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March 31, 2004

平均寿命 vs. 平均余命

「平均寿命」と「平均余命」は、時として混同して使われる言葉である。正確には、0歳時の「平均余命」を「平均寿命」という。平たく言えば、オギャーと生まれた新生児が平均であと何年生きるか?というのが「平均寿命」である。新生児死亡率の数字がこの「平均寿命」の大きなファクターになる。小児医療が行き届いていない国(時代)では、この新生児死亡率が「平均寿命」の数字を大きく引き下げる要因になる。

従って、新生児死亡率が高い場合は無事大人になった人の「平均余命」=「平均寿命-現在の年齢」ということにはならないワケである。因みに我が国の明治24-31年の「平均寿命」は男42.8歳、女44.3歳であるが、20歳の「平均余命」は男39.8年、女40.8年であり、40歳の平均余命は男25.7年、女27.8年であった。(厚生労働省の資料より)

要するに、明治時代でも40までしぶとく生き延びた人は平均的に60台半ばまでは生きていた、ということである。
現在では、80歳の女性は平均的に90歳以上までは生きる、という数字になっている。

閑話休題、iioさんが「サリエリ その2 - サリエリは18-19世紀の泉重千代だった」で引用された水谷氏の「サリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長」の

当時のウィーン人の平均寿命は男性が36歳から40歳、女性が41歳から45歳だったから、サリエーリは充分長寿者だったのだ。

前半と後半の部分はそれぞれ正しいと思われる。しかし、それを「から」で接続したところに問題がある。水谷氏の著作にはベルカント期の歌手を調べる際には大変重宝しており、揚げ足取りをするつもりはないが、この水谷氏の記述には明らかにミス・リードされる可能性を含んでいる。

ただ、これはiioさんの記事の内容では枝葉末節な問題であって、店主はその論旨に異議を唱えるものではない。

21世紀のワタシたちは50年も前に書かれた作品を「現代音楽」などと呼ぶほど呑気で牧歌的だが、18-19世紀は目もくらむようなスピードで時代が動いていた!

などは、慧眼であり正に目から鱗であった。

現代のテクノロジーの変化は秒進分歩などと極端な言われかたもするが、文化的な変化のスピードは明らかに18-19世紀の方が速かったのは事実であろう。

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March 30, 2004

Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その1

タイトルは店主(Flamand)としては後者なのだが、今回はサリエリの話題なので・・・。

幸四郎・染五郎親子の「アマデウス」の再演、CLASSICA - What's New!の『評伝「サリエーリ」(サリエリ) その1』、ガーター亭別館の「サリエリかぁ。。。」、拙文のチェチーリア・バルトリの近況など、このところ巷ではサリエリの話題がよくとりあげられている。(最後のは手前味噌です。すいません。)

屋上屋を重ねるようであるが、何故サリエリが最近話題になるのかを考えてみたい。iioさんが紹介されている、水谷氏の著作「サリエーリ―モーツァルトに消された宮廷楽長」は全く読んでいないが、もし被るようなところがあればご容赦願いたい。

サリエリは生前、特に19世紀初頭まではモーツァルトなど足下にも及ばないほどの、栄華と人気に包まれていたのはご存じの通りである。それがなぜ泡沫の夢とばかり消え去り、忘れられた作曲家になってしまったのであろうか?

店主は、少々月並みではあるが「時代の変化」が最も大きな要因ではないかと考えている。いつの世にも、時の移ろいに伴う変化は付きものではあるが、連続的・継続的な変化の時代(例えば、我が国では江戸時代)と前の時代とはある種の断絶が起きる不連続変化の時代がある。

サリエリは正にこの後者の時代に生きた人である。この時代の不連続変化の象徴的な事件はやはりフランス革命であろう。バルトリはサリエリをグルックなどの古典派とロマン派をブリッジする役割を果たした重要な作曲家と位置づけているが、店主は明らかに18世紀の環境に依拠した作曲家だと考える。オペラだけでも40曲あまり作っているはずだが、主要な作品は19世紀に入ってからのものは殆どない。

絶大な人気や地位を勝ち得ていたということは、当時のパトロンや観客の期待に充分応える作品を提供していたであろうし、その期待の微妙な変化も読み取り作品に反映させていたのであろう。ということは、取りも直さず大衆が嫌う「前衛的」な作品に力を注がなかったことは想像に難くない。

しかし、不連続変化の時代においては過去の成功体験の大きさがそのまま失敗の原因になるということがビジネスの世界ではよくおこる。そういう意味でサリエリ及びその作品はあの時代が経験した大きなギャップを渡りきることが出来なかったのでは?と想像する。

我々は、18世紀から19世紀への大変化を歴史の流れとして俯瞰して見ることも出来ようが、当時の人々はその劇的変化の渦中にいて、そんな余裕があったとは思えない。政治・文化をはじめとして全ての場面で、新・旧の時代の激しいせめぎ合いがあったに違いない。従って、芸術の分野においても旧時代の象徴的かつ中心に位置していたサリエリの作品は、或る意味意図的に忘れ去られたのではないだろうか?

ところで、iioさんのクイズであるが、時代的にはロマン派の作曲家と読んだ。ヒントにある「ブランシュ夫人」とはナポレオン帝政時代の大プリマ・ドンナであったカロリーヌ・ブランシュ(舞台上で歌うのではなく、大声で叫ぶフランス・スタイルの最後のプリマ)ではないか?と想像する。

従って「オペラ座」というのはパリであると睨んだ。これらの状況証拠と、あと1つのキーワード、「私が混乱と興奮で陥った忘我状態」から類推すると、店主は「Hector Berlioz」にスーパーヒトシくん。

確かパリジャンではなく「山出し」だという記憶があるので「山奥」というのは当たっているが、果たして「船乗り志望」だったかどうかは全く不明。確か作曲家を志す前は医者になる勉強していたはずだし・・・。ここいらへんが不安材料。

>>> Prima la musica, poi le parole (dopo le parole) ~ その2

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March 29, 2004

尾上九朗右衛門丈他界


二代目尾上九朗右衛門さんが死去 米国で歌舞伎を広める

現在の歌舞伎ファンには余り馴染みのない人だとは思うが、伝説的な名優であった六代目尾上菊五郎の長男として生まれ、世襲であれば七代目を継いだはずの人であった。現在の七代目菊五郎(寺島しのぶの父)は父親である故尾上梅幸が六代目の養子となった関係で菊五郎を襲名した。

九朗右衛門丈は、父親の存在があまりに偉大だったためか、いわゆる大看板の役者には成りきれず、歌舞伎・映画・テレビの脇役に活躍の場を見いだしていた。病を得てからは主にアメリカの大学で教鞭をとり歌舞伎の紹介・普及に尽力した。例えてみれば、長嶋茂雄・一茂のような関係だったようだ。

昨年、NHKの歌舞伎番組「芸能花舞台」で小津安二郎が撮った六代目の「鏡獅子」を放映した際に、父親を語るインタヴューで出演していた。

本人自らの著書ではないが、「聞き書き 尾上九朗右衛門」は伝統芸能である歌舞伎が戦後に辿った歴史の一断面を知る上で、なかなか興味深い読み物である。

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Nemesis


小出代表が高橋尚子の復帰戦に仰天計画!

