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March 30, 2005

The KEIO boys enjoyed a close game and won!

2回戦突破。ベスト8!

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福井商業 1 vs. 3 慶應義塾

天候のために、29日の第4試合に変更された母校・慶應義塾高校の対福井商業戦は1回戦と同様、途中から照明点灯の下で行われた。我が塾高は引き締まった試合内容の痺れるような接戦を制してベスト8に名乗りをあげた。

30日の朝、塾高1年生以来の永年の親友O君と待ち合わせして、11時3分品川発ののぞみ311号にて関西に向かう。13時30分新大阪到着、1回戦応援の時はテンションが上がり過ぎてか、帰りの新幹線での弁当まで朝から何も食べなかったことを思いだし、梅田で昼の弁当を調達することに。

友人の中でも一、二を争うグルメ(というか味に異常なほどうるさい、食いしん坊)のO君は阪神百貨店の地下食品売り場で勝手知ったる我が家のごとく奥まった場所にある「吉野すし」の売り場へ一気呵成に怒濤の寄り身。チラシ寿司と「二寸六分の懐石」を注文し、出来上がりを待つ時間に名物「いか焼き」なるものを食した。

甲子園到着後、一塁側スタンド脇にあるショボイ小公園のベンチで件の調達した昼飯をとる。周りからはコンビニ弁当を食ってるようにしか見えなかったであろうが、実は2人で¥7,500也のワタシ的にはちょっとトホホで超ゴージャスな昼食になってしまった!(確かに、鯛・海老・穴子などは素材も味付けもexcellent!)

前回同様、前の試合途中からアルプススタンドにもぐり込もうとしたのだが、今回のチケットは前回のものとは違い「出場校専用」という文字が印刷されている。入り口のにぃちゃんの「慶應ですかぁ?」という誘導尋問に見事に引っ掛かり「ハイ!」と答えたところ、「あちらに並んで下さい!」と見事却下。我ながら慶應義塾で培われた(?)「要領の良さの瞬発力」の衰えを感じる今日この頃・・・。

半大阪勤務状態の後輩K君(昨日までてっきり山梨にいると思っていた)職場とどう折り合いを付けて出てたのかは定かではないが、15:30頃に防花粉マスクを装備して登場。花粉症は神経の繊細さとかとは全く無関係に罹ることを深く実感。そのうち前回の応援ツァーを企画してくれた同期のT君一行が到着し、アルプスチケットを渡す(ワタシは決してダフ屋ではありません!)。前の3試合が長引いたため、16:30前にやっとアルプススタンドに入場。夕暮れ時で薄ら寒いものを感じたが、あの嵐の1回戦に比べれば晴れているのが何よりSo good!

1回戦時には応援歌の歌詞が覚束ないヤングな塾生が隣で大声で応援していたが、今回は花粉症の後輩K君(あまりヤングではない塾員だが)のデカ声の独り言が要所要所で爆裂した。

1回表、前試合でサヨナラ勝ちを決めた新谷を1番に起用して塾高の攻撃開始。今大会屈指の投手と言われている福井商の林は新谷には変化球で三振を取るが、140キロ台の速球をビシバシと投げ込んでくる。漆畑三振後、3番竹内は四球を選ぶも湯浅が三振でチェンジ。「福井のピッチャー、速いっすっ!」(後輩K君)

1回裏塾高の守備。福井の1番奥田2-1から右中間を破る2塁打。バントで1アウト3塁になるも、ショート・ゴロで走者はホームに突っ込めず。セカンド・フライで3アウトチェンジ。中林は初回の相手の得点チャンスを無事に摘み取った。今日は対照的なピッチャー、バヤシ(中林)vs.ハヤシ対決である。

2回表、山口、高尾は福井・林の変化球を織り交ぜながらの速球で三振を取られ、中林がショート・フライで3アウト。「やばい!福井のピッチャー速ぇ~」(後輩K君)

2回裏、中林は福井・林に球速では劣るものの、キレの良い球をテンポ良く投げ込んで三振、キャッチャー・フライ、三振で立ち上がり好調。

3回裏、高橋の三振後(「もう、三振6つ取られている・・・」(後輩K君))に淵上はレフト前に渋いヒット(本日の初安打)。トップに還って新谷は初球バントの構えをするも、見事右中間を破る3塁打、その間に淵上は生還し1点。1塁アルプスは大盛り上がり。漆畑のスクイズ失敗で、新谷は三本間に挟まれ2アウト。走者はなくなり、漆畑はショートゴロに倒れる。

