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April 30, 2005

An ailing society ~ They can't see the wood for the trees

4月25日の福知山線の列車事故が起きてから丸5日が過ぎた。この惨事は運転士が定められたスピードを大幅にオーヴァーしてカーヴに進入し、急ブレーキを掛けたことで転覆脱線したことが原因のようである。

100余名の人々の人生を断ち切り、400名を遙かに上る負傷者を出したなんともやりきれない痛ましい「事件」であった。昨日のNHKの特集番組で1両目、2両目に乗り合わせて助かった人達のインタヴュが放映されていた。事故直後の阿鼻叫喚ともいえる悲惨な状況を語る人々の表情がなんとも痛々しかった。

この「事件」の直接的原因は先に述べたように人為的なミスであろうが、時として起こりうる人間の間違いをカヴァーする列車運行システムを採用せず、運輸業の決して譲ってはいけないコア・ヴァリューともいうべき「安全」よりも時間に正確な運行を優先し、時代錯誤も甚だしい労務管理を行っていたJR西日本を非難する声が上がっているのは当然である。

実際に主要な新聞の社説を読んでみると、ほぼ同様な論調のようである。

脱線事故 運転士が背負う重荷(朝日新聞、社説。4/30)

[尼崎脱線事故]「ダイヤ優先主義が惨事を招いた」 (読売新聞、社説。4/29)

福知山線事故 徹底究明と安全の総点検を(毎日新聞、社説。4/26)

惨事は安全最優先を忘れて起きた(日本経済新聞、社説。4/26)

大惨事脱線事故 疑念はふくらむばかりだ(産経新聞、主張。4/27)

この「事件」に対するJR西日本の責任は重大であることは確かである。しかし、その体質を含めてJR西日本を非難し根本的な改善を迫ることで今後このような悲劇は防げるのであろうか?

個人的には「否」であると考えている。牽強付会と思われる方もいるではあろうが、この事件の遠因は現在の日本の社会のあり様そのものであるとしか思えない。

近畿圏に在住したことがないのでその生活実感は解らないが、京阪神では「電車」といえば阪急電鉄を指すらしい。国鉄分割民営化後に誕生したJR西日本はこの阪急をはじめとした私鉄との競合優位を確保するために、かつては一ローカル線であった福知山線を利用して大阪都心部に乗り入れる今回の快速列車を開発したと聞いている。JR西日本が安全より時間に正確な運行に神経を尖らしていたのもこのコンテキストの延長線にあるとことは間違いない。

世界一安全で正確だと信じてきた我が国の鉄道システムは実は個人的な技量に委ねられていたものであったことが図らずも今回の事件で露わになった。確かに、わずか1分の遅れで乗り継ぎが出来なかったことによって被る経済的損失を累積すればかなりの金額になることも事実らしい。そして、自分自身や今回不幸にもあの電車に乗り合わせておられた乗客の方々も含めて日本の社会全体が「正確な運行時間」が大量輸送機関が提供する最重要な顧客サーヴィスであるという考えを共有していたのではないだろうか?

安全第一が使命ともいえる鉄道経営とはいえ、経済性を度外視したfail-safe systemの導入は不可能であろうし、もし可能だとしてもそれを全て運賃に反映させることは利用者は簡単には容認しないであろう。このような我々および社会のpunctualityに対する信仰に近いdemandがある限り残念ながら今後もこのような悲劇を避けることは難しいように思われる。

それとも、先のイラク戦争での米軍の戦死者のように、目的を達成(効率的な社会の運営)するためには、ある程度の犠牲は仕方がないことだという社会的な暗黙のコンセンサスでもあるのだろうか?

新聞が社会の木鐸(殆ど死語?)を自認しているなら、せめて一紙くらいはこの問題に言及して欲しかった。

ワタシが目にした記事の中でこの点に触れていたのは、我が国のメディアではなくN.Y.Timesだけであった。

Japan Crash, Time Obsession May Be Culprit(N.Y.Times, April 27, 2005)

"Japanese believe that if they board a train, they'll arrive on time," said Yasuyuki Sawada, a 49-year-old railway worker, who had come to look at the crash site. "There is no flexibility in our society; people are not flexible, either."

