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February 29, 2004

ありそうで、ないもの
~プレゼントのご案内~

cocacola_mag1.jpg

これだけモノが溢れている時代だが、一世を風靡した商品やそのパッケージにも栄枯盛衰があるのは世の常である。

昨日、我が家でこんなモノを発見した。190mlの瓶詰めコカ・コーラである。この瓶、一体いつ頃から我が家に滞在しているのかは全く不明。

いまでも、酒屋に行けば手に入るのだろうか、この瓶詰めコーラ?
スーパーマーケットに行けば、確かに瓶詰めのコーラは売ってはいる。但し、この写真のような、ガラス瓶ではなくプラスティック・ボトルである。その昔、日常的に見慣れていたときは特に優れた形状のボトルとも思わなかったが、久しぶりに身近で眺めてみるとなかなか趣のあるデザインに見えてくる。

コカ・コーラと言えば、一般的には第二次大戦後に米進駐軍とともに上陸したアメリカン・サブカルチャを代表するモノの一つだったようだ。昨年末から今年の初めにかけて、NHKのBS-2で生誕100年を記念して小津安二郎の現存する全作品を放映していた。「東京物語」と並んで小津の戦後の代表作として名高い「晩春」(1949)の中で、原節子が鎌倉の海岸をサイクリングするシーンで、英語の道路標識とコカ・コーラの看板が一瞬映されている。

「晩春」の映像には、その陰を微塵も感じされるところは無かったが、当時の日本が連合国(実質は米軍)の占領下にあったという事実を、刻印するかのような1カットであった。

店主はビールを含め炭酸飲料(除くシャンパーニュ)は得意ではないので、自ら好んでコカ・コーラを飲んだ記憶はない。

そういえば、この瓶詰めコーラがメジャーだったころ、コインを入れてから縦長の幅の狭い扉を開けて、瓶を引き抜くという自動販売機があったことを思い出した。

ところで、アクセス・カウンターを設けてから本日(Feb. 29)で13日目、日頃のご愛読に感謝して、キリ番の「1000」番にご訪問頂いた方に粗品(コーラ瓶の隣に写っているマグカップではありません)を用意しております。

老若男女、人種、宗教、信条は一切問いませんので、1000番目に当たった方は、プロフィールのメール送信からご連絡ください。地球上ならどこへでもお届けします(火星とか、冥王星ってのはナシね。)



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February 26, 2004

小澤征爾 & VPO ~ Pros. & Cons.

ユウスケさんのメメンとモリ@New Yorkでレビューされていた、小澤征爾/ウィーンフィル@カーネギーホールに出発する直前のヴィーンの楽友協会(Musikverein)でのコンサートの評論がDie Presseに掲載されていた。

小澤氏のヴィーンでの評価は、Staatsoperのオペラ公演に関して「賛否」相半ば、ということはこちらのメディアでも時々伝えられている。(昨年の「オランダ人」ではかなりのブーイングを喰らったとか)店主は、彼が振るオーケストラのコンサート評にあまり接する機会がなかったので、ここでご紹介しておきたい。

まず、Pros.の方から、Ein triumphaler Schönberg für New YorkというタイトルのGerhard Kramerの記事。タイトルからも容易に推察できる通り、ニューヨーク&東アジア・ツァーの成功への期待感を込めて、ご祝儀?という感じで「ドン・ファン」、「ペレアスとメリザンド」ともに讃辞を呈している。特に、Thomas Quasthoffの歌うマーラーの「リュッケルトの詩による歌曲」は、明瞭なディクションで知・情・意そろった理想的なキャラクターバリトンで、小澤&VPOは繊細かつ透明感のあるバックアップをした、とほぼ絶賛。

次は、Cons.に。この記事を遡ること3日前の同じくDie PresseにBevor ein Orchester seine Koffer packt(オーケストラがスーツケースをパッキングする前に?)と題して、Wilhelm Sinkoviczが寄稿している。

こちらのプログラムは、「ドン・ファン」とJ.S.バッハの「音楽の捧げ物」からウェーベルン編曲「6声のリチェルカーレ」、ブルックナーの2番のシンフォニー。元々のベルクの「ヴォツェックの断章」が、歌うソプラノが見つからなかったため、「ドン・ファン」に差し替えられたらしい。

Sinkovicz氏は以前から小澤氏には、厳しい批評をしているらしいが、ここでも指揮台での漫画チックで派手な動きでオケを煽っていることやリハーサル不足を批判している。「ドン・ファン」に関しては、響きが厚ぼったく(表現が?)薄っぺらと批判が続く。

ブルックナーのシンフォニーにいたっては、いくら休止が多い曲とはいえ、小澤氏は曲をバラバラにしてしまった、と言わんばかりである。(まっ、ブルックナーに関しては店主にとっては、ど~でもいいことだが・・・)

店主はどちらのプログラムも実際には聴いていないので、両氏の見解のうちどちらかの肩を持つというわけにもいかない。

店主がこれまで幾度か接した小澤氏の演奏に対する感想は、縦合わせにやけに神経を使った、と印象が強く特別に感動・感心した記憶はない。(店主好みの)オペラを振る指揮者ぢゃないな、と勝手に判断していた。

最後にお断りしておくが、店主のドイツ語読解能力は、大学2年生時をピーク(というほど実際には高くなかった)に、その後ゼロのラインに向かって急降下をしている。脳力の低下も伴い、間違って解釈している可能性も否めず、その際は平に平にご容赦のほどを。正しい内容は、リンク先の原文を参照してくださるよう切願するものである。

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February 23, 2004

銀座の雀?