3回裏、中林は2回同様小気味良いテンポで投げ込み、三振×2、ショート・フライで簡単にチェンジ。

4回表、絶好調竹内がセンター前ヒット。盗塁とキャッチャー悪送球で竹内は3塁へと絶好のチャンス。湯浅はバント失敗がたたりボール球を空振りで三振。山口はよく粘って選んで四球。高尾セフティ・バント失敗で2アウト。中林セカンド・ゴロで絶好の追加点のチャンスを失う。「バントの練習、やってのかよ?」(後輩K君、ちょっとお怒りモード)

4回裏、福井・奥井が左中間を破り3塁打、ピンチ!「福井、足速ぇ~」(後輩K君)。次はセンターフライだったが、3塁走者はホーム突入できず。しかし、スクイズ成功で同点に追いつかれる。しかし中林は三振を取り、同点止まりに押さえる。「福井はバントちゃんと成功した・・・」(後輩K君、ぼやきモード)

5回表、高橋キャッチャー・フライ、淵上セカンド・ゴロ、新谷サード・ゴロであっさりとチェンジ。

5回裏、中林は先頭打者にライト前ヒットを打たれ、セカンドへ。ピンチ!送りバントを中林の悪送球で、1塁セーフでノーアウト1・3塁。かなりピンチ!その後セフティ気味のスクイズを中林の冷静な判断で、ホーム返球でタッチアウト!Go・・・・・od!1アウト1・2塁に。高橋のパス・ボールで1アウト2・3塁に。かな~りヤバイ!しかし、打者は3バント失敗で三振、2アウト2・3塁に。中林は次打者を警戒してか、四球を与え2アウト満塁に。しかし、ショートゴロで相手の追加点のチャンスをきっちりと押さえた。中林、この試合最大のピンチを切り抜ける。

6回表、先頭打者の漆畑はサードゴロに倒れる。竹内はセンター前ヒットで益々絶好調。しかし、高尾は打たされてショートゴロ、ダブル・プレイで3アウト、チェンジ。

6回裏、先頭打者の当たりがショート漆畑の前で跳ねて内野安打。送りバントで1アウト2塁で、その後のライトフライで2アウト3塁に。しかし、中林は落ち着いて、ピッチャー・ゴロを打たせ打者にタッチしてチェンジ。

7回表、我がアルプススタンドは恒例「ゆっくりモード」の若き血。グラウンドでは山口が四球を選び、ノーアウト1塁。チャ~ンス!高尾はバントを試みるも成功せず。山口の盗塁でキャッチーの送球が逸れその間にノーアウト3塁に。大チャ~ンス!高尾は一転ヒッティングで打球は見事に三遊間を破り追加点獲得で1点勝ち越し。応援席大いに盛り上がる。中林の3バント失敗で1アウト1塁。高橋のバント成功で、2アウト2塁に。淵上はショート・ゴロに倒れて追加点は1点止まり。もう一点欲しかったところ。「人の『犠牲』になることなんて嫌いなんだろうから、みんな打ってけ!」(後輩K君、やけくそモード)

7回裏、先頭打者の頭上を越えるいやな当たりを高尾が見事キャッチで1アウト。次打者はセカンド・ゴロで2アウト。中林は次打者に死球を与え、2アウト1塁に。そして、セカンド・ライナーを高尾がキャッチで3アウトチャンジ。この回は中林と高尾のコラボレーションできっちり押さえ込んだ。

8回表、新谷はファウルフライ、漆畑はライトフライで簡単に2アウトに。絶好調ボーイ竹内が高めの球を2-3から左中間オヴァーの3塁打。やったぁ~!湯浅はショートの頭を越えるレフト前ヒットで追加点!応援席大ヒートアップ。山口は大きなセンターフライで3アウト。又2アウトからの得点であった。「ベスト8、いっちゃうかも・・・」(後輩K君、ちょっとウルウル・モード。鬼の目にもナントカか?)

