C'est si bon
既に昨年のことになるのだが、ガーター亭別館のエントリ、バロン薩摩かぁで亭主殿から薩摩治郎八氏の評伝のご期待を頂き、身に余る光栄を感じていたのだが、本blogが冬眠状態に突入したためご依頼にお応え出来ないでいた。
ただ、薩摩治郎八氏の情報はサイバー・スペースにおいては比較的潤沢にあり、今更私如きが出る幕はないように思われる。
blogであれば、
バロン薩摩@サウスアイランド公国ブログ自治領
を参照して頂きたい。
中央区のWEBサイトにある「区内散歩」のアーカイブに「バロン・サツマ 薩摩治郎八(一)~(四)」というかなり詳細な情報もある。
クロノロジカルな評伝は、先にご紹介したサイトをご覧頂くとして、ここでは薩摩治郎八という稀代の人物に対する個人的な体験(という程大したものでもないが)と想いを若干述べさせていただく。
「バロン薩摩」という呼称には、その昔から何となく気になる響きを感じ、薩摩藩は島津家と族縁にあたる華族の誰か?くらいに思っていた。「バロン薩摩」とは薩摩治郎八氏の綽名であり、その人となりと生涯の概要を実際に知ることになったのは、やはり大分以前の雑誌「Brutus」の特集記事を読んだときからであった。どちらが実際の出版年度が先だったかは定かではないが、その後雑誌「太陽」での七話連載の久保田二郎氏の文章も読んだ記憶がある(最近では薩摩氏が使い果たした財産を現在の価値に換算すると約600億円というのが定説のようであるが、当時の「Brutus」には約200億円と書かれていたような記憶がある)
その記事に接した当時、「財」というモノに対する自己認識が不明確であったためか、過去に途方もない日本人がいたものだと圧倒されたのだが、この人物にそれほど魅了されたという記憶は持っていない。
これは個人的な偏見かもしれないが、蓄財と散財をバランスよく行える人はこの世の中には少ないのではないか?とかねがね思っている。その規模に比例してこのアンバランスが大きくなるような気がする。これまでの自分自身の振る舞いを顧みると、明らかに収入・所得には見合わない散財をしてきた記憶が多々ある。早いはなしが、現在では蓄財の才は全くないと自認している。
かくして、自らは財を蓄えることは一切せずひたすら薩摩家の財産を使った「日本の散財王」とも言うべき薩摩治郎八氏は我がアイドルの一人となったワケである。時代は違うが、同じ近江出身の父祖を持つ堤義明氏とバロン薩摩とは対象的な人生を歩んだと言える。堤氏に対しては何のシンパシーも感じない(というよりは、理解不能)が、そのスケールの大きさを我が身に置き換えることは絶望的に不可能とは思いつつも、薩摩治郎八氏の「散財の人生」には大いに共感するものがある。
父祖の残した財産を使い果たし、日本で生活を始めた彼からは尾羽打ち枯らしたという風情が全く感じられないのも素晴らしい。この時期に、利子さんという素敵なパートナーと巡り逢い、卒中で倒れ不自由な身になった後も徳島で穏やかな生涯を全うされたようである。
最後に、帰朝後に薩摩氏が自らの半生を綴った『せ・し・ぼん-わが半生の夢』の巻頭での堀口大學の序文を引用しておきたい。
僕の同時代人の中では、薩摩治郎八クンが僕の知る限り、ヨーロッパの社交生活に、長期に渡って一番派手に金を使い続けた日本人だ。自分も楽しみ、人を楽しませる以外の目的なしに只何となく使ったのだ。この点に僕は感心する。それも三十年の長きに亘ってだ。金を使うことはいいことだ。使った本人の身に何かがきっとプラスされる。少なくとも儲けることよりいいことだ。儲けた人の身につくのは金だけだから。

Comments