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May 29, 2004

Frau De Kowa-Tanaka ~ その6

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デ・コーヴァ邸は空襲の被害からも免れ、ベルリン市街戦後のソ連軍進駐時の危機もデ・コーヴァ、路子の機転でなんとか切り抜けた。その後、彼らの邸が英軍の占領支配下にあったことも幸いした。故ユリウス・マインルの秘書や知己が英軍の上層部におり、占領下とはいえデ・コーヴァ夫妻は謂わばベルリンの特権階級として遇された。

1950年を過ぎる頃から、ベルリンを訪れる日本人が現れるようになった。この頃路子の尽力により日独協会が設立され、デ・コーヴァ邸は私設領事館の様相を呈してくる。ベルリンに総領事館が開設されたのは1955年になってからである。

路子はその女主人として持ち前の気風の良い性格ゆえから、ベルリンを訪問する政治家、財界人、学者、芸能人などの世話を積極的にするようになる。とりわけ、音楽関係者特に留学生に対してはことの外彼女は面倒見の良さを発揮した。

留学時代になにがしか彼女の世話になった音楽家は数え切れないほど多いが、大賀典雄、大町陽一郎、園田高弘、植野豊子、小澤征爾、樋本栄、若杉弘、長野羊奈子、荒憲一、野村陽子、原田茂生、宇治操など後に活躍した人達がいる。

ただ、彼女の世話好きは徹底しており、”ほどほど”ということを知らないため、中には大いに煙たがった人達もいたようである。ここでは詳しくは触れないが、「小澤征爾燕尾服事件」、「諏訪根自子のストラディヴァリウス」など如何にも田中路子といった逸話も多い。

舞台を引退するなら日本でという路子の希望で、1962年12月10日に日比谷公会堂で引退公演が行われた。路子53歳のときであった。

1969年にはデ・コーヴァは路子を伴って在ベルリン邦人に対するケアに感謝する意味で外務省の招待を受けて来日した。二人は日本での休日を満喫するが、このときデ・コーヴァの喉頭ガンが発見された。路子の強い勧めにも拘わらず、デ・コーヴァは俳優として命である「声」を失うことを恐れ手術を拒否した。

ドイツに帰りデ・コーヴァは治療を続けながらも舞台演出などの仕事を行ったが、1973年4月8日に帰らぬ人となる。享年69歳であった。路子はデ・コーヴァとの想い出に封印するごとく、翌年1974年にルーレーベンの邸をうりはらい、ゾフィー・シャルロッテン通りのアパートメントに居を移した。

その後、1979年に彼女はミュンヒェンにある有料老人ホームと呼ぶにはあまりに豪華すぎる施設の住居を購入し移り住んだ。流石、田中路子だなと感じさせられたのは、未亡人となってからも彼女は恋愛に対しては自らの欲求に素直に従っていた、ということである。その証左として、彼女自らデ・コーヴァ亡きあと、当時の西独政府・社民党の要人との恋愛関係にあったことを認めている。ただ、その相手は当時一部で噂に上っていた、ヴィリー・ブラントやヘルムート・シュミットではないと断言していた。やはり彼女は最後まで、常に「今」を生きた人だった。『ミチコ・タナカ 男たちへの賛歌』では、著者である角田房子との対話は1981年のミュンヒェンで終わっている。

そして、田中路子は1988年5月18日その生涯を終えた。

田中路子の命日の直前、偶然古本屋で巡り逢った角田房子著の『ミチコ・タナカ 男たちへの讃歌』をきっかけに、長々とエントリを書き連ねてしまったのにはそれなりの理由はある。

まずは、明治生まれの日本人の信条、江戸っ子の気風の良さ、ヴィーンの文化的教養、プロシア的な合理精神と思慮深さに欠けた奔放な性格が不思議なバランスで同居している田中路子という極めて希な人格とその過ごした数奇な生涯に惹かれたことである。

そして、彼女が没して15年しか時が過ぎていないにのに、ネット上に彼女自身に関する情報が殆ど見あたらず、このサイトがいつまで続くかは分からないが、過去にこのような「快女(怪女ではない!)」とも呼べる日本の女性が生きていたということを残しておきたいという身の程知らずで不遜な欲求にかられたのである。クーデーホーフ光子はもとより、ラ・グーザお玉、モルガンお雪、薩摩治郎八(これは男性)と比べても彼女のサイバースペースでの情報量は非常に少ない。

