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May 20, 2004

Frau De Kowa-Tanaka ~ その3

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田中路子の素の姿を初めて画像で見たのは、NHKが吉永小百合を主演にして制作したセミ・ドキュメンタリー『国境のない伝記』(1973年制作)という番組中での短いインタヴュであった。その内容は明治時代に駐日オーストリア=ハンガリー代理公使の伯爵ハインリッヒ・クーデンホーフ=カレルギーと国際結婚をした青山光子の生涯の足跡を辿ったものである。路子はマインルとの結婚後、既に未亡人となり第一次大戦後チェコスロバキア領に組み込まれたロンスペルクの伯爵家の領地を処分しヴィーンに移り住んでいたクーデンホーフ光子との付き合いがあった。

その画面の中で、光子とその次男リヒャルトとの間の確執(リヒャルトは光子の大反対を押し切って、15歳年上の当時の大女優イダ・ローランと結婚していた)に関して、ディッキー(リヒャルト)から「何とか光子との間を取り持って欲しい」と頼まれたことを路子は語っていた。流石に、元歌手・女優だけあって年齢を感じさせない容貌で、いかにも江戸っ子といった歯切れの良い早口で喋っていたことを思い出す。彼女の人柄を感じさせるインタヴュであった。

尚、その後EUの父とも呼ばれたリヒャルトとユダヤ人であったイダ・ローランとのナチのオーストリア併合時の逃避行が、映画『カサブランカ』のストーリの下敷きになったと巷間伝えられているが、真偽のほどは定かではない。

クーデンホーフ光子は結婚して離日する際に明治帝の皇后(後の昭憲皇太后)に拝謁し、その「お諭し」を遵奉した貞女の鑑のような生涯を送った人であり、流石の路子もその行状からして顔向けできない事情となり次第に疎遠になっていったらしい。

マインルと特殊な夫婦関係となった路子は、ヴィーン社交界でいくつかの「ゴミ箱に放り込むような、とるに足りない恋愛」を繰り返し、歌手としてはオペラよりもオペレッタの世界にその活躍の場を見いだしていた。パールバック原作の『大地』の映画化にあたって、彼女をその主演女優にとの白羽の矢が立った。しかし、日本人が主役を演じることに対して、制作者側は当時激しい反日感情を抱くアメリカ在住の中国人団体から中国人エキストラの出演をボイコットするという圧力を受け、彼女のハリウッド進出は頓挫した。

路子の代わりに主役を演じたのはルイズ・レイナー(Luise Rainer )であった。彼女は『巨星ジークフェルド』でアカデミー主演女優賞を受賞し、ヴィーン生まれ(デュッセルドルフ生まれという説もある)のオーストリアの女優であるがユダヤ系のためアメリカに逃れていた。彼女はこの『大地』の演技によってアカデミー賞史上初の2年連続でオスカーを手にすることになった。(それにしても、1930年代の主演女優賞には凄い名前が並んでいる!)

この機会を逃したためか、路子はその後のアメリカとは直接的な関係を持つことなく生涯を送ることになる。

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