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June 20, 2004

Brünhilde at the Copacabana

traubel.jpg

6月20日は、第二次大戦前から戦後にかけてMetで活躍したヴァグネリアン・ソプラノ、ヘレン・トゥロウベル(Helen Traubel)がセント・ルイスのドイツ系の家で誕生した日である。

彼女はMetにおいて、一時代を画したワグネリアン・ソプラノであったが、その歌い手として人生は決して平坦なものではなかった。幼少の頃から声楽を学び、1923年にセントルイスSOとの共演でプロの歌手としてデビューした。彼女は、創成期のMetの指揮者として活躍したレオポルト・ダムロッシュの息子で作曲家のウォルター・ダムロッシュの「The Man without a Country」の主役としてMetでデヴューを果たしたのは1937年のことだった。

しかし、当時フラグスターやマージョリ・ローレンスがヴァグネリアン・ソプラノとして君臨していたMetでは、彼女が歌いたいと望んでいたヴァグナーの役が与えられることはなかった。ミトロプーロスやバルビローリらとのラジオやコンサートでの共演で聴衆の支持を受け、それがMetのマネージメントを動かした。当初はタンホイザーのヴェーヌスの役を与えられるが、彼女はこれを役不足と感じたのか断った。非常にプライドが高い人だったようだ。1939年にはやっとヴァルキューレでフラグスターのブリュンヒルデに対してジークリンデを歌った。

第二次大戦がはじまって、彼女の運命は転回する。フラグスターはノルウェーに帰国し、ローレンスは小児麻痺を患い舞台から退いた。彼女はそれまでMetに君臨していたDivaたちのイゾルデ、ブリュンヒルデを引き継ぐ形でこれらのドラマティック・ソプラノの役を担うことになった。その期待に応えて、彼女は直ちにそれらの役柄を自分のものとし聴衆の支持も受けた。

しかし、この晩成のソプラノは戦後新たに総支配人の地位についたルドルフ・ビングとの邂逅によって、また運命に弄ばれることになる。当時、彼女はMetばかりでなく、ナイトクラブにも出演していたらしい。これを、ビングは容認せず、Metとの契約は更新されなかった。1953年のイゾルデが彼女のMetでの最後の舞台となった。

その後彼女は、ニュー・ヨークのコパカバーナ、シカゴ、ラス・ヴェガス、マイアミなどでクラブやTVショウなどに出演した。彼女はサンタ・モニカで晩年を過ごし、1972年に亡くなった。

彼女の歌うヴァグナーは、柔軟かつ力感に溢れた立派な歌唱であり、高域に若干の難題を抱えていたが第一級のワグネリアンであったことは間違いない。どちらかと言えば、体温の高い歌声で、ディグニティを全面に押し出す歌唱スタイルは、フラグスターほどの神々しさはないにしても同時代の人であり、ヴァルナイ、ニルソンなどとは明らかに世代の違いを感じる。

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しかし、彼女はナイト・クラブでいったい何をどのように歌っていたのであろうか?まさか、ホーヨ・トゥーホと叫んでいたとも思えないのだが。ご存じの方がおられれば、是非教えて頂きたいものである。

尚、左の写真は彼女の名が冠されたハイブリッド・ティーの薔薇で1951年にアメリカにおいて作出され、当時の幾つかの品評会でアワードを獲得した名花である。


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Comments

このソプラノ(も)知りませんでした。(-_-;)
毎回、読んで楽しい、貴重な情報に感謝。(^_^)

Posted by: 【篠の風】 | June 20, 2004 at 07:09 PM

過分なお言葉、恐れ入ります(._.)

ご存じないのは、もっともだと思います。第二次大戦とMetでの成功という2つの要因で、彼女は恐らくヨーロッパでは歌ったことがなく、彼の地では全く無名な人だと思います。ワタシの場合は、歌手ヲタなもんで(^_^;)、たまたま知っていただけです。

"The people's diva"と呼ばれた、ドイツ移民のドラッグストアの店に生まれた彼女は、なかなか多彩な人だったようで、ミステリー小説なども書いていたようです。現在でもSt. Louisにとっては郷土の「誇り」の一人のようです。

戦後のMetの支配人として君臨したルドルフ・ビングはかなり癖が強い人だったようで、ノルウェーからFlagstadをMetに復帰させたいために、Traubelが犠牲になったようです。両者と共演したことがあるLauritz MelchiorはFlagstadをダイヤモンド、Traubelをルビーに例えていました。

ナイトクラブ出演を理由にしていますが、これは全くの言い掛かりで、同じ頃に同じような芸能活動をしていたフランス出身のLily Ponsは全く問題視されませんでした。

それにしても、ヴァグネリアン・ソプラノがいったい何を歌っていたんでしょうね、ナイト・クラブで?ワタシだったら、決して行きませんね、そんなクラブには(^_^;)

Posted by: Flamand | June 20, 2004 at 07:53 PM

バーンスタインと一緒にマーラーをやったものが
何かありますね。思い出せないけれど。

こんな波瀾万丈の人とは存じませんでした。

Posted by: ガーター亭亭主 | June 21, 2004 at 05:24 PM

お陰様で、ポルトガル無事グループ・リーグ突破\(^o^)/

それはさておき、
>バーンスタインと一緒にマーラーをやったものが

それは存じませんでした。調べてみたらTraubelが歌うリチャード・ロジャースなどのミュージカル・ナンバーの録音が残っていますね。ワタシは聴きたくないっス、あんな分厚く巨大な声でのポピュラー・ソングは。(喰わず嫌い?)

Posted by: Flamand | June 21, 2004 at 07:15 PM

あ、、、間違えました。
トゥーレルです、私の言いたかったのは。

う~ん、恥ずかしいです。

今日は朝からテレビでは「引き分けでも決勝トーナメント進出」と、ずーっと言っています。>フランス

しかし、ポルトガルはよくやりましたねぇ。おめでとうございます。

Posted by: ガーター亭亭主 | June 22, 2004 at 02:00 AM

あっ、Jennie Tourelね。この方は、DomesticなTraubelとは対照的な、アメリカに落ち着くまではInternationalでよりDramaticな人生を送った人です。

Posted by: Flamand | June 22, 2004 at 03:06 PM

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