« October 2004 | Main | December 2004 »

November 21, 2004

The Sun also rises ~ El Clasico@Camp Nou, 2004

完勝!

barca_logo.gif本日朝、現地では前日の夜10時からリーガ・エスパニョーラのエル・クラシコ、所謂スペイン・ダービー(但し、カタルーニャはスペインではないというバルセロニスタにとっては甚だ不適切な表現ではある)がカンプ・ノウで行われた。

先日のエントリ、som la gent blau-grana・・・, Barça , Barça, Barça !でバルサ・ファンであることを告白してしまったので、今回は開き直って完全バルサ・モードで試合回顧をさせて頂く。メレンゲ(レアル・マドリー)・サポータの皆さまにとっては不適切な表現が続出すると思われるが予めお詫びを申し上げておく。

昨年のカンプ・ノウのエル・クラシコでは20年振りの屈辱を味わったワケだが、今にして思えば当時のバルサは正に夜明け前の漆黒の闇の中にいたといえる。それにひきかえ今期は適切な補強と相まってライカーのゲーム・プランがチーム内に充分浸透し、バルサ黄金期の再到来を予感させる見事なパフォーマンスで魅せてくれている。

今回のエル・クラシコへの不安要素は、バルサが前節敵地でベティスに今期初黒星を喫したことと、メレンゲはサンチャゴ・ベルナベウでアルバセテ・バロンピエに6-1とやけに派手な勝ち方をしたことであった。(今にして思えば、このメレンゲの勝利は『蝋燭が消える前の輝き』であったことが見事証明されたのだが・・・)

カンプ・ノウは10万(実際には9.6万くらいだったとか)にならんとするバルサ・サポータの人文字で埋め尽くされていた。キック・オフ前から今のメレンゲごときに負ける雰囲気など微塵もない、いい感じ。(というか、メレンゲをどのくらいボコれるかという期待感に満ちあふれていた)

キック・オフ後は予想通りバルサはポゼッションで銀河系屑星軍団を圧倒し、唯一ヒヤリとさせられたのはロベカルのゴール前へのクロスくらいなもの。前半の30分には、ロナウジーニョからエトーへのクロスが全く意思疎通を欠いたGKとロベカルの間に・・・、そこへすかさずエトーが飛び込んできて、カシージャスを交わしてガラ空きのGooooooal!へ。ということでバルサが先制点。

ハーフタイムの終了直前にはバルサお得意の左サイドからの崩しが功を奏し、ロナウジーニョからデコそしてフリーになったジオ(ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト)がGooooooal!

後半になってもメレンゲは得点をあげる気配・匂いすら無し。いまだ毎年成長している(ただ膨らんでいるだけ?)ブラジル出身のFWは殆どウドの大木状態(ボクのお仕事はFWだもん!ディフェンスには全く興味無しといいった風情)。フニャフニャした英語を喋る頭の軽いエセックス出身のMFも仕事らしい仕事をさせてもらえず頭を振りながら、ウェールズ出身のFWに交代。その元「奇跡の少年」、ボールを持ってもバルサの厳しいプレスにあい、ずるずると下がるだけ。マルセイユ・ルーレットも不発で、バルセロニスタからはユダあるいはペセテロ(守銭奴)という「ありがたい称号」を得ているポルトガル出身MFも時々小技を見せるも得点とは全く無関係でお約束通りカンプ・ノウのサポータからは強烈なブーイングを頂戴するのみ。スペインの至宝とかいわれているFWはゲーム中いたったい何をしていたのかは不明。こんな具合で、精力的にゲームを動かすバルサに対してメレンゲ軍団の足は殆ど止まっていた。

後半32分、メレンゲからバルサに改宗したエトーがドリブルでペナルティ・エリアに切り込むも、メレンゲ・カンテンラ出身の悪童に押し倒されPKゲット。ロナウジーニョが確実にGooooooal!を決めて、メレンゲ撃沈。

バルサはリーガ制覇に向けて視界は益々良好。今気になるのは、ラーションの怪我である。CLでも24日には過去の相性はともかく現在は失点の多いセルティックをカンプ・ノウに迎えてお土産なしでスコットランドにお帰りいただこう。23日のサンチャゴ・ベルナベウではレバークーゼンの大いなる奮起を期待したい。この際、負け犬は情け容赦なく完膚なきまでに叩いておくことが肝要であることは言うまでもない。

昨年までは、一部では「毒メレンゲ」などと呼ばれており、へタに食いつくと痺れるような強烈な毒を持っていた銀河系屑星軍団も今や毒もアクも抜け去り、若々しくリフレッシュされ直向きなプレイを展開するバルサに比べると、既に日没を迎えているオッサン集団に過ぎず、その勢いの差は明白である。

