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June 04, 2004

Obituary ~ Nicolai Ghiaurov

Opera Star Nicolai Ghiaurov Dies at 74(AP)

ghiaurov.jpg

第2次大戦後に活躍した最高のバス歌手の一人である、ニコライ・ギャウロフが6月2日に、モデナの病院において夫人であるミレッラ・フレーニに看取られて亡くなった。享年74歳、死因は心臓麻痺と伝えられている。ついこの1月まではヴェネチアで舞台を務めており、巨星墜つの感がある。

ニコライ・ギャウロフはブルガリアはヴェリングラードで教会の堂守の息子として生まれ、子供の頃は聖歌隊のボーイ・ソプラノ(本人曰くはコロラトゥーラ・ソプラノ)として歌っていた。その後、ソフィア音楽院、モクスワのチャイコフスキー音楽院で学んだ。ギャウロフは音楽修行中は声楽だけではなく、クラリネット、ピアノもこなし、ヴァイオリンはオイストラフの指導を受けたこともある。

1955年にソフィアのオペラハウスで『セヴィラの理髪師』のバジリオが初舞台。その後、ラ・スカラ、コヴェント・ガーデン、ヴィーン、シカゴ、METとインタナショナル・キャリアを築いていった。そのハイライトが65年のザルツブルク音楽祭でのカラヤンとの出会いであろう。その年と翌年は『ボリス』、75年には『ドン・カルロ』のフィリッポ2世で名声を確固たるものとした。この二役とグノーの『ファウスト』でのメフィストが彼の"Signature roles"となった。

かつて、NYTimesでハロルド・ショーンバーグはMETでのギャウロフに『エツィオ・ピンツァやフョードル・シャリアピンと同様な存在感を持つ歌手』と賛辞を呈していた。彼の持つ壮麗な声と確かな演技力の故、ヴィーラント・ヴァグナーなどからドイツ語のレパートリを歌うように勧められたが、自身のドイツ語の不自由さを理由にマルケ王などヴァグナーのオペラに関しては最後まで聴き手の側に留まった。

ヴィーンでも、マルセル・プラヴィーにオックス男爵を歌うよう勧められたが、固辞し結局は実現しなかった。シカゴでは1度だけオックスを歌ったことがあるらしい。

ギャウロフはピアニストである最初の夫人との間に2人の子供をもうけており、息子のウラディミールはブルガリアで指揮者として活躍している。ギャウロフ・フレーニ夫妻のコンサートの指揮を執るために来日したこともある。娘のエレーナはイタリアで女優をしている。

彼を最後に舞台で聴いたのは、1996年のチューリヒだったと思う。その演技力と舞台上で存在感は昔のままであったが、流石に声からはかつての壮麗な響きは失われており、墨絵を想わせるモノトーンなものになっていた。

カルロ・ベルゴンツィが追悼の言葉で述べている通り、真の意味での彼の後継者は未だ出現していない。

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Comments

またひとつの時代が終わりましたね。 TrackBack 打たせて頂きました。

Posted by: 【篠の風】 | June 04, 2004 at 06:50 PM

こちらでは初めまして。ご無沙汰しております。
お元気でご活躍の様子、何よりです。
友人からのメールで訃報を知り、ショックです。
93年のボローニャ歌劇場来日公演で1度だけ
スパラフチーレを聴き、その存在感に圧倒されました。
今となってはフィリッポは是非聴きたかったです。
昨日から我が家にある彼の録音を聴き、偲んでいます。
今はムーティの「アイーダ」。立派です…。

Posted by: ぐ。 | June 05, 2004 at 11:19 AM

この年代の、しかも今年の初めまで現役だったアイコニックな人が亡くなると否が応でも我々は既に21世紀という時代にいることを実感させられます。

ギャウロフは後進のバス歌手の目標あるいは規範となった人だと思います。マリリン・ホーン、ベヴァリー・シルズなどが彼と同年の生まれですね。

Posted by: Flamand | June 05, 2004 at 01:16 PM

そんなギャウロフでも敢えてドイツものに挑戦しなかった、という「節操」を、どこかのテノール歌手にも教えてあげたいですね(;_ _)。DGで編集したアリア集を買ってきました。やはり「立派」。あと、「ファウスト」の映像があったので、それも観てみます。

Posted by: ぐ。 | June 05, 2004 at 05:58 PM

ギャウロフがアルプスの北のレパートリに手を出さなかったのは、確かに「節操」ある行為には違いないのですが、本当にその気が、有りや無しや、に関してはワタシが読んだインタヴュではその真意は分かりませんでした。

第一は「ドイツ語」が得意でないこと(特にオックス男爵はヴィーン訛が致命的)、第二にその時点ではもはや訳詞による上演は一般的ではない、ことを理由に挙げていました。本人はヴァグナーは大好きであるとも語ってました。

ワタシの個人的な勘ですが、もしギャウロフが生まれるのが15年ほど早ければイタリア語でヴァグナーを歌っていたかもしれないと思っています。

ここいらへんの事は一度エントリで取り上げてみたいと考えています。

Posted by: Flamand | June 05, 2004 at 08:01 PM

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