いつも愛読させて頂いている、iioさんのCLASSICAのblogサイトで、興味深い記事「文壇」を拝読したので、トラックバックさせていただく。

店主も銀座の「飲み屋」(もちろん、「和民」、「つぼ八」、「北の家族」@銀座ではない)には、足を運んだことがある。その乏しい経験から、iioさんがかつて体験されたことを考察してみたいと思う。誤解なきよう、予め申し上げておくが、店主の場合その財政事情から本格的な「クラブ活動」などは論外であり、所謂「バー」に足を踏み入れたことがある程度なので、その真髄を突いているかどうかは些か心許ないことはお許し願いたい。

で、そこから何軒かハシゴするんだが、
ご無沙汰している馴染みの店をまとめて廻ることを、「檀家廻り」と言うらしい。
だれもメニューを見てないのに、食い物やら水割りが出てくる。店を出るのに「お勘定」なんてない。後日、大先生の家に請求書が送られてくるわけだ。
未だに請求書は「盆暮れ」、つまり年2回という店もあるらしい。
で、ホステスさんたちからは「私たちは会社帰りのOLがやってるバイトのキャバクラ嬢とは違うのよ、銀座に生きているのよ」つう矜持の高さがギュンギュンと伝わってきて、
いわゆるナンバーワンの方は、何故か世間一般的にいわれている「美人」といカテゴリに属するヒトは少ない。爺さまにとっては、自分より「若い子」なら充分なのか?
若かりし頃の大先生の武勇談であるとか、それこそかつての「文壇」にまつわる逸話の残滓みたいなものもなくはなくて
この手のハナシはよくある。「○○の社長さん(勿論、日経ビジネスに出てくるようなヒト)が未だ若い頃は血の気が多くて、×△で大立ち回りして・・・」なんてハナシは良く聞く。
「最近じゃ若い方は銀座にいらっしゃいませんが、やはり銀座で遊んでこそ一流。銀座にいらっしゃってください」
確かにあの日韓W杯のとき、渋谷を筆頭に盛り場がハチャメチャになっていたときでも、四丁目の交差点は普段と全く変わりなかった。
とりあえず、呑み助じゃないから腹が減る。
そこそこの馴染みになれば、ラーメン、鮨、サンドウィッチなどなんでも出前の注文可。
先に入った小さなバーのママを、大先生が連れ出して別のバーに同伴させるっていうのも驚いた。他に客がいなかったとはいえ、お店を閉めて同伴。えっ、そんなんで店、閉めちゃっていいの、みたいな。
お得意様には、この程度は当たり前。よ~するに、採算を取るサイクルが異様に長~いビジネス・モデルか?

「バー」、「クラブ」などは、欧米に端を発するものであろうが、我が国においては見事に換骨奪胎、そのルーツとは全く異なった発展を遂げたものである。その極みが「銀座の飲み屋」だといえる。しかも、日本の他の地域の飲み屋とも全く違う。(大阪のキタが、「銀座風」であるとは聞いたことはあるが、残念ながら店主にはその経験がない)要するに、東京で一つ、日本で一つ、世界で一つと言っても過言ではない。

ここまで来ると、風俗を超えて「文化」と言ってもいいかもしれない。それでも、銀座古来のお馴染みさんは「最近は、銀座も世知辛くなった」と嘆いているとか・・・。

(iioさん、お書きになった文章を一部引用させていただきました。不都合があれば、どうぞ仰ってくださいませ。)

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February 22, 2004

バッテリーパック購入騒動記

何を今更、PHS?の後日譚。
まさか、続きを書くことになるとは、思わなかった。他に未だ宿題が一つ残っているというのに・・・。

結局、店主の電話環境への少々強引なこだわりのため機種変更できず、バッテリーパックをTVCMソングでもお馴染みの新宿西口の某量販店に発注した。一昨日、「ご注文の品、入荷しました。」との連絡をもらい、昨日新宿方面へ出かける用事があったので、そのついでに立ち寄ってバッテリーパックをピックアップすることにした。これが一筋縄ではいかなかった。

以下にその経過をかい摘んで、

1. 携帯電話カウンターへ注文品を取りに来た旨を伝えると、対応してくれたおネェ~チャンが、「少々、お待ちください」と奥に消える。

(カウンターの前で、ぼぉ~と10分ほど待つ)

2.おネェ~チャン戻ってくる。「申し訳ありません、品物が見当たらないので、ポイントカードお持ちでしたら、拝借できますか?」
(ははぁ~ん、見つからないので、会員番号で検索かけるのかな?)
カードを持って再び奥に消える。

(待つこと、さらに約15分。カウンター前のDocomoの携帯電話を手に取りながら眺める。でも、買う気などサラサラないので気は上の空、全く興味沸かず)

3.件のおネェ~チャン、再び現れる。「入荷は確認出来ましたが、手違いでパソコン・コーナーに紛れ込んでいるので、取ってまいります」と、またまた人混みの中へ。

(隣の、auのコーナーを徘徊。au Design Projectと銘打った新機種の実物を初めて見る。W11K、雰囲気がまるで合体メカ。あの世代にはKiller Designかも・・・。とかなんとかで更に15分)

4.おネェ~チャン、再々々(か?)登場。「申し訳ありません。品物が未だ見つかりません。誰が連絡をしたでしょうか?(名前なんて、覚えてねぇ~よ) これ以上お待たせしても(もう、充分お待ちしている)、ご迷惑をおかけします(40分以上も待って、迷惑で腹一杯だ)ので、郵送させていただけませんでしょうか?」だと。しょうがないので、送ってもらうことに。

でも、これだけでは終わらなかった!