「和を以て貴しと為す」という観点からは、これが「仰天計画」ということになるらしい。この記事の内容に、いわゆる週刊誌的な誇張があるかどうかは知らないが、このプランが事実なら面白い。

監督の陸連の選考に対する「言い分」は、単なる愚痴にしか聞こえないが、Nemesisとなった高橋尚子の走りを見てみたい気もする。

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March 27, 2004

ヨーロッパ室内管弦楽団20周年記念コンサート

昨夜(というか、今朝の深夜)にNHK BS2で再放送していた2002年5月にパリで録画されたもので、オール・シューベルト・プログラム。

指揮はアバードで、独唱ソリストがアンネ・ソフィー・フォン・オッター。プログラムの構成は、ロザムンデ序曲に始まり、フォン・オッターによるオケ伴奏のリート10曲(含む、ロザムンデから)、未完成、ロザムンデからのバレー音楽というもの。

このオーケストラは正式にはEuropean Union Chamber Orchestraという名称で、EUのお墨付きとヨーロッパの王族たちのスポンサーシップも得ているようだ。創立から20年経ってはいるが、現在もメンバーは若手が多い。

ヨーロッパの中から選ばれた小天狗の集団という感じで、演奏中の様子も伝統のあるオーケストラとは趣を大分異にする。良く言えば、自由闊達、悪く言えば行儀が悪い。これは20年たっても変化はないようで、このオケが持つ特質というかある種の伝統として定着しているようだ。

若者の良き理解者であるアバードの指揮を得てか、シューベルトにしてはちょっと尖がった演奏だった。

オケ伴奏という珍しいフォーマットでシューベルトのリートを歌ったフォン・オッターは、相変わらず知的で抑制の効いた安定感のある歌唱を聴かせていた。

この人に関しては語るには、店主などより遙かに相応しい知り合いの御仁がいらっしゃるのだが、敢えてここでは店主のスウェーデン生まれのメゾに関する率直な意見を述べさせていただく。

この人もメゾ・ソプラノということになっているが、チェチーリア・バルトリの近況でも述べたと同様、高い声の出ないソプラノだと思う。勿論、声質・レパートリ・依拠する様式などはバルトリとは全く異なる。

この人はドイツ系のオペラ・ハウスのトラディショナルなメゾ・アルトの系譜に属する人ではない。高い声の出るメゾであったルートヴィヒなどとは違い、フォン・オッターが歌うブランゲーネ、オルトルートなど想像もつかないし、クレバーな彼女であるから決して歌わないであろう。しかし、ドイツの伝統的な重く暗い声を持っていないことは、コインの裏表と同様で決してデメリットばかりではない。彼女は代わりにフランス歌曲をレパートリとして獲得しているし、北欧のレパートリは当然自家薬籠中のものである。一両日中には先日発注した新しいアルバムも手元に届くはず。

以前彼女の歌う「カルメン」をコンサート形式で聴いたことがあるが、このスペインを舞台にしたフランス・オペラは彼女の美質が生かされるレパートリとは言えなかった。

従って、これまでの彼女がオペラ・ハウスに片足、コンサート・ホールにもう片足という演奏活動は大いに納得できるところである。

ただ、彼女は自らの安全圏での活動だけでは満足出来ないと見えて、エルヴィス・コステロとのコラボレーションとかクルト・ヴァイルなどを歌ったりするのであるが、店主から見るとホンのご愛敬の域を出ていないという感は否めない。ジャズ・ヴォーカルに関しても隣国の"歌姫"に任せておけば良い。

最近は殆ど演じていなようであるが、一昔前にクライバーが指揮した「薔薇の騎士」でのオクタヴィアン役で、彼女の人気は日本でブレイクした。彼女の声の佇まいはシュトラウスにフィットしているので、もう少し高い声が出れば、シュトラウスでのレパートリは大きく広がるのだが・・・。無理な注文かもしれないが、キリ・テ・カナワがオペラの舞台から徐々に引退しつつある現在、彼女が歌うマリー・テレーズ(マルシャリン)、アラベラ、マデリーン(伯爵夫人)、などを舞台上で是非観てみたいものである。

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March 26, 2004

Gossip ~ 9人は多すぎやしないか?

昨夜のNHK BS2で放映されたスウェーデン映画「Gossip」(2000、コリン・ナトリー監督)。

伝説の女優グレタ・ガルボ主演の「クリスティナ女王」がハリウッドでリメークされることになり、9人の女優たちがスクリーン・テストを受けた。主役が決定するまでの、彼女たちの1日を描いている。映画の進行する経過は時間と順方向に進んでいっているようだが、9人のエピソードがオムニバスと言うよりはコラージュ風に繋ぎ合わされている。皆、現在のスウェーデンでは名の知られた女優らしいが、店主には誰が誰やらさっぱり。因みにグレタ・ガルボ、イングリット・バーグマンまで遡らなくても店主が認知しているスウェーデン女優といえば、せいぜいイングリット・チューリン、リヴ・ウルマン(但し、この人は両親がノルウェー人)くらい。

9人のエピソードをシャッフルして、その断片を次から次へと見せられているので、殆どフォローすることが不可能。いい加減心身共に疲れている深夜に見るには全く不向きな映画。

見せようによっては、笑わせてくれるエピソードもあるのだが、この監督はそんなサービス精神は全く持ち合わせていないようだ。

必ずしも、「映画=エンタテイメント」である必要はないが、細切れの心理劇を見せられるのはまことに辛いものがある。この映画、スウェーデンではかなりの観客動員をしたらしいが、そんなスウェーデン人っていったい・・・?

それとも、フィクションだと思って見ていたが、半ばドキュメンタリーだったりして?それにしても、9人は多すぎやしないか?

よくも最後まで、眠らないで見通した自分自身に感心した。

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March 25, 2004

ThinkPad 600X Upgrade Implementation ~ その1

ThinkPad 600X Upgrade Planの実行過程を実際に遭遇したトラブルも含めてご紹介していく。>

PartitionMagic 8.0(PM 8.0) Upgrade版が届いたので、まず第一段階として現在TP600XにインストールされているPM 4.0のアンインストールを実行した。これはPM 4.0のアンインストーラを使って行った。

アンインストール終了直前に「PQVXD.vxd」のファイルを削除するかどうか聞いてくるが、これに対して「No」を選択したが、これがあとで小さなトラブルの原因となった。>

続いて、PM 8.0のインストールを行った。PM 8.0を起動すると「PQVXD.vxdのバージョンが古すぎる」というメッセージを残して終了してしまう。PM 4.0のアンインストール時に残しておいたファイルが悪さをしていると見て、ファイル検索で見つけたsysytemフォルダに残っていた旧いPQVXD.vxdを削除した。その結果、PM 8.0は問題なく起動した。>

現時点でのHDDの状況は、プロパティの情報ではCドライブ(2.69GB 残り239MB)Dドライブ(8.52GB 残り2.25GB)となっており、ファイル形式はどちらもFAT32。>

早速、ドライブの結合を実行。Cドライブに任意の名称のフォルダを作成しそこにDドライブの内容を収めるというスタイルである。この操作の終了後に、DOSモードで再起動されてDriveMapperが実行されるということであったが、ここで再びトラブル発生。>

PM 8.0のCD-ROMを入れたままマシンの再起動をかけると、ハードディスクに優先して、このCD-ROMを読みにいってしまう。何度か起動を繰り返すうちにそれに気が付き、CD-ROMドライブの例の穴に細長いピンを突っ込んでCDを取り出し後、無事HDDから起動した。>

Windows 98がDOSモードで起動し、実際のパーティション結合が実行される。これは、予想通り非常に時間がかかった。(およそ、2時間20分)> 

Windows 98で再起動がかかり、DriveMapperが起動し、これまでDドライブを参照していたファイル及びレジストリを全てCドライブに移動したフォルダに置換する。>

DriveMapper終了後再起動がかかり、Dドライブの内容がCドライブに吸収された。ディスクのプロパティで見る容量はトータルが11.2GBで、使用領域が8.59GB、空き領域が2.61GBとなった。>

>>> ThinkPad 600X Upgrade Implementation ~ その2>

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March 23, 2004

Apple Jam

いまだ、何故か「牛すね肉」のキーワードでご来店頂く方がいらっしゃるようだ。今回は、料理というよりは朝食でパンを召し上がる方のために、これまた超簡単なリンゴ・ジャムの作り方をご紹介する。

用意するもの

1.リンゴ(できれば紅玉)2個
2.レモン          1個
3.砂糖 大さじ      4~5杯
4.電子レンジ
5.ガラスのボール
6.包丁(又はナイフ、できればまな板も)
7.大きめなスプーン
8.出来上がったジャムを詰める空瓶

作り方

1.リンゴを4半分に切る
2.芯の部分を取り除く(リンゴでウサギを作るときの要領)