Mr. Sawada was one of many people who came to stand and watch behind the yellow police line here, and who saw deeper problems hidden in the accident.

"If you go abroad, you find that trains don't necessarily arrive on time," Mr. Sawada said. "This disaster was produced by Japanese civilization and Japanese people."


The pressure to stay on schedule is so great, conductors apologize profusely even over a one-minute delay. In the United States and Europe, "late" often means a delay of six minutes or more.

"No question about it - there is no other rail system more punctual than Japan's," said Shigeru Haga, a professor of transportation and industrial psychology at Rikkyo University in Tokyo. "It's No. 1 in the world for its punctuality and safety.

"I personally think Japanese should relax more and think that two- to three-minute delays are no trouble. But you see people rushing up and down the station stairs to catch a train even if there's another one coming in two minutes."


"The Japanese people are responsible for this accident, too," said Toshinami Habe, 67, a chief of sales at a company here in Amagasaki. "This is a society of free competition; there's no flexibility. That's why with even a one-and-a-half-minute delay, he had to try to make up the time."


最後に、今回負傷された方々の一日も早い回復と犠牲になられた方々のご冥福を祈るばかりである。


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April 26, 2005

Sweet & Bitter Memories

深夜、何か飲み物を求めてコンビニに入る。普段飲んでいるお茶系のペットボトルの棚に向かう途中、やはり普段は無視して通り過ぎるコーヒー系飲料の棚の前でハタと足が止まった。

cool_struttin_なんやら見覚えのある「衣装」を身にまとったカフェ・ラテが・・・。思わず手にとってしげしげと眺めれば、”Off Beat Cafe”と銘打ったBlue Note Recordsとのコラボレーション企画の製品だとか。更新停滞気味のblogのネタを意識したワケでもないのだが、”Cool Struttin'”ヴァージョンのカフェ・ラテを衝動買い(というほど大袈裟なモノでもないが)。

その店には他にフレディー・ハバードの”Open Sesami”があったが、他にもクリフォード・ブラウンの”Memorial”とハンク・モブレーの”Soul Station”があるらしい。実際にこのカフェ・ラテ飲んでみたが、CoolでもOff Beatでもなかったが・・・。

この”Cool Struttin'"にも当て嵌まることだが、ことジャズに関する限り名ジャケットに駄演なしという伝説がある。

当時のイースト・コーストのモダン・ジャズの定番ともいえる名盤がテンコ盛り状態なのがこのBlue Noteの1500番台と4000番台の録音である。とはいうものの、録音年代に幅があることも原因してか、いわゆる当時のメインストリームのハード・バップ一辺倒の演奏ばかりではない。

ジャズ・ロック(死語)の先駈けとなった元天才少年リー・モーガンの”The Sidewinder”、ソウル・ジャズ(これも死語?)のルー・ドナルドソンの”Alligator Bogaloo”、ハード・バップの持つ一種泥臭さから脱却を図ったホレス・シルヴァーの”The Stylings of Silver”、ラテン・ジャズともいえるサブー・マルティネスの”Palo Congo”、当時の前衛派の旗手エリック・ドルフィーの”Out to Lunch”、不思議なムードを醸し出す先の2月8日な亡くなったオルガン・ジャスのジミー・スミスの”House Party”、フリー・ジャズ・ピアニストであるセシル・テイラーの”Conquistador”、ハード・バップ以外の演奏もこうっやて拾い上げだしたらキリがない。

Blue Noteを聴きまくっていたのが、高校生の時代であった。当時はレコード(CDではない!)のレンタル・ショップなどは存在せず、聴いてみたいものがあれば、自分で買う、友達から借りる、ジャズ喫茶に行く位しか方法はなかった。学校帰りに渋谷のヤマハでレコード漁り(必ずしも買うワケではない)したことを想い出す。レコードの貸し借りをしていたジャズ友達だった級友に学校帰り百軒店に何軒かあったジャズ喫茶(現在は絶滅したと思われる)に連れて行かれた時の、オトナの世界に首を突っ込んで何げにIllegalな雰囲気(所謂「不良」)と交わりを持ったような不思議な感覚は今でも鮮やかな記憶として残っている。

