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April 29, 2004

A Legendary Dilettante

beecham.jpg

ネタが無いときに安易に頼る、誕生日&命日シリーズである。

本日4月29日は、音楽関係者の特異日の一つのようである。カール・ミレッカー、デューク・エリントン、ズービン・メータの誕生日であり、日本の本格的なオペラ上演の恩人とも言うべきマンフレート・グルリットの命日でもある。そして本日の目玉は、御大サー・トマス・ビーチャムの誕生日である。

我が国のクラシック音楽の受容史において独墺系の影響力が圧倒的であったためか、いわゆる『巨匠の時代』で選好される指揮者の殆どが独墺系の独占状態でかなりの偏りがある。これが英米(こちらも、違う意味で大いに偏りがあるが)においては、かなり様相が違っており、特にオペラの分野ではコヴェント・ガーデンやMETで活躍した指揮者の重みが俄然増してくる。

その評価で最も大きなギャップがある指揮者の一人がこのビーチャムであろう。彼の出自も我が国においては巨匠に列せられるのに邪魔になったのかも知れない。サー・トマスは当時のThe Beecham's Pills(便秘薬で、その当時はかなりいかがわしい使われ方もされたらしい)という売薬で有名だった製薬会社(現在ではGlaxoSmithKlineに統合されている)の御曹司として生まれ、生来の音楽好きが高じて指揮者になったという究極のディレッタントである。その地位や名声を得る源泉として、持てる金力に物を言わせたのは当然のことである。正に、道楽息子の旦那芸の極致であった。

ただ、単なる金持ちの旦那芸であれば、いくら自国民に贔屓が強い英国とはいえ巨匠とは呼ばれなかったはずで、確かに彼の残した音楽の録音を聴くとユニークな特徴を持っている。独墺系のマエストロ達のように、その音楽に深い精神性を求めると肩すかしを喰うが、サー・トマスが追求したエンタテインメントに徹した音楽では他の追随を許さないものがある。

ビーチャムといって、真っ先に思い浮かぶのが『メサイア』である。ユージン・グーセンスに編曲とは名ばかりの、殆ど改竄に近い仕事を依頼したこの『メサイア』はオーセンティックな古楽ファンから石が飛んできそうな爆裂名(迷)演である。絢爛豪華、気宇壮大、ようするにgorgeous & dazzlingなのである。この演奏、あたかもプロムス・ラスト・ナイトの喧噪にも似ている。ここいらへんが、ビーチャムが軽んじられる原因になっているのかも知れない。(店主はこの手の遊びは大好物である)

ただ、ビーチャムが際物だけを追求した指揮者と決めつけるのは大間違いで、彼の振るディーリアスを筆頭としたイギリス物、モーツァルト、ハイドン、ビゼーなどのフランス物(French Lollypopsは抜群!)、ヴァグナー、リヒャルト・シュトラウス、一連のオペラで聴くことができる大らかで風格のある音楽作りは現代の指揮者からはなかな聴くことはできない。その広大なレパートリも驚くばかりである。

店主が特に好んで聴くのが、『英雄の生涯』である。内容が空疎、あるいは自己満足音楽とアンチ・シュトラウス派からはやり玉の筆頭に挙げられる作品であるが(so what?)、ビーチャムとの相性は抜群で、構成も確かであり、時として大袈裟な歌舞伎の見得を観るようなウィットに富んだは音楽は耳福の極みである。

トラックバックさせていただいた、『東越谷通信』の「編集日記(1998.08.11分)」と「ビゼー『アルルの女』、シャブリエ『スペイン』他」も参照していただければ幸いである。店主などに比べ、遙かに簡潔かつ的確な文章でビーチャムの特徴を記述されている。

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Vingt regards sur l'enfant Jesus

4月28日はオリヴィエ・メシアンの命日である。店主の場合、メシアンといって真っ先に思い浮かぶ演奏家は、木村かをり氏とミシェル・ベロフの二人のピアニストである。ともに第1回のメシアン・コンクールで入賞している。(ベロフが1位、木村氏が2位)

記憶も微かになるほどの大昔、確か故入野義朗氏が主催しレストラン・ジローが後援していた『二十世紀の音楽を楽しむ会』という現代音楽を聴くサークルが存在していた。主に渋谷の山手教会を会場にして演奏会が月に1回程度開催されていた。木村氏がフランス留学を終えて帰国し、この『二十世紀の音楽を楽しむ会』でメシアンの『おさな児イエズスにそそぐ20のまなざし』を2回に分けて演奏した。店主にとっては、これが生メシアンの初体験であり、年端も行かぬガキであったが音楽によるカトリシズムというものを強烈に体験したことを覚えている。最近では木村氏は2002年のメシアン没後10年を記念した一連のリサイタルでサントリー賞を受賞している。

ミシェル・ベロフは一時期右手を故障し、ラヴェルの左手などを弾いていたが現在はほぼ完全復活したようである。ベロフは幼少の頃からその才能でメシアンを驚かせ、その後木村氏同様イヴォンヌ・ロリオ女史の教えも受けている。彼の弾くメシアンには何度か接したことがあるが、高度なテクニックで高い精神性と神秘性を感じさせる音楽を聴かせてくれる。彼は思索するピアニストである。2000年に来日した折に、『おさな児イエスにそそぐ20のまなざし』の全曲を弾いたリサイタルを聴き逃したのは誠に残念であった。あの大曲を休憩無しで、一気に弾いたのであろうか?

<追伸>

classics newsのサイトで、木村かをり氏のインタヴュのヴィデオを発見した。全体で20分と少々長いが、メシアン、ロリオ夫妻とのエピソードや自身のコンサートのこと、日本でのメシアンの受容史などについて語っている。画像では、ショートヘアで年齢を感じさせない若々しい木村氏を見ることができる。もうひとつのメシアン没後10年の記念コンサート前のインタヴュでは、店主が記憶していた山手教会での『おさな児イエズスにそそぐ20のまなざし』のことやベロフのことも語っている。画面には現れないが、夫君の岩城氏の声も聞こえる。

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April 28, 2004

Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その4

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<<< Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その3

宿題を一つやり忘れていたような気がして、何かスッキリしなかったのだが・・・。

途中で、『黄昏』なんぞを聴いたりしたので、最後に何を書こうとしていたのかスッカリ忘れてしまった。(ワタシを『黄昏』させたのは、キミのせいだよ → 後輩.どの)

ご存じの方には蛇足以外何ものでもないが、タイトルの解説などでお茶を濁させていただく。

"Prima la musica, poi le parole"(あるいは、Prima la musica e poi le parole)はサリエリが作曲したオペラのタイトルである。(邦題は『まずは音楽、お次が言葉』)

このオペラが制作されるに当たっては、かなり有名なエピソードがあった。当時のハプスブルクの皇帝であるヨーゼフ二世は、カスティのこの台本をイタリア語ではサリエリに、ドイツ語ではモーツァルトに、オペラの競作をさせた。オランダ領総督であるスタニスラス・ポニアトゥスキ大公夫妻のヴィーン訪問に際する歓迎行事の一つとしてシェーンブルン宮殿で1786年に上演された。

モーツァルトのこのオペラのタイトルは"Der Schauspieldirektor"で、邦題は『劇場支配人』。当時の評判は、サリエリに軍配が上がり報酬もモーツァルトはサリエリの半分しか貰えなかったとか。

