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June 24, 2004

The dark shadow of the coming breakdown

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1935年6月24日、ドレスデンにおいてシュトラウスの11作目のオペラ『無口な女』(Die schweigsame Frau)がカール・ベームの指揮の下マリア・チェボターリ、エルナ・ザックらによって初演された。

6つのオペラの台本を担い、10歳年下ではあったが友人にして芸術上の伴侶ともいうべき作家フーゴー・フォン・ホフマンスタールを1929年7月15日に失ったシュトラウスは、新たなオペラの台本作家を求めていた。1931年、未だホフマンスタールとの最後の作品である『アラベラ』(Arabella)の完成を目指して仕事をしていた作曲家は、出版社(Anton Kippenburg)の推薦でシュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)にアプローチした。

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当時、詩文のホフマンスタールに対して散文のツヴァイクと言われたように、この作家は小説や伝記で既に一家を成していた。ヴィーンの裕福なユダヤ系の家庭に生まれたツヴァイクはホフマンスタールと同じような出自で、どちらもヴィーン文化の正統な継承者であった。

ツヴァイクはシュトラウスと知り合った経緯を、『昨日の世界』(Die Welt von Gestern)では、

それまで、シュトラウスと個人的に会ったことはなかった。「自分のためにオペラの台本を書いてくれないか?」という申し出を、大変名誉なことに思い、それを受けた。早速、ベン・ジョンスンの『無口な女』を新たなオペラの題材として提案したところ、シュトラウスは素早くそれに同意した。彼が芸術に対する機敏な理解力と、作劇術の驚くべき知識を持っていることは、私にとって思いも寄らぬことであった。

と述懐している。

シュトラウスはツヴァイクに「芸術形式としてのオペラは終わった。ヴァグナーの存在はあまりに巨大で誰も彼を越えることは出来ない」、しかし「自分はそれをすり抜ける方法を知っている」とバイエルン風にほくそ笑んで語ったそうである。

シュトラウスはツヴァイクが提供した「無口の女」の台本に非常に満足し、時代設定を18世紀初頭からその後半に移した以外はその内容には殆ど異論を唱えず(ツヴァイク曰く、一行の修正もなく)曲作りもこれまでになく順調に進んだ。このツヴァイクの仕事に対してシュトラウスは『フィガロ』『セヴィラ』以来の最高のオペラ・ブッファの台本であるという称賛の言葉を作家の紹介者であるKippenburgに手紙で伝えている。

ツヴァイクは1933年1月中旬に『無口な女』の台本を完成し、それを受けてシュトラウスは1934年10月20日に序曲を除くフルスコアを完成した。ツヴァイクはさらに、シュトラウスと共作する2つのオペラの構想を作曲家に提案する。これが後に『平和の日』(Friedenstag)と『カプリッチョ』(Capriccio)という作品になるわけだが、そこに台本作家としてツヴァイクの名前は残っていない。

制作は順風満帆に進んだ『無口な女』であるが、ここに時代の暗い影が忍びよってきた。ドイツにおけるナチの台頭である。政権を手中に収めたナチス政権下、1933年11月にシュトラウスはゲッベルスによって新たに創設された「帝国音楽局」の総裁に就任した。この時のシュトラウスの取った行動が戦後批判されるわけであるが、彼はある意味で自己中心的で、政治的な嗅覚に欠けた「ドイツ」の作曲家であった。

当時、「何故ナチス支配のドイツを後にしなかったのか?」という問いに対して、「ドイツには56のオペラ・ハウスがあるが、アメリカにたった2つ(彼の認識ではN.Y.とS.F.のみ)しかない、これは即収入の著しい低下に繋がる・・・」とシュトラウスが語ったと、ユダヤ系指揮者オットー・クレンペラーが述懐していた。

ナチスは、ドイツが世界に誇る作曲家と「ペルソナ・ノン・グラータ」とも言うべきユダヤ系作家による『無口な女』を問題視し始め、この作品が初演を迎えるまで数々の陰謀と中傷が続いた。しかし、シュトラウスはドレスデンでのベーム指揮によるチェボターリ以下のリハーサルに臨んで、この作品に対する自信を深め、ツヴァイクに向かって「例え21世紀まで待たされたにせよ、この作品は傑作である」と語った。

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初演の2日前に、「無口な女」のチラシにツヴァイクの名前が無いことに気づいたシュトラウスは、作家の名前を入れない限り即座にドレスデンを去ると烈火のごとく怒りを露わにした。ドレスデンの監督であったパウル・アドルフが自らの責任でツヴァイクの名を加えたが、これが原因で彼はこの職を追われた。

ドレスデンでの『無口な女』の初演は悪天候によるフライトの遅れを理由にヒトラー、ゲッベルスの臨席はなかったが、聴衆からも批評家からも絶賛を浴び、大成功であった。さらに3回の公演が行われたが、7月中旬に突然このオペラはドイツでの公演は禁止されるという事態になった。その原因は以下の通りである。

状況を察した、繊細な神経を持ったヴィーン人ツヴァイクはシュトラウスに宛てて「この作品から自分の名前を外すよう」手紙を出した。

これに対し、政治問題に極めて鈍感なバイエルン人シュトラウスは即座に怒りを込めて、作家を励ます意味で

・・・、自分にとっては才能のある人間とない人間の二種類しかいない。自分にとって民族とは、聴衆となってはじめて意味を持つ。それが、中国人、オーバーバイエルン人、ニュー・ジーランド人、あるいはベルリン子であろうが、現金正価を払ってくれれば誰でもよい・・・

という有名な返事をツヴァイクに送った。その手紙は作家に届く前にザクセン総督からヒトラーに渡り、シュトラウスは「帝国音楽局」の総裁職からの辞任に追い込まれた。

そして、このオペラはドイツにおいては敗戦を迎えるまで輝きを失うことになった。

この『無口な女』は、ヴィーンと初演地ドレスデンで同ープロダクションの上演を観たことがある。店主お気に入りのマレッリの瀟洒な佇まいの舞台は素敵で、良くできたコミック・オペラであることは認めるが、シュトラウスが言う程の彼の「大傑作」かしら?というのが正直な印象であった。

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