当時のBlue Noteの録音で最もよく聴いたのが、ハービー・ハンコック(P)とボビー・ハッチャーソン(vib)のアルバムであった。これは件の友人の薦めによるもので、ハード・バップ定番のコード進行から解放されたモード・ジャズ(マイルス・デイヴィスが起源と思われる)は誰が名付けたのは知らないが「新主流派」と呼ばれ一部の筋では持て囃されたものであり、その清新な息吹を感じさせるパフォーマンスに見事填ってしまった。(e.g. ”Maiden Voyage ”、”Empyrean Isles”、”Speak Like a Child ”、”My Point of View ”、”Happenings”、”Stick-Up!”、”Components”、・・・)

昼休みには学校の図書館でリクエストしたマーラーやブルックナーのシンフォニーを聴き、学校帰りにはゲームセンタのピンボール・マシンで遊んだりジャズ喫茶に通うというカルチャ的に分裂症気味な高校生活を送っていた一時期もあった。(現在はマーラーはともかく、「ぶ」の字はもう沢山・・・)

久しぶりに、渋めなシンプル・トーンを聴かせるソニー・クラークのリーダ・アルバムである件のLPをThorens TD-520とSME 3012R&Shure V15TypeⅣで聴いたことは言うまでもない。




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April 18, 2005

Wind in her hair

昨日の皐月賞、スタートで躓いたものの4コーナで調教師・オーナともに勝利を確信したというディープインパクトが他馬を圧倒する強さを見せつけて先ずはクラシック一冠を制した。夏をどう越すかということがあるので菊花賞は未だ何とも言えないが、東京優駿(ダービー)はこの馬で決まりという印象を強く持った。無敗の三冠馬誕生への夢が膨らむ。

昨年の皐月賞では同じ(株)図研CEOである金子真人オーナ所有・池江泰郎調教師の期待されていたディープインパクトの全兄のブラックタイド(コスモバルクの2番人気)は16着と惨敗し、やはり鞍上にあった武豊も今年は期するモノがあったと思われる。

ディープインパクトの父で今は亡きサンデーサイレンス産駒の活躍は未だに続いていおり、既に成績を残しているがBroodmare Sire(母の父)としての存在感も今後ますます増していくであろう。

ただ、個人的により注目しているのはディープインパクトとブラックタイドの母であるウインドインハーヘア(Wind in her hair)である。1991年にアイルランドに生まれた彼女の競争成績は通算3勝(1995年のドイツGIであるAral-Pokalの優勝を含む)ではあるが、1994年の英オークスでの女傑Balanchineに続く2着は注目に値する。

ブラックタイドと全弟である皐月賞馬のディープインパクトの活躍はご存じの通りであるが、彼らの半姉であるレディブロンドは2003年に5歳未出走から3ヶ月強の間に全て6ハロンのレースで6戦5勝という驚異的な成績を上げたことは競馬ファンの間には記憶に新しい。(引退レースとなったGIスプリンターズステークスでデュランダルの4着)

現時点でもウインドインハーヘアは繁殖牝馬として「名牝」と呼ばれるに相応しい実績を残しているが、彼女には英ダービー馬(Sir Ivor、Crepello)、ジャックマルロワ賞馬(Lyphard)、仏オークス馬(Highclere)、キングジョージⅥ & クイーンエリザベス・ダイヤモンド・ステークス馬(Vimy)らの名馬の血が流れていること考えると、今後更なる優秀な産駒を輩出することが期待できそうである。

ブラックタイドとディープインパクトの全弟であるウインドインハーヘア03(オンファイア)はサンデーサラブレッドクラブの所有(総額1億5000万で1口375万であるが既に満口。藤沢厩舎)でやはり活躍が期待されている。

ところで、昨日の皐月賞は結果「映画馬券」となったワケで、個人的には当初は2着のシックスセンスも「ヒモ」候補にしていたのであるが、CXに出演されているホースニュース社「馬」の広報部長である某氏の予想でこの馬名が出たとたん(当然のように)に切ってしまった・・・。

見なけりゃ良かった「スーパー競馬」!(こういうのを「後の祭り」、「後悔先に立たず」という)