5.諦めて、次の用事を済まそうと改札口の当たりを歩いているとPHSが振動。男の声で「ご注文品、見つかりました。デジカメ・コーナーに紛れていました」だと。取りに来るか、送るか?と問われるが、バッテリーのヘタリがかなりヤバイ状況なので、引き返してピックアップしてきた。

これが顛末の一部始終。

話しは変わるが、店主は以前「Customer Advocacy」に係わる仕事を数年間していたことがある。一般的に馴染みのない言葉だと思うが、比較的近いのが「顧客満足度向上」という言葉である。両者の目的とするところに殆ど違いはないのであるが、「Customer Advocacy」の場合、目標がより高いところに置かれている。

つまり顧客満足の結果、リピーターになってもらうことは当たり前で、最終的に顧客にその企業・会社を「好き」になってもらい、その製品やサービスを他人にも勧めてもらう、ということを目標としており、これをブランド確立戦略の大きな柱としている、ということである。

店主は、この分野では一応プロのつもりでいる。(でも、現在ではセミプロ・レベル程度かも?)

従って、このセミプロ魂がそのまま帰ることを許さず、カウンターのマネージャに手短に教育的指導を行ってきた。

1.先ず、商品管理をしっかりすること。
2.顧客の資源を大事にすること。(時間)
3.顧客のために、一生懸命になることは良いが(商品を探す)、
顧客の状況に想いを巡らし、臨機応変に行動すべきである。
4.具体的には、代替案(郵送)の提案はもっと早めにすべきである。
5.CRMなんて導入しても、顧客への情熱が無いとなんの役にも立たない。

出来る限り、あの時の殆どブチ切れそうな気持ちを抑えたつもりだが・・・。

残ってる宿題、早く片づけなくっちゃ!

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February 20, 2004

Chinese?Korean?Japanese?

リンクを貼らせて頂いている、ガーター亭別館メメンとモリ@New Yorkでトラックバックされている面白アーティクルを発掘。(といっても、2月初旬のもの)これと、これ

亭主どの、ユウスケさんがそれぞれ試みたという、Chinese、Korean、Japaneseを写真だけで見分けられるか?というテストサイトで、店主(これからは、ときどき自らをこう呼ばせてもらう)も早速トライ、結果は何故か御両者より好成績で、18問中16問の正解「You are definitely talented.」という評価をもらった。(それが、どうした!)亭主どのは、きっとフランス人、ベルギー人、スイス人、フランス系カナダ人を見分けるテストなら抜群の成績を修めると思われる。

ガキの頃から、小心者のクセに一夜漬け後の一発勝負の試験などには抜群の力を発揮した記憶がある。(火事場の馬鹿力?) 受験もそれで乗り切ったようなもの。

冗談はさておいて、店主の場合以前に仕事上で東アジア系の人たち及びそのルーツを持つ米国人たちと数々の交流経験が若干役立ったのかもしれない。

その昔、米国本社のOne fits all for East Asian countiresなどという各国のマーケット事情の違いなど無視した、エコノミカルかつ大胆、傲岸不遜な発想の基に企画された、ある製品の開発プロジェクトに参加した経験がある。

各国からのプロジェクト・メンバーはそのマーケットニーズをぶつけてくるため、しばしば衝突がおこり、なかなか難しいプロジェクトであった。タモリの四カ国対抗麻雀の様相を呈したこともあった。(勿論、プロジェクトXのように、臭いストーリも感動も無かったけど)

最終的には同じ企業に帰属する人間の集まりであるため、真の外交交渉のように、談判決裂という事態は免れたが、幾たびかのミーティングで、それぞれの民族性に起因すると思われる交渉術に遭遇し、なかなか興味深いものがあった。

中国系の人は、原理・原則に厳しく、それをなかなか曲げない。しかし、それが変わった場合は比較的すんなりと受け入れ、その後はまるでリセット・ボタンを押したかの如く、以前のことには殆ど拘泥しない。発言もassertiveで、ポジション・パワーを使う人も、日本人などに比べると遙かに多い。

特に、Singaporeanの場合は、あのSinglish(英語を中国語の抑揚に乗せたような感じ)を、早口で捲し立て、店主も慣れるまでは、話しを聞くだけで船酔い状態になったものである。ただ、米国人との言語的なコミュニケーション能力は日本人、韓国人は足下にも及ばない。一時期、シンガポール政府が「Singlish、やめれ!」というキャンペーンをしていたが、あれはどうなったのだろう?

韓国の人の場合は、交渉においては比較的融通無碍ではあるが、ゲームのルールが変わっても、その発言に以前からの主張への拘りを滲ませる場面が多々見受けられた。Grammar、Word orderが日本語同様、英語とは決定的に違うせいか、英語を流暢に操る人は少なかった。

ときたま、これにインド(系)の人が加わると、話はさらにややこしくなる。非常に論理的で、そもそも論から始まって物凄く理屈っぽい。ときに屁理屈では?と感じるほど。曖昧さを許さず、流石「0」が生まれた国だと関心した記憶がある。当時インド系のボスを持った日本人は、結構大変だったようだ。

但し、これらの見解は店主の極めて個人的なものであり、ゆめゆめ全てこれが当て填るなどとの誤解なきように。この様な環境で仕事をしてきたせいか、店主の場合人種的偏見など抱く余裕もなかった。尤も、人間としての好悪、相性は当然あるが。

店主はかつて、ヴィーンのStaatsoperで同じ白人の中から、見た目で米国人を見分けるという得意技をもっていたが、彼の地へもこのところとんとご無沙汰しているので、現在はあまり自信はない。

使わない言葉と同様、訓練を怠ると直に退化する能力だから・・・。

初めて、ヴィーンへ旅行をした際、SECESSIONの有名な黄金のキャベツ屋根をバックに記念写真を撮らんと、近くにいたアジア系の女性にカメラのシャッターを押してもらった。その時、店主は何故かハナからその女性をエイジアン・ハイフネーテッド・アメリカンと決めつけていたため、下手っぴーな英語でお願いして、お返しに彼女の写真も撮ってあげた。

だが、しかし、あとで判明したのが、その女性は正真正銘の日本から旅行者であった。今考えても、恥ずかしい。(彼女が英語で返事を返してきたってことは、当方にも相当の原因(問題?)はありそうだ・・・。)

