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June 28, 2004

Japanese bureaucracy

Management_Challenges.jpg

昨日のエントリ”The company which does not seek the profit”を書いていて、ピーター・ドラッカーの言葉を思い出し、正確な文章を引用するため久しぶりに『明日を支配するもの』(MANAGEMENT CHALLENGES for the 21st Century)を開いてみた。余談になるが、個人的には英語のタイトルをそのまま素直に訳したほうが、本書の内容を良く現しているような気がする。

ドッラカーは日本版の付章として、「日本の官僚制を理解するならば」という文章を書き加えている。マネジメントの泰斗というよりは社会学者としてのドラッカーの視点で書かれており、ここにご紹介させていただく。

ドラッカーはアメリカの対日政策として、政治家、日本専門家、ビジネスマンにとって固定観念となっているものとして以下の項目をあげ、それが間違いであることを指摘している。

(1)政策決定や行政指導にみられる官僚主導は、日本独特のものである。

(2)官僚を権力者から公僕に変えることは難しくない。

(3)官僚主導は、先進国社会には必要ない。民主主義にとっても好ましくない。

(4)規制緩和への抵抗、とくに金融分野での抵抗は、官僚の支配欲によるものであって、その害たるや甚大である。

(5)結局、賢明な日本は、アメリカと同じように経済原理に従うようになる。

これに対しドラッカーは以下の事実を間違いの証左としてあげている。

(1)官僚主導は、あらゆる先進国にみられる。アメリカ、オーストラリア、ニュー・ジーランド、カナダなど英語圏の国のほうが例外である。日本よりも官僚が力をもつ国は、フランスをはじめいくつもある。

(2)官僚という指導層は、一般的に考えられているよりもはるかにしぶとい。不祥事や無能が暴露された後も、長く力を持ち続ける。

(3)先進国では、アメリカは別として、秩序の維持には一定の指導層の存在が必要だと考えられている。後を継ぐべき指導層が現れなければ、既存のものに頼るしかない。今日の日本には、官僚の後を継ぐものはない。

(4)日本は、これまで問題の先延ばし戦略で成功してきた。この40年間に、解決不能とされていた社会的な問題を、問題の解決ではなく、問題の解消によって解決した。今日の金融システムの脆弱さからして、今度ばかりは先延ばし戦略もうまくはいかないだろう。しかし、経験的には、日本の先延ばし戦略はあながち不合理ともいえない。

(5)しかも、日本の政治家、官僚、経済界にとっては、経済も大切だが、社会のほうがさらに大切である。したがって、先延ばし戦略にもそれなりの理由がある。

「天下り問題」は自分の父親のオーストリアでの例を引き、これをアメリカを含め、世界共通の慣行であり、日本の官僚機構を、この25年間失敗の繰り返しであったとしているが、家柄や富ではなく、能力に基礎をおく指導層というものは、恐るべきしぶとさがあると述べている。

先に挙げた5つの証左を19~20世紀の歴史上の事実を取り上げて、解説している。アメリカという国は19世紀初め以降、指導層というものをもったことがなく、これは世界では例外的なことであるとも述べている。

日本の指導層である官僚が不作為という振る舞いを取る理由として、明治維新と敗戦時に、社会の崩壊と内戦の危機を経験したことによるもので、国家運営としての最重要課題を「社会」の安定としているためであると分析している。

官僚が問題解決の先送り戦略(何もしない)で成功したこととして、農業政策と流通政策を挙げ、欧米流の行動を取って失敗したのは景気回復のためのバブルであったとしている。

ドラッカーの言う「成功」と「失敗」とは経済上の意味ではなく、国家運営上の最高のプライオリティで、という意味である。第二次大戦以降のアメリカが安全保障の次に重要視したのが経済であるのに対し、日本の指導層の最大関心事は「社会」であった。

確かに、近代以降の日本人は崩壊した社会というものを経験したことは無いと思われる。ただ、昨今の我が国の風潮には、この「安定した社会」というものにも無関心になってきたような兆しが見て取れる。

ドラッカーはその他の著作でも、この50年間の最大の出来事は経済大国としての日本の出現で、現代の「世界史」を生み出したのは明治維新だと述べており、この付章、「日本の官僚制を理解するならば」の内容が日本の読者へのリップサービスだけであるとも思えない。

ドッラカーの官僚に関しての結びの言葉は以下の通りである。

もちろん官僚の擁護などは異説である。だが、異説というものは、通説よりも真実に近いことが少なくないことを知って欲しい。

ここまで、言い切られてしまうと芸術の世界と殆ど変わりがない。




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Comments

ドラッカーの興味深い「日本の官僚」に対する話、トラックバックありがとうございました。

本音の部分で言ってしまうと、海外に比較して、ですが、日本の官僚諸氏はやはり優秀であると思っています。あくまで比較の問題ですが、政治家のほうはダメダメな人の行いがときどき目立ってくる、という風に見ています。

本当のところ選んだ人が一番悪い、というのが結論だったりするのですが、こればかりはどうにもならないような…。

Posted by: miyakoda | July 07, 2004 at 02:56 PM

結局、日本の役所がときとして極端に評価されなくなるのはこういうこととか、ああいうこととか。こういう問題をうまく処理するための内部ルール作りって、絶対に不可能なものなのでしょうか。

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1570102516/E1005265976/index.html

http://miyakoda.jugem.cc/?eid=47

Posted by: miyakoda | July 07, 2004 at 03:03 PM

トラックバックありがとうございました。

今まで世の中で言われているものとは違う見方でなんか私が知りたいことが書いてある!って気がしました。外国人が書くとかなり冷静に書いてありますよね。

EUも確か今EU憲法などを策定していると思いますが、その官僚機構は日本とは比べ物にならないほど強固だそうです。「家柄や富ではなく、能力に基礎をおく指導層というものは、恐るべきしぶとさがある」そうですが、やっぱりそうですよね。。。なるほど。これからも官僚のこと少しずつ理解していきたいと思います。

Posted by: Hiroette | July 09, 2004 at 04:40 PM

コメントありがとうございます。

ドラッカーの見解は、彼は長年米国に住んでいますが、やはりヨーロッパの人(オーストリア人)のものですね。

EUは様々な問題を抱えつつも25ヶ国にまで拡大しました。矛盾だらけで上手く行くわけが無いと断ずる識者もいますが、要注目です。このところの中国の接近ぶりも注目に値します。EUは当初は、アメリカ「合衆国」を目標としていた時期もありますが、現在ではそれは完全に否定されているようです。

EUの次の壁はトルコの加盟問題でしょう。現在のEUの共通概念は民主主義とキリスト教だといって間違いないでしょう。しかし、既に域内に多くのイスラム教徒を抱えており、トルコ加盟を拒絶する理由はない、とする人々もいます。

アメリカがトルコ加盟の後押しをしているのは、単に彼らの「国益」上の問題で、EUの存在に対する哲学的な思慮などは殆ど感じられません。

Posted by: Flamand | July 09, 2004 at 06:04 PM

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