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April 12, 2005

Worldly desires

今回はカメラのお話。

物心ついた頃(といっても10台前半?)から写真を撮ることには人並みの興味を抱き、やはりごく普通の人並みなカメラ遍歴をしてきたつもりである。しかし、写真が趣味ですと他人に誇れるほどの情熱や腕前も持ち合わせていないことも紛れもない事実。

現在使うことが出来るカメラとして所有してるのは、Nikon F2、ミノルタ α7000という今となっては過去の遺物のような銀塩フィルム(いつからこんな呼び方をするようになったのだか?)の一眼レフとNikon CoolPix950というこれまた少々時代遅れなダサ大きいデジタルカメラである。(あっ、PDAのClieにもカメラ機能が付いている)

動くモノを撮ろうとすると、撮りたい時に撮れない(必ず一拍以上のタイムラグがある)という大きな不満を抱えつつも、普段はだましだましこのCoolPixを使い続けてきた。しかし、先の母校の甲子園の出場に際しては、撮りたい被写体の性質上(遠くで動くモノ)CoolPixでは使い物にならないと判断して、久々に望遠レンズを付けてα7000を持ち出した。

結果、一応それなりの写真は撮れたのだが、フィルム交換や現像など実際にやってみるとデジタルカメラに慣らされてしまった身にはやはり少々面倒くさいものがあった。気軽にバシャバシャと撮れないのが一番の難点かな?

CoolPixの物足りなさと相まってか、レンズ交換ができるデジタルカメラへの「物欲」が鬱勃と沸いてきた今日この頃である。しかし、このカテゴリは文字通りのプロフェッショナル仕様から子育て中のママが気軽に使えるモノまで機能・価格ともにダイナミックレンジは異様に広い。

他人様に差し上げる以外には積極的に印刷するつもりもないし、ましてやA4版へのプリントなど全く考えていないので大きな画素数などメモリを食うだけでちっとも魅力を感じないのだがプロ向けの製品となると仕方がないことなのかもしれない。

自分の腕前を考えると「子育てママ」ターゲットの製品でも充分な気もするのだが、まだまだ発展途上の製品のためか「フルオート」といってもメーカによってその機能もかなり違うようである。従って、これから暫くは悩ましい日々が続くのかもしれない。(この「物欲」を封じ込めるのが一番の解決策であることは間違いないのだが・・・)

もし、本エントリをご覧になった方でこの手のデジタル一眼レフを使用されている方がおられればコメントを(但し、プロ仕様のものはご勘弁を)頂ければ幸いである。


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April 10, 2005

Le Temps des cerises

当初は暖冬と言われていたのだが、2月の寒さが影響してか例年より遅れ気味だが桜前線は順調に北上中の今日この頃。東京の桜はほぼ満開。

(本エントリの写真はクリックして頂ければ、大きなものがポップアップします)

mikurumagaeshi昨日(4/9)は、本来4/2に予定していた(母校野球部の甲子園でのさらなる躍進を信じて延期されたのだが、開花時期という意味では大正解であった)大学同期で企画された上野での花見に参加した。花見といっても、桜の木の下で車座になって飲み食いする花より団子の例のヤツではなく、地元のガイド役をかってくれたK君の名解説で上野にある桜の銘木を探訪するという本当の意味での「花見」であった。

yaebenishidare上野公園内の雑踏を避け、輪王寺の「ミクルマガエシ」、「ヤエベニシダレ」を鑑賞したあと、入場料(¥420)を払っても見る価値があるというK君の薦めに従って、今の時期一般解放されている国立博物館の庭園を散策し「ミカドヨシノ」、「ショウフクジジザクラ」、「エドヒガンシダレザクラ」、「オオシマザクラ」を観て廻った。クローン桜であるソメイヨシノはオオシマザクラの花型とエドヒガンの花色を受け継いでいることを確認できた。

shoufujijizakura不忍池の桜のトンネル(あの雑踏がなければ素晴らしいのだが)を抜けて、同行のY君ご夫妻に用意して頂いた場所(勿論、屋根のあるトコロ)で宴会。例年はカラオケに突入するらしいのだが、今回は誰もマイクを握る人がおらず会話を楽しんだ。参加者はOBが殆どだったためか、話題の中心は自然と塾高の甲子園での活躍に。