(これで、初めてダブル・トラックバック(?)を試みます。不都合が在ったら、仰ってください。→ 亭主どの、ユウスケさん)

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February 19, 2004

The Glory of Cremona

Strad.の話題あれこれ」のおまけ。

the_glory_of_cremona.jpg

40年くらい前であろうか?(流石にそんな昔のことは、リアルタイムの記憶はない!)ルッジェーロ・リッチが15本のクレモナの銘器(アマティ、ストラディヴァリウス、グァルネリ、カルロ・ベルゴンツィなど)を集めて録音したLPがあった。

おまけとして、ブルッフのコンチェルトの冒頭部分を15本のヴァイオリンで弾き分けた17cmLPが付属していた。ジャケットでは、DECCAとなっているが、米Decca(MCA)の録音である。

発売当時、かの「レコ藝」の批評ではヴァイオリンはアウアー門下のロシア脱出組にあらずんばの風潮が支配していた時代らしく、イタリアのヴァイオリニストの際物などハナもひっかけられなかったとか。このLP、CD化されたはずだがAmazonでは見つからなかった。

リッチ師匠、この手の企画に余程思い入れたがあったと見えて、後年現代のクレモナの名匠たちの楽器を集めて、「The Legacy Of Cremona 」(U.S.のAmazonのサイトは写真が無いので、UKサイトへ)を録音。これには、かなり立派な解説ブックレットが付いている。

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February 18, 2004

DE BEERSも真っ青?

少々旧聞(バレンタイン・デイ向け)に属するが、近年その市場支配力が一時期ほどの勢いをなくしたとはいえ、ダイヤモンド産業を圧倒的に牛耳っているDE BEERSも真っ青なニュースが・・・。

      Astronomers Find a Huge Diamond in Space

世界でも有名な、こんなのもこんなのもこんなのも、大きさでは到底かなわない。

なんせ、直径4Kmのダイヤモンド。この広い宇宙なのにたった50光年飛んでいけば、手に入れられるそうだから、誰か取りに行く人いませんか?

でもその計画バレたら、ダイヤモンド・シンジケートから刺客が送りつけられるのは間違いない・・・。


本日の対オマーン戦に関して、言いたいことは山ほどあるが、他に言う人がいくらでもあるだろうから、自粛・・・。

いい加減やめれ!「ええ格好しいのサッカー」→ 黄金世代?

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February 17, 2004

Strad.の話題あれこれ

メメンとモリ@New Yorkさんのblogで、"高嶋ちさ子、ストラディヴァリウスを購入"というアーティクルを拝見したので、この拙文をトラックバックさせて頂きます。(ユウスケさん、いきなり土足で上がり込んで申し訳ありません。ガーター亭別館経由です。トラックバックそのものが、いまいち理解できていなので、一体どんな様子になるのやら、心配!)

バブル崩壊後、世界的にもデフレが懸念されている今日この頃だが、銘器ストラディヴァリウスの値段は一向に下がる気配はない。かつて、1973年に辻久子が家を売って、「ディクソン・ポインター(1715)」を手に入れたという話題で新聞を賑わしたことがあった。

昨今の不動産価格が低落している状況では、半端な家を売ってもStrad.を手に入れることはできないであろう。

最近(とはいっても、既に一昨年になるが)、千住真理子がスイスの富豪が所有していた「デュランティ(1716)」と呼ばれるStrad.を購入したらしい。この楽器、彼女曰くローマ法王に献上されフランス貴族、スイスの富豪の手に渡り、プロの演奏家の手に渡るのは初めてとか。

一流あるいは将来を嘱望されるヴァイオリニストが、個人所有者や財団(我が国の「日本音楽財団」も1ダースほどのStrad.を所有している)から貸与されるのはよく知られるところだが、いつも不思議に思うのが、果たしてヴァイオリニスト本人が巷間3億円は下らないと言われるStrad.を買い取ることができるのであろうか?

他人の財布の中身を詮索するのは、良い趣味ではないと分かってはいるが、彼・彼女らの演奏や録音のギャランティだけでは、なかなかペイしないのではないのか?とつい余計な心配をしてしまう。(全盛期のパヴァロッティほどのギャラなら、納得できるが・・・。)

流石に、銘器Strad.だけあって、過去にも様々なドラマティックなストーリがあるようだ。(勿論、盗難がらみの)

ピエール・アモワイヤルの「コチャンスキー(1717、元はロシア皇帝ニコライ2世のコレクション)」の盗難(車上荒らしらしい)、その4年後イタリア軍警察の回収による楽器との再会など、この手話題は多々ある。

最も有名なのが、2001年にジョシュア・ベルが購入した「ギブソン、ex-フーベルマン(1713)」であろう。これを購入するために、ベルはそれまで弾いていた「トム・テイラー(1732)」を手放した。この「トム・テイラー」、ギターという愛称を持っており、その形と装飾の縁取りで美しい楽器として有名である。

あるヴァイオリンの流転を描いたオムニバス映画「レッド・ヴァイオリン」でベルが弾いていたのは、この「トム・テイラー」である。

「ギブソン、ex-フーベルマン」であるが、その名の通り、名手ブロニスラフ・フーベルマンが所有していたもので、2度も盗難に遭っているのである。1度はヴィーン、このときは直に出てきたらしい。

二度目は、カーネギー・ホールでフーベルマンが舞台でガルネリを弾いているときに、楽屋にあったこのStrad.が盗まれた。盗んだ張本人はジュリアン・アルトマンというカフェのヴァイオリン弾きで、殆どまともなメンテナンスなどせずになんと50年も仕事に使っていたとか。勿論、フーベルマンはこの楽器に、二度とお目に掛かる機会はなかった。

何故これほどまでに、今日に至るまでStrad.が珍重されるであろうか?勿論、演奏者・聴衆ともに魅了する音色にその根本的な価値があるのであろう。ただ、以前あるヴァイオリン制作に携わる人から聞いた話による、「制作されて、300年近くたっても使用に耐える丈夫な楽器」であることも事実のようである。