"Prima la musica, dopo le parole"は、リヒャルト・シュトラウスの最後のオペラ(正確には『1幕の音楽による会話劇』)である『Capriccio』の冒頭で作曲家Flamandの歌い出しのフレーズである。このカスティの台本に最初に注目し、シュトラウスにオペラの作曲を勧めたのは、シュテファン・ツヴァイクであった。ナチの台頭とともに、ツヴァイクはヴィーンからロンドンに逃れ、シュトラウスとの書簡のやり取りがゲシュタポの検閲で露見し、彼が台本を提供することは不可能になった。

ツヴァイクは自身の後任として、『平和の日』、『ダフネ』や『ダナエの愛』の台本を担当したヨーゼフ・グレゴールに託した。しかし、シュトラウスはグレゴールの台本を気に入らず、指揮者であるクレメンス・クラウスに彼の意図を具現化する台本を書かせ、最後のオペラとして1941年8月3日に完成させた。当初の『Wort oder Ton』という即物的な題名は『Capriccio』に改められた。初演に関しては当時の状況で紆余曲折があり、1942年10月28日にミュンヒェンの国立歌劇場でクラウスの指揮で行われた。

1942年にヴィーンで出版された『Capriccio』のオーケストラ・スコアにシュトラスは自ら序文を寄せている。ここで引用はしないが、オペラ上演に当たっての指揮者や演出家に対する心構えが簡潔に述べられており、まるで遺言のようでもある。

シュトラウスが生涯最後にオーケストラの指揮を執ったのが、1949年7月13日にミュンヒェンの放送局での『月光の音楽』であった。

以前、ドレスデンで観たマルコ・アルトゥーロ・マレッリのシンプルで美しい『Capriccio』の舞台と正にシュトラウスのためのオーケストラともいうべきシュターツ・カペレの奏でる音楽、特にペーター・ダムの夢見るようなホルンの音が未だに忘れない。

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April 25, 2004

Astrid Varnay, the Birthday

本日4月25日は、アストリッド・ヴァルナイの誕生日である。

1941年、あの『真珠湾攻撃』直前のMETにおいてロッテ・レーマンの代役として急遽『ヴァルキューレ』のジークリンデを歌ってデビューした。これは絵に描いたような"Overnight Success"だったようだ。この公演は当時ラジオ放送され、記録が残っている。かつてこの録音がCDとして発売された際には、彼女は自らメッセージを寄せていた。なんとも、鷹揚な人である。

実際にこのジークリンデを聴いてみても、昨日まで全く無名の人だったとは俄には信じられなほどの見事な歌唱である。しかもやっと二十歳をやっと過ぎたばかりとは思えない成熟した声も驚くばかりである。彼女はその後METを中心に歌い、戦後再会されたバイロイトにはフラグスターの推薦で出演し、ワグネリアン・ソプラノのトップ・スターとしてとして50年代を通して大活躍した。

店主が彼女の舞台姿を最後に観たのが、90年代半ばのミュンヒェンでの『ボリス』の乳母役であったので、なんと50年以上も舞台に登っていたことになる。若干足が不自由になったと見えて、杖をつきながらの登場であったが、その圧倒的な存在感で舞台を支配していたことを思い出す。恐らく現在もミュンヒェンに在住しているのではないかと思われる。

彼女の自伝"Fifty-Five Years in Five Acts: My Life in Opera"も近いうちに読んでみようと思う。

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SpyWare ~ その2


<<< SpyWare ~ その1

スパイウェア駆除のソフトを探していたらこんな記事が、

"毒入り"スパイウェア除去ソフトに高まる非難

スパイウェアを駆除するプログラムが同様のソフトをインストールするというケースがあるらしい。確かにこの手のプログラムは無償提供されるものが多く、それが営利企業によるものの場合、その提供に見合う何らかのリターンを期待することは考えられる。しかし、ユーザが期待していることを真っ向から裏切るようなことをするとは、何ともトホホな世の中になったものである。

そもそも、スパイウェアとアドウェアの区別もあまり判然とはしていないようであり、駆除プログラムそれぞれによっても判定結果は必ずしも一致しないようだ。

ところで、店主が所有しているなかで、OSインストール時からそのまま利用している期間が最も長く、一時期他人も使っていたThinkPad X20が最も不安なPCであった。これにEarthLink Spy Auditをかけてみたところ、不安は的中しスパイウェア、アドウェアは勿論のこと、なんとトロイの木馬も3匹(頭?)も検出された。しかも、オーディット直前にNortonAntivirus 2002(最新のライブ・アップデート済み)のスキャンでは全く引っかからなかったにも拘わらずである!

ネットでの情報収集の結果、取りあえずSpyBotという駆除プログラムを利用した。ただ、1つのソフトに全面的に依存するのは危険だと判断して、Ad-awareというプログラムも併用した。結果、トロイの木馬とスパイウェア(と思しきもの)を除去することができた。

現在のAntivirusプログラムだけではこのスパイウェア、アドウェアの阻止は不可能であると判断し、今後の進入阻止を図るためにSpywareBlasterというソフトを導入した。このガードのソフトに関しても、『保険』となる他のプログラムを現在物色中である。

この手のプログラムを利用するには、常にデータベースを最新のものに更新しておくことが肝要であり、利用したプログラムはすべてデータのアップデート機能を持っていた。

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April 24, 2004

これじゃ、換えない ~ AH-K3001V

DDI PocketからPHS端末『AH-K3001V』が発表された。新機種としては『H-SA3001V』以来約10ヶ月ぶりである。

以前『何を今更、PHS?』でも述べたように、世の中の流れに逆らうつもりではないがPHS(H")を使い続けているので、全く無関心という訳にもいかずスペックを調べてみた。

この京セラ製の『AH-K3001V』はWEBブラウザであるOpera 7.0を搭載しており、通常のパソコン向けのサイトが閲覧できる。また、POP3/SMTPに対応したメーラを内蔵しており、インターネットに対応したPDAとしての機能強化をしているように見受けられる。カメラも内蔵はしているが今時11万画素というシロモノで、京セラの製品紹介のサイトでは特徴としてのカメラ機能の記述はない。

現物を実際に未だ見ておらず、書かれたスペックだけの判断ではあるが、現時点ではこの新機種に乗り換えるに足る魅力は発見できなかった。むしろ、失う機能が多すぎる。

以前の記事でも述べたように、PHSを使っているのは①αPHSによる固定電話の子機機能②待ち受け時間の長さ③音質の良さ④通話料金の安さ、が主たる理由である。

この新機種に交換すると①の機能は失われ、②の機能も大幅に後退する(『AH-K3001V』の待ち受け時間は400時間とのこと)。また、現在の最大の不満である充電時間の長さも大幅に改善されるという訳ではない。

携帯では初の本格的ブラウザ搭載ということが最大のウリのようであるが、あの小さな画面でパソコン用サイトにアクセスして本当にどれほど使い物になるのか、大いに疑問である。マーケット・シェアを見ても、携帯vs.PHSでの勝負は明らかについており、現在データ通信に活路を見いだしているPHSもそのテクノロジーの将来性をみれば携帯に取って代わられる時期はそう遠くはないであろう。