naraya_gennkannaraya_zennkei数年前までは、東京の桜の満開から遅れること10日くらいに箱根は宮ノ下での花見を楽しんでいたのだが、その際投宿していた「奈良屋」が廃業してしまったのでこのところすっかり足が遠のいている。この300年以上続いたといわる参勤交代の本陣であった「奈良屋」は由緒正しき日本旅館そのものという存在であった。当時90歳を超えていた今は亡き名物女将の優雅ともいえる客あしらいと30~40年ほどタイムスリップしたような佇まいが想い出される。

naraya_furuidonaraya_sakura文化財の指定を受けていた木造建築は古いとはいえ良く手入れが行き届き、あのような居心地の良い非日常的空間を失ったことは愛惜に耐えないものがある。あるリゾート会社に土地を買収されたと聞いているが、あの広大な庭園の見事な桜や建物の現在を見るのが忍びなくその後宮ノ下には足を踏み入れていない。

話は変わるが、我が国で桜といえば当然「花」であるが、西欧では「実(サクランボ)」ということになっているようである。タイトルの”Le Temps des cerises”は「サクランボの実る頃」という邦題を持つベルエポック期から現在まで歌い継がれているシャンソンの名曲である。(宮崎駿作品「紅の豚」で加藤登紀子が歌っていた、あの曲である)

この歌は、微かな哀愁漂う恋の歌という風情を感じさせるが、実は1871年のパリ市議会と当時のフランス国民議会政府との争い(一般的にはパリ・コミューンと言われている)で、最終的には政府軍に制圧された側の人々によって創られ歌われた曲である。

パリ・コミューンは世界で初めて労働者階級が樹立した革命政権であると解説されることが多いが、これは間違いで、この時のパリ市議会は市民により民主的に選ばれたものであり、「革命」によって成立したものではない。

この名曲は様々な名歌手によって歌われているが、個人的な好みではコラ・ヴォーケルとナナ・ムスクーリがお勧め。特にムスクーリのバックを務めるジ・アテニアンズの間奏は秀逸である。



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April 05, 2005

After the constant struggle @ Teatro alla Scala

scalaイタリアの指揮者リッカルド・ムーティは1986年から20年の長きに亘って務めてきたミラノ・スカラ座の音楽総監督を辞任した。クラシック音楽界、特にオペラの世界ではありがちなニュースであるが、今回もその典型的な一つの事件であったようだ。

ムーティとラ・スカラ側との不協和音は以前から漏れ聞こえていた。メディアの伝えるところによれば、彼が取り上げるポピュラリティの低いオペラに対し異議を唱えていた前総裁のカルロ・フォンターナの解任が引き金となり、この前総裁に与する劇場の労働組合のストや音楽総監督解任決議が出されるにいたって、ムーティは辞任を決意した模様。

「南」のナポリ出身の現在63歳のマエストロは若手と呼ばれていた頃からその強面の風貌も手伝ってか、「ヲレサマ」ぶりはつとに有名であった。先人トスカニーニ達の巨匠の時代なら指揮者としてはごく普通な資質であったが、ムーティはこの現代においては珍しい独裁的な指揮者であるといえよう。政治とは違い、芸術はデモクラシィが必ずしも信奉される世界ではない。民主的手続によってその芸術が質的に高められる保証などどこにもないからである。

イタリア音楽界の南北対立にも模せられた、「北」はミラノの名門音楽家一族出身のクラウディオ・アバードとのライヴァル関係も、ムーティがアバードのラ・スカラ音楽総監督辞任後その地位を襲ったことで一段落付いた格好になったのだが、それから20年を経た現在その経緯は別にして彼もその地位を追われるという結果となった。もし、後任としてリッカルド・シャイーにでも白羽の矢が立てば、正に「因果は巡る風車」。(アバードはシャイーの師匠にあたる)

ムーティは一般的に信じられているようなナポリタンの特徴といわれる明るく、いい加減かつノーテンキな気質は全くといって持ち合わせていないようで、私生活も殆ど公に晒すこともなくごく親しい友人としか付き合いを持たない人だそうである。しかし、これほど笑顔が似合わない音楽家も現代では珍しい。(ストライプのダブルブレスト・スーツなんぞに身を包み、あの顔で笑われた日には、そのあとには何か良からぬことが起こるのでは?と、つい想像してしまう・・・)