「無事これ銘器」というのも、あながちハズレではいないようである。

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大丈夫か?日本の銀行

昨日、ATMでは出来ない振り込みをする必要があり、午後時間を作って銀行の窓口に出向いた。場所は、4大メガバンクの1行のある支店である。

自動発券の番号を取ったところ、15人以上待っているようだった。しかし、4つある入出金・振り込みの窓口のうち、2つの窓口でしか業務が行われていない。すなわち、2つの窓口には人がいないのである。

順番待ちが長くなっている原因は、来客が多いからではなく、対応する人間が少ないことであるのは明らかである。リストラの進行が徹底し行内に他に人がいないのか?というと、全くそんなことはなかった。

窓口の後ろでは、それなりの数の人間が働いていたのである。ただ、来客をほったらかしにしているほど忙しそうにも見受けられなかった。以前もこの様な光景を何度も目にしたことがある。順番を待っている客は皆、羊のように大人しかったが、なんかヘンである。

窓口に出てこない行員たちは、きっと社内の業務規定・職務分担に従って、彼らなりのプライオリティで仕事をしているのであろう。しかし、顧客からの視線が届く場所で、混雑した状況を無視するが如く平然と仕事をしている、という神経が全く理解できない。

不良債権問題、合併に伴うリストラなどなど、銀行を取り巻く環境は厳しいと言われて久しいが、顧客の不便を平然と黙視しているような社員を抱えている限り、いくらトップが顧客重視などと叫んでもその体質は容易には変わらないであろう。

本当に大丈夫か?日本の銀行。

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February 16, 2004

何を今更、PHS?

現在使っているH"の電話機が充電しても、直に電池がなくなってしまう。購入してから丸4年近くたつので電池の寿命であろう。(最も、手に入れてから1年もしない時期に、やはり電池の具合が悪く交換してもらったことがあった。)

一般的には、電池寿命が尽きた時が機種交換のサインとか。電池交換を実際に経験してみると分かるのだが、¥5Kくらいの費用がかかるので、新機能が盛り込まれた新しい電話機を入手する良い機会の一つではある。

自分の場合は、おいそれと機種交換することが出来ない複雑な事情がある。まず問題なのが、データ通信にその生き残り策を見い出さんと決め込んだ如く、PHSのキャリア・機器のベンダともに音声の電話機の開発には全く力が入っていない。新製品の発表も非常に少ない上、カタログ上にある機種でも実際には販売を終了しており、入手することが出来ないものもある。現役の機種でも「携帯」では2世代前くらいの機能しかない。

久しぶりの覗いたH"の電話機の売り場は、ソヴィエト崩壊前のモスクワのマーケットの棚状態を呈していた。PHSのキャリア各社は、その導入時期に犯したマーケティング戦略上の大きな過ちのツケを払わされている、と言わざるを得ない。

通話音質の良さ(但し、相手が同じPHS又は固定電話の場合)、データ通信のスピード、小電力故の待ち受け時間の長さ、コストの安さ、都市生活をする上で十分なエリア・カバレージ、ちょっと辺鄙な場所に行けば圏外になる心地良さ、などを理由にDDIPocketのH"を選択したのだが・・・。

友人・知人の間でも、「070-」の番号は殆どいない。この際、いつまでも突っ張らずに、所謂「携帯」に代えるという選択肢もある。ただ、自分の場合、もう一つ簡単に代えられない理由がある。

それは、PHSがそもそもデジタル・コードレス電話の発展系である機能としてサポートしている(されていた?)αPHSを利用しているからである。

αPHSとは簡単に言ってしまえば、この規格に対応した固定電話の親機に対して、やはりαPHSに対応したPHSを子機として登録することができる。すなわち、1台のPHSを家では固定電話の子機、外出先ではPHSとして使うことができる。最近導入したIP電話の子機としても当然機能する。

一般的に、固定電話の子機は携帯電話に比べて大きく使いづらいものが殆どで、その点現在のPHSは便利な子機として使えている。特に、PCをオペレーションしながら電話でサポートを受ける時などは、イヤホンマイクを装着すれば両手が自由になるので快適至極である。

ただ、このαPHSの規格も現在では実質死んでいる。市場にαPHS対応の親機が現役機種として存在していないのである。現在利用している固定電話ファックスも既に販売完了している。それに呼応するかのように、PHSの新機種も殆どこのαPHSの機能は省かれている。

そんなこんなで結局、電池を発注した、という顛末。

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February 14, 2004

青く仄かに輝く憎いヤツ

PCの入力デバイス(キーボード、ポインティング・デバイス)ほど、スペック・シート上でその出来具合を表現することが難しいものはない。ユーザの好みが最も顕著に出るデバイスなので、全てのユーザを納得させるものなど無いと言っても過言ではない。

自分の場合、キーボードは適度にクリック感がある(キーを押したときに指に程良い反発感がある)ものが好みである。ポインティング・デバイスはマウスが最も好ましい。携帯する際は、トラックポイントでも構わない。但し、タッチパッド式やトラックボール式のものは自分の手には全く馴染まなかった。

このキーボードとポインティング・デバイスに対する好みが、IBMのマシンを使い続けてきた大きな理由のひとつである。もう一つはユーザ・サポートの良さ(というよりは自分との相性の良さ?)である。

但し、比較的最近導入したNetVistaに付属してきたキーボードは情けないほどチープなものになっており、ThinkPadのキータッチと比べると酷いシロモノで、早速UltraNaviに変えた。

以前のIBMのマウスは何となく不甲斐ない出来で、マイクロソフト製のものを愛用していた。過日、深夜にMSマウスの真ん中のホイールを使っていた際、廻すときのカリカリという音と人差し指に伝わるあのギザギザホイールの感じが突然気になりだした。

