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September 06, 2004

BUDAPEST 1900

1970年代以降の我が国で上演されたオペラ、特に海外からの引越公演に関してはほぼ網羅的に聴いておられるiizukaさん(実は「鉄」方面にもかなりディープな方である)が、徳永康元先生のハンガリー・ブダベストに関する著作を『徳永康元 ブダペスト三部作 』というエントリで紹介されている。

アテネ・オリンピックでは投擲競技のドーピング問題で一躍クローズアップされたハンガリーは人口約1,000万人の国にしては今回も金メダル8個を獲得しているスポーツ強国である。水球は伝統的に無敵といえる強さを誇り、水泳でもダルニュイ、エゲルセキなどのかつてのスーパースターを輩出した。サッカーでは1953年11月25日にウェンブリーでのイングランド不敗伝説を6-3で打ち破り、当時のイングランドのサッカー・スタイルを時代遅れなものとして葬り去った。

個人的にはハンガリーというと、オーストリア=ハンガリー二重帝国のヴィーンに対するもう一方の首都であったブダペスト(ブダペシュト)が思い浮かぶ。

ブダペストが繁栄を謳歌し都市として栄光の頂点にあった時代をさまざまな角度から描き出しているのがジョン・ルカーチ著の『ブダペストの世紀末~都市と文化の歴史的肖像』(BUDAPEST 1900 - A Historical Portrait of a City and Its Culture)である。

19世紀末、文化の爛熟を通り越し既に黄昏の時期を迎えていたヴィーンに対し、ブダペストは現代都市としての装いを整える発展の最中にあり、ヴィーン同様カフェを中心とした文化・芸術が開花していた。

元々はウラル山脈の南で遊牧生活を営んでいた民族が西へ西へと移動し、現在のハンガリー平原の地に辿り着いたのが約1000年前のことである。この人種・言語的に周囲からは孤立したマジャールの人々は歴史の中で一時期を除いて常に周囲からの圧力を受け続け、他民族との抗争においては完全な勝利や敗北を経験したことがなく、常に中途半端な挫折感を味わい続けたことで特異な性格が身についていったようである。

1867年に成立した同じハプスブルクの皇帝をハンガリー君主として推戴した二重帝国という政体もある種の妥協の産物であった。オーストリアとの力関係の結果とはいえ、外交・国防・経済などはヴィーンに任せハンガリーの内政だけに責任を持つというある意味「いいとこ取り」の政治体制はこの国の人々にある種の依存体質を醸成したようである。

オーストリアは帝国経営に当たって非スラブであるハンガリー貴族をスラブ人を押さえ込むために利用したわけであるが、逆な見方をすれば強者には諂い弱者には強面を発揮するという他民族との攻防のなかで身につけた性格には当を得た役割であったとも言える。ハンガリーは国内にロマ、ユダヤ人、スロヴァキア人など少数民族を抱えているが、マジャールの人々は立場の弱い民族に決して寛容ではなかったことは、ハンガリー出身のユダヤ人であるサー・ジョージ・ショルティや数学者にして大道芸人であるピーター・フランクル氏の語る少年時代の想い出によっても明らかなことである。

第一次世界大敗戦後にオーストリア=ハンガリー二重帝国は崩壊し、民族自決の当時の潮流に乗ってハンガリーは念願の独立を果たした。しかしその後は、国王のいない摂政というレジティマシーの怪しいホルティによる軍事独裁政権、ごく自然な成り行きでドイツで勃興したナチスと結びつき、第二次大戦の敗戦後は事実上スターリン・ソ連の支配下に落ち、ハンガリーという国の20世紀はほぼ失われた1世紀であったと言っても過言ではない。

この『ブダペストの世紀末』には、「ドナウの真珠」と呼ばれヴィーンなどよりも余程ドナウ川と深い関わりを持つブダペストが、最初で最後に輝きをもった時期の特異な都市文化の様相が多面的に論考されている。

ブダペストの近況に関しては、篠の風さんの”Mein erster Blog ”のエントリ”休暇3日目 3/7---ブダペスト1日目”からの一連のブタペスト旅行記をご参照願いたい。

尚、マジャール人がウラルから現在のハンガリーへの西進の途中で現在「ユダヤ人」のマジョリティである「白いユダヤ人(アシュケナージ)」のルーツと言われる、8世紀にユダヤ教に集団改宗したハザール人の支配を受けていたことは非常に興味深い。

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Comments

TBありがとうございます。何に驚いたって、3人ハンガリー人にマエストロコバヤシを知っているかと聞いてみたら、全員本当に知っていたことです(笑。

Posted by: ユウスケ | November 07, 2004 at 03:42 PM

私のハンガリー語-日本語辞書見えてください。
http://www.JapanMagyarSzotar.hu
ありがとう!

Posted by: Tamino | November 26, 2004 at 09:23 PM

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