確かにここ何年かのラ・スカラのシーズンのオープニングでこのマエストロが取り上げた演目はワタシならずとも「!?」という感がありありで、イタリア・オペラ殿堂での一番の「ハレ」の舞台には如何なモノかという気もしていたし、ファースト・ネイムの”リッカルド”は”リヒャルト”と呼んだ方が相応しい、などど下らぬことを思ったりもしていた。

音楽家、指揮者として全く問題にすべきではない彼の資質について書き連ねてきたのだが、そのカリスマ性の所以からかイタリア・オペラにおいては彼は多数の信奉者をイタリアはもとより全世界に持っている。ただ、ワタシとこのマエストロの創る音楽とは非常に相性が悪いようで、巷間言われているような「イタリア・オペラの現代の巨匠」という評価には簡単に首肯できないものを感じていたのも事実である。

確かに彼の音楽には強烈なカンタービレや「歌」、緊張と弛緩など、イタリア・オペラに必要不可欠な要素に満ちていることを認めるに吝かではない。だが、しかし、彼の音楽の「呼吸」とワタシの期待するモノが合致しない。正に「息」が合わないので、彼のオペラを聴くと(特にこちらが慣れ親しんだ演目の場合)非常に疲れてしまう。恐らく、ムーティという人は原典に対して非常に厳格な人だというから、間違いなく彼の音楽創りの方がが正しいのであろうが、当方としては今更それにすり寄るつもりもサラサラにない。

ラ・スカラのシェフを辞任したところで、このマエストロは世界中で引く手あまたであろうから、いずれそれなりのポジションに就くことは間違いと思うが、それがオペラ・ハウスなのかオーケストラなのかは注目に値する。

尚、Pro Mutiな方、今回の辞任に至る経緯を詳しく知りたい方は、こちらのサイト(南イタリアの申し子~リッカルド・ムーティ)をご覧になることをお勧めする。



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April 02, 2005

The KEIO boys just broke thier great journey with "Enjoy Baseball"

4月1日、ベスト4をかけて準々決勝の対神戸国際大学付属高校戦(私立の付属校対決などという向きもあるかと思うが、塾高慶應義塾大学の「付属」校ではない)。同期のY君(1回戦では奥方とご一緒させて頂いた)と東京駅17番ホームで落ち合い、6時46分発のぞみ203で甲子園目指して出発した。朝早かったので、何も口に入れていなかったのだがご親切にもYくんが持参された朝食をわけていただき人心地が付く(Y君、ゴメンナサイ。半分も頂いちゃいました。)

たまたま名古屋に滞在されていた、女性の同期NさんとTさんも合流し、(当然ではあるがお二方とも女性であるから塾高の卒業生ではない。こういう方々の存在があの大応援団の一部を担っているのである)既にお馴染みの阪神電車で甲子園へ向かう。途中、楽器を持っている塾生(塾高OBの大学生@金子ゼミ)と電車の中で立ち話をした。ブラスバンドの助っ人で行くとのこと。「学生服、着なくていいの?」と尋ねると「後輩に貸したまま、戻ってこないので黒い色の服でOKなんです」とのこと。学生として忙しい時期に、ご苦労さまである。彼、今風のなかなかのイケメン・ボーイで、「集合時間があるのでお先に失礼します」と立ち去ったあと、思わず同行のNさんは「可愛い坊や!・・・」と呟く。

甲子園駅の改札を出る頃に2回戦のとき隣で応援していた独り言爆裂の後輩K君から携帯に連絡が入る。

K君:「おはようございます。いまどこですか?」
ワタシ:「甲子園に決まってるだろが!」
K君:「え”!今日も応援に来たんですか?」
ワタシ:「あのねぇ、仕事なんてやってる場合じゃない!早く来い!」
K君:「今日、出張なんで・・・、どうしよう・・・、(ウジウジウジ・・・)」
   「又、電話していいですか?」
ワタシ:「とにかく、早く来るように!」

本日の応援アルプススタンドは六大学野球の神宮では慶早戦の指定席の3塁側である。Y君が現地で待ち合わせしていたT君と合流し応援席に入場したのだが、既にかなりの席は埋められており限りなく外野に近い場所に席を確保した。地元である神戸国際大付属の応援席よりも塾高側の人数が勝っており、これは最後まで変わらなかった。