ここで、市販されているような色のリンゴ・ジャムをお好みの方はリンゴの皮を剥く。店主の場合はクリムゾン・レッドのリンゴ・ジャムが好みなので皮は剥かない。

3.リンゴを3~4mmの厚さに切る。
4.切ったリンゴをボールに入れ、絞ったレモン汁と砂糖を加える。
5.材料の入ったボールを電子レンジ(500W)で10分位加熱する。
6.ボールをレンジから取り出し、スプーンでかき混ぜる。
7.再びボールを電子レンジで6分位加熱する。
8.ボールを取り出し、再びスプーンでかき混ぜ、冷えたらジャムを空瓶につめて、冷蔵庫で保存する。

以上作り方は「牛すね肉のしょうゆ煮」と同様で非常に簡単。店主は酸味が強い「紅玉(ジョナサン)」が一押しである。「旭(マッキントッシュ)」でも良いが、ジャムにするとすこしぼやけた味になると思う。甘いジャムが好きな方は砂糖を余分に大さじ1~2杯追加しても良い。

電子レンジで加熱する際は、ラップはかけない。

店主はガラスのボールの代わりに、たまたまキッチンにあったPyrexの1Lの取っ手が付いたメジャーカップを利用している。この分量を作るにはこのカップが丁度よい容量である。




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March 22, 2004

ブーイングあれこれ

なんか、サッカーねたについ反応してしまう今日この頃。

ブーイングの東の横綱がサッカー・スタディアムとすれば、西の横綱はオペラ・ハウス。(ホンマかいな?)

彼の地のオペラ・ハウスでの終演後の密やかな楽しみの一つが「ブーイング」である。(趣味悪い?)
だた、こちらと違って、彼の地のブーイングはその周波数が大分低いところに集中している。まるで、チューニングの悪いコントラバスのユニゾンのようである。

昔のスカラはもっと酷くて、カラス・ファンがテバルディに野菜や卵を投げつけたという話はもはや有名な伝説となっている。

実際に体験された方はご存じであろうが、ヴィーンのシュターツ・オパーのオケ・メンバーは、観客とは全く異なったブーイング・スタイルを持っている。歌手へのカーテン・コールがひとしきり終わったあと、指揮者が舞台上からオケを称えて起立させようと出てきても、ピット内には誰一人残っていない・・・。これほど、あからさまな事をやるのは店主が知る限り、ここのオケだけ。

ヴィーンでは経験がないが、最大限のブラヴォーを表現するには、床をドンドンと踏みならすという作法がドイツにはある。ミュンヒェンドレスデンでしばしば体験した。木貼りの床は良く響き、劇場中凄まじい大騒音に包まれる。

話をサッカーに戻すと、TVでしか見たことがないが、スペイン・ダービー(もっとも、バルセロナのあるカタルーニャは「スペイン」などと呼ばれたくないらしいが)と言われるバルサ vs. レアル・マドリーは流石。特に、カンプ・ノウでのバルサ・サポータの萌え方は凄まじく、一夜にして殆ど一週間分のアドレナリン出しまくり状態。昨シーズン、コーナー・キックに向かうフィーゴに投げつけられたペットボトルの雨は記憶に新しい。

かつての、左派、右派、地域対立が複雑に絡みあった内戦の影響を未だに引きずっているようだ。例えば、レアル・マドリーがバイエルン・ミュンヒェンと試合をする場合は、カタルーニャ人は間違いなくバイエルン・ミュンヒェンを応援するとか・・・。敵の敵は味方という理屈か?

我がJリーグでこの「萌え萌え」の素質を持っているサポータと言えば「あのチーム」しかないな・・・。
以下自粛。

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パソコン十番勝負

店主の場合を含めて、「引退撤回、現役復帰」とばかりに、8歳をとうに越えた競走馬をレースに引きずり出そう(ThinkPad 600X Upgrade Plan)と試みておられる方がチラホラと見受けられる今日この頃。

MSのサイトで「使い比べ十番勝負」という現在進行形の連載記事を見つけた。内容は、現在のWindows XP搭載PC vs.4年前の売れ筋PC(Windows 98搭載)というもの。Windows 98をまるで、Competitorの製品のように言い倒しているところが、如何にもMSらしい(笑。


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March 21, 2004

ThinkPad 600X Upgrade Plan

業務報告でも述べたように、検索エンジンからご来店頂いている方のキーワードでは、「IBM」「ThinkPad」「600X」などが店主の当初の予想よりも遙かに多かった。読者のご期待に沿うべく、再びThinkPadの話題を一つ。

ThinkPad 600X現役復帰で述べた通り、液晶のバックライト交換(オリジナルと比べると画面は少々青味が強くなった)でハード的には一応の復活を果たしたが、Windows 98SEは相変わらず不安定だ。

本格的な現役復帰には、これまでの経験からやはりOSのアップグレードが必要であると判断した。しかし、アプリケーションのWindows XPとの適合性を調べていたら1つの問題を発見した。それは、ハードディスク絡みのものである。オリジナルの12GBのHDDのまま使っていたが、出荷された状態ではCドライブ2.1GB(FAT)と残りがDドライブ(FAT32)という構成であり、その後そのサイズを変更するために、PartitionMagic 4.0を導入していた。

ネットジャパンのサイトを参照したところ、Tempus fugit、PartitionMagicの現役バージョンは何と8.0になっており、当然のことながら4.0のサポートに関する記述など殆ど見当たらない。念のため、ネットジャパンのサポートに電話で4.0はWindows XPではサポートされていないことを確認。(4.0そのもののサポートはとうの昔に終了していることも確認!)

ハードディスクの残り空き容量から、現状のままのパーティションサイズでは殆どWindows XPへのアップグレード・インストールは不可能であろうと判断した。従ってこのアップグレード、当初の思惑よりは費用と時間が掛かりそうである。

必要と思われるマテリアル

1. PartitionMagic 8.0のアップグレード版(新規購入)*1
2. Windows XP Professional アップグレード SP1(新規購入)
3. Windows XP System Solution Disc
4. Portable USB2.0 HDD/40GB(オプション)
5. 2.5” HDD (20GB or 40GB)(オプション)

*15.0~7.0を購入した記憶はないのだが、何故か7.0のアップグレードを適用してくれるとのこと。

上記の1.と2.が必須であることは言うまでもないが、3.のIBMが有償提供しているCDは既に使用した経験があり、ThinkPadのマシンタイプを指定するだけでドライバその他システム回りのコンポーネントのアンイストール・インストールを行い、XPへのアプグレードに必要な環境を整えてくれる非常に楽チンなツール。

4.と5.は、XP環境で600Xを実用に供するには実装されている12GBのディスクでは窮屈と思われるので、内蔵HDDの交換を考えている。12GBのディスクのままXPにアップグレード後に、現在バックアップ・デバイスとして利用している4.のUSB HDDにRapid Restore Ultra(RRU)を使ってディスクイメージのバックアップを取り、手持ちの余った2.5”の20GB(あるいは40GBのHDDを購入)に換装後、リストアをしようという目論見である。

現時点で予想しているアップグレードのプロセスは、

1. PartitionMagic 4.0のアンインストール
2. PartitionMagic 8.0のインストール後、C・Dドライブを一つのパーティションに統合
3. Windows XP System Solution DiscでXP環境設定準備
4. Windows XP Professionalのアップグレード・インストール
5. RRU + Portable USB HDDへバックアップ
6. 内蔵HDDの換装
7. バックアップした内容のリストア

XPのアップグレード前後に、PartitionMagic 8.0のアンインストール・インストールが必要になるかもしれない。 (RRU使用の際は、PartitionMagicをアンインストールする必要がある、とのこと)

スペック的には殆ど「9歳馬、上積みナシ」状態のThinkPad 600Xのアップグレードに拘る理由は、久しぶりに使ってみて改めて実感した、キーボードの作りの良さに依拠している。現役機のX20、X24、NetVistaに接続しているUltraNaviキーボードのどれよりも、キータッチは優れている。店主の記憶で、ThinkPadのシリーズでこの600Xのキータッチを上回っていたのは、とうの昔に嫁に出した560だけであった。

