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June 22, 2004

Full of vicissitudes

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あるバイオグラフィーによると本日6月22日はメゾ・ソプラノ、ジェニー・トゥーレル(Jennie Tourel、本名はDavidovich)の誕生日ということになってる。但し、彼女はその生年月日はおろか、経歴も謎に満ちた人である。

彼女はかつては、1910年生まれのロシア系カナダ人と言われていたが、実際には1900年に現在のベラルーシで比較的裕福なユダヤ人家庭で生まれたらしい。但し、その誕生日は6月9日、26日という説もあり、生年も1898年、99年という説がある。女性歌手にはありがちなこと(我が田中路子もパスポート発給時のドサクサに紛れて同様なことをした)ではあるが、それにしても10年とは随分と大胆にサバを読んだものである! このことが、後年彼女の経歴が錯綜したものになった原因となった。

彼女は一家とともにはザンクト・ペテルブルクに移り、フルートとピアノを学んだ。ロシア革命後、一家はダンツィヒ(現グダニスク)に一時的に逃れる。この地で、1918年に彼女は『ヘンデルとグレーテル』で舞台へのデビューを果たしたと言われている。これも後年明らかになったことで、もし生年が1910年のままだと8歳の時ということになってしまう。

その後、一家はベルリン、スイスを経由してパリに落ち着くことになる。この地で彼女は予てより「歌手、女優になりたい」という希望を叶えるべく、本格的な声楽の修行を始めた。その時の師匠がAnne El Tourというソプラノ歌手で、彼女はその名のアナグラムを使ってその後のステージ・ネイム(EL Tour→Tourel)とした。

彼女は1929年シャンゼリゼ劇場で『イーゴリ公』の端役を歌ってパリでのデビューを果たした。1930-31年のシーズンにシカゴ・オペラにおいてアメリカ・デビューをしたが、決して大きな役を歌ったわけではなく、当時のシカゴ・オペラの記録には彼女の名前は残っていない。この時期に「1910年生まれのロシア系カナダ人の歌手」という伝説が作られたようである。

そして、このシカゴにおいて彼女は当時のスター歌手達(フリーダ・ライダー、クラウディオ・ムッツィオなど)と同じ舞台に立った。1933年、オペラ・コミークのメンバーとなるべく彼女はパリに戻り、1939年までここを本拠地としてカルメン、『ウェルテル』のシャルロッテ、『ノルマ』のアダルジーザなどを歌っていた。

1937年にはミニヨンで遂にMetデビューを果たし、その後カルメンでも舞台に立った。当時のMetのラジオ放送では「カナダ出身のソプラノ」として紹介されていた。ここで、隠されていた10年間の生年の違い故か、27歳(実際には37歳)にしては成熟した歌唱という評価を得たらしい。

ナチのフランス占領に伴い、彼女はポルトガルに逃れ、1941年には何度か失敗した後にやっとアメリカでコンサート・シンガーとして音楽活動の場を得ることができた。1943年にはMetと契約を結び、『セヴィラ』のロジーナ、カルメン、アダルジーザなどを歌った。彼女がMetにおいてメゾ・ソプラノによるロジーナを創唱した。しかし、彼女の歌うロジーナは当時の聴衆からの広汎な支持は得られなかった。

ジンカ・ミラノフのノルマで彼女の歌うアダルジーザのライブ録音を聴いたことがあるが、現在でも充分過ぎるほど通用する立派な歌唱だったと記憶している。

METでは1947年まで舞台に立っていたが、次第にオーマンディ、ストコフスキー、クーゼヴィツキー、後のバーンスタインなどと共演を果たし、次第にコンサート・シンガーとしての地位を確立していった。彼女のアメリカにおいて真の成功を勝ち得たのは、トスカニーニが指揮するベルリオーズの『ロメオとジュリエット』だったと言われている。

1946年にアメリカ国籍を獲得した彼女は1950年を最後にオペラのステージから引退する。その後のバーンスタインとのコラボレーションは彼女が生涯を終える1973年まで続くことになった。

晩年彼女はジュリアードで後進の指導にも当たったが、その教え子として現在も活躍している人ではバーバラ・ヘンドリクスやニール・シコフの名前を挙げることができる。

ほぼ同じ年齢であった、ヘレン・トゥロウベルと彼女を比較すると(勿論、声域、レパートリが全く違うので単純な比較はやや無理があるが)、トゥロウベルの良くも悪くもグランド・マナーでオールド・ファッションな歌唱スタイルに比べると、トゥーレルのモダンなスタイルには驚かされる。この二人が本当にMetで同時代の空気を共有していたとは俄には信じ難いものがある。

ある意味、当時としては音楽辺境の地アメリカでひたすら本場指向で修行した歌手と、インターナショナルなキャリアを歩むことを余儀なくされ、決して平坦とは言えない道程でその才能と才覚で自らの運命を切り開いた歌手の違いなのかもしれない。トゥーレルは常に時代の変化に敏感にならざるを得なかったのであろう。

ロシア語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語で歌うことを苦もなくこなした彼女は、コンサートにおいても知性によって裏打ちされた広汎なレパートリを誇ったが、とりわけロシア歌曲・フランス歌曲においてはアメリカのステージで他の追従を許さない地位を確立していた。

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Comments

「知らなかった〜、」第2弾です。(-_-;)
わたしはもともと、男声歌手の方に興味が傾いてしまっていますが、それにしても、不勉強ですね。(-_-;)
読み物としても面白いです。
いや〜、ありがとうございます。

Posted by: 【篠の風】 | June 22, 2004 at 11:02 PM

音楽でもマイナーなクラシック、クラシックの中でも我が国ではファンの少ないオペラ、オペラといってもドミさま、カレさま、パヴァさまの3○○大将も殆ど登場しないという、興味を持たれる方は10万人に1人もいないエントリだと思います。コメント頂けるだけで大感謝でございますm(_ _)m

Posted by: Flamand | June 23, 2004 at 12:16 AM

トゥーレルというと、やはりマーラー好きの私にとってはバーンスタイン/ニューヨーク・フィルとの録音で聞いたものですが、当時(70年代)高校生だった私でも何かお歳を感じるものでした。60年代の録音当時60歳代だったのですね。70年頃には70歳!

それにしても先輩の博識には舌を巻いています。毎回書かれていることはすらすらと書けるほど熟知されているのでしょうか?知らないことばかりでコメントすらできない後輩です。

Posted by: だぽ. | June 23, 2004 at 03:54 PM

だぽ.さま、こんにちは。

流石に、トゥーレルもバーンスタインと録音をしたころは年寄りの声になっていましたね。エントリに書いた『ノルマ』のアダルジーザは素晴らしいですよ。

音楽関連のエントリで純粋にワタシのアタマから出てきているのは、個人的体験・感想・評価にあたる部分だけです(^_^;)。

その他は、その気になれば皆さんでも容易に手に入る資料の継ぎ接ぎです(お記録本屋ですから)。従って、若干アタマを使うのは、横のモノを縦にする作業(翻訳)と幾つかのソースを矛盾なくサマリすること位です。殆どが、目と指で書いているといっても過言ではありません。ただ、基本的な文章修行をしておりませんので、構成・校正能力がゼロ、従って文章が無駄に長くなるという欠陥を抱えております(^_^;)

Posted by: Flamand | June 23, 2004 at 04:34 PM

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