昨年、知人のNetVistaのセットアップを手伝った際に、付属してきたIBMのマウスがスクロールはカリカリと廻すホイールではなく、感圧式(ThinkPadのトラックポイントと同様)のもので、自分の指にはより馴染みやすいことを思い出した。だたし、そのマウスは光学式ではなくいわゆるメカ式(ボール式)であった。

早速、ネットで探索した結果、感圧式のスクロールボタンを持った光学式のIBMマウス(IBM 3ボタン スクロールポイント・マウスII )を発見。その結果、Amazonから衝動買い。在庫があったため、2日後には入手。デザイン的にはThinkPadにより相性のよいマウスもあったのだが、機能的にはこれでOK。

MSマウスではスクロール出来ず、ThinkPadのトラックポイントでしか使えなかったアプリケーションでも、このマウスでは問題ない。久々に「当たり」の衝動買いだった。

この文章を入力しているキーボードの脇に、スクロールボタンが青く仄かに輝く(今話題の青色ダイオード)憎いヤツがいる。

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February 13, 2004

ThinkPad 600X 現役復帰

現在、現役で稼働しているPCはノートがThinkPad X20X24、デスクトップがNetVista & 液晶モニタの3台である。最近、もう1台の必要が生じたため、予備役というか殆どリタイア状態であったThinkPad 600Xを引っ張り出してみた。

このマシンは確か2000年1月の発表であるから、現在主流のノートPCに比べると、そのスペックは時代を感じさせるものがある。無線はおろかLAN I/Fも内蔵されてはおらず、USBのポートも持っていない(使ったことが無いだけで、1ポートがカバーに隠れて存在していた)。だた、購入した価格は、現役のどのPCよりも高価であった。発表直後に入手したので、¥400Kを遙かに超えていたと思う。

起動時やサスペンドからのリジューム時に、一時的に画面が赤くなり、液晶自体の明るさも現役機に比べると大分暗くなっていることは以前から気になっていた。

現役時代にも同様の現象で液晶交換をした。その際はEMSという拡張保守契約期間中だったので無償修理だったが、既にそのEMSも期限が切れている。IBMに問い合わせたところ、液晶のバックライト交換のみのサービスは行っておらず、パネルごとの交換で¥50K以上はかかるとのこと。

大したパフォーマンスも必要としない用途なので、600Xにはそのまま引退してもらい、一世代前のノートPCを安価に手に入れようかとネットで調べていたところ、こんなショップを探し当てた。

元々、PCの中古ショップらしいのだが、液晶バックライトの交換サービスを行っている。自ら交換できるユーザには、ランプの販売もしているらしい。早速、メールでコンタクトしてから、600Xを送った。宅配便の往復を含めて手元に戻るまでおよそ10日、費用は運送費を含めて約¥18Kであった。

帰還を果たした600Xは、事前にショップから連絡があった通りオリジナルより若干青みがかった色合いの画面になったが、無現役復帰を果たした。

次は、OSのアップグレード(98SE→XP)かな?

>>> ThinkPad 600X Upgrade Plan

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February 10, 2004

私をスキーに連れてって その2
~ 2004年のスキー考現学 ~

<<< その1

スキー映画といえば、ハンネス・シュナイダーがA.フィンクと制作した「スキーの驚異」(これ、SAJの指導員検定の問題でよく出題される)に始まり、コルティナ・ダンペッツォでの初の五輪3冠王になったトニー・ザイラー主演の「白銀は招くよ」「黒い稲妻」、日本で撮影した「銀嶺の王者」、クロード・ルルーシュのグルノーブル五輪記録映画「白い恋人たち」、ちょっと変わったところで若き日のロバート・レッドフォード主演の「白銀のレーサー」などあるが、自分にとってのスキー映画といえば、「私をスキーに連れてって」に留めを刺す。

ホイチョイ・プロダクション&フジテレビの1987年制作という正にバブルのスウィートスポットをヒットした作品であり、公開当時でもかなりの数のアンチ派が自分の周りにも存在していた。

ある(あらゆる?)意味で、「罰当たりなバブルムービー」をスキー映画のトップに据えた理由は、あの映画の内容を個々のエピソードに分解すると、殆ど自身で体験した現実と重なるからである。

「私をスキーに連れてって」は、正に実際にあった(であろう)エピソードを映画的手法で調子よく予定調和に向けて繋ぎ合わせて作り上げた映画だった、と言える。

公開当時、主人公たちと同世代の人たちがどの様にあの映画を観たかは知る由もないが、あの年代から外れていた(勿論「上」にである)自分にとっては、体験した現実の集大成を見せられたような心持ちであり、「世間もやっと追いついてきたか?」などという不遜な感慨に耽ったことを思い出す。

自省の念を込めて、それまでの自身のスキー・ライフ(だけか?)を振り返ってみると、かなり「罰当たり」なものであった事実は否めない。スキー板はほぼ毎シーズン、ブーツは2シーズン毎に買い換えており、学生時代は殆どバイトもせずに、雪の上に全く立っていなかったのは8月~10月などというシーズンを過ごしたこともあった。

「いつまでもあると思うな、親と金」という言葉が身にしみる今日この頃である。(尤も、後者は別にして、前者は未だ厳然と存在しているが・・・)

この映画を自分の事情から一歩退いて見ると、当時ヒットした理由として、好き嫌いは別にして松任谷由実の音楽の存在は無視できないものがある。あの期を境に、「わたスキ」→「Yuming」→「Surf & Snow」→「苗場プリンス」というボールドラインが確立されたワケである。

もう一つ忘れてはならない功労者は、テクニカルアドヴァイザーを務めた海和俊宏氏の存在であろう。この手の映画にしては、スキー滑走のシーンは抜群の出来で(その点、約8年後に公開された「ゲレンデがとけるほど恋したい」はかなり悲惨だった)、海和氏本人もさり気なく画面に登場しているのも良い。(前走で滑るシーンはファンタスティック!)

