« 対UAE戦 & 業務報告 | Main | Silvester 2002 & 2003 »

March 20, 2004

Another Story of the Ring

巷では、今年のアカデミー賞で11部門を受賞した「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」が話題になっているが、オペラの世界でリングと言えばやはりヴァグナーの「ニーベルンクの指環」である。

上演に4夜を要するこのオペラ(楽劇)に魅せられて、尋常な方法では絶望的なほど入手不可能なチケットをありとあらゆる手段を使って手に入れ、聖地バイロイト詣を繰り返している熱心なヴァグネリアンもいるらしい。そういえば、我が国の首相も昨年夏、訪欧のおりに当地で「タンホイザー」を鑑賞して「感激した!」と言ったとか?オペラの来日引っ越し公演の会場で、首相になる前の小泉氏を何度か見かけた記憶がある。

かく言う店主の場合は、のめり込みやすい性格を自覚しているので、なるべくヴァグナーには近づかないよう自戒しているが、かつてCDにしては異様にデカイBOXを抱えレジで大枚をはたいて、呆然とショップから出てきた覚えが何度かある。若気の至りとはいえ、ヴァグナーの毒、恐るべし。(この「指環」の全集を、もはや遺物とでも言うべきLPでも所有しているが、その総重量は充分に漬け物石の代わりになる)

閑話休題。ここでご紹介するのは、「呪いの指環(指輪)」の物語ではなく、ある歌手の想いが込められた「指輪」に関する逸話。その歌手とは先の「Royal Operaも苦渋の決断?」の中でも触れたロッテ・レーマンのことである。

Lotte_Lehmann.jpg

ロッテ・レーマン(1888 - 1976)はベルリン郊外に生まれ、2つの世界大戦に跨る期間を絶頂期として、ヴィーンを中心にベルリンコヴェントガーデンMETなどで活躍したプリマドンナである。ヴァグナー、R.シュトラウスを中心にオペラで歌い演じた役柄は90を越えていた。ユダヤ系の家系であったため、当時の政治情勢に翻弄された波乱の生涯を送った。オーストリアが第三帝国に併合される前に、米国に逃れ市民権を得て主な活躍の場をN.Y.(MET)に移し、引退後にカリフォルニアのサンタ・バーバラで亡くなっている。

彼女の自伝「歌の道なかばに」はあくまで彼女の視点で書かれており、プリマドンナの気質を知らない方には、過去の「自慢話」に辟易とさせられる記述も多々あるのだが、当時のオペラ界の事情を知るには第1級の資料であることも事実である。

残された録音を聴いても分かることだが、レーマンは自身の歌唱技術上の問題を本書でも率直に認めていた。彼女は美声、美貌を持った人ではなく、今日のドイツ語オペラ圏にも継承されている「Singing Actress」(ドイツ語で表現を失念)の代表格で、舞台上の「柄」で聴かせた人であり、特に「ヴァルキューレ」のジークリンデや「薔薇の騎士」の元帥夫人は伝説となっている。

現役時代は良くも悪くもプリマドンナにありがちな逸話に事欠かない人であったが、1951年に演奏活動から引退後も関係者からは非常にリスペクトされ、栄光に包まれた晩年を送った。

彼女はその長年の功績を称えられて1955年にヴィーン国立歌劇場からある指輪を贈呈された。物語は彼女が後年この指輪を、彼女の亡き後に開封するように指示した一通の手紙を同封して、贈り主である国立歌劇場へ送り返してきたことから始まる。

その手紙の内容は、

1.この指輪は、芸術家組合(Solistenverband der Wiener Staatsoper )によって満場一致で決められた、ヴィーン国立歌劇場に君臨したソプラノに送る。

2.遺贈された者は生涯その指輪を保持し、指輪の継承者を遺言で指名する。

3.以後の指輪の継承者は、これ慣行として維持すること。

というものであった。

このレーマンの遺言に従って指輪は、1979年にその陰影豊かな歌唱と確かな演技力でヴィーンの名プリマドンナとして一時代を画したレオニー・リザネック(1926 - 1998 )に遺贈された。そしてリザネックの亡き後、彼女の指名で1998年からこの指輪はヒルデガルト・ベーレンス(1941 - )に受け継がれている

ソプラノで指輪に纏わる最も縁の深い役柄と言えば、「ニーベルンクの指環」のブリュンヒルデであるが、レーマンもリザネックもこの役を舞台で演じた記録はない。The Brünnhilde of Our Time(我らの時代のブリュンヒルデ)と称されたベーレンスであり、この指輪の継承者として最も相応しい一人とも言えるが、かつての保持者に比べると歌手の「柄」としては些か小粒になった感は否めない。

この指輪は、「The Lotte Lehman Memorial Ring」と称され、遺贈のルールに若干変更が加えられたようだ。

1.ヴィーン国立歌劇場に君臨した「ドイツのレパートリ」を持つ歌手。(女性歌手(Sängerin)ではあるが、ソプラノ歌手とは限定していないようだ)

2.指輪の継承者は舞台を引退するまで保持し、後継者を指名し引退時に委譲することが出来る。あるいは、文書として国立歌劇場のマネージメントに託することも可能。

3.後継者が決定出来ない事態が起こった場合は、遺贈する権利は芸術家組合に委ねられる。

確かに「Beautiful Tradition」ではあるが、如何にもロッテ・レーマンが思い付きそうなこと(彼女の名を永遠に残したい?)だなぁ、と感心感心・・・(苦笑。

|

« 対UAE戦 & 業務報告 | Main | Silvester 2002 & 2003 »

Comments

「ニキシュの指輪」って有りましたよね、そういえば。ベームが所持していて、確かメータに引き継がれているような。。

Posted by: ガーター亭亭主 | March 22, 2004 at 12:27 PM

Nikisch-Ring、確かにメータが現在持っているようですね。
ただ、この指輪に関する故事来歴は知りません。
ご存じでしたら、教えてくださいませ。

その昔、バックハウスがDiamond RingをBösendorferから
授与されたという話はかなり有名でした。

Posted by: Flamand | March 22, 2004 at 04:23 PM

はじめまして、karと申します。 いつも拾い読みをさせていただいています。 いくつか教えて下さい。
[歌の道なかばに]を読んでみました。 才能もさることながら、努力の人だったのかと思いました。 彼女と同時代のワーグナー歌手についての記述が殆ど無いのは何故なんでしょう。
例えば、フラグスタート。 
また、バイロイトに出演しなかったのは、何か理由あってのことでしょうか?

フリッツ・レーマンがロッテ・レーマンの弟だという記事がどこかのHPにありましたが、兄ですね。 また兄フリッツは指揮者でもなかったようですが。

Posted by: kar | October 30, 2004 at 07:43 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/17025/326115

Listed below are links to weblogs that reference Another Story of the Ring:

« 対UAE戦 & 業務報告 | Main | Silvester 2002 & 2003 »