当初は、彼女の弟子や世話になった人達はほとんど健在であるのに不思議な気もしたが彼女の生涯を辿るに従って、この15年は『もう』ではなく『未だ』なのかも知れない、とも感じた。


<参考文献>
角田房子著『ミチコ・タナカ 男たちへの賛歌』 新潮社刊
田中路子著『私の歩んだ道―滞欧二十年』  朋文社刊


<プレゼントのお知らせ>

長~い文章を最後までお読み頂いた皆様の内お一人様に、せめてもの感謝の印として、カウンタを10,000番でアクセスして頂いた方に粗品をお送りします。

前回の1,000番の時と同様、老若男女、人種、宗教、信条は一切問いませんので、プロフィールのメール送信からご連絡ください。地球上ならどこへでもお届けします。

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Comments

面白い読み物をありがとうございました。ごくろうさま(^_^)。わたしもこの人のことは記憶の山の中に埋もれてしまっていたけれど、確実にこの本、読んでいます。昨日もわが家の中を探し回ったんだけど、見つからなかった。誰かに貸したままなのかもしれない。残念。

Posted by: 【篠の風】 | May 30, 2004 at 05:54 PM

ご愛読ありがとうございました。

田中路子さんの生涯は、そのままでドキュメンタリー風ドラマの台本にもなる位なドラマティクなものですね。思ったことは誰にでもズケズケとモノ言う人で、一時期彼女の逆鱗触れた現在のヴィーンのシェフはドイツ楽壇で危ない時期もあったそうです。(その後、誤解は解けたようですが)

恐らく、ブリギッテさんのご両親の世代の方には名前くらいは知られている人のようでした。

Posted by: Flamand | May 30, 2004 at 06:41 PM

楽しく、興味深く拝見しました。
ありがとうございました。

さっそく、古本を買って読みましたが、
路子さんは、自由気ままに生きているようでも、
他人に対して人間としての最大限の思いやりを
もって接し、毎日を一生懸命生きた人だと思いました。

お嬢でありながら、人間くささのある部分が、
興味をひきますね。

Posted by: haru3 | September 01, 2004 at 11:13 PM

haru3さん、コメントありがとうございます。

田中路子という人は、自から積極的に人生を切り開いていくというタイプではなかったようですが、自分の意思に忠実で常に前を向いて生きた魅力的な女性だと思います。

Posted by: Flamand | September 02, 2004 at 01:38 AM

『女の生き方40選』(山崎朋子編、文春文庫)を読んで田中路子さんを知り、ネット検索してここへたどり着きました。

楽しく拝読させていただきました。
このところ私の関心事のひとつが、まだ海外旅行も国際結婚も
珍しい時代(昭和前半)に外国人と結婚して海外に暮らした
女性たちなんです。その中でも田中路子さんは強烈な個性の
持ち主だったみたいですね。でも、運命に翻弄されたという
感じも受けました。いずれにしても人生をフルに生きた人
だったのでしょうね。

ただ、私もマインル氏に脱帽。こんな旦那が欲しいと思いま
した。

Posted by: ジョージ | October 17, 2004 at 01:19 AM

大変楽しく読ませて頂きました。
30年前小生ドイツ在勤時に彼女に会見を申し入れたのですが、ちょうど御主人が亡くなる大変な時期だったようで、結局1年あまり経って1975年ごろデュッセルドルフ日本館の事務所でお会いしました。
今思うと64歳くらいでしょうか、当時30代だった小生からはかなりお婆さんに見えたのですが、歯切れ良く気軽に良く話してくれる方でした。ちょうど「文芸春秋が私のことを本にすると言っているのよ」とか、「早川雪舟のことは、私も若かったからあんなにだらしない男だとは思わないで貢いでしまったのね」と話してくれました。また印象的だったのは戦時中ドイツ駐在の日本人が現地で産ませた私生児もずいぶん戦後世話したようで、たいへん心の広い人だったと思います。自分が当時の彼女と同じ年代になった今、彼女のスケールの大きさを今更ながら感じています。

Posted by: kkk | March 11, 2005 at 03:49 PM

久しぶりにウイーンを訪れました。ウイーンの中心地、Grabenの大きな食料品デパート、JuliusMeinlへ今回も立ち寄り、お店が益々繁盛、彼の日本人妻MichikoTeeが派手に売られているのを見て、うちの主人が生きていたら、二人でひとしきり路子さんの話題になったのに、うちの主人がみたらどんなに喜んだか、と想いました。