8回裏、中林は先頭打者を三振に打ち取り1アウト。次打者もライトフライに打ち取り、次もセカンドゴロで3アウト。「中林、アウト取るのに球の速さは関係ねぇ~ぞ」と叫んだの実はこのワタシ目です。

9回表、高尾は積極的に振るも見逃しの三振に倒れる。中林はレフトフライで2アウト。高橋の打席で慶應ベンチからタイムがかかり、なんやらヒソヒソ話。高橋は粘るも三振で3アウトチェンジでいよいよ最終回の守備に。

9回裏、。応援席は中林のストライクが決まるごとに大歓声。三振、サードフライで簡単に2アウトランナー無しでいよいよ「あと一人」。最後はライトフライを新谷がつかんでゲームセット。

やったぁ~!勝ったぁ~!

嵐の中での1回戦勝利後は、「感涙の塾歌」(1番の歌詞があれほどのリアリティを持って心に響いたのは我が人生はじめての体験)であったが、ベスト8進出を決めて歌ったのは「歓喜の塾歌」であった。

高野連のお達しで、相手校を中傷するような応援は禁止されているとのことで、甲子園ではかつて神宮で歌い親しんだ応援歌の歌詞をそのまま使えないものがある。「ダッシュKEIO」は歌詞を変え、「我らぞ覇者」は普段滅多に歌わない1番の歌詞で対応。個人的には実に下らないことだと思うが、「気品の泉源、知徳の模範」を自認(?!)しているのでルールには従おう。(それにしても、調子狂うことしきり)

今回の慶應の応援体制に関して、巷間イロイロな批判もあるようだが仕事や勉学に忙しいOB・OGが駆けつけてくれ、現在の塾高の足らぬ部分を補ってくれる行為には一OBとして感謝の念を捧げたい。塾高からの要請とはいえ大学の応援指導部の諸兄が自分の母校でもない塾高(特にリーダ部の部員の殆どは塾高OBではない)の応援に快く応じ、裏方に徹してサポートしてくれることにも素直に頭が下がる。本人達の目立ちたい、騒ぎたいという気持ちだけでこんなことができるワケがない。幼稚舎生からスーパーOB・OGまで一体となって応援をすることに、外から見ればうざったいモノを感じられる向きもあるかとは思うが、これが一貫教育校である慶應義塾最高の誇りの一つであると言っても過言ではない。

試合終了近くでは、「メガホン投げるな」、「フェンスにしがみ付くな」といったプラカードを応援指導部が掲げていた。(1回戦では、確かにいくつかのメガホン投げはあった。但し、投げられたのはお馴染みのプラスティック製のモノではなく、10年振りに復活した塾伝統の紙のメガホンである。勿論これ自体良いことではなく、2回戦ではメガホン投げはなかった)

試合終了直後に気付いたのだが、塾高OBで普通部時代から芸能活動を続けているジャニーズ事務所『嵐』の櫻井翔君も応援に駆けつけてくれていた。

「フレー、フレー慶應」、「フレー、フレー福商」とエール終了後、甲子園駅に向かう途中での後輩K君の「梅田で、ちょいと・・・」という執拗な誘いを振り切り(彼に付き合ったら、その日中に帰れないことはこれまでの経験上火を見るより明らかである。『気をつけよう、甘い言葉と暗い道!』)、O君と新大阪発19:53ののぞみ30号で帰京した。

1回戦に関しては”Enjoy Baseball” under a heavy storm of spring and applauseをご参照下さい。

P.S.
今回のセンバツ出場に関して、OBを中心に寄付が募られているのだが、世間の憶測に比べて驚くほど寄付金が集まっていないのが事実である。(2回戦出場時点で既に赤字とか)

OB諸兄・有志にあっては現在の塾高関係者に成り代わって重ねてのご援助をお願いしたいものである。詳しくは塾高野球部・選抜大会出場のサイトへ。




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March 26, 2005

WC2006 Qualifiers ~ Iran vs. Japan

Incoherence!