そういう意味で、DDI PocketやPHSベンダは既に勝負のついてしまったセグメントでのニッチマーケット戦略を理解していないよう思われる。この戦略を簡単に言ってしまえば、『出来るだけコストをかけずに既存顧客をその満足度を維持しながら繋ぎ止めておく』ということである。これは何もしなくても良いということではなく、新製品の開発を含めて顧客離れを防ぐための不断の努力が必要であることは言うまでもない。

今回のようにOperaやメーラの搭載などでPDA風のPHSという新製品は、新規顧客を開拓したいという意図であろうが、これでは単なる化粧直し程度にしか見えない。どうせ化粧するならもっと魅力的なものにして欲しいものである。

例えば、現時点で個人的に魅力を感じるPHS端末とは

① 待ち受け時間 900時間
② 充電時間 90分
③ αPHS対応
④ 100万画素のCCDカメラ
⑤ 2.2インチ画面
⑥ 骨伝導スピーカ
⑦ Killer Design

程度で充分である。それと同時に現在マーケットから姿を消しているαPHS対応の親機となる電話機またはファックスを新製品として市場に投入することである。

これによって当サイトを『αPHS』、『PHS』、『親機』などの検索語で訪問される方のニーズを満たすことになると思われるが、如何であろうか?

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April 22, 2004

SpyWare ~ その1

パソコン通信時代のほんの一時期を除いて、幸運にも迷惑メールとかspamメールとは殆ど無縁であったが、近頃全く覚えのないメールがチラホラと舞い込むようになってきた。とても「spam長者」というほどの数には遠く及ばず、週に1~2通程度のものであるが何となく気になる。

身に覚えないメールが来るには、それなりの理由があると考えネット上のニュースを眺めていたら、「27.8%のPCからスパイウェアを検出~米EarthLink調査」という記事に出くわした。ワケの分からないメールと直接的な関係の有無はトーシロの店主にはよく分からないが、この記事で紹介されているSpyWareの蔓延はプライヴァシーの問題でもなんともイヤーな感じである。

WEBにアクセスした際に残ったcookieを利用したSpyWareが氾濫しているようだ。実際に記事に紹介されているEarthLinkのサイトでSpy Auditを行ってみた。(Auditだけなら、無料で行える。)

結果は、このPCにEarthLink Spy AuditがSpyWareとして認定したcookieやAdwareが約30ほど存在していた。何とも気持ちが悪いので、先ずは、IEのインターネット一時ファイルとcookieを全て削除した。

次に、ネットでこのSpyWare対策に関する情報を収集した結果、駆除するソフトと、プロテクトするソフトがあるようだ。現在利用しているウイルス対策プログラムはNorton AntiVirus 2002であるため、SpyWare対策には不十分なようだ。(2004にはこの機能もあるらしい?)

Merijn.org というサイトにあるHijackThisという名前は怪しげだが、システムの状態をレポートするソフトがある。これによって、SpyWare等を含めてシステムの現状を知ることができる。但し、これはSpyWare駆除プログラムではない。Windowsのシステム内部に詳しい人ならこのレポートを使い、手動で怪しいエントリを駆除することも可能であろうが、これは店主のレベルではとても恐ろしくて手が出せなかった。

SpyWareを特定し駆除するためのソフトもあるようで、それに関しては次回にご報告する。

   SpyWare ~ その2 >>>

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April 21, 2004

GI Jo

JoStafford.jpg

「黄昏」というタイトルのわりには、その音楽はちっとも黄昏れていない鬱陶しいオペラを聞き続けたあとなので、解毒剤変わりにビッグ・バンド & ジャズ・ヴォーカルを。

第二次大戦を挟んで活躍したジョー・スタッフォード(Jo Stafford)は、当時の戦地でのGIの人気のゆえ、GI Joeに引っかけて「GI Jo」などと呼ばれていた。(因みに、GIとはGovernment Issueの略で、軍服が官給品であったため、下士官以下の兵隊の俗称)

彼女はトミー・ドーシー・バンドのコーラス・グループであるザ・パイド・パイパーズの一員としてフランク・シナトラなどと共演しプロとしてのキャリアをスタートした。その後ソロ・シンガーとして独立し、キャピトル、コロムビアに膨大な数の録音を残している。50年代には自身のTVショウ番組を持っていたが、1960年代には第一線を退いている。彼女は1920年生まれであるので、引退するには早過ぎる年齢であったが、人生の幸福を華やかなショウ・ビジネスの世界よりも家庭生活に求めたようである。

その声はトランペット・ヴォイスを称され、非常に息の長い雄大かつ端正な歌で人気を博した。スケールは大きいが、大味なところは微塵もなく一点一画も疎かにしない、心の襞に染み入る情感溢れる歌唱はone and onlyな存在である。

これらの彼女の美質をスクウェアで面白くない、と批判する人もいるが、良いものは良い!山下達郎が「ON THE STREET CORNER 1」でカヴァーした「You Belong to Me」は彼女の最大のヒット曲である。

この「Getting Sentimental over Tommy Dorsey」(現在はこちらしか入手できないかも)は1963年の録音で、彼女のシンガーのキャリアとしては最晩年のものである。当時フランク・シナトラが設立したレコード会社リプリーズで制作した、ジョーにもフランクにも所縁の深い、51歳で亡くなったトミー・ドーシーへのトリュビュート・アルバムである。タイトルはドーシーのヒット曲であった「I'm Getting Sentimental Over You 」に因んだものである。

アンジャーとして名手ネルソン・リドル、ビリー・メイ、ベニー・カーターを起用し、録音当時すでに最盛期は過ぎていたと思われる、ストリングスも伴ったビッグ・バンドとコーラスを背にジョーが悠然とスウイングして歌うというスタイルで、非常にゴージャスなアルバムである。恐らく発売当初からノスタルジックな雰囲気を醸し出していたのでは?と想像する。

この中の、シナトラのミリオンセラーである「I'll never smile again」や「Who can I turn to?」に先に述べたジョーの美質が横溢している。アルバムの最後に納められている「Yes Indeed」のデュエットの相手は、契約の関係でクレジットされていないが、明らかにサミー・デイヴィスJr.である。

近頃の米国(実際には華盛頓か?)の世界でのプレゼンスやビヘイヴィアを苦々しく思っておられる方には、このアルバムを一聴することをお勧めする。この中には「old good America」が息づいている。

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April 20, 2004

Götterdämmerung ~ Hagen & Gutrune

<<< Götterdämmerung ~ Brünnhilde

<<< Götterdämmerung ~ Siegfried

「黄昏」つまみ聴きシリーズの最後は、ハーゲンとグートルーネ。

ハーゲンは脇役とはいえ、この物語を終末に導く重要な役割を担っており、店主の知る限りオペラ史上稀代の悪役の一人ある。作者の持つ性格の悪辣な部分が充分に注ぎ込まれている。このハーゲンに比べれば、「トスカ」のスカルピア男爵などただのエロヲヤヂである。

まずは、前世紀生まれのルートヴィヒ・ヴェーバー。バイロイトの「Black Bass」(魚のことではない!)と呼ばれた歌い手の一人で、流石の貫禄である。ただ、この人の声は、悪役ハーゲンよりは、ヴォータンやザックスにより向いているようだ。確か、「薔薇の騎士」のオックス男爵も当たり役だった。要するに、悪役ハーゲンにしてはいささか貴族的過ぎる感は否めない。発声は、ポルタメントを多用し流石に時代を感じさせる。

戦後を代表するハーゲンと言えば、ヨーゼフ・グラインドルとゴットローブ・フリックの2人にトドメを刺す。

どちらも、迫力充分な重暗い立派な(?)悪役の歌を聴かせてくる。

特にフリックのハーゲンは頭の先からシッポまで、どこを切っても心底から悪いヤツという見事な歌唱である。これ以降の歌手で辛うじて彼に匹敵するハーゲンはヴィジュアル面大幅にプラスすれば、マッティ・サルミネンくらいか?