来年の桜が散る頃にはサンチャゴ・ベルナベウで、我がバルサは大観衆を沈黙させるパフォーマンスを披露してくれるであろうことは間違いない。一方、カマーチョに比べぬるい采配のガルシア・レモンの下、チームに対する貢献という言葉をどこかに置き忘れたエゴイストの集りは「銀河系白色矮星集団」になっているであろう。

| | Comments (5) | TrackBack (17)

November 15, 2004

Buckwheat

昨日は朝から何故か『蕎麦』を食べたい気分だったので、昼過ぎ近所にある以前から気になっていた蕎麦屋(週に3日という変則的な営業なため、なかなか入る機会がなかった)へ行ってみた。

その日の朝に挽いた蕎麦粉を使い1日30食限定とか。蕎麦粉十割にしては、口当たりはツルりとしており食感としては好みのタイプである。(太くて啜れない所謂「田舎蕎麦」は全く好みではない)

ただ少々コシが弱いのと蕎麦の香りが乏しく、ここいらへんが今ひとつだった。蕎麦汁も醤油の香りが強すぎ、個人的には「?」。一番問題だと感じたのは、たかがざる蕎麦1枚が¥1,000という値段。店の構えや雰囲気からして、近頃流行りの典型的な「素人蕎麦打ち名人」→「 こだわり系」の蕎麦屋である。接客の手際も如何にもといった感じ。

夕方、出先で以前よく通っていた蕎麦屋がそこから大して遠くないことを思い出し、昼の蕎麦がなんとなく納得いかないモノがあったので「ハシゴ」を決断。おばあちゃんが時々居眠りしながらレジ番しているのは以前と相変わらず。こちらの蕎麦はやはり香りには乏しかったがしっかりとしたコシがあり(といっても、神田松屋ほどではないが)、食感的には全く問題ない。蕎麦汁も前の店に比べて醤油の香りがきつくない。客の扱いも相変わらずそつがない。こちらも蕎麦の盛りの割には決して安いとはいえないが、ざる蕎麦1枚で¥630也。

どちらも店内に流れていたBGMが蕎麦屋にしてはちょっとヘン。前の店がバロックで後の店がモダン・ジャズ。それを聴きながら、蕎麦まえに燗酒を飲みながら分厚いローザ・ポンセル(Rosa Ponselle)のバイオグラフィを読んでいたほう(自分)がもっとヘン?

それにしても、江戸時代には小腹が空いた時の庶民のスナックだった蕎麦・鮨・天ぷら等はいつからこんな高級料理に成り上がったのだろう?(今度、調べてみよう・・・)





| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 07, 2004

Two prima donnas in the Commonwealth

本日11月7日は第二次世界大戦後の世界のオペラハウスにおいて一時代を画した英連邦(The Commonwealth)出身の2人の偉大なプリマドンナの誕生日である。共にデイム(Dame of the Order of the British Empire)の称号を持つ二人のプリマドンナとは1926年オートラリア生まれジョーン・サザランド(Dame Joan Sutherland)と1937年ウェールズ生まれのグゥィネス・ジョーンズ(Dame Gwyneth Jones)である。

デイム・ジョーンはベルカント・オペラ(プリマドンナ・オペラ)で、デイム・グゥィネスはヴァグネリアン・シュトラウシアンとして偉大なソプラノの系譜に列なったわけだが、二人とも歌い手としてのキャリアはメゾ・ソプラノとして歩みはじめたことには興味深いものがある。

オペラ・ファンには有名なこのソプラノ達の経歴などに関して今更ここで述べるまでもないので、この二人に関する個人的な体験を少々ご披露する。

デイム・ジョーンに関しては少々苦々しい思い出がある。その昔、ある音楽評論家が彼女のオペラ録音が発売されるたびに、そこまで言うか?というくらい厳しい批判をある雑誌に書き連ねていた。それをそのまま真に受けたワケではないのだが、その道の専門家が批判する録音に当時の貴重な小遣いを注ぎ込む気にもなれず、暫くの間彼女の歌を聴く機会を全く持たなかった。

後年、米国でパヴァロッティと共演した「トロヴァトーレ」の舞台で彼女を殆ど初めて聴く機会を持った。その時の彼女は既に全盛期は過ぎており大した期待を抱いはいなかったのだが、いざ幕が上がって彼女の歌を聴いたときにはそのヴォーカル・パワーに完全に圧倒されたことを今でも鮮明に記憶している。

終演後、あの評論家の彼女に対する批判はいったい何だったんだ?と恨みもしたが、自ら確かめもせず他人の評価に頼った自分の態度を大いに恥じたことも事実である。結局、実際の舞台で彼女に接したのはそれが最初で最後であったが、その後は彼女の全盛期のベルカント・オペラの録音を遡って次々と堪能したことは言うまでもない。