Iran 2 vs. 1 Japan

先の北朝鮮戦での厭な予感が当たってしまった。

個人競技は言うに及ばずプレイ上のコンビネーションやコミュニケーションが重要で一人では何も出来ないチーム競技の場合、試合でいかに自分たちのプレイ・スタイルを発揮できるかによってその勝敗が決する確率が高い。言葉を換えれば、いかに相手のペースを乱して自分たちのペースで試合運びが出来るかということである。特に、現在のサッカーの日本代表の場合、圧倒的な個人的能力で得点を出来るという選手は見当たらない。従って、熟成したチーム力によって活路を開いていくより方法はないのである。

今回、対イラン戦で「神様」ジーコが招集しピッチに送り出した選手によるチーム編成にプレイ・スタイルなるものが存在したのであろうか?そもそも何もなければ、それを熟成する方法などあり得ない。彼はJリーガに比べ能力の高い(これは事実であろう)ヨーロッパ組の選手を招集し、短期間の合宿で何とかなると考えていのであろうか?個人的には、イラン戦でジーコが取ったこの戦術は「博打行為」にしか見えない。

自らこれを「博打行為」と認識し、勝敗はそれこそ出たとこ勝負と覚悟しているのならばそれはそれで良いのだが、この手の「博打」は2006年のドイツでやって頂きたいと思っている。

相手のイランとて選手招集(海外組、国内組)に関しては同様な悩みを抱えているのだが、今回は徹底的に「勝ち」に拘ったサッカーを行い、相手の間隙を突く決定力の違いを見せつけた。一方、日本代表は前線ではボールが全く収まらず殆ど見せ場のない欠伸の出るような試合に終始した。福西のセンスで1点をもぎ取り何とか引き分け(とても勝ち点3を奪えるとは思えなかった)を期待していたのだが、現実はそう甘くはなかった。

30日の対バーレーン戦、イラク以上に堅守でしかも彼にとってアウェー・ゲーム、日本にとってはW杯アジア最終予選前半の最大の山場になることは間違いない。



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March 25, 2005

”Enjoy Baseball” under a heavy storm of spring and applause

初戦突破!!


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慶應義塾 8 vs. 7 関西


45年振りのセンバツ出場の母校・慶應義塾高校が雨天のため順延された初日(24日)第三試合で岡山の関西高校にサヨナラ勝ち。私的(ともいえないが)な歴史的瞬間を甲子園球場で目撃することができた。(実際にはこんな冷静な状態ではなかった・・・)

23日は、甲子園に行くつもりであったのだが、東京駅で試合中止の報を聞き仕方なく帰宅。

翌24日には大学同期の連中が企画てくれたミニ應援団ツァーに参加させてもらって、昼頃に甲子園に乗り込む。ノヴォテル甲子園で応援グッズ(久々復活のメガホンにもなるトンガリ帽子のセンバツバージョン)を貰ってから、関西サイドでサポートして頂いたG君ご一家(ご子息がこの春に見事塾高に合格し、野球部に入部するとのこと)にお目に掛かり、いざ1塁側アルプス・スタンドへ。

未だ神戸国際大付属と甲府工業の第2試合の途中でスコアは0対0で淡々としたゲームが続いていたが、7回に試合が動き甲府が得点。8回には神戸国際大付属の集中打が実り逆転。第3試合の時間帯に雨の不安があり、たまたま神戸国際大付属側の応援席だったので、内心「勝って、サクッとお引き取り願いたい」との想いで便乗応援をする。結果は神戸国際大付属の勝利で無事9回で試合終了。

応援席入れ替えのため、塾高生が入場(学ラン着ているので、カラス軍団のよう)。スタンド入り口からはOB・OG(女子高にはチア・リーディングではお世話になっているので)と思しき人々も続々と入ってくる。我がミニ應援団は現役塾高生に遠慮して(?)、後段最前列の席を確保。

我がチームの守備練習があっという間に終わり、唯一の現役應援指導部と言われている清水クンのリードや山田校長の「塾生注目!」は座席後段迄は届いてこず、ワケの解らないままテキトーに「そうだぁ~」を連呼。

試合開始後、先攻の関西があっけないほど簡単に得点するも、まだ余裕。投手中林の立ち上がりは上々の出来だった。1回裏慶應は、先頭打者竹内のヒットを足がかりに同点に追いつく。2回、3回と中林は好調なピッチングを披露し、3回裏に高尾、湯浅、山口の集中打で3点追加、当然我が一塁側アルプス・スタンドはイケイケ・ムードが満タン状態。