両者のハーゲンを聴くと、グラインドルのザックスはアリだが、フリックはアリ得ないという感がする。

グートルーネは、ヒルデ・コネツニ、レオニー・リザネク、グレ・ブロウェンスティーン。

コネツニは戦中・戦後、ヴィーンのシュターツ・オパーで活躍したコネツニ姉妹の妹のほうであるが、姉のアニーに比べると存在感がいささか薄い人であった。彼女のグートルーネは取り立てて印象に残るという歌唱ではなかった。

オランダ出身のソプラノとしては20世紀最高と言われたグレ・ブロウェンスティーンは、如何にも育ちの良い世間知らずのお嬢様というグートルーネで、それなりに説得力のある歌唱である。確かこの年のバイロイトでは、ジークリンデも歌ったはず。

リザネクのグートルーネは文句なしに素晴らしい。陰影豊かな「成熟した女性」を十全に表現した歌唱で、ニルソンが歌う若々しいブリュンヒルデと対比すると、ジークフリートが心動かされたのも宜なるかな、というリアリティがある。リザネクの歌唱は他に比べて、グートルーネという役の存在を明らかに1段階引き上げている。(流石、ロッテ・レーマン・リングの継承者!)

この「つまみ聴きシリーズ」では取り上げなかったが、57、58年にバイロイトでクナッパーツブッシュの下で歌っているエリーザベト・グリュンマーは、少々年齢がいっている貴族の娘というアプローチのグートルーネであり、品格の高い歌唱である。

流石に大作だけあって、つまみ聴きでも結構な時間を費やしてしまい、アルプスの北のオヤヂにまたやられた。こんな鬱陶しいオペラ、当分絶対に聴かない!

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April 19, 2004

Monaco di Baviera

これは、iizukaさんの「→Man」の記事に触発されて思い出したこと。

その昔、ミラノからミュンヒェンへ列車で移動する際に、確かMilano Centraleで予約した列車の行き先案内板に「Monaco di Baviera」。

「ワタシャ、モナコぢゃなくてミュニックに行きたいのだが?」と車掌や英語を喋る周りにいた観光客に何度も確かめて乗車した。発車してからも暫し不安にかられていたが、約7時間後にはミュンヒェンに着いていた。

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April 17, 2004

La Demoiselle d' Avignion & Babette's feast

<<< Les châteaux de sable

「ヴァグナーは、遠ざけている」など言いながら「黄昏」をつまみ聴きしたり、「趣味が良くない」言って、わざわざデジカメで撮ったミレイユ・マチューのLPジャケット写真をアップしてみたりと、言ってることとやってることが支離滅裂で、我ながら素直ぢゃない性格に呆れる今日この頃・・・。

ミレイユ・マチューのオフィシャル・サイトを覗いてみた。過去の録音のCompilationや新譜も出しているようであるし、ドイツを中心にテレビ出演などで活躍している様子で、ご同慶の至りである。

このサイトでは新譜のサウンド・クリップを聴くことができる。相変わらず全力投球で絶唱するというスタイルに変わりなく、「喉ひこR」は健在であるが、流石に彼女も齢を重ねてか、その声から若い頃のトゲトゲしさが無くなっている。イイ感じである。

伝統的なシャンソンは、極端にまで言葉にこだわり小さなシャンソニエなどで歌われていたものである。それを大きな声量と表現力で大ホールへ解き放った1人が、47歳で早逝したエディット・ピアフであると言われている。そいういう意味では、ミレイユ・マチューという人はこの路線を正しく継承し拡大再生産した唯一の歌い手であろう。

これまでの彼女の活躍を顧みると、フランスというよりはギリシア生まれのナナ・ムスクーリとともにEUを代表する歌手の一人と言ったほうが正確なところであろう。

少々繊細さには欠けるが、分かりやすいメロディーを直向きに歌うという、正にポピュラー・シンガーの王道を歩んでおり、その姿勢は大変に立派である。

日本のファンサイトであるmireille mathieu cds japanのBBSで紹介されていた、若くして亡くなったイスラエルの方のファンサイトでピアフの持ち歌であった「Non, je ne regrette rien・・・」を歌うマチューのビデオ・クリップを試聴したときは、思わずホロリとさせられた。


ところで話はコロッと変わるが、iioさんのclassica japanのサイトにSide Bというページがあることを全く知らなかった。ここで、デンマーク映画「バベットの晩餐会」を絶賛しておられた。これには店主も激しく同意。巷間グルメ映画などと言われているが、これは内容の単なるスパイスでしかない(勿論、重要な部分であることは事実だが)。何度観ても、奥底から心動かされる映画である。

店主にとっては、未だ謎解きができない小津作品とともに、今後繰り返し観る映画の一つであることは間違いない。

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Die Entfuhrung aus dem Serail@Opernhaus Zürich

NHK BS2で昨年チューリヒのオペラハウスで録画された「後宮」を放映していた。モーツァルトの若書きの才気にあふれたこのオペラ(正しくはジングシュピール、歌芝居)、何げに好きな作品の一つである。フィガロほど長さを感じさせないし、気楽に観ることができる。美味しいアリアもいくつかあるし、オリエンタルな雰囲気の音楽も楽しい。

このチューリヒの「後宮」、指揮者(クリストフ・ケーニヒ)をはじめに主役の2人(マリーン・ハルテリウス、ピョートル・ベチャーラ)、脇の2人(パトリシア・プティボン、ボグスワフ・ビジンスキ)みんな若く活きがいい、正に「青春」してる。いかにも映像向きであるが、いい感じである。

特に、コンスタンツェを歌うご当地スイスのソプラノであるハリテリウスはかなりの美形。アンドレア・ロストの若いときに似ているような気がする。想像通り、細い声であったが2幕目の長大なアリアのコロラトゥーラも無難にこなしていた。

オスミンを歌ったアルフレート・ムフは凄みをきかせるわけでもなく、ブッフォというわけでもなく・・・、といった感じ。

実際の舞台を圧倒的に支配していたのは、全く歌を歌わないセリム・パシャを演じたクラウス・マリア・ブランダウアーであった。押さえた演技ながら、その存在感は流石である。若い歌手を相手に余裕綽々という感じ。

ジョナサン・ミラーの演出は奇を衒ったところはなく、音楽を聴く邪魔はしない。このセリムとコンスタンツェは、マイスタジンガーのザックスとエファの関係を仄めかすような演出だった。

チューリヒにはご無沙汰しているが、総監督であるアレクサンダー・ペライラの手腕は相変わらず冴えているようである。

このオペラ・ハウスで唯一気にいらないことは、イタリア・オペラになると頭文字にSのつく親父がやたら出張ってくることか・・・。

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April 16, 2004

Götterdämmerung ~ Siegfried

「黄昏」をつまみ聴きしたので(Götterdämmerung ~Brünnhilde)、ブリュンヒルデだけでは片手落ちのような気もするので、ジークフリートに関しても触れてみる。