後日、実際のアップグレードの顛末をここでご報告をする予定。(全て実行しようとすると、きっと一筋縄では行かない予感が・・・)

>>> ThinkPad 600X Upgrade Implementation ~ その1

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March 20, 2004

Silvester 2002 & 2003


つい先ほどまで、NHK BS2でベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサート2002と2003を連続で再放送していた。

2002のプログラムは、バーンスタイン、ワイル、ガーシュインの作品を取り上げている。クラシックのフォーマットでジャズを取り上げるというコンサートは昔からよくある。この手の企画を、ベルリン期待のシェフであるサイモン・ラトルがどのように料理するのか興味があったのだが、期待はずれというか期待通りというべきか、はっきり言って全く面白くなかった。スウィング感は全く感じられないし、CoolでもSophisticatedでもなく、特にクラシカルな発声の(トマス・ハンプソンを筆頭とした)歌手達のヴォーカルがまったくイケていない。

続けて放映された2003のプログラムは「フレンチ・コネクション」と銘打って、ガーシュインとラヴェルの出会いという企画。2002の構成とは大分異なりガーシュインの作品の間に、フォーレの「パヴァーヌ」、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、「ダフニスとクロエ」を挟んでおり、一応ベルリン・フィルの存在意義のあるコンサートにはなっている。2002と違って、ジャズ・ヴォーカリストであるダイアン・リーヴスがガーシュインを歌っているのだが、店主にとってはベルリン・フィルの伴奏がやはり邪魔。折角のダイアンも普段より緊張気味で、3曲目の「Nice work if you can get it」あたりでやっと本来の調子を取り戻した。ダイアンにとって「ベルリン・フィルと共演」は今後の大きな勲章になることは間違いないが・・・。

両年とも会場はかなり沸いていたので、この手企画にはそれなりのデマンドやニーズがあるのかもしれないが、ジャズをプレイするのにベルリン・フィルはいらないし、資源の無駄遣いである。

「クラシックの世界だけには安住しないぞ!」という如何にもベルリン的な意気込みは感じるが、結果がこんなにつまらないコンサートなら、永遠のマンネリとでも言うべきヴィーン・フィルの「ニュー・イヤー・コンサート」や「プロムス・ラストナイト」の方が余程マシである。

演奏者側の「やりたい企画」であることは理解できないでもないが、店主にとっては決して「聴きたい企画」ではない。

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Another Story of the Ring

巷では、今年のアカデミー賞で11部門を受賞した「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」が話題になっているが、オペラの世界でリングと言えばやはりヴァグナーの「ニーベルンクの指環」である。

上演に4夜を要するこのオペラ(楽劇)に魅せられて、尋常な方法では絶望的なほど入手不可能なチケットをありとあらゆる手段を使って手に入れ、聖地バイロイト詣を繰り返している熱心なヴァグネリアンもいるらしい。そういえば、我が国の首相も昨年夏、訪欧のおりに当地で「タンホイザー」を鑑賞して「感激した!」と言ったとか?オペラの来日引っ越し公演の会場で、首相になる前の小泉氏を何度か見かけた記憶がある。

かく言う店主の場合は、のめり込みやすい性格を自覚しているので、なるべくヴァグナーには近づかないよう自戒しているが、かつてCDにしては異様にデカイBOXを抱えレジで大枚をはたいて、呆然とショップから出てきた覚えが何度かある。若気の至りとはいえ、ヴァグナーの毒、恐るべし。(この「指環」の全集を、もはや遺物とでも言うべきLPでも所有しているが、その総重量は充分に漬け物石の代わりになる)

閑話休題。ここでご紹介するのは、「呪いの指環(指輪)」の物語ではなく、ある歌手の想いが込められた「指輪」に関する逸話。その歌手とは先の「Royal Operaも苦渋の決断?」の中でも触れたロッテ・レーマンのことである。

Lotte_Lehmann.jpg

ロッテ・レーマン(1888 - 1976)はベルリン郊外に生まれ、2つの世界大戦に跨る期間を絶頂期として、ヴィーンを中心にベルリンコヴェントガーデンMETなどで活躍したプリマドンナである。ヴァグナー、R.シュトラウスを中心にオペラで歌い演じた役柄は90を越えていた。ユダヤ系の家系であったため、当時の政治情勢に翻弄された波乱の生涯を送った。オーストリアが第三帝国に併合される前に、米国に逃れ市民権を得て主な活躍の場をN.Y.(MET)に移し、引退後にカリフォルニアのサンタ・バーバラで亡くなっている。

彼女の自伝「歌の道なかばに」はあくまで彼女の視点で書かれており、プリマドンナの気質を知らない方には、過去の「自慢話」に辟易とさせられる記述も多々あるのだが、当時のオペラ界の事情を知るには第1級の資料であることも事実である。

残された録音を聴いても分かることだが、レーマンは自身の歌唱技術上の問題を本書でも率直に認めていた。彼女は美声、美貌を持った人ではなく、今日のドイツ語オペラ圏にも継承されている「Singing Actress」(ドイツ語で表現を失念)の代表格で、舞台上の「柄」で聴かせた人であり、特に「ヴァルキューレ」のジークリンデや「薔薇の騎士」の元帥夫人は伝説となっている。

現役時代は良くも悪くもプリマドンナにありがちな逸話に事欠かない人であったが、1951年に演奏活動から引退後も関係者からは非常にリスペクトされ、栄光に包まれた晩年を送った。

彼女はその長年の功績を称えられて1955年にヴィーン国立歌劇場からある指輪を贈呈された。物語は彼女が後年この指輪を、彼女の亡き後に開封するように指示した一通の手紙を同封して、贈り主である国立歌劇場へ送り返してきたことから始まる。

その手紙の内容は、

1.この指輪は、芸術家組合(Solistenverband der Wiener Staatsoper )によって満場一致で決められた、ヴィーン国立歌劇場に君臨したソプラノに送る。

2.遺贈された者は生涯その指輪を保持し、指輪の継承者を遺言で指名する。

3.以後の指輪の継承者は、これ慣行として維持すること。

というものであった。

このレーマンの遺言に従って指輪は、1979年にその陰影豊かな歌唱と確かな演技力でヴィーンの名プリマドンナとして一時代を画したレオニー・リザネック(1926 - 1998 )に遺贈された。そしてリザネックの亡き後、彼女の指名で1998年からこの指輪はヒルデガルト・ベーレンス(1941 - )に受け継がれている

ソプラノで指輪に纏わる最も縁の深い役柄と言えば、「ニーベルンクの指環」のブリュンヒルデであるが、レーマンもリザネックもこの役を舞台で演じた記録はない。The Brünnhilde of Our Time(我らの時代のブリュンヒルデ)と称されたベーレンスであり、この指輪の継承者として最も相応しい一人とも言えるが、かつての保持者に比べると歌手の「柄」としては些か小粒になった感は否めない。

この指輪は、「The Lotte Lehman Memorial Ring」と称され、遺贈のルールに若干変更が加えられたようだ。

1.ヴィーン国立歌劇場に君臨した「ドイツのレパートリ」を持つ歌手。(女性歌手(Sängerin)ではあるが、ソプラノ歌手とは限定していないようだ)

2.指輪の継承者は舞台を引退するまで保持し、後継者を指名し引退時に委譲することが出来る。あるいは、文書として国立歌劇場のマネージメントに託することも可能。

3.後継者が決定出来ない事態が起こった場合は、遺贈する権利は芸術家組合に委ねられる。

確かに「Beautiful Tradition」ではあるが、如何にもロッテ・レーマンが思い付きそうなこと(彼女の名を永遠に残したい?)だなぁ、と感心感心・・・(苦笑。

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March 18, 2004

対UAE戦 & 業務報告

* 対UAE戦

やっと終わった「アジア予選」。
結局、UAEは前評判ほど強くはなかった。

店主的には、今回の期待値は「予選突破、五輪参加」だったので、アテネでは、レアル・マドリー風ディフェンスでも、ベッカムもどきクロスでも、サヴィオラ的ドリブルでも、etc.、ご褒美として何でも好きなことやってよし→U23。