隣に座っていた、ヤングな塾生(恐らく大学生)は終始大声の応援でなかなか元気が良い。ただ、応援歌は「若き血」しか歌えないようで、「三色旗の下に」と「我らぞ覇者」は歌詞を覚えていないらしく、歌詞カードを必死に追いかけていた。(応援に来る前に、ちゃんと覚えておくように!→ヤングな塾生)

4回、6回と関西に追加点を許し、ちょっといやなムードに。7回表に集中打を浴び3点を失い、2点のリードを許す。流石にこの時ばかりは応援席に凹んだムードが漂っていた。

だが、しかし、7回裏2アウト後に高尾からの四連打(含む中林の3塁打)で、3点を加え再逆転。応援は再び大ヒートアップ。そにしても天気は雨は降るわ、風は吹くわの殆ど春の嵐状態。気温も急激に下がり、選手のコンディションも心配だったが応援席も全員びしょ濡れ。とにかく寒い、しかしこんなことにメゲてはいられない。スコア・ボードには「雷に気をつけて」旨のメッセージが出るが、「どう、気をつければいいんだ!」

スタンドでお見かけしたヨット部OBの先輩O氏は、海とは勝手が違うようで雨と寒さのため早々に撤退された模様。(後で確認したら、5回コールド勝ちを信じてホテルに戻っていたとか。甲子園でのコールド・ゲームは7回で成立とか?)

8回表、中林の頭を打球が直撃し、応援席は一瞬凍り付く。同行のA君から「ウチはピッチャー1人しかいねぇんだから、勘弁してよ!(@下町言葉)」と一言。(ゴメンよ → 福山、忠本、佐藤)

大事なくマウンドに戻った中林だが、1点を失い同点で9回裏表の攻防へ。クリンアップの強打を意識してか、寒さがコントロールに影響してか中林は四球を三つ与え満塁になるも、しかしラスト・バッターをファーストゴロで仕留めてチェンジ。結果はこの満塁を凌いだのが大きかった。9回裏、湯浅のヒット、山口の四球、中林のヒットで1アウト満塁。上田監督が送り込んだ代打の新谷は相手ピッチャーの球威に負けていたように見えたが、執念でセカンド後ろに打球を運び、

サヨナラ勝ち!


応援席は歓喜の大爆発状態。それにしても、春の嵐の悪コンディションの中、ハラハラ、ドキドキ面白い試合を見せてくれた塾高、関西の両チームに感謝。結局、中林の(投球数は160)粘り強いピッチングとクリンアップの集中打、ほぼ的確な守備(エラー2つ)で現在の塾高野球の良さがフルに出た試合内容であった。控え捕手と見られていた高橋の落ち着いた好リードも光っていた。塾高野球部の部訓(というよりは、心構えのようなもの)の「雨と風と延長には勝つ」を体現した試合であった。塾高野球部の野球への基本的な取り組かたに関しては、Philosophyのページの各項目をご覧いただきたい。

試合終了後に流れた(勿論、自分も隣のヤングな塾生も歌っていたのだが)塾歌を聴いて、何故か解らないが熱いモノが込み上げてきた。

水の溜まったグラウンドでプレイした選手・監督・コーチ、先生・関係者は勿論のこと、慶應義塾が一体となった(その中に身を置いていた一人として言うのもナンであるが)應援との化学反応で「Enjoy Baseball」「Enjoy 甲子園」を実現することができたと確信する。

應援指導に大学生やOBの助力を仰いだことに疑義を挟む向きもあるようだが、塾高だけを慶應義塾から切りしての存在はあり得ない。その主体はあくまで塾高生(含むセンバツ準備委員会)で、足りないリソースを自組織内(大学、女子高など)に援助を求めただけであり、是非ともそこいらへんの事情をご理解頂きたいものである。

こちらのエントリ(Une aussi longue absence)もご参照ください。




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March 22, 2005

Efficaciousness of Municipal Libraries

近頃、クラシック音楽系のblogで図書館に関する話題がエントリで取り上げられている。

ブラボー公立図書館@CLASSICA

図書館は素敵だ、が...@新・東越谷通信

図書館パラダイス@岩井の日記のようなもの(ブログ版)