神戸国際が先攻、塾高の後攻で試合が始まる。1回の表・裏の攻防がこの試合の全てであった。。中林は疲労が出ていたのか、球のキレもなく本来の投球コントロールが出来ず、その立ち上がりが神戸国際の強力打線の格好の餌食となってしまった。途中、中林のあとに控える忠元、福山も登板機会があったが神戸打線を抑えることはできず、結果、15対1で大敗。件の後輩K君は途中から参加し、やはり途中で東京出張のため伊丹に向かった。

実際にプレイした塾高選手諸君はさぞや口惜しかったと想うが、応援席には不思議なほどデスペレートな雰囲気は全くといっていいほど感じられず、9回裏の最後はエンドレス「若き血」で盛り上がった。

上田監督は勿論のこと、コーチ諸君そして選手達自らが、全国大会でのトーナメントを勝ち上がるためにさらに何が必要であるかを実感したのではないだろうか?より高い目標は決まったわけで、それを実現にするために今後何を為すべきかを理解できればこれが今回の最大の収穫であろう。彼らの”Enjoy Baseball”によるGreat Journeyは未だはじまったばかりである。暫しの休息を取ってから、春から夏に向けての一層の飛躍を期待したい。

今回の塾高野球部の大活躍は、現役塾高生、我々OBはもとより、慶應義塾全体にポジティヴな意味で大きなインパクトをもたらしてくれた。年齢、立場を越えて共有できる大きな夢を与えてくれ、それが凝縮されていたのが今回の甲子園のアルプススタンドであったと言えよう。高校野球嫌いなワタシをして3回も甲子園に足を運ばせた不思議な魅力・・・。

これは、上田監督がキャッチフレーズとして掲げた”Enjoy BaseBall”である。もし、塾高野球部が従来からの典型的な高校野球スタイルで甲子園に出場したのであれば、臍曲がりなワタシがこれほど熱中することは無かったと思う。2回戦で当たった福井商業のベンチを見て(グラウンドでの彼らのプレイは素晴らしいものであったが)、「このチームには絶対負けて欲しくない」と正直に感じた。

各学校が背負ったバックグラウンドや現状は千差万別であろう。そのクラブ活動の一つであるベースボールのスタイル、取り組み方もその数だけのヴァリエーションがあってよいはずである。塾高の野球部としてこの”Enjoy Baseball”にますますの磨きをかけて欲しい。

真摯、洗練、無関心、不真面目、無気力、放埒、高慢、情熱、理不尽、自由、猥雑、放任、狡猾、高潔、辛辣、狂気、偏屈、友愛、信義、柔軟、剛直、独善・・・、とりとめなく並べた言葉は自身が身を置いた経験に基づく我が母校・塾高に対する印象を思い付くままに書き連ねたものである。これらは現在でもさほど変わっていないように思われる。

殆ど無きに等しい緩い校則、恐らく日本一休みが多い学校、本人の希望を別にすればほぼ全員の大学への入学推薦などなど、塾高とは自己の認識次第で自らをいくらでも高めることも、貶めることもできる環境であると言える。

試合終了後に、神戸国際付属高校のある選手がインタビュに 「慶応は勉強も野球もできるけど、僕らは勉強もせずに野球をやっているんです!!」 と答えていたらしい。これも一つの考え方であろうが、塾高野球部には全く無縁な言葉であり、これをまねする必要など全くない。

塾高の場合、あくまでも高校生が野球をクラブ活動として行うのであり、野球選手が高校にも通っているというある種異常な状態になる必要など絶対にない。

試合終了後は、T君の先導で大阪のKorean Townである鶴橋で焼き肉をたらふく食べた(かなり、やけ食いに近いものが)。その後はNさんとTさんをエスコートして新幹線で帰京した。(車中殆ど爆睡しており、ちっともエスコートになっていなかったが・・・)

今回は、詳細な試合の経過に関しては省略させていただいた。

2回戦に関しては、The KEIO boys enjoyed a close game and won!を、

1回戦に関しては、”Enjoy Baseball” under a heavy storm of spring and applauseを参照願いたい。



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