1991年にはデイム・ジョーンはメンバーが24人に限定されたOM(Order of Merit)を受勲している。これは、恐らく歌手としは初めてのことだと思う。(過去のOMの受勲者には、エルガー、RVW、ウォルトン、ブリテン、ティペット、メニューイン、チャーチル、アイゼンハワーなどがいる)

一方のデイム・グゥィネスの舞台には海外・日本においても幾度も接する機会があった。彼女はそのキャリアの初期ではイタリア・オペラを主としたレパートリとしていたが、その後ヴァグナーを中心にドイツ・オペラのレパトーリでディーヴァの地位を築きあげた。そのハイライトは何と言ってもバイロイト100周年のブーレーズ&シェローの「リング」でブリュンヒルデを歌ったことであろう。

実際に体験した彼女が出演した舞台で強く印象に残っているのは、「トゥーランドット」のタイトルロールと「ローエングリン」のオルトルートである。どちらも謂わば代表的な「悪女」役であるが、舞台上での彼女の存在感は圧倒的であったことを鮮やかに記憶している。特に、戦前の最高のトゥーランドット歌いと称されていたエヴァ・ターナー(Dame Eva Turner)直伝の彼女の歌唱は、ニルソン(Birgit Nilsson)以降のこの役の最高の解釈者であることは確かなことである。

丁度、ミュンヒェンで彼女のトゥーランドットの舞台を聴いた翌日、チューリッヒに移動するフライトが彼女と一緒になったときに、機中で前日の彼女の舞台を賞賛するために短い会話を交わしたことがあった。「悪女」役を演ずる舞台上の彼女とは正反対の非常に穏やかで優しい語り口が印象に残っている。

どちらのデイムも元来から極めつきのビッグ・ヴォイスの持ち主で、これは野球でいえば150Km/h超の剛速球を持つピッチャーのようなもので、オペラ歌手としては大きなアドヴァンデージであることには間違いない。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

November 06, 2004

The opera which is in high favor with prima donnas and audience

チレーア(Francesco Cilèa, 1866 - 1950)のオペラ、アドリアーナ・ルクヴルール(Adriana Lecouvreur)がミラノのTeatro Liricoで初演されたのが1902年11月6日。

タイトル・ロールはアンジェリカ・パンドルフィーニ、マウリツィオはエンリコ・カルーソ、ミショーネはジュゼッペ・デ・ルカなど、当時としてもかなり豪華なメンバーによって創唱された。

アドリアーナ・ルクヴルールは18世紀前半にコメディ・フランセーズの大女優として活躍したアドリエンヌ・ルクヴルール(Adrienne Lecouvreur、1692-1730)をモデルとしており、恋人のマウリツィオはザクセンのアウグスト2世の庶子(後に嫡子となった)であったモーリッツ伯爵、アドリアーナの恋敵役であるブイヨン公爵夫人も実在の人物であった。

このアドリエンヌは若くしてその才能を開花させた天才女優でラシーヌの悲劇を得意としており、ヴォルテールなどとの交友もあった。彼女は38歳で夭折し、その死因が謎に包まれていたためか19世紀半ばにEugène ScribeとErnest Legouvé によって芝居にされ、コメディー・フランセーズで上演された。伝説の大女優を主役に据えた作品のためか、その後の大女優にもこの芝居は甚く愛されたようで、アドリエンヌはサラ・ベルナール(Sarah Bernhardt )やエレオノーラ・ドゥーゼ(Eleonora Duse)など後世にも名を残した女優によって度々演じられた。

この様相はチレーアのアドリアーナ・ルクヴルールにも承継されおり、この作品自体は音楽的にさてし瞠目する内容はないのだが(個人的にはこの作品は目一杯評価してもせいぜい1.5流のオペラ)現在でも功成り名を遂げたプリマ・ドンナのお気に入りの演目の地位を獲得している。遡って、1860年代にはヴェルディもこの作品のオペラ化に興味を示したことがあったようだ。

戦前のMETでイタリア・オペラにおいてはアメリカ生まれのソプラノとして不動のプリマ・ドンナの地位を築いていたローザ・ポンセル(Rosa Ponselle)がこのオペラの上演をMETのマネジメントに持ちかけて拒絶され、彼女はそのキャリアの絶頂期にあったにも拘わらずこれを切っ掛けにオペラの舞台から引退したという因縁のオペラでもある。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 05, 2004

Easy to prepare a boiled egg for you

冷蔵庫に保存しておいた卵を好みの硬さに茹で上げるのは結構面倒くさいものである。冷えたまま熱湯に放り込むとかなりの確率で殻が割れてしまうし、たかがゆで卵のために常温に戻るまでじっと待つのも何か時間の無駄のようで口惜しい。