店主の選ぶMVPは、UAEラウンドは田中達也、Japanラウンドは阿部勇樹。大久保くん?まだ、あげられないなぁ。
それにしても、殆ど勝ちが決まったあと、チョット態度デカクない?→U23

* 業務報告

カウンターを設置(Feb. 16, 2003)以来、本日2000に到達。ご来店頂いた皆さまに心より感謝いたします。
旧知の方のBBSでもプロモーションさせて頂き、そこからご来店頂いた皆さまも多数いらっしゃるようで、これ又感謝いたします。

ブックマークして頂いた以外で、検索エンジンのどんなキーワードでご来店頂いたか?Best 10をご紹介しておきます。(KJ法風にまとめてありますので、代表的なキーワードをあげています)

1. ThinkPad
2. 液晶バックライト交換
3. 私をスキーに連れてって
4. PHS
5. ジャポニズム
6. ストラディヴァリウス
7. ADSL速度変更
8. 牛すね肉
9. トラックポイント
10.小澤征爾
10.IBM

元々、このblogの核となるテーマは?と問われても、答えようがないほどバラバラな内容ですが(擬藤岡屋なもんで)、一応「文系」寄りを目指したつもりだったのですが、なんとなく「IT系」でご来店頂いた方も多かったようです。店主が最も以外だったのが、8位の「牛すね肉」で、次いで4位の「PHS」でした。

尚、キリ番記念品の件ですが、1000番目にご来店頂いた方からのお申し出がありませんでした。代替案として999番と1001番でのご来店という、今時なんとも奥ゆかしい(ドジとも言うかも?)方を特定できたので、去る3月10日に粗品を無事お渡し出来たことを、ここにご報告させて頂きます。

ということで、今後も当店をご愛顧のほどよろしくお願いします。

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March 17, 2004

Royal Operaも苦渋の選択?

我が国ではアテネ五輪の女子マラソン代表選考で侃侃諤諤の議論?が収まらないようであるが、ロンドンはコヴェントガーデンのロイヤル・オペラでもキャスティングに「苦渋の選択」があった模様。

Times OnlineSunday Telegraphあたりを参照するのが筋であると思うが、英米系の主要な新聞のサイトはユーザ登録が必要な場合が多く、ヴァージニアのローカル・ニュース・サイトであるFriedensburg.comの「Royal Opera Boots Soprano for Weight 」という記事をご紹介する。

この6月にロイヤル・オペラでコリン・デイヴィスの指揮で上演される「ナクソス島のアリアドネ」でタイトル・ロールに予定されていた、デブだ、もといデボラ・ヴォイトが降板させられた。その理由は、用意された衣装(エレガントなイヴニング・ドレスらしい)にヴォイトのサイズが合わなかったのが原因、とか。

ヴォイト自身は「太ったひとへの差別」とかなりご立腹の様子。店主も以前、「仮面舞踏会」の舞台でヴォイトに接したことがあるが、彼女は確かに巨漢ソプラノの一人であると認めざるを得ない。

20世紀初頭、第二次大戦前後の名歌手中心のいわゆるゴールデン・エイジに比べると、近年は演出に重心が置かれているオペラ上演が主流になっており、歌い手の歌唱力に優先して演出家の思い描くリアリティ沿ったキャスティングがなされることは儘ある。今回はその典型的な例である。

しかし、オペラに関しては、芝居とは違ったリアリティがあることも事実であり、そこらへんのことはN.Y.TimesでAnthony Tommasiniが寄稿している「A Dress or a Voice: What Makes a Diva?」を、アクセスできる方は参照していただきたい。ただし、ヴォイトが「アメリカ人のソプラノ」であるということを多少割り引いて読む必要があるかとは思うが。

オペラの上演に際しては、現代の観客の期待値に即した舞台を提供することが最も重要な命題と言える。ただ、オペラの場合、歌、オーケストラ、芝居、衣装、装置等々を総動員する「総合芸術」なるが故のやっかいな問題がある。極端に言えば、観客の期待値は100人100様であるとも言える。

芝居は全くダメだが、歌唱力は抜群という歌手もおり、その歌の力で観客を魅了するという場面に何度も遭遇したこともあり、その体型だけで降板というのも如何なものかという気もするが・・・。これはロイヤル・オペラの下した判断ということで致し方がないことである。

ただ、このオペラ歌手の体型や演技に関する議論は今に始まったことではなく、恐らく50年ほど前に名歌手ロッテ・レーマンが著した自伝「歌の道なかばに」の後半で、後進の歌手たちへの助言として、これからのオペラ歌手は歌唱力を磨くだけでは充分ではなく、自らの反省を踏まえて「体型の維持」「演技力の向上」などに関して語っている。

かの、20世紀後半を代表するディーヴァであるマリア・カラスもデビュー当時は0.1トンほどの体重があり、伝説的な?ダイエットを行い1年間でそれをほぼ半減させたという話しはあまりに有名である。(それが原因で、歌手として寿命を縮めたという見解もあるが)

ゴールデン・エイジの名歌手たちと比べ、明らかに歌唱力だけで太刀打ちすることが難しい現代のオペラ歌手たちには、違った資質も求められているのであろう。

「サロメ」のタイトル・ロールにいたっては、さらに違う資質を求める演出の場合が多々あるが・・・。

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March 16, 2004

対レバノン戦

日韓W杯での予選免除があったせいか、アジアの予選を見る「あの感じ」が甦ってきた今日この頃である。

格上&アウェーでの戦い方は、本日のレバノンよりバーレーンの方が数段上であった。キャプテンから目を付けられている(「かけられている」、ではない!)大久保もやっと結果を出した。国見の後輩平山の手前か決定的にキレる瞬間もなく、ごく普通のイェローが1枚だけ。(平山クン、手の使い方に注意しましょう)

明後日のUAE戦はホントの意味で痺れる試合になることは必至。
あ~、あの感じだ、正に・・・。

U23で誰のファンか?そりゃ勿論、山本監督。

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苦渋の選択、って何?

昨日のアテネ五輪マラソン代表選出、特に女子に関してはいまだ沈静化せず国民的一大関心事と化している。

陸連幹部は、「高橋尚子を選択する道を探したが、出来なかった。苦渋の選択であった。」と述べているが、これは全く余計なことだと思う。彼らが自ら決めたルールに従って出場選手を決定したのであるから、「苦渋の選択」などと言う必要があるのだろうか?

もし、どうしても高橋をアテネに送りたいのであったなら、選考方法として予め、「前回五輪金メダル枠」あるいは「ディフェンディング・チャンピオン枠」(これが、マラソン競技に相応しものであるかどうかは別にして)を設定し、残り2人を選考するという方法もあった。個人的には賛成は出来ないが、国民的なコンセンサスを得る一つの方法ではあったと思う。

高橋・小出コンビは、陸連が例によってルールを曲げるのでは?という期待を持ったことが最大の誤算であった。これに関しては多くを語るまい。

本当に、高橋尚子が逆境に強い実力を保持し、あるいはそれ以上に向上させているのであるならば、「たかが五輪」とばかり、その実力を見せつける機会は今後いくらでもある。「悲劇のヒロイン」あるいはそのキャラクタを180°転換して「ヒール」役になることも可能であろう。

スポーツ選手と競争馬を比較するのも如何なものかとは思うが、その昔橋本善吉氏(現参議院議員である橋本聖子氏の父君)が仔を宿したシルという牝馬を米国から購入した。その生まれた仔馬があの名馬マルゼンスキーである。(当の善吉氏は「牛」を購入するつもりで米国に行き、「馬」を買ってついでに馬主になった、という逸話もある)

古い競馬ファンならご承知であろうが、マルゼンスキーは当時の競馬界にあっては他の馬とは桁はずれの実力を誇ったが、持ち込み馬(海外から種付け済みの牝馬を輸入し、産ませた馬)はクラシックレースに出ることが出来ないという当時のルールのため、皐月賞、ダービー、菊花賞を走ることはなかった。