そもそも、店主はオトコの声にはあまり関心がない。特にヘルデン・テノールなどは最も興味から遠いところにある。オペラに関してもスタンダード・レパートリといわれている「ボリス・ゴドゥノフ」、「シモン・ボッカネグラ」、「パルジファル」などやたらオトコの声ばかり目立つ演目はまず滅多に聴かないし、聴きたいとも思わない。

閑話休題、「黄昏」のジークフリートである。(本来ジークフリートを聴くなら全幕殆ど出ずっぱりの第2夜の「ジークフリート」を聴くべきであろうが・・・)

先ずは、スカラ盤でのフラグスターの相手役であるマックス・ローレンツであるが、少々まともなジークフリートを聴いたことがある人なら、思わず「え”っ!」と叫ぶのではないかと思う。

確かに戦前のドイツで大活躍したヘルデン・テノールでこの録音時点では歌手としては殆ど終わっているヒトであったが、その歌い崩しは半端ではない、スコアを殆ど無視しているのでは?と疑いたくなる。「恣意的」という言葉が最もふさわしい歌唱の一つである。

よくも、このジークフリートをフルトヴェングラーが容認したものだと呆れるやら、感心するやら。このローレンツの歌を聴いていると、「ジークフリートってホントに馬鹿だったんだ!」と妙に納得してしまうところが恐ろしい。だた、昔は凄かったんぞ!という風格は感じさせるが・・・。

次は、55年盤の若きニルソンの相手を務めたベルント・アルデンホッフ。ローレンツに比べると、非常にまっとうなジークフリートである。歌い崩しなどなく、安定した立派な歌唱を聴かせている。一見非の打ち所が無いようにも見えるが、あまりに安全運転すぎて面白みに欠ける。「ジークフリートって、もしかしてインテリだったのかも?」という疑問が浮かんでしまう。いや、ジークフリートにしてはまともすぎる、アルデンホッフは。

最後は、56年のバイロイトでのヴァルナイに対するジークフリートは戦後のヘルデン・テノールを代表すると言われたヴォルフガンク・ヴィントガッセン。この人の歌は巷間言われているようによく走るし、時々突っ走る。ローレンツのようなひどい歌い崩しはないが、アルデンホッフの端正な歌唱に比べると気持ちが完全に前のめりで、落ち着きのない印象を与える。ただ、声の若々しさはこの時期のヴィントガッセンの大きな魅力ではある。「ジークフリートって、やはりちょっと足りないのね」という感じは良く出ている。ショルティ盤のヴィントガッセンはこれに比べると走り癖は変わらないが、声には加齢の跡を感じさせる。

それぞれの相手役を務めたブリュンヒルデの立派な歌唱に比べると、どのジークフリートもかなり問題を含んでいる。ただ、理想のジークフリートは?と問われても、店主は「ん~」と唸るしかない。台本を見てもこのジークフリート、殆ど思考停止状態の上やることなすこと支離滅裂でヴァグナーの意図した英雄像は全く理解不能。おそらく、ジークフリートみたいなヒトにしか、その理想像は思い浮かばないのであろう。

Götterdämmerung ~ Hagen & Gutrune  >>>

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April 15, 2004

業務報告 ~ その2

前回の業務報告に続いて、その後1ヶ月間に当サイトを訪問いただいた際の検索語ランキングのご報告である。

1. ThinkPad (→)
2. PHS (↑)
3. 牛すね肉 (↑)
4. 600 X (↑)
5. 液晶バックライト交換 (↓)
6. チェチーリア・バルトリ (↑)
7. ThinkPad(X20,X24) (↑)
8. 平均寿命・余命 (↑)
9. 小津安二郎 (↑)
10.無線LAN (↑)
10.小澤征爾 (→)

ThinkPad関連で訪れていただく方が相変わらず多い。特に先日Upgradeを行った600Xをピンポイントした検索が目立った。これは単に廃止機種に対するノスタルジックな想いだけではないようである。店主は久しぶりにこのマシンを使って実感したことであるが、ThinkPadフリークの間では「名機」という評価が定着しているようであり、未だ中古機を求めている方もあるようだ。これは取りも直さずIBMが600X廃止以降、スペックシートには表現できないこの「キータッチ」に匹敵する機種を開発・販売していなことに起因していると思われる。タイトルをアルファベットにしたためか、外国語の検索エンジンからも「600X」でのアクセスもかなりの数があった。(この点は反省)

PHSと一括りにしてしまったが、αPHS関連すなわちPHSを固定電話の子機として利用することを示唆する検索語が多かった。現在このαPHSは対応している親機、子機ともに絶滅状態であるが、それなりのニッチ・マーケットは潜在的に存在するようである。なんとかすれば?→DDIPocket &サンヨー、松下、京セラ。

バルトリ、小澤征爾に関してはどちらもあまりポジティヴなコメントはしていないので、訪問された方のご期待には添えていないような気がする。

意外だったのが、相変わらず「牛すね肉」によるアクセスは根強く、これは店主が料理のレパートリを広げるしかない、ということか?

検索語以外では、サッカー関連やサリエリでトラックバックしていただいたiioさんのclassica japan経由で訪問された方の数が飛躍的に増加した。多謝 → iioさん。V

それから、その昔店主がよく出入りしていたパソコン通信(もはや死語に近い?)の某フォーラム・メンバーでの知り合いの方々からも訪問をいただき、懐かしい限りである。

ということで、今後も当店をご愛顧のほどよろしくお願いします。

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April 14, 2004

Götterdämmerung ~Brünnhilde

新国立劇場の「Tokyo Ring」は、演出に関しては賛否があったようであるが概ね好評のうちに「Götterdämmerung 」まで漕ぎついたようである。

店主は普段はヴァグナーを積極的に聴かないが(なんせ、長い!)、今回は久々にこの「黄昏」だけは聴きに行こうと思い立った。しかし、「Tokyo Ring」の人気は店主の想像を遙かに超えており、噂ではチケットは発売開始数時間もたたずに売り切れたとか。当然、聴きに行くことは出来なかった。

以前、ミュンヒェンでエレクトラの絶唱を聴いたシュナウトが歌うブリュンヒルデへの興味と、メルクルがどの程度成熟した音楽を聴かせてくれるのかに関心があったのだが・・・。(実際に聴いた知人曰くは、シュナウトはパワフルだったが、メルクルは萌えていなかった、とか)

そこで、「黄昏」を聴きに行けなかった代替行為というわけでもないが、久しぶりに手持ちの「黄昏」のLP、CDのつまみ聴きをしてみた。ヴァグネリアンからは叱られそうだが、好きな時間に美味しいところだけ聴くというのも、また楽しからずや。

録音に残っているフラグスター、ヴァルナイ、ニルソンの3人のブリュンヒルデに注目して聴いてみた。それぞれ立派な歌唱を聴かせてくれるが、そのブリュンヒルデ像は鮮明な違いを見せている。

フラグスターの歌唱は正に「女神」を感じさせる。このブリュンヒルデ、もしかしてヴォータンよりも偉いのでは?という感するある。従って、ジーフリートとは対峙するというよりは、一段高いところにいるという印象を与える。

