益っていったい何ものなのであろうか?

本来、MissionやStrategyはVision無くして出てくるものではない。VisionなきStrategyを振り回すのは、殆ど賭博師の発想と同じである。

従って、現在の小泉首相が政治の世界でやっていることは、企業に例えればせいぜい事業部長レベルの仕事・発想である。まともなStakeholderを持った企業であれば、株主総会という場でこのようなトップの資質に欠けるCEOは解任されるはずである。

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May 12, 2004

The more things change, the more they stay the same ~ No.2

<<< The more things change, the more they stay the same ~ No.1

かつて置き薬の売薬業は富山の専売特許というわけではなかったが、『越中富山の薬売り』といういわば全国ブランドを確立したのにはそれなりの理由がある。

確かに、富山には平安時代のころから、立山山岳信仰の布教活動の一環として芦峅寺あたりの修験者が全国に薬を売り歩いていたという下地はあったようではある。しかし、富山の売薬業は自然発生的に生まれて発展を遂げたものではない。

富山藩は加賀百万石前田家の分家であり、二代目藩主前田正甫の時代に慢性的な藩の財政難から脱却するための官・民合同プロジェクトとして企画されたのが富山の売薬の起源と言われている。

ビジネスを成功させるためには、基本的な要素としての『技術』、『プロセス』、『人』をバランスよく活用する必要がある。この時の富山藩にはこの成功の要素を牽引するリーダーが揃っていた。

富山の代表的な薬として有名なのが『反魂丹』であるが、かねてよりかなりの薬ヲタクであった前田正甫は、この足利将軍家の持薬の効能を熟知した万代常閑という医師を岡山から招聘した。この『反魂丹』の製薬に尽力したのが経営者としての才も高かった薬種商・松井屋源右衛門である。

一方、藩主前田正甫は江戸出府の際に『反魂丹』の他藩の大名の間での評判を利用して、越中の売薬人が他国領内でも商いを可能とする『他領商売勝手』というトップダウンの政策を確立した。

売薬の営業のリーダー役を担ったのが八重崎屋源六という行商人であり、彼は厳選した人材を諸国への売薬行商人として割り当てた。

この時点で、『先用後利』と詳細な顧客情報を記載した『懸場帳』というビジネスモデルは確立された。彼らは、『懸場帳』によって『顧客』を『個客』に変えたのである。

その後、他の追随を許さない『越中富山の薬売り』というブランド価値を高めたのは、販売を担った行商人たちの勤勉で顧客志向に基づいた営業努力の賜物である。

彼らの誠実な営業活動は、顧客からの絶大な信用を勝ち取り『売薬さん』と呼ばれ、非常にリスペクトされた職業であった。『懸場帳』は後継者のいない売薬人にとっては、充分な退職金になるほどの高額で取引された。言わば個人情報の売買であるが、それが問題にならなかったのは単に時代の違いだけではなく、彼らの信用力の故であろう。

現在に比べ、一般庶民は移動の自由も制限されていた時代に、各地を巡回する売薬さんは各地で見聞きしたことを伝えるという文化・情報の伝達の役割も担うようになっていった。僻地においては、明治維新を売薬さんから初めて聞いたという人間もいたらしい。

話だけではまだ足りないと考えた売薬さんは、自ら歌舞音曲の芸を身につけて訪問した際に顧客をエンターテインしたそうである。江戸時代後期からは、当時の文化の中心地であった京都・江戸・大坂などの風俗・風景を描いた『売薬版画』をおみやげとして、顧客に配り大いに喜ばれた。後年は、その名残として紙風船を子供へのおみやげとして配っていた。

明治維新以降、この売薬による蓄えは富山県の産業資本として大いに役立つことになる。

このように、『越中富山の薬売り』のシステムやそれを支えた売薬人のスピリットはEコマースの世界でも充分通用する、あるいは現在でも実現できていない、単なる"meet a person's expectations"を超えた"more than expected"な徹底した顧客中心主義に貫かれている。

何事にも、この『オマケ精神』が重要であることを忘れてはいけない!