後出しジャンケンのようで気がひけるのだが、実は約1年前に本blogをはじめた頃から公立図書館の威力に気づいていたのである。ワタシの在住する区には、中央図書館を含めると15もの図書館が存在し、その貸し出し可能な全ての蔵書がWEBで検索でき、しかもネットで貸し出し予約が可能で、最寄りの図書館で借り出すことが出来る。これを知ったのが約1年前で、自身の無知で税金を酷く無駄遣いしていたような気になったことを覚えている。

ベストセラー本や新刊書は流石に予約の待ち行列でいつ借りることができるかは心許ないものがあるが、当方が読みたい本などはまず借りて手がいないと見えて待ったことなど一度もない。特に、現在絶版中の本を読みたいときは絶大な威力を発揮する。神保町の古書店巡りをしての古本漁りもそれなりに楽しいのだが、手っ取り早く読みたい場合は図書館&ネット検索は非常にコンヴィニエント!

このblogのかなりな数のエントリはこの公立図書館の存在なしには書き上げられなかったことをここに告白しておく。

それにしても、クラヲタ恐るべし!押さえるべき所はしっかり押さえてる。



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March 17, 2005

C'est si bon

baron_satsuma既に昨年のことになるのだが、ガーター亭別館のエントリ、バロン薩摩かぁで亭主殿から薩摩治郎八氏の評伝のご期待を頂き、身に余る光栄を感じていたのだが、本blogが冬眠状態に突入したためご依頼にお応え出来ないでいた。

ただ、薩摩治郎八氏の情報はサイバー・スペースにおいては比較的潤沢にあり、今更私如きが出る幕はないように思われる。

blogであれば、

バロン薩摩@サウスアイランド公国ブログ自治領

バロン薩摩の眠る徳島@うるわしのブルターニュ


を参照して頂きたい。

中央区のWEBサイトにある「区内散歩」のアーカイブに「バロン・サツマ 薩摩治郎八(一)~(四)」というかなり詳細な情報もある。

クロノロジカルな評伝は、先にご紹介したサイトをご覧頂くとして、ここでは薩摩治郎八という稀代の人物に対する個人的な体験(という程大したものでもないが)と想いを若干述べさせていただく。

「バロン薩摩」という呼称には、その昔から何となく気になる響きを感じ、薩摩藩は島津家と族縁にあたる華族の誰か?くらいに思っていた。「バロン薩摩」とは薩摩治郎八氏の綽名であり、その人となりと生涯の概要を実際に知ることになったのは、やはり大分以前の雑誌「Brutus」の特集記事を読んだときからであった。どちらが実際の出版年度が先だったかは定かではないが、その後雑誌「太陽」での七話連載の久保田二郎氏の文章も読んだ記憶がある(最近では薩摩氏が使い果たした財産を現在の価値に換算すると約600億円というのが定説のようであるが、当時の「Brutus」には約200億円と書かれていたような記憶がある)

その記事に接した当時、「財」というモノに対する自己認識が不明確であったためか、過去に途方もない日本人がいたものだと圧倒されたのだが、この人物にそれほど魅了されたという記憶は持っていない。

これは個人的な偏見かもしれないが、蓄財と散財をバランスよく行える人はこの世の中には少ないのではないか?とかねがね思っている。その規模に比例してこのアンバランスが大きくなるような気がする。これまでの自分自身の振る舞いを顧みると、明らかに収入・所得には見合わない散財をしてきた記憶が多々ある。早いはなしが、現在では蓄財の才は全くないと自認している。

かくして、自らは財を蓄えることは一切せずひたすら薩摩家の財産を使った「日本の散財王」とも言うべき薩摩治郎八氏は我がアイドルの一人となったワケである。時代は違うが、同じ近江出身の父祖を持つ堤義明氏とバロン薩摩とは対象的な人生を歩んだと言える。堤氏に対しては何のシンパシーも感じない(というよりは、理解不能)が、そのスケールの大きさを我が身に置き換えることは絶望的に不可能とは思いつつも、薩摩治郎八氏の「散財の人生」には大いに共感するものがある。