三上博史のスタントを務めたと言われる、当時のデモ選のスターだった渡辺三郎氏の滑りも秀逸であった。

そんなこんなで、近年は初滑り前には自ら景気付け&気合い入れのために、一度はこの映画を観ることにしている。


 つづく >>>

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February 09, 2004

私をスキーに連れてって
~ 2004年のスキー考現学 ~

昨日まで戸隠でスキー。例年この時分になると友人兄弟が経営している会社の小規模な社員旅行(スキー行)への誘いが掛かる。昨シーズンは都合がつかなかったが、今年は1シーズンぶりで便乗参加させてもらう。若手の社員諸氏が乗り物の手配から始まって諸々抜かりなくやってくれるので、例年通りすこぶる快適なスキーを楽しむことができた。

元来、不特定多数の人たちと群れて行動するのは得意ではないが、気の置けない仲間との旅行は、いわゆる一人旅よりも数倍楽しい。持つべきものは旧友、と大感謝。

長年通い続けているスキー・ロッジの食事も相変わらず美味い。夕食後は久しぶりに遭遇した常連客の人たちと旧交を温める。

スキー場では、2月初旬ということもあって天候は今ひとつ安定せず、快晴のなかでのスキーという訳には行かなかったが、降り積もった雪も軽く、寒さと今回履きおろしたスキーブーツの足の痺れを別にすれば概ねスキーは好調だった。

今回のスキー場の混雑の具合は平日がかかったとはいえ、往時の盛況ぶりからは今昔の感を否めない。バブル崩壊後、スキー人口は低落の一途をたどり、宿に滞在しているときに流れていたTVニュースによれば、今年長野県を訪れたスキー客は1992年の半分以下の実績とか。かつてスキー大国であるオーストリアの総人口の2.5倍強と言われた日本のスキー人口も今は昔の状態である。

リフト待ち(今や死語?)の状況やゲレンデを滑るスキーヤーの数は、最盛期を知る人間から見ると半分どころか往時の1/3、1/4というのが正直なところである。この閑散としたスキー場には一抹の寂しさすら感じる。

スキー愛好家にとっては、空いたゲレンデをエンジョイできるという、又とない好機到来ともいえるが、この関連ビジネスに携わる人々にとっては生き残りを賭けた深刻な時代が続いている。

実際に体験したピーク時は、八方尾根ではゴンドラ待ちは2~3時間は当たり前、ジンギスカン屋が軒並み白やピンクに塗り立てた小洒落たレストラン・カフェ、みやげ物屋に衣替えし、苗場ではプリンス平日パックですら予約が難しく、大斜面にいたっては1コブに1人という「流れるプール」状態であった。

欧米では富裕層のスポーツであった(現在もこれは変わっていない)スキーが、我が国において見事に大衆化された時代であった。その証拠に、バブルの絶頂期においても、サンモリッツのように何十軒ものブランドショップが建ち並ぶスキー・リゾートは我が国にはついぞ出現しなかった。

顧みるに、イケイケどんどんのスキーブームの最終段ロケットへの点火の一役を担ったのが、「見栄講座」や「極楽スキー」などでその名を馳せたホイチョイ・プロダクションが企画した、タイトル名である「私をスキーに連れてって」であることは論を待たないところであろう。


つづく >>>

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February 05, 2004

Wireless LAN ~ 802.11g vs. 11b

ADSLの回線スピードをアップしたのと同時に、これまでHUBを介して有線接続していたPCの一部を無線接続化した。導入した機器はBuffaloWLA-G54Pという802.11gのカードがセットになっているいわゆるブリッジ。現在最もよく使っているThinkPad X24が内蔵している無線LAN(802.11b)とで54Mと11MのADSL下りの速度パフォーマンスの比較をしてみた。

動作環境:
ThinkPad X24(PIII-1.13GHz、Memory 384MB)
ISP - @nifty
ADSL – ACCA 26M(収容局からの線路距離長3000m、伝送損失38dB)
無線ブリッジ – Buffalo WLA-G54
54M – Buffalo WLI-CB-G54 (802.11g)
11M - X24内蔵 (802.11b)

54M 1.1 ~ 2.5Mbps
11M  2.3 ~ 2.6Mbps

実測する前は、有線で2.3~2.6Mの下りスピードだったのでどちらも大差ないであろうし、むしろ11Mの802.11bの方が安定したパフォーマンスがでるのでは?と勝手な予想をしていたが、結果は逆であった。

X24内蔵の802.11bの方がスピードにバラツキがあり計測値は1M台の場合が多く、むしろWLI-CB-G54の54Mで接続したほうが速度は2.3 ~ 2.6Mと安定している。
ブリッジのWLA-G54には無線モードを11g(54M)ターボとか802gプロテクションなどの設定機能があるが、いずれも試してみたが実測値には特に変化はなかった。

ただし、体感的には54Mも11Mもスピードの差は殆ど感じられなかった。

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February 04, 2004

ACCA 26M ~ ADSL

これまで、インターネットの常時接続はACCAの1.5Mを利用ており、日常的な使用では速度的に特に不満はなかったのだが、ADSLの「下り」の高速化と料金の値下げがあちこちで目に付いたので、1月中旬より速度アップを検討した。

CATV、光接続を含め色々検討してみたが、現状に特段の不便を感じているわけではないので、最も簡単な速度アップを選択した。

@nifty ACCA 1.5M → @nifty ACCA 26M、という速度変更である。これならば、プロバイダーも回線業者の変更も必要ないからである。移行までの経過は以下のとおり。

1. @niftyのWEBから速度変更の申し込み。
2. 2日後、@niftyから受付完了のメール。
3. 5日後、ACCAから移行予定日の通知のメール。
4. 8日後、ACCAからレンタルモデム発送予定日のメール。
5. 9日後、モデム到着。
6. 12日後、26Mへの移行完了。