ヴァルナイは、最も「人間的」で成熟した「女性」を感じさせるブリュンヒルデである。既に神性は剥奪されおり、人間の女性として目覚め、ジークフリートへの愛憎を込めた歌唱(おそらく演技も)は一瞬たとりも間然とするところがない。

ニルソンの魅力はその強靱な声にあるが、ディクションが今ひとつはっきりとしない。その歌唱の体温は3人の中で最も低く、まるで宇宙からやってきた戦乙女のような感がある。彼女が未だ若いときの55年の録音を聴いたためか、時として有り余るパワーが空回りする瞬間があり、歌の表情がなくなることがある。しかし、これが巧まずして乙女の若さを感じさせてくれる。

それぞれ歴史に残る歌唱であるが、店主にとって最も好ましいくリアリティのあるブリュンヒルデはヴァルナイである。

3人の歌唱を色に例えれば、フラグスターは橙~山吹色、ヴァルナイは紅緋~金赤色、ニルソンは瑠璃紺~露草色を感じさせる。

>>> Götterdämmerung ~ Siegfried

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April 12, 2004

ゴムのホースなら欲しいけど

昨年末から今年のはじめまで、NHK BS2で放映していた小津安二郎の作品で、放映時に見ることが出来なかった「長屋紳士録」の録画を観た。

戦後に撮った、小津最後の「喜八もの」である。これ以降小津は下町を舞台にした映画は撮らなかった。小津の知る「下町」が戦災によって壊滅したためだと言われている。

小津作品の中には、そのストーリの流れに直接影響はないが、えもいわれぬ可笑しい科白がしばしば埋め込まれている。

この「長屋紳士録」では、飯田蝶子と吉川満子の掛け合いで

吉川:「なあに。どこの子?」
飯田:「宿無しなんだよ。あんたんとこいらないかね?」
吉川:「いらないねえ。ゴムのホースなら欲しいけど」

の下りは、何度観ても、このシーンを思い出しても、笑ってしまう。

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April 11, 2004

Dance in the mood ~ お嬢様は強かった!

やっと本格的な競馬シーズン到来を告げるのが本日の桜花賞。

ダンスインザムードがシスタートウショウ以来の無敗で、昨年のレコードを破り第64回桜花賞を制覇した。社台ファーム・藤澤厩舎・武豊という現在の日本競馬界の超主流・最強のキャスティングであり、その血統も父サンデーサイレンス、母は先月末に死亡したダンシングキイと超がつく名血である。

ダンシングキイは競走馬として出走しなかったが、産駒にエアダブリン、ダンスパートナー、ダンスインザダークがおり、近年最も成功した繁殖牝馬の一頭であった。

関東馬が桜花賞に勝ったのは、初代三冠牝馬のメジロラモーヌ以来の18年ぶり。武豊の桜花賞制覇はこれが5回目で歴代ジョッキー1位となり、名門藤澤厩舎も念願のクラシック初制覇と記録ずくめのレース結果となった。

レース前は、今年の桜花賞は例年になくポテンシャルの高い馬が揃い予想は難解と言われていたが、結果を見れば中団待機から4コーナー手前から徐々に抜けだし、直線の伸びでは他馬を全く寄せ付けずの圧勝劇。

今は父も母も亡き、みなしごの名門のお嬢様は強かった!武は優勝インタヴューで、「ゴーサインを出したらあっという間に抜け出した。超A級の馬です」、と絶賛していた。

昨年のスティルインラブに続いて、今年は青鹿毛の三冠牝馬の誕生を予感させる桜花賞であった。

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Les châteaux de sable

mathieu.jpg

CDでは所有していないマリア・イェリッツァのPreiser盤を探索中に、捜し物とはまったく違うジャンルのBOX入りのLPを発掘した。タイトルは「Mademoiselle Soleil」(邦題は「フレンチ・ポップスの太陽」)、ミレイユ・マチューの2枚組ベスト・アルバムである。

当時、日本ではフランスの伝統的なポピュラー・ソングを「シャンソン」、アメリカン・ポップスやロックの影響を受けたものを「フレンチ・ポップス」と区別していた。(今でも?)

当時このフレンチ・ポップスを担っていた歌い手としては、サルヴァトーレ・アダモ、エンリコ・マシアス、シルヴィー・ヴァルタン、ジョニー・アリディ、ジュリアン・クレール、ミシェル・デルペッシュ、フランソワーズ・アルディ、ミシェル・ポルナレフなどがあげられる。但し、その目指す音楽の方向はかなりバラバラであり、「当時の若い世代に人気があったフランスを中心に活躍した、40年代後半生まれのヨーロッパの歌手たち」というのが正確なところだろう。

ただ、この「フレンチ・ポップス」が旧世代ともいえるシャンソンと大きく異なる点は、シャンソンがメロディよりもその歌詞に大きな比重を置いていた歌い手が多かったことに比べ、メロディやリズムに重心を移したことであろう。

ところで、ミレイユ・マチューであるが10代の頃にアマチュア・コンテストでシャンソンの大歌手であり、63年に早逝したエディット・ピアフの持ち歌で優勝し、歌手の道を歩み始めた。イヴ・モンタンなどのマネージャとして辣腕を振るっていたアメリカ人ジョニー・スタークのマネージメントを得て、65年には周到な準備のもとにフランスの歌手の登竜門ともいうべき「オランピア劇場」へ二十歳前で出演を果たした。

その後の活躍の範囲はフランス国内には留まらず、ヨーロッパ、当時のソ連、北米に及び、それまでシャンソン歌手ではシュヴァリエとモンタンしか出演したことがなかった「エド・サリヴァン・ショウ」にも招かれた。

あらゆる意味で、ミレイユ・マチューは徹底的に「作られた歌手」で、デビュー当時はピアフのそっくりさん(これは、ある意味「地」のまま)、それから当時のフランスを代表する一流作曲家(フランシス・レイ、ポール・モーリアなど)によるレパートリの拡大、そして世界的なヒット曲(主に英語圏での)をカヴァーするといった具合にインターナショナルな名声を獲得していった。

好みの問題ではあるが、個人的には彼女の歌う声は決して「趣味の良い」ものではないと思う。どちらかと言えば、その声の力にまかせて絶叫に近い歌い方をする人で、所謂フランス的エスプリとは最も縁遠い歌唱スタイルである。

しかし、彼女の歌には本格的な麻婆豆腐の痺れるような「花山椒」の味わいにも似て、何故か「癖」になるところがある。時々、少々押しつけがましいが直向きな彼女の歌を無性に聴いてみたくなることがある。

マチューの生い立ちとその後の活躍をみれば、正に「フレンチ・ドリーム」(あるのか?こんな言葉)を実現した人である。現在の彼女は、往事大活躍していた頃には及ぶべくもないが、功成り名を遂げた「大歌手」の地位は確保しているようである。

最大のヒットはデビュー曲である、ポール・モーリアによる「Mon credo」(愛の信条)であるが、今日は「Les châteaux de sable」(砂の城)を聴いてみた。自慢の声をぐっと抑えて、淡い哀感漂う夏の終わりの余韻を感じさせる佳曲である。

寡聞にして知らなかったが、彼女の録音したアルバムは本国フランスよりも、ドイツのカタログ(ドイツ語による歌唱)に余程多く残っている。現在の独仏協調体制の鑑のような人である。