尚、タイトルの"The more things change, the more they stay the same"とは「変われば変わるほど、かえって変わらないもの」の意。

P.S.
予てから不自然に感じていたので、コメントの新旧の並びの順序を逆にしました。


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May 11, 2004

The more things change, the more they stay the same ~ No.1

本日は我が国オリジナルのマーケティング手法の話題。

A blogger at the end of Edoで幕末期の情報を扱うプロフェッショナル、いわば元祖bloggerとも言える藤岡屋由蔵をご紹介した。大坂堂島の米市場での先物取引や為替制度、越後屋の『現銀掛け値なし』の正札商売など、現在の世界で通用している商取引の仕組みが我が国で生み出された。

経済が右肩上がりの時代は過去のものとなり、マス・マーケティングが機能しづらくなってから、盛んに持て囃されたのが『顧客中心主義』というコンセプトであろう。これを実際に企業への導入を図るために、いろいろなマーケティング・プログラムやセミナー/トレーニング、コンサルティング等が1990年代後半に開発された。

ここでは、マーケティングの世界では比較的有名で、以前若干関わりを持ったことがある、Don Peppersの『One to One Enterprise』の中で取り上げられている、日本に古くからあるユニークなビジネス・モデル『Toyama no Kusuriuri』をご紹介する。

その昔、殆どの家庭にあった『置き薬』のことである。『One to One』で注目したのは、売薬人が予め必要と思われる薬を各家庭に置いておき、その後定期的に巡回し使った薬の代金を回収し補充していくという『先用後利』(先に使って、後から払う)とそれを管理する顧客台帳と言うべきデータベース『懸場帳』(『One to One』では『Daifukucho』と紹介していたが)のことである。

このシステムが1750年頃から続いているカスタマ・リレーションシップ/カスタマ・ロイヤリティのモデルとして紹介されていた。置き薬や富山の薬売りのことを以前から知ってはいたが、この『One to One』で紹介されるまでは恥ずかしながらカスタマ・リレーションシップというところまでは思い及ばなかった。

確かに、あの時代に山間僻地で急な病を治すために薬を入手することは容易ではないし、薬そのものも現在に比べれば遙かに高価なものであったはずで、このシステムで顧客は大いに重宝したに違いない。

ワークショップでのケース・スタディで話題としての厚みを持たせるために調べてみて分かったことだが、富山の売薬というシステムは単に『One to One』で紹介されているビジネスモデルだけではなかった。

The more things change, the more they stay the same ~ No.2 >>>

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February 22, 2004

バッテリーパック購入騒動記

何を今更、PHS?の後日譚。
まさか、続きを書くことになるとは、思わなかった。他に未だ宿題が一つ残っているというのに・・・。

結局、店主の電話環境への少々強引なこだわりのため機種変更できず、バッテリーパックをTVCMソングでもお馴染みの新宿西口の某量販店に発注した。一昨日、「ご注文の品、入荷しました。」との連絡をもらい、昨日新宿方面へ出かける用事があったので、そのついでに立ち寄ってバッテリーパックをピックアップすることにした。これが一筋縄ではいかなかった。

以下にその経過をかい摘んで、

1. 携帯電話カウンターへ注文品を取りに来た旨を伝えると、対応してくれたおネェ~チャンが、「少々、お待ちください」と奥に消える。

(カウンターの前で、ぼぉ~と10分ほど待つ)

2.おネェ~チャン戻ってくる。「申し訳ありません、品物が見当たらないので、ポイントカードお持ちでしたら、拝借できますか?」
(ははぁ~ん、見つからないので、会員番号で検索かけるのかな?)
カードを持って再び奥に消える。

(待つこと、さらに約15分。カウンター前のDocomoの携帯電話を手に取りながら眺める。でも、買う気などサラサラないので気は上の空、全く興味沸かず)