「枠順は大外でいい。他の馬の邪魔はいっさいしない。賞金も要らない。この馬の能力を確かめるだけでいい。だからダービーに出走させてほしい。」という主戦騎手である中野渡の願いも当然歯牙にもかけられなかった。今思えば内国産馬保護という理不尽さを感じるが、ルールはルールである。

当のマルゼンスキーはそんな事情を知ってか知らずか、小頭数(勝ち目がないと見て、出走する他馬が少なかった)のオープン・レースを圧倒的な強さで勝ち続け、生涯成績は全て1番人気を背負って8戦8勝のパーフェクトで、当時夢のスーパーカーとも呼ばれていた。

結果、同期の皐月賞馬ランドプリンスハードバージ、ダービー馬ロングエースラッキールーラー、菊花賞馬イシノヒカルプレストウコウの誰よりも、当時からの競馬ファンの記憶に残っているのは、ひたすら裏街道を走った無冠の帝王とも言うべきマルゼンスキーの名である。

産駒の成績も当然のごとく、これら3頭を圧倒していた。

高橋尚子にこのマルゼンスキーになれとは言わないが、逆境をはね返すひたむきな走りをみせて欲しいものである。

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OZU 2003 ~ シンポジウムから

小津安二郎生誕百年記念国際シンポジウム「OZU 2003」が、昨年の12月11日、12日に有楽町朝日ホールで開催された。店主は参加できなかったが、そのほんの一部がやはり昨年BS-2で放映された。その内容に関しては、Yuさんが運営されているサイトBE BLUE!の中で「OZU 2003」として紹介されている。

先日、この「OZU 2003」を拝読させていただき、さらに録画を再見してチョット気になったというか驚いたことがあった。

それは、「小津さんは映画に軍服姿の人物を一切出さなかった。あの時代において軍服を排除した姿勢・・・」云々という吉田喜重氏の発言である。

確かに、この「軍服の・・・」というのは、あくまで現存するフィルムに限っては正しいと思う。しかし、フィルム・ネガとも散逸してしまった「また逢ふ日まで('32)」と「大学よいとこ('36)」のシナリオのサマリ(原本ではなく、山内静夫氏解説によるもの)を読む限り、「軍服」が出てこないと画面が成立しない。

別に声高に吉田氏の発言を批判するつもりはサラサラないし、小津の戦時中の映画制作に対する姿勢は、巷間言われている通りで戦意高揚映画などには全く興味を持たなかったのは事実であろう。

普段はローキーで「反復とずれ」などと発言されている吉田氏にしては、ちょっと力ずく過ぎるのでは?と思った次第。

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March 12, 2004

The Complete OZU ~ 小津安二郎の世界

>続いての小津ネタ。かつて東芝EMIから、電子ブックで「The Complete OZU ~ 小津安二郎の世界」というCR-ROMが発売されていた。Amazonや東芝EMIのサイトで検索をかけても、出てこないので現在は絶版らしい。ビクターエンターテイメントからの「小津安二郎の世界」は全くの別物。

内容は、小津研究で有名なドナルド・リチーの「映画の中の日本~小津安二郎の世界」(山本喜久男訳)が1冊まるごとエキスパンド・ブックのフォーマットで収められており、「映画ダイジェスト」として全作品の解説、「キャスト&スタッフ」、「小津安二郎の東京」として小津にまつわる東京のさまざまな場所の紹介などから構成されている。エキスパンド・ブックのユーザ・インタフェイスの使い勝手は評価が分かれるところであるが、基本的には良く出来ていると思う。何故、生誕100周年を記念して再発売されなかったのかが不思議である。

この中で最も興味を引かれたのが、「小津を語る」と題して本作のために録画された、小津映画に関わりをもった人たちのインタヴューである。殆ど1994年に撮影されたもので、現在は故人になっておられる方もいる。

まずは、「一番バッター」の岡田茉莉子が語るところの小津映画の「四番バッター」(と、小津が自ら語ったらしい)である、もしかして日本で唯一の女優であった杉村春子。

「小津先生は、非常に肩幅の広い背中の大きな人だった。それを、東野さん(英治郎)は、『あれは古武士の背中だな』、と言っていた。」

「文学座の分裂の時(1963)、『俺が付いてる里見弴、僕も付いてる小津安二郎』、という電報をもらい、今でもそれが支えになっている。」

「演技に関しては、何も難しく考える必要はない、自然にやればそれでいい、と言われた。」

と語っている。


次は、晩年の作品でちょっと存在感のある脇役で出演していた須賀不二男。

「小津先生は、適当に不良で、無頼で、粋な人だった。」

「笠さんが演じた平山という役は、後年評論家が言うような小津さんの分身ではなかったと思う。」

「あの役柄の持っている真面目さや誠実さには憬れはもっていたかもしれないが、小津さん自身はあんな野暮ではなく、粋で大変な浪費家だった。」

「若き日の小津日記のなかの、『したきものは浪費、欲しいものは金、大声で叫びたい春の夕暮れ』には大いに共感できる。」

などと語っている。

最後に小津組の名カメラマン厚田雄春の弟子である川又昴。

「小津の、『映画には約束事はあるが、どう撮らなければならないという文法はない。もしも、文法というものがあるなら、これくらいの日本映画の規模なら監督は10人で賄える。自分のイメージに従って撮ればいい。カメラマンというのは活字になったシナリオを映画という絵に具体化するのだから、それを常に忘れるな』という言葉が身にしみている。」

「何故ローポジションか?自分の経験では、畳の目が照明の関係で撮ることが非常に難しく、小津さんはそれを良く分かっており、畳を撮るのを極力避けた。しかし、東京物語の上野の陸橋のシーンで、何故もっと東京を見せないのかと思った。やっぱりアオってビルの5~6階の屋根のあたりを撮す。小津さんにとって、最も安定したポジションはやはりローポジだった。」

「小津組はカメラの移動がないと言われていたが、実は移動は多かった。但し、揺らさない移動なのでスタッフ、俳優は大変苦労した。」

と撮影技術の面から語っている。

他に、桜むつ子、突貫小僧こと青木富夫、井上雪子、小津の甥にあたる長井秀行、プロデューサで里見弴の子息である山内静夫らのインタヴューが収められている。

久しぶりに摘み食いで見直してみたが、店主にかけられた「小津の魔法」は未だ解けず・・・。

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March 10, 2004

お天気のいい音楽 ~ 小津百科

NHK BS2では、アンコール放送と称してこの3月に入っても小津安二郎の作品を放映している。これまで映画の放映前にその作品にまつわるエピソードを3分ほどにまとめた「小津百科」が流されていたが、昨夜(9, Feb)作品の制作年度順に並べかえて、一挙に37本が続けて放映された。語りは大杉漣。

細切れの状態で見ていたときは、さほど強い印象を受けなかったが、こうしてまとめて見ると、思いの外しっかりと作られている、と感じさせられた。

エピソードの内容は、これまで殆ど語り尽くされているものではあるが、改めて印象に残ったのは以下の2つ。

まず、「早春」でのエピソード。

小津が映画の中に実際にある細かい事実をかなりのこだわりをもって描き込んでいる理由として、「小津さんは、自分の中で良く知っている風景があって、その中で物語が生まれてくる。でもそれは架空の物語、だから大きな嘘のためには、小さなところで嘘をついてはいけないのです。」と助監督を務めた田中康義が語っている。小津の映画は彼自身の日常のリアリティが物語を支えているのである。

次は、「東京暮色」で使われた音楽で、有名な「サセレシア」(「サ・セ・パリ」と「ヴァレンシア」をモティーフにして斉藤高順が作曲)。

小津はその暗い内容とは正反対な、リズミカルで明るい音楽を希望した。理由は、「画面に悲しい気持ちの登場人物が現れていても、その時、空は青空で陽が燦々と照り輝いていることもある。自分の映画のための音楽は何が起ころうともいつもお天気のいい音楽であってほしい。」と自ら語ったとか。確かに、小津の作品で雨降りのシーンは「浮草」とサイレント時代の一部を除いて、殆ど登場しない。