オフィシャル・サイトや日本にもいらっしゃる熱心なファンの方のサイトであるmireille mathieu cds japanや、Meine Lieblingszeitをご訪問いただければ、彼女に関する充分な情報を得ることができると思う。

La Demoiselle d' Avignion & Babette's feast >>>

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April 08, 2004

Big surprises!!
UEFA Champions League, Quarter-finals

ヨーロッパ有力(金持ち)クラブのその力の源泉として大きな寄与を果たしているチャンピオンズ・リーグのセミ・ファイナル進出チームが出そろった。

ご承知の通り、今年はなんとレアル・マドリーACミランも、ベスト 4への進出は果たせなかった。両チームとも劇的な逆転で轟沈。特に、再び「大物食い」ぶりを発揮したスペインの田舎チームであるラ・コルーニャの奇跡的な大逆転はお見事。

各国リーグ戦上位 → チャンピオンズ・リーグ ベスト4以上 → 有力選手獲得、というサイクルを回すことによって強い(金持ち)チームは益々強くなるという図式であるが、今年はちょっとした波乱が起きたわけである。

「やっぱ、お金注ぎ込めば、勝てるもんね!」と思っているはチェルシーFCの「油モヴィッチ」くらいで、他のASモナコFCデポルティボ・ラ・コルーニャFCポルトは「超金持ちクラブの鼻を明かしてやったぜぃ!」という心境か?

この顔触れだと、チャンピオンズ・リーグというよりは、UEFAカップ?という感が無きにしもあらずだが、大試合になると余程尻に火がつかない限り「catenatio」戦法をとるセリエA組がいないので思いの外「イケイケ」の面白い試合を見ることが出来るかもしれない。

個人的には昨年のUEFAカップ・チャンピオンのFCポルトに期待をしている。

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April 06, 2004

フランツ・ウェルザー=メストの近況


昨年9月、ヴィーン国立歌劇場でティーレマンの突然の降板を受けて、15年ぶりにヴィーンのピットに入り殆どぶっつけ本番で「トリスタンとイゾルデ」を指揮し、大いに株を上げたリンツ生まれの指揮者、ウェルザー=メストの近況をクリーヴランドのThe Plain Dealerの記事からご紹介する。

Welser-Möst declines offer to lead Vienna State Opera

2002年からクリーヴランドの音楽監督に就任したウェルザー=メストであるが、昨年の「トリスタン」事件以来ヴィーンでは、小澤征爾の後任音楽監督の有力候補として取りざたされてた。(小澤の任期は2007年まで)

この事をイアン・ホレンダーはメディアに昨年から仄めかしていたらしいが、先月末にこのオファーをウェルザー=メストは2012年まで続くクリーヴランドでの任期を理由に断った。

彼曰く、「どちら(クリーヴランドとヴィーン)も全力を傾けるに足る価値のある組織であり、自分のフォーカスを半々に分けることは不可能で、それはどちらの組織にとっても良いことではない」とのこと。ホレンダーもこのウェルザー=メストの決定を受け入れた。2007-08のシーズンに予定されている彼がヴィーンで指揮する「指環」には影響は及ばないようである。

ヴィーンの6月の「指環」というと、バレンボイムやラニクルズなどが振っていたという記憶があるが、やはり音楽監督としてはヴァグナー、シュトラウスで観客を納得させられる指揮者が欲しいのであろう。実際に聴いてはいないので、本当のところは分からないが、昨年暮れの小澤氏の「オランダ人」は決して良い評判ではなかったようだ。

さらに、ザルツブルク音楽祭のモルティエの後任であるPeter Ruzickaは作曲活動に専念したいとのことで、2006年には監督を辞任することを表明しており、その後任にやはりウェルザー=メストの名前が挙がっていたが、彼は就任の意志がないと語ってる。

ただ、「これらのオファーに対して興味がないとは言ってはいない。ただ今はいかにも時期が悪い。10年20年先になにが起こるかは自分にも分からないが・・・」と含みを持たせた発言をしている。

以前チューリヒでウェルザー=メストが指揮するオペラをいくつか聴いたことがある。手堅く安心して聴くことはできるが、それほど強い印象は受けなかった。同じ頃、ミュンヒェンで度々聴いた未だ来日を果たす前の準・メルクルの印象と何げに重なる存在だった。どちらも、「タメ」のほとんど無い、淡泊な音楽作りをしていた。

現在は、ウェルザー=メストもメルクルも引っ張りだこの人気指揮者になった。どちらもそんなに急激に成熟したのだろうか?1度確かめてみる必要があるようだ。

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April 04, 2004

ThinkPad 600X Upgrade Implementation ~ その2

<<< ThinkPad 600X Upgrade Implementation ~ その1

前回までのお復習い。

1.PartitionMagic 4.0のアンインストール
2.PartitionMagic 8.0のインストール
3.CドライブとDドライブを結合し、約12GBのCドライブ作成

と、ここまでは小さなトラブルはあったものの順調に進んだ。

ThinkPad 600X Upgrade Planの次のプロセスは、IBMのWindows XP System Solution Discで移行準備ということになる。

作業手順は、まず98SEでこのプログラムの実行、次にWindows XPのアップグレード、そしてXP上でこのプログラムの残りのプロセスの実行ということになっている。

98上でのプロセスはあっという間に終わった。そしてWindows XPのアップグレードを敢行したのだが、インストーラは「XP上でサポートされないモジュール・コンポーネントがある」旨のメッセージを残して中断してしまう。心当たりのプログラムを削除しては、数回試してみるがもちっとも先に進めない。流石にMSのプロダクト、「何が?」は決して教えてくれない。

このTP600Xは暫く使用していなかったうえに、このマシンが現役当時はパフォーマンスのチューニングに凝ってネットで拾ってきたユーティリティをやたら突っ込んでいたことを思い出した。無節操な建て増しを繰り返した「田舎の旅館」状態で、その張本人ですらそれらをトレースバックするのは不可能になっている。

当初はXPへのアップグレード後にディスクの換装をするプランであったが、こんなことろでいつまでも堂々巡りをしていては夜が明けて昼になりと埒があかないので、急遽方針の変更をせざるを得なくなった。

現在の環境のアップグレードを諦めて、換装予定のディスクにXPのクリーンインストールを行うことにした。要するに、全面的な建て替え作業である。若干後ろ髪引かれる思いもあったが、1年近く使っていなかったのだから、この環境は無かったものと諦めて(と自ら言い聞かせ)、作業を再開した。

当初は、RRU(Rapid Restore Ultra)を使ってHDDそのもののバックアップに利用する予定であったPortable USB2.0 HDD/40GBにデータのみのバックアップを行った。

TP600XのHDDはパームレストの左側スピーカーの下あたりに内蔵されている。底面にあるディスクカバー部分を留めているネジ(-)をはずし、カバー部分を手前に引き抜くとブルーのタブが見える。これをやはり手前に引き抜けばHDDが外れる。

はずしたHDDはトレーにマウントされており、側面の4本のネジ(+)を外せばHDDのユニットを交換することができる。ここいらへんのことは、図解入りで「ThinkPad 600X(2645,2646) - 保守マニュアル」に詳しく記述されている。(但し、英文のみ)

その昔、TP230csでHDDの換装で苦労したことがあるが、TP600Xの場合はあっけないほど簡単であった。但し、ユーザによるHDDの換装はベンダが推奨しているワケではないので、全て自己責任において行う必要がある。