そこで電子レンジでは?ということになるのだが、当然電磁波がモノを温める原理では卵そのままでは確実に庫内で爆発する。以前、どこかのサイトで「電子レンジでゆで卵を作る」として、アルミ箔で包んだ卵を水をはったビーカーに入れてレンジで温めるという理科の実験のような方法が紹介されていたことがあった。要するに、卵に直接電磁波が作用しないようにして、水を温めた熱で間接的に卵を温めるという方法である。

QEB.jpg先日、ふとしたことから”Quick egg boiler”(写真左)なるモノを手に入れた。電子レンジ用の簡易ゆで卵器である。写真のモノは形状がニワトリの格好をしているが、卵型もある。これは1個用であるが、4個用のモノもある。1個用で600Wのレンジの場合半熟5分、やや固め7分、ハードボイルド8分が目安とか。

QEB1.jpg

この”Quick egg boiler”は3つのパーツ(写真右)から成り立っている。足つきの容器に水をいれてからアルミ容器を戻し、その上に卵を載せたらフタ(ニワトリ胴体)をしめて、あとは電子レンジでチン。容器内の水蒸気で卵をゆでるという仕組みなので、ゆで上がった卵を取り出すときは火傷には要注意。

これで、黄身の縁の部分が少々固まった半熟卵(個人的な好み)を簡単に食することができるようになった。

| | Comments (1) | TrackBack (1)

November 04, 2004

som la gent blau-grana・・・, Barça , Barça, Barça !

”Blog Yips”(こんな表現アリ?)に罹ったわけではないのだが、エントリの更新を一ヶ月近くサボってしまった。この間にわざわざアクセスして下さった皆さまには心よりお詫びを申し上げたい。

barca_logo.gif弊blog休憩中にも世の中イロイロあったわけだが、現在個人的に最も”enthuse”な対象はなんといっても”Barça”こと”FC Barcelona”である。そう実は隠れバルサ・ファン(かなりミーハーなので、自らサポータと名乗るのは恥ずかしい)であることを白状する。本来はホームタウン・チームであるFC東京を応援したいのだが、強さと脆さを併せ持つプレイ・スタイルが今ひとつしっくりこない。100年を越えるクラブ・チームと比較するのは気の毒だが・・・。(FC東京、自分達が10人だと勝ったりするのに、何で相手が10人になると勝てないの?)

これまでバルサとは縁が薄かったフランク・ライカー(オランダ - カタルーニャ・ラインは未だ健在なようだ)がラドミール・アンティッチの後任の監督に就任して以来、長期に渡る低迷からやっと脱出できたようである。現在はリーガ・エスパニョーラでは堂々の首位。

昨日(ホントは今日)の深夜に地上波で放映されたACミランを迎えたカンプ・ノウでのチャンピンオンズ・リーグの試合を見たのだが、新生バルサと呼ぶに相応しいリフレッシュされたチームに生まれ変わったことをしみじみと実感。あの広大なカンプ・ノウのピッチを自在に動き回る躍動感溢れる試合運びには感動すら覚えた。現在の我が(オイオイ)バルサのプレイ・スタイルは若さと直向きさが横溢しており大いに好感が持てる。これに比べると、時として自らの超絶技巧に溺れて墓穴を掘る”某銀河系連合チーム”が盛りの過ぎたヲヂさん軍団に見えるのが不思議。

ACミランには2対1で勝利したワケだが、ホーム・アドヴァンテージがあるにせよ内容ではボール・ポゼション、シュート数など全てにおいて圧倒していた。それにしても、試合終了直前に勝利のゴールを決めたロナウジーニョの得意技のまるで自分にパスするような鮮烈なフェイントには唖然!なんだぁ、ありゃ。

常に試合を支配していたためか、カンプ・ノウの9万人を越える(恐らく)観客にも昨シーズンまでのデスペレートな気分はないようで、お気楽な雰囲気で”Himno”を合唱していた。イイ感じ!

今シーズンのバルサで唯一残念なことは、スペイン国籍を獲得した”うさぎちゃん”(Conejo)ことハヴィエル・サヴィオラがライカーの構想から外れ(高額年俸も災いしたとか)、ASモナコに1年間のレンタル移籍したことか。blau-granaが良く似合っていた小柄で素早しこいプレイを見ることが出来ないのは残念。(今シーズンの7番はスキンヘッドのラーション)

それから、来シーズンからは1世紀を超える伝統を破ってblau-granaのフロントにスポンサー名が入るそうである。(個人的な好みでは、現在のユニより昨シーズンの襟付きの方が格好良かった。)

| | Comments (3) | TrackBack (6)

« October 2004 | Main | December 2004 »