3.件のおネェ~チャン、再び現れる。「入荷は確認出来ましたが、手違いでパソコン・コーナーに紛れ込んでいるので、取ってまいります」と、またまた人混みの中へ。

(隣の、auのコーナーを徘徊。au Design Projectと銘打った新機種の実物を初めて見る。W11K、雰囲気がまるで合体メカ。あの世代にはKiller Designかも・・・。とかなんとかで更に15分)

4.おネェ~チャン、再々々(か?)登場。「申し訳ありません。品物が未だ見つかりません。誰が連絡をしたでしょうか?(名前なんて、覚えてねぇ~よ) これ以上お待たせしても(もう、充分お待ちしている)、ご迷惑をおかけします(40分以上も待って、迷惑で腹一杯だ)ので、郵送させていただけませんでしょうか?」だと。しょうがないので、送ってもらうことに。

でも、これだけでは終わらなかった!

5.諦めて、次の用事を済まそうと改札口の当たりを歩いているとPHSが振動。男の声で「ご注文品、見つかりました。デジカメ・コーナーに紛れていました」だと。取りに来るか、送るか?と問われるが、バッテリーのヘタリがかなりヤバイ状況なので、引き返してピックアップしてきた。

これが顛末の一部始終。

話しは変わるが、店主は以前「Customer Advocacy」に係わる仕事を数年間していたことがある。一般的に馴染みのない言葉だと思うが、比較的近いのが「顧客満足度向上」という言葉である。両者の目的とするところに殆ど違いはないのであるが、「Customer Advocacy」の場合、目標がより高いところに置かれている。

つまり顧客満足の結果、リピーターになってもらうことは当たり前で、最終的に顧客にその企業・会社を「好き」になってもらい、その製品やサービスを他人にも勧めてもらう、ということを目標としており、これをブランド確立戦略の大きな柱としている、ということである。

店主は、この分野では一応プロのつもりでいる。(でも、現在ではセミプロ・レベル程度かも?)

従って、このセミプロ魂がそのまま帰ることを許さず、カウンターのマネージャに手短に教育的指導を行ってきた。

1.先ず、商品管理をしっかりすること。
2.顧客の資源を大事にすること。(時間)
3.顧客のために、一生懸命になることは良いが(商品を探す)、
顧客の状況に想いを巡らし、臨機応変に行動すべきである。
4.具体的には、代替案(郵送)の提案はもっと早めにすべきである。
5.CRMなんて導入しても、顧客への情熱が無いとなんの役にも立たない。

出来る限り、あの時の殆どブチ切れそうな気持ちを抑えたつもりだが・・・。

残ってる宿題、早く片づけなくっちゃ!

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February 17, 2004

大丈夫か?日本の銀行

昨日、ATMでは出来ない振り込みをする必要があり、午後時間を作って銀行の窓口に出向いた。場所は、4大メガバンクの1行のある支店である。

自動発券の番号を取ったところ、15人以上待っているようだった。しかし、4つある入出金・振り込みの窓口のうち、2つの窓口でしか業務が行われていない。すなわち、2つの窓口には人がいないのである。

順番待ちが長くなっている原因は、来客が多いからではなく、対応する人間が少ないことであるのは明らかである。リストラの進行が徹底し行内に他に人がいないのか?というと、全くそんなことはなかった。

窓口の後ろでは、それなりの数の人間が働いていたのである。ただ、来客をほったらかしにしているほど忙しそうにも見受けられなかった。以前もこの様な光景を何度も目にしたことがある。順番を待っている客は皆、羊のように大人しかったが、なんかヘンである。

窓口に出てこない行員たちは、きっと社内の業務規定・職務分担に従って、彼らなりのプライオリティで仕事をしているのであろう。しかし、顧客からの視線が届く場所で、混雑した状況を無視するが如く平然と仕事をしている、という神経が全く理解できない。

不良債権問題、合併に伴うリストラなどなど、銀行を取り巻く環境は厳しいと言われて久しいが、顧客の不便を平然と黙視しているような社員を抱えている限り、いくらトップが顧客重視などと叫んでもその体質は容易には変わらないであろう。

本当に大丈夫か?日本の銀行。

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