これでハードウェアの環境の受け皿は整ったので、Windows XP Professional Upgrade CDを使ってクリーンインストールを行った。(当然であるが、インストールの初期に要求されるWindows 98のCDを用意しておく必要がある)

続いて、Officeなど取りあえず必要なアプリケーションをインストールして今回のUpgrade Planは終了した。

やはり予感したように、当初のプラン通りにはいかなかった。

この文章はUpgradeしたTP600Xで打っているが、現在メインで使っているThinkPad X24に比べるとサイズが一回り大きいこともあり、キーボードの使い心地は完全に1ランク上である。また、全体的にPCの作りも現在のThinkPadに比べしっかりしており、高級感がある。

802.11gの無線LANカードでインターネットに接続しているが、現在のサブPCであるTPX20(PIII-600Mhz、メモリ320MB)よりも、このTP600X(PIII-650Mhz、メモリ448MB)の方がダウンロードのスピードテストでは遙かに良い値が出ている。

(TP X20: 0.8~1.6Mbps、TP600X :1.3~2.6Mbps)

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April 03, 2004

Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その3


<<< Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その2

3月のはじめに、拙文チェチーリア・バルトリの近況Die Presseの記事をご紹介した。些か古い記事で恐縮だが、、バルトリが2月にニュー・ヨークで同じサリエリのプログラムでリサイタルを開いた際のインタヴュ記事を見つけたので「Music of a man who didn't kill Mozart」もご紹介しておく。

バルトリはピーター・シェーファーの舞台やミロス・フォアマンの「アマデウス」で描かれている「モーツァルトの毒殺者」というサリエリ像の定着に危惧を抱いているようだ。(実際には、ガーター亭の「サリエリかぁ。。。」で亭主どのが述べておられるように、作品のテーマは「人間と神」とか「父と子」だと思うが、普通はそこまでは深読みはしないかも・・・)

バルトリはアーノンクールによってサリエリに開眼させられたそうである。彼女はそれまではサリエリに関する詳しい知識は持っていなかったが、スコアをさらっているうちに、"大興奮!"だったと思い出を語っている。彼女は現在のオペラハウスでは未だマイナーな作曲家に過ぎないサリエリ復興の旗手になろうかという意気込みである。

実際、Deccaによれば彼女のヴィヴァルディのアルバムが80万枚、グルックが50万枚の売り上げに対し、サリエリは30万枚とマイナーな作曲家のクラシックCDとしては驚異的に売れている、とのこと。(店主も実感したことがあるが、欧米のバルトリ人気は日本での想像を遙かに超えている)

デビュー当時は、ロッシーニやモーツァルトを中心に歌っていたバルトリであるが、その後ヴィヴァルディをレパートリに加え現在はサリエリである。今後は17世紀まで遡ってモンティヴェルディ、フレスコバルディを視野に入れているようである。(記事では、「Heading for gold」というサブタイトルが付けられている)

着実にバロックの様式は身につているバルトリであるが、店主の心配はやはり彼女の「声」である。Amazonでサリエリのほん触りを試聴してみたが、なんとこれまで録音では聞こえなかった「声」の荒れが・・・。単に、ネット経由の貧弱な音質が原因ならば問題ないのだが。(以前は実際の舞台では聞こえても、録音では巧妙にカヴァーされていた・・・)

 Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その4 >>>

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April 02, 2004

Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その2


<<< Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その1

iioさんの『評伝「サリエーリ」(サリエリ) その1』のクイズに正解できた最大のヒントは「ブランシュ夫人」というキーワードであった。これがなければ、ロマン派の作曲家にはとんと疎い店主には殆どお手上げ。iioさんが「バンタンキュー(税込み)」で予告先発回避ということなので、料理が出る前の「突き出し」のつもりで読んで頂きたい。

ところでサリエリであるが、北イタリアで生まれヴェネチアで修業時代を過ごし、20代半ばにしてパプスブルク家の宮廷作曲家となり、のちに宮廷歌劇場楽長にまで登りつめ、ほぼ生涯にわたってその地位を維持した人である。作曲活動は19世紀初頭でほぼ終了し、晩年はベートーヴェン、シューベルト、リストなどの師匠として名を成した。

ヴィーンにおけるイタリア・オペラの作曲を仕事の中心に据えていたが、彼のオペラはその聴衆を意識してか、いわゆるイタリアの感性(乾性)に比べて幾分「湿度」が高いような気がする。これは、現代でもミラノのスカラ座とヴィーンのシュターツ・オパーで上演されるイタリア・オペラの違いにも例えられようか。

宮廷楽長という立場もあってか、モーツァルトに比べるとスクウェアでより貴族的な雰囲気が強い作風であった。サリエリに比べるとモーツァルトの作風は遙かに革新的である。

この様に、サリエリの地位・作風は正にアンシャンレジームのアイコン的存在であった思われる。さらに、19世紀に入ってから新たな作品を殆ど発表していない。これらが、例え芸術作品とはいえ当時(19世紀)の聴衆から「意図的に忘れ去られた」のでは?と推測する根拠である。

ヴェルディの晩年の傑作といわれるのが「ファルスタッフ」であるが、サリエリもそれに先んずること約100年、「ファルスタッフ」を作曲している。

店主にとっては、ウェルディがアルプスの北の巨人に対抗べく「俺だってやる気になれば、これくらい出来るんだぜ!」といった感のある、巷間この巨匠の最高傑作と言われている作品よりも、サリエリの軽快で華麗な「ファルスタッフ」の方が余程好ましい。

>>> Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その3


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April 01, 2004

W杯アジア1次予選:対シンガポール

試合前のイヤな予感が当たってしまった。

開始早々は、単なる「杞憂か?」という感じだったが、終わってみればやはりあのイヤな予感は当たっていた。勝ち点3を取ったので、最悪の結果ということは免れたが・・・。

ジーコの試合中の采配も冴えなかったが、それ以前に欧州組の「指定席」はいい加減止めるべきだろう。

3月下旬といってもヨーロッパは殆ど冬である、そこからいきなり赤道まで80Kmのシンガポールにやって来てトップ・ギアでパフォーマンスを出せるほどタフな、「超」が付く一流選手は残念ながら今の「海外組」にはいない。このところ、実戦を経験していない稲本などは、見ていても気の毒になるほどだったし、中村のキックの精度の低さは目を覆うばかり。

攻撃に関しても、魅入られたように人間の鎖のような「ゴール守備隊」に突っ込んでは跳ね返され、サイドに展開したと思えば・・・、あの調子である。

ジュビロの王子様(一部の女性サポータからはそう呼ばれている)のゴールでなんとか勝利を拾ったものの、このままのやり方ではイバラの道どころか、W杯予選突破は相当厳しいのではないか?

各選手のコメントも、みんな評論家のようなことを言っている。あの立派なコメントはまず自分に言え、と言いたい。

相手は一応ナショナル・チームなわけで、J2チームでは礼を失する恐れもあるから、1次予選は今期J1に昇格し勢いのある「アルビレックス」(勿論サポータ付き)に代役をお願いした方がずっとマシなのでは、などというアホな妄想が浮かんでしまう。

韓国(対モルディブ戦)、ブラジル(対パラグアイ戦)がスコアレス・ドロー、アルゼンチン(対エクアドル戦)も1-0の辛勝。

嗚呼、予選恐るべし。

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