父祖の残した財産を使い果たし、日本で生活を始めた彼からは尾羽打ち枯らしたという風情が全く感じられないのも素晴らしい。この時期に、利子さんという素敵なパートナーと巡り逢い、卒中で倒れ不自由な身になった後も徳島で穏やかな生涯を全うされたようである。

cesibon最後に、帰朝後に薩摩氏が自らの半生を綴った『せ・し・ぼん-わが半生の夢』の巻頭での堀口大學の序文を引用しておきたい。

僕の同時代人の中では、薩摩治郎八クンが僕の知る限り、ヨーロッパの社交生活に、長期に渡って一番派手に金を使い続けた日本人だ。

自分も楽しみ、人を楽しませる以外の目的なしに只何となく使ったのだ。この点に僕は感心する。それも三十年の長きに亘ってだ。金を使うことはいいことだ。使った本人の身に何かがきっとプラスされる。少なくとも儲けることよりいいことだ。儲けた人の身につくのは金だけだから。






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March 12, 2005

Capitalism on the land value


前のエントリ”Take me out to the snowland ~ epilogue”で近江出身の堤康次郎氏が所謂”近江商人”であったかどうかに疑問を感じたので、若干調べてみた。

先にのエントリで述べた「三方よし」の他に、近江商人を特徴付ける言葉がいくつかある。代表的なものとして、「近江の千両天秤」「鋸商法(諸国産物廻し)」などがあげられる。「近江の千両天秤」とは天秤棒一本の行商で財を成す、あるいは財を成したあとも天秤棒を担ぐ行商の初心を忘れるべからずという意味であり、「鋸商法」とは地元や上方の商品を他国で商うだけではなく、その土地の産物を持ち帰って再び商うという往復商法のことを言う。

江戸時代には、三都(江戸、大坂、京都)に店を構える豪商を輩出した近江商人の基本理念はこれらの言葉によく表されている。かつて堺屋太一氏は「日本の資本主義は近江商人から始まった」と述べておられたようだが、その商いは商業資本を基盤としたものであった。翻って、堤康次郎氏の場合は「土地」を基盤としたビジネスに終始し、所謂近江商法とはかなり趣を異にするといえよう。巷間、彼は西武鉄道の創業者として認識されているが、そのビジネスのルーツは軽井沢に隣接した沓掛(現在の中軽井沢)の別荘地販売であり、その際に設立したのが千ヶ滝遊園地(株)であった。この会社を清算後に起こした会社が箱根土地(株)であり、これがそのまま現コクドに繋がっている。現在軽井沢や箱根が西武の金城湯池といわれる礎を築いたわけであり、鉄道経営は寧ろこれらの土地活用の手段として用いられたといえる。

堤康次郎氏の土地への執着の凄まじさはこれまで出版された幾つかの著作物でも紹介されており、これが2代目義明氏の時代の土地バブルに乗じて彼をして当時の世界一の億万長者に押し上げたワケである。このコクド・西武グループは資本主義というよりは”地本主義”とも言うべきビジネス・モデルの権化のような存在であった。しかし、バブル崩壊と伴に”地本主義”は金本位(The gold standard)のように、”土地本位制(The land value standard)”とは成得なかったわけである。

この地本主義に狂奔した企業が次々と崩壊していく中で、最後の大物というべき企業がこの西武グループであった。何も対策を取らなければ、どんなに蓄財しても3代目では只の人になるという”経済社会主義”ともいえる我が国で、これまで堤家(義明氏)が財力を以て各界で権勢を振るえたのも康次郎氏の「遺訓」をひたすらに墨守し、絶対君主制ともいえるマネジメント・スタイルを貫いた義明氏の所業の所以であろう。

この義明氏、恐らく明治維新後の新興成金が勃興した時代であれば、世間から嫌われたであろうが、獄に繋がれるようなことはあり得なかったし、2代目としては寧ろ才能ある経営者として評価されたかもしれない。今回の逮捕は時代の価値観との埋めがたい乖離が招いた結果ともいえる。彼の辞書には”コンプライアンス”などという言葉は存在しなかったのであろう。

メディアが持つ本質的な体質と言ってしまえばそれまでであるが、今回の堤義明氏の逮捕に関連する報道は「何を今更?」といった感を持たざるを得ない。その内容の殆どが、西武グループと関わりを持った人々には既知の事実であり、まるで鬼の首でもとったように囃し立てる様子は嫌悪感すら覚える。

現在でも我々の周りには、ミニ堤・ミニ西武はいくらでも存在していることも事実である。

件の義明氏に同情するつもりはさらさら無いが、検察の取り調べでは義明氏本人も自ら法律に違反した事実は認めていたようであり、逮捕そのものの妥当性にすら些かの疑義を感じざるを得ない。一罰百戒という意味を込めた当局の判断であろうが、在宅起訴でも公判は維持できるのではないだろうか?