2月からの料金変更を控えていたためか@niftyの申し込みページ(特に料金)が甚だ分かり辛かったことを除いて、特にトラブルはなかった。

肝心の1.5M → 26Mの移行でいったどれほどの速度が上がったのか?いくつかのADSLの速度計測を提供しているサイトで実験した結果は以下のとおり。

環境:収容局からの線路距離長は3000m、伝送損失は38dB(NTT東日本の線路情報開示システムでの検索結果)

下り実測値 0.7~1.2Mbps@1.5M
下り実測値 2.3~2.6Mbps@26 M

これまでの約2~2.5倍というパフォーマンスか?ACCAが提供している予想速度チェックのまさに中心値に位置している値だった。これならば、26Mよりもむしろ8(12M)を選択したほうが速度は出たのかもしれない。WEBブラウジングでは、体感的に速さの違いを感じるということは殆どない。おそらく、容量の大きなファイルのダウンロードやストリーミング・ビデオなどでは違いがあるのであろうが・・・。

元々電話で話すのは好きではないので、あまり興味は無かったがレンタルモデムの料金にIP電話機能も含まれているというので、これもついでに契約し、セットアップ完了。未だIP電話の音質を云々するほど電話を使っていないが、現在のところ特に不満はない。

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Topsy-Turvy ~ あるジャポニズムの受容 (Day one)

なんとはなしに遅くまで起きていたら、NHK-BS2で『Topsy-Turvy』(1999年)という映画が放映されていた。

内容は19世紀英国のオペレッタ(コミック・オペラが正しいかも)作家として有名なギルバート&サリヴァンの所謂バックスージもの。監督は、『ネイキッド』『秘密と嘘』『』『人生は、時々晴れ』のマイク・リー。このひとは、近頃は巨匠と呼ばれているらしい。この作品(『Topsy-Turvy』)果たして日本で劇場公開されたのかどうかは、寡聞にして知らない。

ギルバート&サリヴァンは、第二次大戦前は国辱的な内容としてわが国では忌み嫌われた(らしい)。オペレッタ『ミカド』の作者。(ウィリアム・ギルバートが台本、アーサー・サリヴァンが作曲)

当然、この映画でも彼らの最高傑作といわれている『ミカド』製作過程のエピソードに多くの時間が割かれている。映画作品としての出来を云々するほど、普段映画を観ているわけではないのでここではあえて批評は控えるが、ヴィクトリアンである19世紀末にいかにジャポニズムが受容されたか?という視点で観ると大変興味深い内容である。

20世紀末のイギリス人(マイク・リー)が約100年前の同胞たち(ギルバート&サリヴァン)がいかに極東の神秘の国である日本の文化に出会い、ある意味魅了され、芸術作品(『ミカド』)として仕上げる課程のエピソード描いた作品(『Topsy-Turvy』)を、20世紀生まれの日本人(自分のこと)が21世紀初頭にを観る、というなんとも複雑な状況そのものが面白かった。

これ以前の17世紀にも、ヨーロッパにおいても有田焼など『モノ』としての日本が紹介されたことはあった。万博のパヴィリオンという見世物的要素が多分にあるにしても、一般のヨーロッパ人が実際に「ライブ」の日本に触れるのはこの時期(19世紀末)が初めてであろうし、そのインパクトたるや現在の我々が想像する以上のものがあったと思われる。

確かに、『ミカド』はごく普通の日本人の視点からはトンデモ・オペレッタに違いないだろう。ミカドの息子(皇太子?)が親の決めた縁談を嫌って、吟遊詩人に身をやつして放浪し・・・、で舞台はチチブ(秩父?)らしいという、どこを取っても荒唐無稽な筋立てで、どう逆立ちしてもとても日本的とは思えないメロディ(但し、有名な「宮さん、宮さん・・・」がある)と、全く勘違いな扮装と舞台装置という具合で、「いったいどこが日本よ?」という強い違和感を日本人は当然のごとくもつだろう。

戦前この作品が日本において無視された理由は、神聖にして侵すべからざる存在(ミカド)に対する劇中での罰当たりな描き方が反感を呼んだのであろう。

残念ながら、これまで実際の舞台で「ミカド」を体験したことはないが、海外において『マダム・バタフライ』(プッチーニ)の上演を観たとき、同様の違和感を覚えた経験が何度かあった。しかし、ここで自分の日本人であるというフィルターを外してみると(これが、なかなか外れない。だって日本人なのだもん)、全く異なった視界が広がってくる。

つまり、『ミカド』はイギリス人が作った彼らの視点で解釈した日本題材の『コミック・オペラ』であり、『マダム・バタフライ』は長崎を舞台にしたプッチーニの『イタリア・オペラ』である、と解釈すれば、この違和感も大分薄らいでくる。元々、彼らのターゲットした観客は日本人ではなく、イギリス人でありイタリア人であったのだから。

実際、『ミカド』は初演時にはロンドンの観客には大いに受けたようであるし、現在でも英語圏ではコミック・オペラのレパートリとして定着している。

実際のところは知る由もないが、この映画でのギルバート氏はオーセンティックな日本にえらく拘っているのである。当時のイギリスで得られる日本に関する情報など、高が知れたものであったろうし、ギルバート氏の奮闘も日本人を納得させるレベルに達しなかったのはいたしかた無いことであろう。

この『Topsy-Turvy』では、異文化と遭遇したときの、魅了、困惑、誤解、受容など現代にも通じる興味深い事柄が盛り込まれている。

この作品、アカデミー賞の衣装賞とメイクアップ賞を受賞しているらしいが、それってマジ!?


因みに、Topsy-Turvyとは、逆さま、めちゃくちゃの意。


というワケで、blogの何たるかも理解せずに、とても日記とは言えないような文章になってしまった。

これじゃ、誰も読まないわな・・・・。

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