それほど、かのお店とこの創立者マインル氏の日本人妻Michikoさんは私には近く感じられます。

うちもヨーロッパ人主人と私の結婚は、路子さん達的な状況でした。年齢差といい、主人もインターナショナル実業家、妻が日本人で路子さんと同様声楽、音楽留学でこの地に来た事情といい、大変似ていました。そして、主人もマインル氏同様、文化と芸術に偉大な理解があったと言う点。

そして、偶然、主人の最初の妻は当時のドイツ一の舞台女優で、路子さんの2番目のご主人と友人、同僚だったという点。路子さん達と一緒に空襲と戦禍のベルリンを逃げ回った主人でした。

路子さんがマインル氏の死の瀬戸際にかけつけ、かの女の人生の師であり、保護者であったマインル氏を失った場面は、もう、あまりに自分と一緒で壮絶で、胸がつまりました。

私がまだ日本で高校生だった時、路子さんは、ちょうど例の俳優のご主人、デコちゃんをなくした直後でいらして、婦人公論のインタビュー(石井好子さんによる)に出ていらっしゃいました。路子さんのベルリンの御宅で、お料理(ジャガイモのパンケーキ、御主人の好物)披露されていました。私は、それを拝見し、とてもインスピレーションを感じ、同じものを見よう見まねで、大阪の家で作ってみて、しばらくやみつきになってました。好みの味でした。その頃は、まさか私が路子さんと縁のあった、うちの主人と結婚して、後年主人にもこのパンケーキ沢山作ってあげるようになるとは想像もしませんでした。

路子さんのお話、2番目の御主人デコちゃんのお話は、沢山主人から聞きました。

ヨーロッパに自然に溶け込ませてくれ、外人と結婚、一緒にいる、という感じがまったくなかった主人でした。が、こうしてふりかえると、ああ、路子さんと同時代に生きた人だったのだ、というのを今あらためておもいます。日本の高校生時代に、あのベルリンのパンケーキを作っておいたのが、主人と結びつく土台になったのでしょうか?

路子さんは、いろいろな事に疲れ、心機一転Berlinで、声楽をイボーギン先生に一生懸命習う時期があり、それも共感を覚えます。

お互い声楽、これがいつもそばにあった、ある(私の場合)のですね。

主人は、マインル氏を高く評価していました。賢者、ヨーロッパの真のカヴァリエ、「Michikoがマインル氏にこれをしてもらっていた」、と主人に言うと、納得するとうちもすぐしてくれました。

路子さんは、私の大先輩です。

路子さんの御主人の、当時のベルリンの舞台俳優仲間(往年の名優達)に、主人とベルリンでよく会いました。「路子さんってどんな方だった?」と尋ねたら、皆異口同音、「頭が抜群で、大変インテリだよ!」。

うちの主人は、「Michikoは、いわゆる小さい華奢な、典型日本女性ではなかった。(と言っても、日本人がそんなに多くないベルリンで、実は、主人がかの地で初めて見た日本人が路子さんだった由)。キミのように大変大柄な人で、もう、自由闊達、こちらに溶け込んでいた、一般にいう日本的な所が全く見えなかった」由。「私とどっちが美人だった?」と、よく私がわざといたずらに尋ねたら、「勿論、キミに決まってる!」と豪語していた主人でした。
マインル氏が路子さんへと同様、主人は私を溺愛、盲愛していましたから。

Posted by: ヨーロッパ姫 | September 26, 2006 at 06:50 AM

八千草薫の映画「蝶々夫人」で興味を持って、かなり以前に田中路子で検索したときはごく簡単な情報しか得られませんでした。久しぶりの再検索、インターネットも情報が倍増どころか、何倍にもなったようです。中でもこちらのブログの記事は詳細で非常に興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。

ベルリン在住のドイツ人から、田中路子の息子さんの情報をいただいたところです。両親(Victor de Kowaと路子)のことも知っていて、息子さんとは交際があるようです。息子さんは音楽業界で活躍なさっているとか。

私のブログで以前ごく簡単に映画「蝶々夫人」を取り上げましたが、もう一度、田中路子についてまとめようかと思います。そのときは、こちらを紹介させていただきたいと思います。

Posted by: edc | April 01, 2007 at 09:41 AM

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