今回の事件がらみで2人の自殺者が出たが、その理由が果たして絶対君主への忠義立てだけだったのであろうか?どのような取り調べが行われたのかは、現時点では全く闇の中である。





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March 09, 2005

Take me out to the snowland ~ epilogue

現代まで受け継がれている近江商人の商法の理念と謂われているのが、「三方よし」(売り手よし、買い手よし、世間よし)という言葉である。

先に西武グループの二代目後継者でウィンター・スポーツを中心に我が国のスポーツ界で絶大な権勢を誇っていた堤義明氏が証券取引法違反(虚偽記載、インサイダー取引)の容疑で逮捕されたことは、もし西武鉄道などの創業者である堤康次郎氏を近江商人(但し、彼は滋賀県の当時八木庄村の農家生まれで、元々商家の出身ではない)と呼ぶならば、「三方よし」の理念に照らしてみると親子二代に渡ってこのバランスを著しく欠いたビジネスを行った顚末の結果とも言えよう。

昨年の冬、スキーから帰った際に現在のスキー場に一抹の寂しさを感じて、「2004年のスキー考現学」として” 私をスキーに連れてって”という3部構成の駄文をご披露した。バブル景気と軌を一にするように膨張したスキー・ブーム(当時我が国のスキー人口は一千万人ともいわれていた)をさらに盛り上げるのに一役買った象徴的な存在が、ホイチョイ・プロダクションの映画「私をスキーに連れてって」と松任谷由実の「Surf & Snow」であった。

ただ、これはサブ・カルチャという視点からのハナシで、実際のスキー・ブームを仕掛ける上で大きな役割を担った一人が堤義明氏であったことは間違いのないところである。欧米では富裕層の長期滞在型の代表的なリゾート・スポーツであるスキーが、我が国では精々一泊二日程度のお手軽なフォーマットに仕立て直され、件の堤氏が総帥として君臨していたコクドはそれに対応した”スキー・リゾート擬き”を次々と開発していった。

このコクド・プリンスホテル系の”スキー・リゾート擬き”をどう評価するかは各人各様であろうが、スキー・ブーム最盛期の苗場富良野万座軽井沢などでの経験は決して芳しいものではなかった。ゲレンデのキャパシティを遙かに超えたリフトなどの輸送力を設備したため、確かに”リフト待ち”の時間は八方尾根などに比べると比較的短かったのだが、いざゲレンデを滑ろうとすると西武線のラッシュ・アワーもかくありきといった混雑状態で、リゾート気分に浸る余裕など全くなかった。

スキー場に併設されたプリンス・ホテルのサーヴィスも”個客”に対応した姿勢は全く感じられず、1泊2日のスキー・パック・ツアー客向きに極端にまでチューン・アップされていた。このルーティンワークともいえるサーヴィスにはホテルの”宴会のテーブル”をイメージした憶えがある。表面はテーブル・クロスに覆われているがその下ある粗末なベニヤ板のテーブルがまるで透けて見えるようなサーヴィス内容であった。

現在はどうのようになっているかは知らないが、当時苗場をプロモーションするためにスキー・ワールド・カップを招致しその後富良野に会場を移した後に、苗場に残った選手宿泊用に建てられたワールド・カップ・ロッジに宿泊する機会があった。本来一人用に作られた部屋が無理矢理2人用として提供されていた。その部屋に2人でいると、狭すぎてスキーの後に同時に着替えすることがままならならず、仕方なく一人はバスルームで着替えをした記憶がある。(現在の堤氏はもっと狭い”場所”に居るらしいが・・・

当時経済大国などと煽てられていた我が国であったが、一般的な日本人が長期滞在型のレジャーなど志向しないことを見極めて施設を開発していった堤氏のある種の慧眼は見事だったとしか言いようがない。

そういえば、今年も25周年目の”YUMING SURF&SNOW IN Naeba”がこの2月に開かれたらしい。




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