店主は小津映画(特に晩年の作品)を、見始めた頃は物語はドラマティックな起伏に乏しく、テンポが遅く一見退屈ではあるが、日常の家庭生活を丹念に描いたホームドラマである、という巷の評価に首肯していた。

しかし、観れば観るほどこの評価に首を傾げるようになっていったのである。その一例として挙げられるのが、小津映画に登場する人物の会話のテンポはとても尋常とはいえない。実際にあの台詞を喋ってみると分かるが、あんな速いテンポで会話をすることは日常では殆どあり得ない。

世評や、笠智衆の抑制された演技に騙されてはいけない。店主は、小津の作品は思いの外かなり「ヘン」な映画だと思っている。

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March 09, 2004

Cream Puffs

つい今しがた終わった、TV東京のWBSを見ていたら、先週末にN.Y.のBroadwayにオープンしたビアード・パパに行列が出来ていて、買うまで30分待ちとか。

シュー・クリームって英語でCream Puffsっていうのね。

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March 07, 2004

Bösendorfer ~ オーストリアの真珠

Steinwayと並び有名なピアノ・マニュファクチャラであるBösendorferが、昨年の2003年に創業175周年を迎えた。

少々以前のものになるが、Wiener Zeitungの英語版からA piano goes round the worldと題された記事ご紹介する。

ヴィーンを訪れ楽友協会ホール(Musikverin Saal)のコンサートに通われた方なら、そのすぐ裏手にあるBösendorferのショウルームをご覧になったこともあるかと思う。オーストリア、あるいはヴィーンの楽器を代表するこの会社は、創業以来数々の名声に包まれている。(楽友協会ホールの住所がBösendorferstraße 12、と通りの名前にもなっている。)

栄光の歴史を持つこの会社も、今日までの道程は平坦なものではなく、紆余曲折があったようだ。1966年には、アメリカでかつてピアノを製造していたKimball Internationalの傘下にはいり、2002年にはオーナーがオーストリアの銀行グループであるBAWAG-P.S.K. に変わった。(この買収は、U.S. → オーストリアということで、地元ではむしろ歓迎されたようだった。Kimball自身は1996年にピアノの製造を完全にやめた。)

ピアニストには良く知られたフル8オクターヴの97鍵を持つImperial 290というコンサート・グランドを世に送り出して既に1世紀あまり。175 Anniversaryということで、9,000個のクリスタルで装飾したSwarovski Model、時計のデザインなどでも有名はPorsche Design Modelが発表されている。

この記事では紹介されていないが、脚がN.Y.のクライスラー・ビルの形を模した全体がアール・デコ調のChrysler Model、1869年に時の皇帝フランツ・ヨーゼフが明治天皇に贈ったといわれるピアノ(その後火事で焼失したらしい)を復元したKaiser Modelなど、「Designed Model」を充実させている。(中には、Model Hansenと呼ばれるビザンチン・スタイルという少々おどろおどろしいデザインもあるが・・・。)

ニッチ・マーケットをターゲットにし、年間生産台数500台(500台も!)という小さな会社ではあるが、ヴィーン文化の、いやAustro-Hungary文化の伝統を現代に継承する役割の一翼を担っているのは確かなところである。

Bösendorferの制作工房の職人は鶏が時を告げる前から働きだし、午前中には仕事を終えるという、まるで河岸の仲買人のようなワーキング・スタイルであると、以前聞いたことがある。現在でもそんなやり方でコツコツと1年に500台ものピアノを作っているのであろうか?

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March 06, 2004

牛すね肉のしょうゆ煮

なんだ、いきなりこのベタなタイトルは?

本日は休日なので、突然のお料理講座。(当店は初めてか・・・。)

包丁と鍋があれば誰でも簡単に作れて、冷蔵庫で保存がきき、気軽に食べられるレシピをご紹介する。詳しくは以前NHKのWEB上で紹介されていた下記の引用部分を参照していただきたいが、要するに牛のすね肉の塊を鍋で水、醤油、砂糖、ネギ、生姜を入れて煮るだけである。

材料

・牛すね肉600g
・ねぎ2本
・しょうが1かけ
・しょうがの甘酢づけ適宜
・溶きがらし適宜
・青菜適宜
・砂糖・しょうゆ

作り方

1.牛すね肉はぬるま湯の中で洗い、さらに水で洗って表面の汚れや筋を取り除く。余分な脂肪も取り除き、表面の水けをふき取る。

2.肉がきっちり入るくらいのなべに、水カップ2、ねぎ1本のブツ切り、つぶしたしょうがを入れ、砂糖大さじ3、しょうゆカップ2/3弱も加え、肉を入れて強火にかける。

3.煮立ったら弱火にしてアクを取り、ふたをして1時間30分くらいコトコトと煮る。

4.肉に竹ぐしを刺して、スーッと通るくらい柔らかくなったらふたを取り、煮汁が1/4量くらいになるまで煮詰め、火を止める。

5.冷めたら薄切りにし、ねぎ1本分の白髪ねぎ、しょうがの甘酢づけ、溶きがらし、青菜を添えて盛る。残りは煮汁ごと密封容器に入れ、冷蔵庫で保存する。冷蔵庫で約2週間保存可能。


出典:きょうの料理12月号より

これは、料理研究家の城戸崎愛さんのレシピである。店主も実際に何度か自ら試してみたが、切ったネギと潰した生姜と調味料を鍋にぶち込んで煮るだけなので、非常に簡単だった。牛肉のなかでも値段が安い、すね肉ってところも「イイ感じ」。

関西出身の上品な舌の持ち主の方にはチト疑問であるが、店主のような典型的な醤油味が好きな東京人あるいは関東以北の味で育った方には大推薦。

食べるときも、白髪ネギ(ネギの細切り)や酢漬け生姜があればベストであるが、練りカラシだけでも充分いける。

オードブルに、あるいはお酒のアテに一度お試しあれ!


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Barry Lyndon by Stanley Kubrick

昨年の終わりに廉価版になって発売された「バリー・リンドン('75)」のDVDを、かねてより手に入れていたが、長尺物の故なかなか観る機会がなかった。

この映画、おぼろげながらストーリを覚えているので、以前どこかで観たことがあるのだと思う。ただ、そのディテイルとなると記憶は非常に怪しかった。

スタンリー・クーブリックといえば、「ロリータ('61)」、「Dr. Strangelove('63)」(「博士の異常な愛情」という、超・珍訳の日本語タイトルは凄すぎ!)、「2001年宇宙の旅('68)」「時計仕掛けのオレンジ('71)」、「シャイニング('80)」などが、代表作として挙げられるが、「バリー・リンドン」は何となく置き去りにされている感もある。原作は勿論、ウィリアム・メイクピース・サッカレーの「The Luck of Barry Lyndon(1844)」(このLuckは勿論、good & bad)である。

ストーリそのものは、サッカレー一流の少々芝居じみた展開でそれなりにメリハリのあるドラマティックな内容である。しかし、映像化したクーブリックの意図か、映画そのものは他の作品に比べてかなりスタティックな印象を与えることが原因で、話題になりにくいのかも知れない。

ただ、この「バリー・リンドン」でのクーブリックの映像そのものへのこだわり様は半端ではない。18世紀の英国の風景画そのモノのようなショットがいくつもあるが、これが溜息が出るほど美しい。まるで、マスターピースの中の人物が動き出したのか?という不思議な感覚に囚われた瞬間が多々あった。店主は絵画史に関しては全くのトーシロ門外漢であるが、クーブリックが構想したのは、ターナーというよりはコンスタンブルかな?などと想像をたくましくしていた。

一説ではNASAのために開発されたといわれる、Carl Zeissのf0.7のレンズを用いて、ローソクの光だけで撮影されたというシーンでは当時の「闇と光」とは、どんなものであったかを実感させてくれる。

出演者のなかでは、プロシア軍大尉を演じていた「大学は花ざかり('58)」や「シベールの日曜日('62)」のハーディー・クリューガーが懐かしかった。

何度か決闘のシーンがあるが、当時はそれぞれ違った作法があったようで、1つの研究テーマにもなるのでは?と思わせるほど、興味深いものがある。それにしても、借金の取り立てにも一々決闘では、命がいくつあっても足りゃしない。

サッカレーの他の作品同様、感情移入をしづらい(許さない?)登場人物と、クーブリックのゆったりとした映像展開が相乗効果となっているため、この映画、物語から一歩退いて観るということが不得手なヒトには、3時間はさぞや退屈であろうと思われる。

サッカレーは19世紀を生きた人ではあるが、ストーリは7年戦争を挟んだ18世紀に設定されている。彼の社会や人生に対する辛辣な風刺の精神、クーブリックの素っ気ないほど体温の低い映像、バリー役のライアン・オニールの大根役者ぶり、全て店主が想像する18世紀の空気を大いに体感させてくれた。

誤解のないように言っておくが、店主の場合は主役が「大根役者」というのは、貶しているのではなく、むしろ褒め言葉である。特殊な場合を除いて、主役に芸達者で小賢しい芝居をする役者を充てて成功した例など殆ど知らない。

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March 05, 2004

チェチーリア・バルトリの近況

日曜日に楽友協会でリサイタルを開いたチェチーリア・バルトリインタヴュー記事Die PresseにWalter Dobnerが寄稿していたので、内容を例によって超訳(?)でご紹介する。

最近、バルトリはサリエリ(「アマデウス」でのモーツァルトの敵役)作品のプログラムをよく取り上げている。インタヴューで、バルトリは「サリエリはイタリア時代のグルックの後継者であり、グルック自身も弟子であるサリエリの影響を受けており、新古典主派とロマン派を繋ぐ重要な作曲家」と位置づけている。

さらに、彼女自身の「Cosi fan tutte」におけるデスピーナ → ドラベッラ→ フィオルディリージという役柄の変遷の正当性(現代では全く違う声質を持った女声を充てるのが一般的)を、初演当時の18世紀のソプラノ達(Nancy Storace、Adriana Ferraresi )のレパートリに求めている。

近い将来、サイモン・ラトルとのザルツとベルリンでの「Cosi fan tutte」のプロジェクトが控えているようだ。2005年にはコヴェント・ガーデンでのアダム・フィッシャーとのロッシーニ、チューリヒでのマルク・ミンコフスキーとのヘンデルと続くらしい。ウィーンにおいては、オペラに関する決定したプランはないようである。

現在の彼女は「18世紀」にいたく魅了されいるようだが、「何週間か前にHans Werner Henzeと会った際、将来共同で何かをしようと合意した(?)」とのこと、ヘンツェと一体何をするんだ!?

店主のバルトリ体験は、東急文化村の「モストリー・モーツァルト」のリサイタルを聴いたのが初めてである。但し、大評判だった初来日のときではなく、2度目の来日時であった。

店主の記憶では、残念ながらその時点で生バルトリの声は壊れていた。恐らく、オーヴァーワーク(歌いすぎ)が原因であると思われる。

その後、チューリヒのオペラハウスでシーズンインのオープニング・ガラ(マチネーで、シャンパーニュ&軽食付きのとても高価なチケットだった)で、ヴィヴァルディを中心としたリサイタルを聴いたことがある。その時も、速いパッセージではあまり目立たなかったが、息が漏れるという現象には改善はみられなかった。

確か、アンコールでバルトリ母(シルヴァーナ)と「Cosi」のデュエットを歌っていた。

終演後、シャンパーニュを飲みながらバルトリと立ち話をしたことを記憶している。その時「Bunkamura」のTシャツを着ていた可愛らしい少女がいて、後にバルトリの妹であることが判明。その後、姉の後を追って歌手になったという噂を聞いたことがある。

店主のバルトリの声に対する印象は、知人で声の専門家が言っていた「高い声が出ないソプラノ」という言葉が当たっているように思える。彼女の声は、いわゆる現代の主流のメゾ・アルトの暗く重い声質はもっていない。従って、得意とするロッシーニにおいてすら歌えるレパートリはかなり限定される。タンクレディなどは絶対に歌わないであろう。

この「高い声が出ないソプラノ」というカテゴリの歌手は、彼女が特別な存在ではなく、かつてスペインの名花と称えられたメゾである、テレサ・ベルガンサもその典型である。

それにしても、バルトリに関する海外の批評でも、あの声の「壊れ」に言及している記事を読んだことがない。あの程度はOKなのであろうか?それとも、その後劇的な改善を見たのかは店主には定かではない。

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March 02, 2004

私をスキーに連れてって その3
~ 2004年のスキー考現学 ~

<<< その1、<<< その2

gokuraku.jpg

お待たせしました(なに、誰も待ってない?)。盛時に比べ、寂しげな今日この頃のスキー場に端を発した駄文がダラダラと続き物になってしまった。

どうやって、収拾をつけたものかと思案投げ首。瓶詰めコーラのついでというワケではないが、取りあえず「極楽スキー」('88)を発掘。

店主は本書のミーハーな内容ばかりを記憶していたが、巻頭で「極楽スキー宣言」という当時全盛期を迎えていたスキー状況をもとに、将来の在るべき姿としての「リゾート・スキー」を提言していた。その3つの条件として

1. 都会と別世界であること
2. 都会と同じ快適さ(amenity)があること
3. 長逗留すること

を挙げている。

リゾート・スキーの原点を当時の欧米のスキー場というより、戦前の赤倉、志賀、岩原に求めている「日本リゾート・スキー前史」はなかなかの読み応えがあった。

まだ長野オリンピックの開催も決まっていない時期ではあったが、当時SAJの会長であった堤義明氏を総帥とする西武グループのスキー場開発戦略にまつわるインサイド・ストーリ風な「西武の野望」も面白かった。

本書が予想した、苗場・横手山・竜王山(焼額山)を結んで巨大スキー・リゾートとするSeibu Super Ski Networkは未だ実現していないが、(ドラゴンドラでお茶を濁されたか?)日本には長期滞在型は定着しないことを看破し、短期滞在型のリゾート開発しか行わないという、西武のポリシーに対する考察は見事に当たっていた。

その後、この長期滞在型のスキー・リゾートの開発は、義明氏の義兄であるセゾン・グループを率いていた堤清二氏がサホロにおいてClub Medでチャレンジするが、ご承知の通り失敗。かつてETVで放映された「わが挫折を語る~日本経済への教訓」でも、自らこの経緯を語っていたことは記憶に新しい。

「良きことは外からやって来る」という我が国古来の伝統は、このスキーやリゾートに関しても当てはまる。バブル崩壊という一種のアクシデントはあったにせよ、表層は同じように見えてもその本質は見事に換骨奪胎され、独自の発展(衰退?)を遂げたことを、店主がその昔ツェルマットに滞在したときに思い知らされた。

スキーを取り巻く環境に関して、その最盛期を知るものにとっては一抹の寂しさを感じるものの、現在の状況を常態と考え、リファインしていくほうが妥当のような気がする。「あの夢よ、もう一度」は、スキー産業にも訪れるとは思われない。

この「極楽スキー」はその後、89年、90年と出版されたのだが、その内容と存在感でこの88年版を超えるものではなかった。

本書の「ゲレンデ・ミュシュラン」を始めとしたミーハー&おチャラケ部分の「東京中華思想」は徹底しており、「関西&関西人」を徹底的に排除している。但し、神戸は神戸女学院と甲南女子大の存在ゆえ、東京の一部という勝手な解釈。西のスキー場は評価の対象にもしていないが、「栂池は関西(大阪?)にくれてやるから、八方尾根を東京に返せ」と書いていたのは確か89年版だったか?

それにしても、当時のバブル絶頂期の世相を色濃く反映しており、全体を支配しているイケイケで元気の良いノリの内容を今読んでみると、なんとも微笑ましい限りである。




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